43.援護射撃
ユスティーナには何が起こったのか分からなかった。ただ、目の前で倒れた《ワーリザード》の死体を眺めながら、眼を白黒させるばかりだ。
「な……なにごと?」
とはいえ、いつまでも混乱しているわけにはいかない。
《原始炎熱》による爆炎が消え、開けた視界に映るのは、再び遠方から迫りくる敵の集団だ。やはりまだ底が見えない。一度一掃しただけでは、一向に数が減りそうになかった。まずはこちらに対処するのが先決だ。
「とにかく、仕切り直ししないと。えーと目録目録、どこだ目録……」
這いつくばるような姿勢で、手元から離れた魔術目録を探し、取り戻した。
そして再度接近する敵の方へと振り向き、そのまま立ち上がろうと腰を上げた、その時だった。
迫りくる魔物の群れ、その右方から一条の光の線が差し込んできた。それが一体のトカゲに、針の如く突き刺さる。その光の針はトカゲの身体を貫通すると同時に、数本に分岐した。その様はまるで、魔物身体から白く輝く樹木が生えたかのようだった。分岐した光はその枝だ。
分かたれた光線の、その一本一本が別の魔物を捉える。そしてそれがさらに貫通するごとにいくつもの筋へと分かれ、また別の標的へと突き刺さる。大樹から分かれた枝が、さらにその先々で別の枝に分かれるのだ。結果、敵陣に放たれたただ一筋の光は、無数に分岐する輝く大樹へと変貌していた。あるいは、幾何学模様のフラクタル構造と呼ばれるものを彷彿とさせる。ユスティはそんなもの知らないが。
一本一本の光線の光はそれほど強くない。が、それがいくつも重なり合うことで、戦場には目が眩むほどの輝きが灯った。その光の中に飲み込まれたであろうトカゲの群れは、身体を焼き切られて死ぬことだろう。
その膨大な光量に気圧されて、折角立ち上がろうとしたユスティはまたしても尻もちをついてしまう。
「だからなにごとーー!―――……いや、これはなんだか分かる!」
驚きこそすれ、この光景は彼女も知っているものだった。言うまでもないが、魔術による攻撃だ。そしてユスティにはこの魔術を、何度か眼にした記憶があった。
―――《連鎖光枝》
収束された高熱量の光線を放ち、照射された箇所の根源を一部吸収しながら、同じ威力を持つ複数の光線に分岐する。そして分岐した光線はそれぞれ別の場所に命中し、また同じことを繰り返す。そうすることで、広範囲に及ぶ熱量の網を作り出し敵を一掃する魔術だ。途中で徐々に魔術の精度が落ち光線の威力も低下するため、一度に倒せる敵の数は良くて二十体ほどだろうが。
ユスティもこれはよく知っている。なにせこれは、“移ろいの民”の仲間であるとある再征者が得意としていた魔術だからだ。となれば、この状況でこんな光景を作り出すのは誰か、考えるまでもなく分かってくる。
「ユスティー!」
よく聞き慣れた声が、あまり聞き慣れないような大きさで響く。
それに続けて、その声の主である無精髭の再征者が、ユスティに元に駆けつけた。
「地面に突っ伏してる姿を見た時には、よもや最悪の事態になったかと思ったもんだが……無事か?」
そう呼びかけてくるグレンマレィの姿を見たユスティは、思わずその糸のような目に涙を貯めて歓声を上げた。
「グレンマレィさん!」
「元気そうでよかった。怪我もないみたいだな」
言いながらグレンマレィは、自分よりも30メンスは背の低い少女の後ろ襟を掴み、そのまま軽々しくヒョイとその身体を持ち上げ、立たせてやった。
なすがままにされつつ、ユスティが応える。
「そりゃあ怪我はないですけど。今の、グレンマレィさんがやったんですよね?」
「今の《連鎖光枝》についてはそうだが、“こいつ”のことを言ってるなら、俺じゃない。さすがにそこまでは間に合いそうになかった」
返事しながら、傍らに倒れる魔物の死骸を親指で指し示す無精髭の男。
「―――へ?」
「誰かがお前さんを助けてくれたんだろう。あの一撃がなかったら、ユスティは死んでたな。そうなったら俺の方も無念で死んでも死にきれんかったところだ。―――まぁそもそも死なないから関係ないけど」
それを聞いて、助かったことに安堵していたユスティの胸中が、途端に薄ら寒くなる。
「間一髪じゃないですか!!なに呑気な顔してるんですかぁ、もお!一体誰がこんなことを……」
「敵さんの倒れた角度から考えれば……おそらくはあそこからだと思うが」
要するにその第三者の手がなければ自分が死んでいたという事実に対し、目の前の無精髭の不甲斐なさにぷりぷりと怒るユスティにそう応えながら、グレンマレィが目を向けた方向。それは、今しがた自分達が飛び降りてきた、突入地点の崖だった。おそらくはあそこから何らかの攻撃が飛んできたのだろうと、彼は判断した。
それにユスティが驚嘆をあげる。
「あんな遠くから?1,000メンス以上離れていますよ」
魔術師にとって、自らが発動させた魔術をより遠くに届かせるというのは、極めて困難な事柄であり、なればこそ多くの者にとっての課題であると言えた。あらゆる現象には限りがあるのだ。生命には死という終わりがあるし、炎は消える、水も枯れるし風も止む。それは魔術にしても同様で、長い時間を、あるいは長い距離を持続させるには、それだけ高い精度で発動するか、あるいは供給する根源の量を多くするしかなかった。
ましてや1,000メンスもの距離から、魔物の肉体を破壊するのに十分な魔術を届かせようとすると、かなりの威力と精度が必要になる。それほどの魔術ともなれば、非常に大きな軌跡を描き、遠くからでも鮮明に見えるものだろう。
しかし、ユスティには飛来する魔術の光などはほとんど見えなかった。とてもではないが、先程の出来事が魔術によるものとは思えない。それでは何なのだと聞かれれば、応えられないのだが。
「本当ですか?」
「信じる信じないは勝手だよ」
訝しげに問い返すユスティであるが、別にグレンマレィの言葉を疑うというわけではない。この髭面の男の持つ魔術の知識は、それこそ自分の右に出るほどのものだと彼女も考えていた。その上で、自分では持ち得ない、状況から物事を判断する能力というのもグレンマレィにはあった。彼の口にする事柄は、基本的にはどれも正しいのだ。こちらを冗談でからかうつもりでなければ。
「とりあえず、誰だか知らないが、ありがとうしとかないとな」
そう言いながら、グレンマレィは遠くに見える崖の方へと右手の人差し指を向けた。そうして、それを空中ですらすらと滑らせる。それに伴い、固定化された根源が指の動きに沿った軌跡を描いた。文字を描いているのだ。
『感謝を 援護は不要』
グレンマレィが来た以上、ユスティの身の安全も確保された。そうやすやすと追い込まれることはないだろう。これ以上の手助けは不要という意思表明だ。
崖の上にいるであろう何者かがそれを確認してくれたかは分からないが、無精髭の男はそのまま視線を外し、それ以降は崖の方に注意を向けることはなかった。
「それはそれとして、さっきの根源通信を聞いたか?」
唐突に話題を変えたグレンマレィに対し、ユスティがぽかんとした顔で応える。
「え?いや、聞いてないです。なにぶん魔物を倒すのに夢中で……」
「やれやれ、まったくこのユスティは……」
「なんですかその憐憫の情にまみれた顔は!しょうがないでしょう!なんて通信だったんですか」
「他の部隊がそろそろ接敵するって内容だ。そういうわけなんで、ユスティにはこのまま左翼の援護に回ってもらいたい。ここの敵は僕がなんとかする」
言いながら、グレンマレィは再び遠くからじわじわと迫りくる《ワーリザード》の群れへと視線を移した。先程と同じ光景だ。こちらがどれだけ敵を倒しても、それと同じ数の敵が何度でも表れてくる。まるでひとつの出来事を何度も繰り返しているようで薄気味が悪い。
ユスティはグレンマレィからの指示に、反論することなく素直に頷いた。
「……分かりました」
戦場における判断に関しては、彼女はグレンマレィに対し、全幅の信頼を寄せていた。
普段は辛辣なことを言ってはいても、実際のところユスティが“移ろいの民”の仲間の中で一番頼りにしているのはこの無精髭なのだ。こういう困った時には、いつだって彼が何とかしてくれると、彼女はそう信じていた。それはいっそ、ある種の好意と表現することすら出来る感情だった。
「ここはお任せします。以後はもうあんなみっともない姿を私は晒しませんから、どうかグレンマレィさんも無事でいてくださいね」
「お、いつになく素直な発言。もしかして僕のこと好きなの?結婚する?」
「せっかく少しは見直してたところなのにまたそういうこと言う!もう知らない、死んじゃえばいいのに!」
とはいえ、少しでも冗談を言われると、条件反射的にこんな風に噛み付いてしまうのだ。
わりと酷いことを言い残しながら、ユスティはグレンマレィからの指示通り、この場を離れ戦場のさらに左翼側―――警備隊連合部隊の接敵地点へと向かっていった。
この場に残った無精髭は、地鳴りをあげて迫りくる魔物の群れを見据えながら、しばし佇む。
「さて……」
それにしても。改めて考えるが、ユスティのことを助けてくれた、あの崖の上にいるであろう何者かの正体は何だろうか。
この作戦に参加している再征者の中で、あれだけの距離から正確に魔物を撃ち抜けるほどの魔術を痕跡すら残さず放つことが出来る者など、中々思いつかない。
となれば、ニイハラ・タカヤか?彼ならそれぐらいの芸当出来そうな気がする。
いや、彼は今頃フレデリカと共に戦場の中心で戦っているはずだ。方向が逆である。
となれば、一体誰が。
―――ひとつだけ、思い当たる節があった。
フォルニア駐屯所から出発した折、彼が共連れていた《下級》の少女。さすがにこの作戦に《下級》は荷が重すぎるだろうと思っていたのだが、もしや……
その仮説に行き着いたグレンマレィは、その髭を蓄えた口元に思わず苦笑を浮かべた。
「いやはや、つくづく面白いことしかしてくれないな、あの男は」
※
広場に残った死体から漂う、生臭い臭気が鼻につく。
人も魔物も、そうなってしまえば等しく“死体”だ。区別などつける必要はない。そして、この場でただ一人生きている者―――エリナは、その臭いに一切意識を向けていなかった。
彼女は崖の端で胡座をかくような姿勢、左の膝だけを立てて座っている。脚で“L”の字を描くような姿だ。その立てた膝の上に左の肘を乗せ、さらにその上に引っ掛けるように、棒のようなものが乗っていた。そして、その棒のようなものの端を持つ右手の手首を、掴むように左手が添えられている。
それは、どこか奇妙な姿勢だった。傍から見れば、うずくまりながら腕を組んでこぢんまりと座り込んでいるようだ。その姿を見た多くの者は、それが戦いに臨む様だとは分からないだろう。
《黒い羽》による長距離射撃を行う際には、銃口が震えることで発射された弾丸の軌道がずれないよう、銃身をしっかり固定することが望ましい。木の枝や岩などを台にして、そこに銃を乗せるのがいいだろう。
しかしそのような台座になるものがない場合、自分の身体で銃を支えなければならない。その時に、膝を支柱にし、肘を台にして銃身を固定するこのような姿勢が、その気の緩んだような見た目に反して意外と重宝するのだ。
現にこの姿勢のまま放たれた銃弾は、無事一人の再征者を襲おうとしていた《ワーリザード》を頭撃ちし、即死せしめた。
それからしばらくして、首の革一枚つながった彼女の援護に駆けつけた無精髭の男が、《射撃管制式》の向こうで、
『感謝を 援護は不要』
と根源を使った手記で伝えてきた。
「そう。なら後は勝手にやっといてもらおうかな」
援護が不要というなら、その通りにさせてもらう。
広場に現れた《カーネイジウルフ》の群れを全滅させたエリナは、急ぎニイハラの援護をしようとした。が、根源通信からの彼の指示は、自分ではなく他の者達を援護しろというものだった。細かい判断はエリナ自身に任せるとのこと。
《射撃管制式》による拡大視覚の倍率は、かなり幅広く調節することが出来る。標的の一点に視界を絞ることも出来れば、もう少し視野を広げ、戦場を幅広く見渡すことも可能だ。それで苦戦している奴を探せということだろう。
まぁ、確かにニイハラには基本的に援護は必要ない。彼が魔物にやられて死ぬことなど、エリナには想像できなかった。
が、他の者達なら想像出来る。今しがたも散々目にしたことだ。魔物によって身体を裂かれ、血を吹き出しながら死んでいく。これからも、そんな光景がこの戦場では繰り広げられるかもしれないのだ。
エリナがやるべきことはそれを未然に防ぎ、この作戦が勝利という結果で終わるその未来を、この手で手繰り寄せることだった。
「……さて、あと何匹殺れるか」
彼女はその、恐れも迷いもない、虹彩の揺らぐことないガラス玉のような両眼で、冷然と“大地の臍”を見渡した。
《受動探知》による警戒も続けているが、周囲にはすでに反応はない。何かしらの動体があればすぐさまそちらに銃口を向けるつもりだが、どうやら近くにいる魔物はほぼ全て仕留めたのだろう。
すなわち、最早彼女を止めることの出来るモノは何もいないということだ。




