4.肉体生成(バースコントロール)
唐突ではあるが、この世界における魔術とはすなわち“事象の確立”だ。
この世の全ては(今俺がいるこの世界においてはだが)“根源”と呼ばれる無色無質量の物質によって成立している。
その根源は五つの属性――“火”、“水”、“風”、“土”、“金”へと別れている。それらの属性がいくつも混ざり合い、互いに反応し合うことでありとあらゆる自然現象が発生し、物体さえもこの世に存在する。それは生物の肉体でさえも例外ではない。
魔術とは、その根源に意図的に介入し、自らの望む形に変化させるための技術。それによりありとあらゆる事象を自在に操ろうとした、かつての人間達の探求の成果だ。
魔術の行使において最も重要なのが、必要とする事象を引き寄せるだけの認識力と集中力だ。形も重さもない根源をどのように変化させ、どのような結果へと帰結させるのか。それを考え実際に根源へと自らの意思で呼びかける。それが魔術の原理であり、それさえできれば誰だろうと魔術を扱うことはできる。言うなれば空想の具現化だ。
とはいえ、根源の集合体とも言えるこの世全ての事象は、それぞれが異なる形で成立しておりひとつとして同じ形のものは存在しない。当然の話だ、火と水は同じものではない。
――さて、となれば異なる事象を扱うためにはこちらも異なるアプローチで根源へと呼びかけなければならない。
結果、魔術は無数の形態へと分かれどこまでも複雑化していき、その一部であろうと修得するためには絶大な労力と時間が必要とされるものとなった。勿論例外はあるが。
なにせ世界の全てを形作るありとあらゆるもの、その概念をひとつひとつ自身の頭脳で理解し、なおかつそれを建物でも築くかのように一から構築しなければならないのだから。まともな人間にできる芸当ではない。
もっとも、一度“コツ”を掴んでしまえばそう難しいものではない。この世の事象にありとあらゆる形があるように、魔術の形も千差万別だ。その難易度もそれぞれで大きく異なる。
例えば先程の《一斉射》などは、単一の分子で構成された槍とただ撃ち出すだけのものであり、魔術としては序の口のごく簡単な代物だ。
……しかし、これから俺が発動しようとしている魔術は少し訳が違う。
単純な魔術とは比較にならないほど複雑に構築された、それこそ神の領域に踏み込む事象を俺はこれから具現化しなければならない。それが内包する概念を理解し、根源を実際にその概念へと当てはめるのは至難の業だろう。
だが、不可能じゃない。“概念”という眼には見えないものを形にするのは人間の得意分野だ。なにせ我々ヒトは“言葉”を持つ。だからこそ、魔術なんてものを行使することすらできるようになったのだ。
ひとつの魔術を構築する複雑な概念であろうと、それを一度言葉として固定化してしまえば、後はその言葉から思い浮かべるように認識することで人の想像力と集中力はいくらでも補強される。
そして言葉とは、それ自体を理解することさえできれば誰であろうと等しく共有できる普遍的なものだ。言葉として固定された魔術は万人に共有され、誰もが苦労せず扱うことができるようになった。
先程述べた例外とはつまりこのような、言葉により普遍化した魔術のことだ。
人の意思を補強する言葉――それは“詠唱”と呼ばれた。
簡単な魔術なら詠唱を行う必要もなくすぐに発動できるのだが、高度な魔術を扱う上ではこれを軽んじることはできない。言葉による認識の補強というものは、意外なほどの実行力を持つ。
長ったらしく言葉を発する方が、より効率的に魔術を使うことができるようになるということもあるわけだ。
俺がこれからやることはそれだ。
四つの章に分かれた“魔術詠唱”。その全てを唱えることで神の所業へと挑戦する。
傍らに横たわる少女。肉体の半分を破壊され、最早死を待つしか無い彼女を救助する。そのためにはどうすればいいか。
……簡単なことだ。失われた肉体を補えばいい。言葉が人の心を補うように。
「『其は火を宿すもの。水と移り変わるもの。土より出しもの』」
まず第一に、“根源詠唱“。
これから現出させる事象が、五つの属性を持つ根源の内いずれを内包しているのかを提示する。
火は熱を司り、事象が自ら動くことができる“力”となる。
水は、水が氷となりまた蒸発して気体となるように、事象に“可変性”をもたらす。
風は事象を意図的に動かし、また波の波長を変化させる。
土は事象に形を授ける。即ち“物体”を生み出す。
金は事象の“数”を司り、また事象を“固定”する。つまり物体の数を増やしたり、あるいは強度を変えたり、内包する力を強くしたりする。
――これら五つの属性の内どれを当てはめればその事象は成立するかというレシピ、それが根源詠唱だ。
例えば先程の《一斉射》は、槍を形成するための土、その強度を増すための金、そして出来上がった槍を飛ばすための風の属性を内包している。
そして今回発動する魔術を構成する属性は、火と水と土だ。
それ自体が“エネルギー”を持ち、水のように絶えず変化する物体……
「『其は無より生ずる砂の一粒。砂が広がり砂漠となるが如く無限に膨れ上がるもの。源を同じとしながら大樹の枝葉が如く分かたれ移り変わるもの。異なる姿を現しながらやがては寄り集まり一つの個となるだろう。其は生まれ出るその時より己が旅路の終着を知っている。其の名は肉体也』」
次に、“想起詠唱”。簡単に言えば、根源が実際どのようにその事象を引き起こすのかを想起する。
火は何故熱いのか。水は何故流れるのか。その理由と意味を証明することで、火や水そのものを操ることができるようになるための段階だ。
「『其は正常なる時の流れに逆らいて根源を喰らい絶えず増殖せよ。血は大河、骨は林、肉は山にならんと欲せ。この手に旅路を委ね給う。なればこそその身に宿す己が行く末を思い出せ。我は彼の地へと其を送り届ける者也』」
次に、“観測詠唱”。これは、その魔術に何をさせるのか、根源をどのような結果へと帰結させるのか。それを今から起こり得る未来として観測する。
火は熱い。ならばその火に何をさせるのかを確認する。
想起詠唱とこの観測詠唱が、魔術においては特に重要だ。
根源はあくまで材料でありどこにでも遍く存在するもの。それを並べるだけの根源詠唱は、長くても五属性分の短い節にしか分かれない。だが、これらの二つの詠唱は違う。
どんな魔術を使うかによって唱えられる言葉は無限に変化し、確実に望む事象を引き起こすためにその事象を構成する概念を理解しようと、綴られる言葉がどこまでも長くなる場合もある。
詠唱が確立されているような普遍的な魔術であっても、その使用者の根源に働きかける認識力の違いによっては、詠唱自体をある程度短くすることもできれば逆に余計に長くなることさえある。
もちろん先述したように確実に魔術を発動させられるのならば、詠唱そのものを読み飛ばすことだってできる。あくまでも詠唱とは術者の認識を補助するためのものであるわけだから。
また、同じ魔術であっても使用者によって実際に唱えられる言葉に差異が出てくることもある。
要するに想起詠唱と観測詠唱については、人によってそれぞれ変わることもあるということだ。
そして当然ながら、事象の認識と根源への作用をしくじれば、その時点で魔術は正常には発動しない。事象の認識を確実にクリアするためには、その補強としての詠唱を無事にこなさなければならない。
……まぁ、こうやって飽き飽きするほど長ったらしく説明しているものの、実際俺にはそんな心配は無用だろう。
神が俺に与えた世界を救うための力というのは、この世ほぼ全ての事象、その原理を理解するための“知恵”だ。
根源をどう扱えば何を起こせるのかという魔術のリストと言ってもいい。さながら格闘ゲームのコマンドのように、魔術を使用するためのあらゆる方法が俺の頭の中には記憶されていた。だから実際のところ、どんな魔術であろうと発動するだけなら詠唱だって必要ないのだ。
その上で今顎が痛くなるほど絶えず口を動かしてこんな格好の悪い言葉を並べるのは、確実に発動させられることが分かっている上で、用いる魔術の精度を上げるためだ。
言葉というのは発せられたその時点でその場に存在するものとして世界に刻まれる。現実として確立されるということだ。
そうすることで、発動される魔術もより確かなものになる。結果だけを言うなら、攻撃的な魔法はよりその威力を増すといった具合に、魔術そのものの性能が上がるのだ。
俺がこれからやろうとしていることを考えると、ただ発動するだけでは不足だ。少しでも確実性を上げておきたかった。
――さて、説明するのももう終わりだ。
すでに詠唱における三つ目までの章は無事唱え終えた。そして残るはごく短い一言だけ。
“命題詠唱”だ。
「『発生せよ、《肉体生成》』!」
行使する魔術の名。根源へと、『お前は何なのか』と教唆する詠唱の最終段階。
名は体を表すというように、魔術はこの命題詠唱によって初めて成立する。詠唱をしなくても発動できるようなごく簡単な魔術であっても、これだけは実際に唱えるか文字として書くか、最低でも頭の中で念じるかしなければ発動はしない。先程の《一斉射》にしても命題詠唱だけは欠かさなかった。
そして逆に言えば、この命題詠唱まで無事に終え事象をこの世に確立することに成功したならば、魔術は発動する。
これで成功だ。後は根源の力に事を委ねるだけだろう。
少女の身体が淡い光に包まれる。根源が寄り集まり、存在すらも希薄だったそれらがひとつの確かな事象へと変化するその寸前に見せる輝きだ。
その緑とも黄色とも、あるいは桃色ともつかないような光の奥で、それは起こった。
少女の身体に空いていた無数の風穴が少しずつ塞がっていく。損傷した体組織を修復――いや、新しく生成しているのだ。その変化は緩慢なものだったが、正常な細胞増殖の速度を考えればあり得ないほどの速さであることは誰の目にも明らかだろう。
さながらデジタルで絵を書く時に空白のレイヤーへと色を塗っていくかのように、何もなかった場所が血と肉と骨、そして褐色の肌で埋め直されていく。
同時に、塞がりつつある傷口から損傷した臓器が分子レベルに分解されながらほじくり出され、光の中で霧散していった。
この魔術はあくまで生成。損傷したものを治すことはできないので、傷ついた部位は新たな体組織に置換する必要があった。
そうして、置換されたことで身体から切り離された身体の残骸が、こうやって排斥されている。傷口からでは充分に出ていかないようなものは未だ体内で出口を求め蠕動し、やがて……
「うぶっ……げほっ!!」
少女の口から、咳と共に赤黒い吐瀉物が吐き出された。胃の中にたまった血と内臓の残骸だ。
苦しそうに何度も咳と吐血を繰り返す。その姿は痛々しいが、先程までの糸が切れた人形じみた格好よりかは遥かにマシだろう。
咳とゲロが出るというのは元気になってきた証拠だ。俺も酒を飲み過ぎ飯を食いすぎた時は、吐いてしまった方がラクになったもんだ。
……それとこれとは話が違うか。
とにかく俺は、聞こえているのかもそうする必要があるのかも分からないが少女に向かって呼びかける。
「よし、もう少しだ。間に合ったぞ、我ながら褒め称えたくなるような大成功だ。頑張れ、もう傷はほとんど塞がりつつある。後は生成された体組織が馴染んで血流と体温が落ち着いてくれば、楽になるだろう」
そうして、仰向けのままになっているものだから吐いたものをまた飲み込みそうだったので、顔を横に向けてやった。開かれた口腔からは赤黒い液体が流れ出てくる。とはいえそんなものは、これまで彼女が負傷によって流してきたもの、そして今しがた彼女の体内で生成されているものに比べれば微々たるものだろう。
俺の言葉を証明するかのように、少女の状態はみるみる落ち着いてきた。すでに体組織の殆どは置換され、吐血もない。体中から吹き出していた汗も収まりつつあった。
成功だ。あのままではどうあっても死を迎えるだけだったはずの少女は、魔術によってその一命を取り留めた。
終わりの見えない森の中、この世のものとは思えないような猛獣の死骸の下で、死を強引に逆回しされる少女と、その姿を眺める俺。
その光景は、正直に言って薄気味が悪かった。
俺は今、とんでもないことをしているのかもしれない。人の身体を創り出し、それを死にゆく者に移植する。こんなことは、俺が元いた世界ですら遠い未来にあり得る『かもしれない』と言われている空想だ。
ここまで来ると最早、一人の人間を自らの手で生み出しているも同然だろう。まさしく神の領域に踏み込む所業だ。
“あいつ”は言っていた。『過ぎた力は身を滅ぼす』と。
俺が今やっていることは、人間としての節度を超越してしまっているのではないか……そんな意識が頭の片隅に沸き起こってきた。
そんなものは無視したかったが、どうしても脳裏にへばりついて離れてくれない。
もうそろそろ納得し、適応しなければならない。この世界はこういうところなのだ。根源の力によって、こういう芸当が出来てしまう。
そんな世界をこれから救えと頼まれた。そうである以上、今更女の子ひとり救うことなど造作もないこと。
……でなければならないはずだ。
それでも意識の端の方では、これまでの常識というものが必死に抗いながら粉々に打ち砕かれていく実感があった。
呼吸も落ち着き、眠るように静かに眼を閉じる少女の顔が、なぜだか無償に怖かった。
今俺の顔は、魔術が成功し一人の人間を無事救えた安堵で笑みを浮かべているのだろうか。
あるいは――