39.才有りてなお
「ツアッ!」
グレンマレィが高々と掲げ、そして振り下ろした山刀の刃が、トカゲの頭を縦に両断する。彼もまた、既に戦闘を開始していた。
続けてもう一体の敵の首に目掛けて横薙ぎを放つ。三寸切り込まれた刃は気管と神経を断ち、そのまま生命活動を停止させるだろう。フラフラとよろめきながらそのまま仰向けに倒れゆく敵には目もくれず、さらにもう一体の《ワーリザード》の懐へと入り込み、その胸目掛けて鋭い突きを放った。
魔物と言えど、所詮は姿形のある生物だ。心臓に刃物が深く食い込めば、それだけで死に至る。
グレンマレィもまた、実力のある優秀な再征者だ。トカゲの一匹や二匹程度なら相手にならない。
だが、今彼が相手にしているのは百も二百もいる膨大な数の敵だ。奴らはこちらが一体を仕留める間に確実に詰め寄り、一度武器を振るう間に十の反撃を繰り出してくるのだ。
突き立てた刃を引き抜こうとするその瞬間にも、一体の敵が背後からグレンマレィに槍の穂先をお見舞いしようと迫りくる。その後方にはさらに数体の《ワーリザード》が追随し、続けざまの突きで彼を串刺しにしようとする。
「させる思ってんのか?」
が、グレンマレィには焦りがなかった。マチェットを突き立てる右腕とは別に、未だ自由な左手。そこには一本の木製の杖のようなものが握られていた。木の枝を乾かしてそのまま使ったかのようなくすんだ色の、でこぼこに歪んだ不格好な杖だ。
彼はその先端で、軽く地面につついた。
その瞬間、叩かれた地面の一点を起点に、グレンマレィの後方に向かって淡い光の波が広がった。その波は大地を伝い、迫り来る《ワーリザード》の群れを通り過ぎていく。
それと同時に、トカゲ達は下方から突如伸びてきた光の棘により、股下から串刺しにされた。自らの背丈よりも長い棘が、頭部を貫きその先端部を覗かせる。
根源の波により生紋を探知する《能動探知》に、炎の根源を金の根源により棘として固定化した攻撃魔術を組み合わせた複合魔術―――《特定刺棘》だ。
広範囲の敵を一網打尽にできる強力な魔術である。
そう。彼はマチェットによる斬撃と、杖を触媒とした魔術を組み合わせて戦っていた。
ゲルマニアにおいて戦う手段というのは、当然のことながら魔術だけではない。自らの肉体を用いた“体技”により戦う再征者というものも、少なからず存在する。
その理由としては、単純に魔術の習得が困難で、攻撃として十分実用性のある魔術を扱えない者が多いということもあるが、それともう一つある。
燃費の違いだ。
肉体というのは、言うなればすでに根源により形あるものとして出来上がった“事象”だ。それを動かすために追加の根源などは必要なく、せいぜい筋肉を収縮させ、神経を働かせるための力、すなわち生命力が少しばかり必要になるだけだ。いちから魔術を発動するよりも、消費される根源は遥かに少ない。
剣を振るい敵を切り裂くのと、魔術を発動して仕留めるのとでは、費やされるものの量に雲泥ほどの違いが生じるのだ。
だからこそ再征者の中にも、生命力の枯渇や“事象の穴”というリスクが生じる魔術ではなく、あえて自らの体技をもって依頼に挑み、そのために日々身体を鍛錬する者が多くいた。
魔術による破壊力に勝るほどの力を肉体だけで発揮するとなれば、その鍛錬は過酷で、そして長期間のものとなる。
その一方で、魔術を身につけるのにもまた、果てしない努力が必要となる。日夜その理論を研究し、効率的に根源を操るための触媒や魔術道具作りに歳月を費やす。そうして自らの人生の大半を、魔術師としての研鑽のために捧げるのだ。
となれば、お互いにもう片方を補う余裕などなくなる。肉体を鍛え上げれば、魔術を習得する暇などない。魔術を学べば、身体を鍛える時間などなくなり、力は日に日に衰えていく。
結果的に、魔術を用いるのならば“魔術師”として、己の肉体を信じるならば“戦士”として、完全に自らの戦い方―――いわば職種を固定しなければならなかった。
そして、魔術師は詠唱する間もなく押し寄せるような素早い敵には無力であるし、戦士は剣も弓矢も届かないような遠方の敵や、物理的な攻撃が通じないような敵には為す術がない。
それらの欠点を互いに補い合うために、再征者の多くは数人が協力し合い、小隊として活動していた。“移ろいの民”もそれらの小隊の一つだった。もっとも、その性質は一般的な小隊のそれとは異なるが。
―――そしてこれらの説明は全て、彼、グレンマレィには当てはまらなかった。
彼はマチェットの一振りで魔物を斬り殺すだけの強靭な肉体を持ちながら、同時に高度な魔術を行使することも出来た。再征者の多くが出来もしないと諦めていた、“体技”と”魔術”の両立を現実のものとしていたのだ。
それにより、近距離にいる敵はマチェットにより対応することで根源の消費を抑えつつ、それでは対処しきれない状況を魔術で補うことで、極めて効率的に戦うことができた。
これは、再征者としては理想的と言っていい戦い方だった。
だからこそだ。だからこそグレンマレィはこの理想的な戦いを身につけるために、努力をしてきた。
彼は若くして魔術の才能に恵まれながらもそれに胡座をかくことなく、魔術の研究を行う傍らで肉体の鍛錬も並行して行ってきた。片方の職に甘んじることを、良しとしなかったのである。
どちらも人生を捧げなければならないほどの研鑽を、同時に行う。その過酷さは、常人には計り知れないものだ。
だが、それでも彼はそれを怠らなかった。
何故なら、そうした方が後々楽になるのが分かっているからだ。だから、そうなるまでの間はいくらでも死ぬような思いをした。実際、危うく本当に死にかけたことも幾度となくあった。
そしてその結果、実際彼の人生は気楽で、かつ華やかなものになった。
鍛え上げられた肉体と練りに練られた魔術の業は、どんな敵をも苦もなく打倒し、どんな依頼だろうと一人で遂行することができた。そうして、グレンマレィという再征者の地位と名誉はみるみるうちに高まっていった。
組合から支払われる報酬で、毎日遊んで暮らしていた。貴族が食うような食事を堪能し、浴びるほど酒を呑み、高級娼館で何人もの女を抱いてきた。
そうしてその齢が三十三に達する今となっては、昔の努力も、もう笑い話の種でしかない。時には過度な鍛錬で吐瀉物を吐き、時には寝不足で目眩と幻覚に苛まれ、時には魔術が失敗し神経が焼き切れるような苦しみを味わってきたことも、もう禄に思い出すことすらできない。
それらの苦労を経て完全に定着した魔術の知識は、そう容易には忘れられるものではない。となれば、新たな知識を身につける必要もなくなり、すでに研究をすることもなくなっていた。鍛え上げられた肉体にしても、それを維持するために必要な訓練を続ければいいだけで、そんなもの昔に比べればどうということはない。努力を続けたことで、その末に努力をする必要すらもなくなったのだ。
順風満帆の日々。ある一人の少女とひょんなことで出会うその時までは、最早グレンマレィにとっての人生は、その溢れんばかりの才能をもって楽しむ遊びのようなものになっていた。
そしてそれは、今も変わらないのだ。長年の鍛錬の成果は、戦場に無造作に転がる魔物死体の数々として表れていた。
肉体を用いた体技とそれを補う魔術によって、彼を完全に包囲していた《ワーリザード》の群れは、しかしてまともに近づくことも出来ないまま立ち往生していた。
反撃する者がいなくなったところで、改めてグレンマレィは、すでに死亡した敵の身体からマチェットをゆっくり引き抜く。
そうして周囲を見渡しながら、いつものヘラヘラした顔で歌うように高らかに言った。
「おいおいおいおい雁首揃えてどうした?こんなおっさん一人倒せないで何が魔物だ?相手するこっちが恥ずかしいから、そろそろその槍自分に突き刺して潔く死んだらどうだトカゲ共。イヤだってんなら、僕も手伝ってやろうか?」
そんな挑発する言葉を聞いて理解しているのかは知らないが、彼を取り囲む《ワーリザード》の群れは、為す術もなく薙ぎ払われることを承知の上で、尚もにじり寄ってくる。
奴らには恐怖というものは存在しないのだろうか。まるで何かに突き動かされるように、戦闘という行為を継続しようとする。それは生物としての合理的な行動ではない。どちらかと言えば、死を厭わず戦う、人間の兵士のそれに近かった。
そう。誰かに命令され、それに従い他者を殺し、あるいは殺される兵士―――
「やれやれ」
そう吐き捨てながらも、実際グレンマレィからは徐々に余裕は失われていた。
いくら根源を温存して戦えるとは言っても、消費を無にすることは不可能だ。そして彼の身に宿る生命力も無尽蔵ではない。このまま戦い続ければ、どこかで燃料が尽きるかもしれない。
アマラには『出し惜しみするな』と言ったが、本気で戦うにしてもペースは考えなければならない。
でなければ、これだけの数の敵から生き残ることは難しい。
再び迫りくる敵を迎え撃たんと、身構えるグレンマレィ。
―――その時だった。
突如として、迫り来るトカゲの群れ、その一角に何かが高速で飛来してきた。猛烈に回転するその物体は、魔物の身体を次々と引き裂きながら、戦場を動き回った。
その様は木材加工用の丸鋸を彷彿とさせるが、腕ほどの直径をしている。そんなものに突っ込まれたら、生半可な生物などひとたまりもないだろう。
「なんだぁ?」
そうぼんやりと呟くグレンマレィの傍らに、飛来した回転物体に追いつくかのように、一人の男が躍り出てきた。
その姿、忘れるはずもない。昨晩駐屯所の司令室で小生意気なことを口にしたあの《貴人級》。
ニイハラ タカヤとやらだ。
「よお!調子はどうだい」
彼がそう呼びかけると同時に、それに伴うかのようにさらに三つの丸鋸が戦場に飛来し、《ワーリザード》の群れを縦横にかき回した。
その様子を一瞥しつつ、グレンマレィは彼の声に応える。
「お前さんこそ、遊撃の方はがんばってるか?」
「見りゃ分かるだろ。それにしても、あんたの戦い方はすごいな!俺も参考にしたいところだ、ちょっとここで見学させてもらっていいか?」
「見学ぅ!?お前さんここにお勉強のために来たってのか?勘弁してくれ、もっと真剣に戦わなきゃダメでしょお」
そういつもの調子で軽口を叩いているものの、グレンマレィの方こそ、ニイハラのこの戦いぶりには舌を巻く気分だった。
この短い間の内に、すでに十体の《ワーリザード》が、彼が操るであろう丸鋸によって身体をズタズタにされていた。その殲滅効率は、グレンマレィの行使する魔術のそれをも凌駕している。
無精髭の再征者は、こちらに背中を預けつつ、丸鋸の猛攻を縫って迫り来るトカゲを迎え撃つニイハラを、ちらりと観察してみる。
彼の背中全体を覆い隠すような巨大な魔法陣が浮かび上がっており、その中では、根源によって描かれた模様が絶えず変化していた。それは、どことなく組合の案内所にある“掲示板”が、ひっきりなしに送られてくる情報により次々と更新されていくのに似ている。すなわち、この魔方陣の中でも、膨大な量の情報が錯綜しているということだ。
これが、ニイハラが再征者として、そして魔術師としての活動を続ける中でたどり着いた、ひとつの回答であった。
名付けるならば、そう―――“自律戦闘機構 《鋼鉄の主》”。
これは、いくつかの魔術を組み合わせた複合魔術の一種だ。
まず、《構築》により巨大な鋼鉄製の刃物を作り出す。
そしてそれを、風の魔術である《動作》で高速回転させつつ操作し、標的を切り裂くのだ。
グレンマレィがそうしているように、肉体という出来合いの物質を動かすのには、根源はほとんど必要ない。それは肉体だけでなく他の多くの物質にも当てはまるし、そして動力源が魔術による場合でも例外ではない。
《動作》や、あるいはニイハラもこれまで散々頼りにしてきた《風の馬車馬》などの“風”の魔術は、他の属性の魔術に比べて消費される根源が少ないのである。
つまり、“炎”の魔術で敵を焼き殺したり、“土”の魔術で巨大な塊を作ってそれで押しつぶすよりも、すでに出来上がっている武器を“風”の魔術で動かす方が効率がいいのだ。
そのためニイハラは、まず事前に武器を作り、それを用いることで根源を節約しようと考えた。一度作ってしまえば、新たに作るための根源も必要なくなる。
とはいえ、そんな風の魔術を扱うのには、ある問題点もあった。
物体を動かさなければならないということだ。元も子もない話ではあるが、それこそが風の魔術の厄介なところであった。つまり、術者自身が物体を意識して操作するか、そうでなくとも、事前に予め動作の内容を設定しておかなければならないのである。
人間の意識は、なにせ自分の手足を動かすだけで精一杯なのだ。その上、さらに別の物体を操作しようとすると、『手が回らなく……』ならぬ、『頭が回らなく』なる。《動作》の魔術に意識を集中させると、自然と自らの身体の方への注意が散漫になる。それに伴い周囲への警戒もおろそかになり、気づいた時には獣の爪牙が身体を貫いていた、などということになりかねない。
前もって物体の動作を設定しておけば後は自動的にその動作を再現してくれるだけなのだが、そうした場合でも、例えば槍が真っ直ぐに飛ぶという動作を設定すると、敵がそれを避けてしまえばその時点で一巻の終わりだ。敵の動きをある程度予測し、それに対応する動きを設定しなければならないのだが、そんなことも到底不可能だ。
それに比べて“炎”の魔術などは単純明快なものだ。強力な熱量をただぶつけるだけで敵を殺せるのだから。
いくら効率がいいからといって、風の魔術が他を淘汰しないのにはそういった理由があった。
ましてや、ニイハラが求めるのは多数の魔物を相手に高度な殲滅力を維持できる魔術だ。剣の一本を振り回すのとは訳が違う。最低でも四つの武器を一度に操作することで、広範囲をカバーしようとした。
しかしそうなると、ますます魔術の操作は困難になる。腕を二本しか持たない人間が、それとは別に四つもの武器を扱えるわけがないのだ。そんなことをすれば、いかに“神様”から高い能力を授かったニイハラといえども、脳が短絡するのは明らかだろう。
となると、どだいこんな魔術を成立させるのは、無理ということなのだろうか。
―――いや、そんなことはない。
魔術というのは、現実として存在するありとあらゆる事象を再現する業だ。
それはなにもゲルマニアだけではなく、“向こうの世界”のものにだって当てはまるはずだ。
あるではないか。文明社会の産物の中に、便利なものだ。
ある問題に対して、人の手を借りることもなく自らで調査、考察、そして解答を行う、あるもの。
“人工知能(Artificial Intelligence)”というものが。
《動作》の操作を自らで維持するのが難しいなら、|それ(AI)に代わりにやってもらえばいい。
そう。それこそが他でもない、ニイハラの背中に浮かび上がっている巨大な魔法陣の正体だった。
《能動探知》と《受動探知》を随時発動するレーダーを搭載し、それにより得た情報により敵の位置を特定。前もってある程度構築しておいた思考パターンに従い丸鋸を操作しつつ、標的の実際の動きに応じて随時学習、動作の改善を行う。その中枢となる自律回路がこの魔方陣だ。
その自律回路に、魔術の制御を代行させるのだ。この”|人工知能(AI)”も含めて、初めて《鋼鉄の主》は完成する。術者本人から独立して動く戦闘機関だ。
ニイハラ自身が魔術の操作に意識を向ける必要はほぼない。グレンマレィと話をしている最中にも、四つの丸鋸はよどみ無く回転を続け、敵を切り裂いている。
「ちゃんと戦ってるって、今も敵をやっつけてる最中だよ」
グレンマレィの皮肉めいた苦言に応えるニイハラの言葉に、無精髭の男も反論はなかった。実際すでに彼は、グレンマレィが今まで倒してきたのと同じ数の敵をすでに始末していたのだ。そうである以上、文句を言える立場にはない。
そしてニイハラは、不意に険しい面持ちになり、言葉を続けた。
「……それに、ひとつ聞きたいことがあるんだ。あんたも手を止めずに聞いてくれ」
「聞きたいこと?」
グレンマレィも彼に負けじとマチェットの斬撃と魔術を組み合わせて向かってくる敵を迎撃しつつ、突然の問いに聞き返す。
「“あれ”だよ。あそこでフレデリカが戦ってるんだろ?」
そう言いながら、ニイハラは“大地の臍”の中心部―――《ワーリザード》の群れがもっとも密集してる場所であり、フレデリカが戦っているであろう戦場にちらりと目配せした。
「あれ、あんたはどう思う」
そう続けるニイハラの眼に映っていたのは、大地を埋め尽くすほどのトカゲの群れ、その一角から立ち込める“赤い霧のようなもの”だった。
“大地の臍”は元来、濃霧が出るような場所ではない。それにここ数日は快晴が続き天候にも大きな変化はなかったから、霧が出るような状況ではないだろう。
しかしそこには確かに、薄ら赤い色をした霧―――あるいは小さな地表の雲と表現できそうなものが出現していた。
あれは一体なんなのか。
そもそも赤い色の霧などというものが、自然現象として起こり得るのか。
―――いや、疑問に思う間もなく、ニイハラにはすでにあれが何なのかは見当がついていた。
そう、あれは“血”だ。飛び散った血液が細かく砕かれ、それがスプレーを辺りに噴射するかのように、霧状に広がっているのだ。
何故そんな現象が起きているのか。
それも、最早言うまでもないだろう。
フレデリカだ。
彼女が戦っているのだ。




