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異世界の黒砂糖 ~最初に出会ったのは死にかけの奴隷だった~  作者: tatakiuri
第二章 氷雪の大地、沈まぬ陽光の彼方より
35/55

35.突入



 “大地の臍”を見渡せる位置にある、切り立った断崖の上。

 フォルニア駐屯所を出発した総勢338名の連合軍は、そこに待機していた。

 そこで彼らは初めて、自らが戦う相手の姿を、肉眼で見ることができた。そう、少なくとも2,000メンス以上は離れているはずのそれを、はっきりと視認することができたのだ。


 多くの者が、息を呑んだ。

《ロックアイランド》―――その威容は、言葉で聞くより、遠くから望遠鏡で伺うよりも、より強烈に精神を圧迫した。

“岩の島”の呼び名は伊達ではない。奴を撃破するというのは、すなわち岩山を一つ丸々削り取るようなものだった。

 だが、今更それに物怖じするわけにもいかない。

 《ロックアイランド》の姿を前にしても、逃げ出そうとする者はいなかった。ここに居る者たちは、そのほとんどが幾度となく魔物と戦い、これを退けてきた百戦錬磨の強者だ。死ぬことの恐怖になど数えきれないほど晒されてきたし、それを何度も乗り越えてきた。

 要するに、慣れていたのだ。死ぬのなら、それはそれだ。やること自体はいつもと同じ、自らの生命を賭して、敵を皆殺しにする。

 そんな淡白な覚悟が彼らの中にはあった。


 崖を前にした、木々の少ない開けたスペースに各部隊は集結している。広場に収まりきれない人員も、周りを囲む木々の間にひしめき合っていた。

 王立警備隊160名と、《騎士ハイランダー》の再征者およそ150名がそれぞれ二手に分かれ、崖の両脇にある傾斜から“大地の臍”へと進軍する。そして、それらとは別に“移ろいの民”が崖から直接飛び降り、正面から進む。

 幸い、と言っていいのか。この期に及んで、未だ標的である魔物達は沈黙を保っている。

 そのおかげで、必要な準備は全て滞りなく行うことができた。


 早朝、ニイハラとグレンマレィの手で、《ロックアイランド》に対し《透視解析スキャニング》を行った。その結果、巨体を構築する根源エーテル、その流れが密集する“中心部”を特定することができた。いうなればそこが《ロックアイランド》という生命の核―――心臓部とも呼べる重要な器官だ。そこを破壊することができれば、おそらく標的を仕留められる。

 だがその核の位置というのが、大方予想できると同時に、もっともそうあって欲しくないものだった。

 無数の触脚を持つ本体の頭頂部であり、積み重なった外殻の最低部。そこが《ロックアイランド》の弱点だ。予想される内で、最も堅牢な防御の先にそれはあった。

 つまるところそこを破壊するためには、結局分厚い鋼鉄の角質層を破るか、根源エーテルを吸い取る触脚をかいくぐるしかないということになる。当初の想定と何も変わってはいない。どっちの方法を選択するにせよ、求められるのは完全なる破壊と、それを実行できるだけの戦力ということだ。やるべきことの困難さを再認識するだけだった。

 それでも、()()()()()()()()()()()()ということは、彼らにとっての助けにはなった。少なくとも、最終的に狙うべき場所は判然としたのだから。そこさえ潰せば倒せる。そう確定しただけでも有難かった。

 本当に最悪のパターンは、弱点と呼べる部位がどこにも存在しなかった場合だ。そうなれば、《ロックアイランド》を止める手立てがなくなる。が、その心配はないということだ。


 後はもう憂うことはない。否、憂いばかりであるが、そんなものに仔細しさいこだわっている場合ではない。無意味にもたついている必要はないし、そんな余裕もない。


 周囲に配置された兵士達の姿を一瞥した警備隊長が、戦いの始まりを告げる檄を飛ばす。

「よし、進軍開始だ!」


 それと同時だった。崖の際に立っていた《勇者ドレッドノート》のフレデリカが、何の躊躇もなく崖から飛び降りた。彼女の姿が、フッ、とこの場から消え失せる。後は数十メンスの下方へと真っ逆さまだ。

 それに続くように、“移ろいの民”の一員である三人の《騎士ハイランダー》も崖から飛び降りる。彼らにもまた迷いはなかった。

 そして、そんな彼らの姿にいちいち反応することもなく、二手に分かれた部隊が一斉に動き始め、分かたれた人の雪崩が坂道を滑り降りていく。


 そんな人の流れに従うことなく、エリナはその場で待機を続けていた。

 彼女にそうしろと命じた当人であるニイハラが、波が引いていくかのように去っていく人の群れを眺める彼女の背を軽く叩いた。

「よし、エリナ。手はず通り、あんたは遠くから援護してくれ。指示があったら、随時根源エーテル通信で呼びかける。ひとりで出来るか?」

「今更それ聞く?出来ないわけがない」

 エリナはそうぶっきらぼうに応えた。

 ニイハラもいい加減分かってきたことだが、こうやってつっけんどんな態度を取る分には、彼女も精神的に余裕があるということだった。まったくもっていつもどおりな様子に安堵する。

 が、その安堵とは裏腹に、ニイハラの顔つきは険しい。彼は広場の周囲を取り囲む鬱蒼たる茂みに目配せしながら、続けて呼びかける。

「とはいえ、今回は俺もかなり離れる。そう簡単にはあんたを助けに来てやれない。自分の身は、まず自分で守るんだ。それを優先していい。敵は、()()()()()()()()()()()()()……」

 それを聞いたエリナが、軽く頷く。

「分かってるよ、心配しないで」

 その返事は力強い。そこにはもう、以前に《スキゾイドッグ》の群れと戦った時のような虚勢もない。確かな自信というものがあった。

 彼女の真っ直ぐな眼を見返しながら、ニイハラもまた頷いた。

「よし。じゃあ俺も行ってくるか。みんなを待たせちゃ悪い」

 そうして、エリナから離れ。彼もまた先を行くフレデリカに続くように崖の端へと駆け寄って、そのまま飛び降りていった。



        ※



 そうして広場には、エリナだけが取り残された。

―――いや、彼女だけではない。この場には未だ、何人かの人影が残っていた。

 警備隊でも《騎士ハイランダー》でもない。《貴人級ノーブルクラス》以下の再征者レコンだ。彼は皆、“大地の臍”へと進軍することなく、この場に留まっていた。

 彼らは今回の作戦への参加を強制されたわけでもなく、いうなれば自主的にフォルニアへとやってきた者達だ。

 かといって、困難へと立ち向かう勇気を示した者達、というわけでもない。

 もし勇気があるというのなら、それはむしろこの場にいない者達だろう。自分達がこの作戦に参加したところで、できることなど禄にない。それを理解した上で、後顧の憂いを断つために、ゲルマニアの各地に出現する他の魔物を討伐する。

 自らの実力不足を認めた上で、だからこそいつもどおりに戦う。困難に立ち向かう役目は、その資格を持つ者に任せる。そう決断することもまた、確かな勇気ではあるのだ。

 逆に言えば、この場にいる者達にはその勇気がなかった。

 恥も体面も持たず。多額の報酬を受け取るためだけに依頼クエストを受注した、覚悟も誇りもない連中。それが彼らだった。彼らには初めから、戦う気などなかったのだ。


 広場の中で、特に何をするでもなくたむろする再征者レコン達。

 彼らは口々に、世間話でもするかのような軽い調子で話をしていた。

「行ったか。……俺達はどうする?いっそ駐屯所に戻っちまうか?」

「いや、いい機会だ。ここで他の奴らの戦いを見学してようぜ」

「そりゃあいいや。“移ろいの民”の戦いなんて、そう何度も見られるもんじゃないぞ」

「俺ぁどうでもいいけどな。もう寝てていい?戦いが終わったら起こしてくれ」


 そんなやり取りを無視して、エリナは彼らとは違う本当の意味での勇者達が去っていった後の広場でゆっくりと歩を進め、先程“移ろいの民”とニイハラが飛び降りていった崖の方へと近寄っていく。

 崖の向こうには後は盆地である“大地の臍”があるだけだ。その全てを見渡すことができる。


 そしてその背中に、いくつもの冷ややかに視線が浴びせられた。

「おい、見ろよ。《下級スレイブクラス》だ。誰が雇ったんだ?」

「勿体無いことするよな。今更あんなのがひとりやふたりいた所で何の意味があるんだ」

「鬱陶しい限りだよ。あいつこそ今すぐ帰ればいいのに」

 それらの白々しい言葉に反応した、というわけではないが、エリナは歩みを止め後ろに振り返った。


 今しがたニイハラが言っていたことだ。敵は、あの“大地の臍”にいる魔物共だけではない。獣の類など、このゲルマニアの地では、叩けば巻き上がってくる埃のごとくどこにでも溜まっているのだ。


 銃身にかけられた紐のような負い革を肩に引っ掛け、ぶら下げるように携帯されていた棒のような物体。《黒い羽ブラックフェザー》と名付けられたその武器に施された魔術刻印である《射撃管制式(FCS)》は、本来遠くにいる標的を狙い撃つためのものだ。

 が、それに加え、魔術刻印の性質を任意に変化させることにより、《受動探知パッシブセンシング》との併用が可能となる。つまり遠距離だけでなく、ある程度近い距離にある敵の動きを察知するレーダーにもなるのだ。

 長距離狙撃の大きな危険リスクの一つは、敵が近づいた時である。音も立てずに忍び寄ってくる敵こそ、狙撃手スナイパーの天敵なのだ。それをニイハラは危惧して、《黒い羽ブッラクフェザー》にこの機能を付与してくれた。いざという時には、エリナがひとりで敵の動きを察知できるように。


 そしてそれが、今まさに効果を発揮した。

 危うく見逃すところであったが、間違いなく《受動探知パッシブセンシング》が反応した。広場の周囲を取り囲む木々の間にほんの一瞬だけ、素早く動く動体反応を検知したのだ。

 その反応は僅かなものであり、気がついたその後には何事もなかったかのようになくなった。だが、気のせいだなどと一蹴するような杜撰さは今のエリナにはない。

 そして、その反応は一つや二つどころではない。少なくとも片手で数えられる数ではなかった。

 それが意味することは―――


 この場、この状況で茂みの中を素早く移動するもの。そして今、その動きを止めるモノ。

 そんな者、ひとつしかいない。


 そんな事情を知る由もない他の再征者レコン達は、こちらに振り向いてきた《下級スレイブクラス》に対し、先の発言を謝罪することもなく嘲笑を向ける。

「おい、なんだよ。何か言い返すつもりか?」

「いいんだぜ別に、文句があるなら言ってみろよ。その後どうなってもいいならな。組合ギルドには『《下級スレイブクラス》が一人、()()()()()()()()()()()』とでも言っておいてやるからさ」

「こいつ、ガキじゃねえか。乳と小便の匂いが漂ってきそうだ。ははは、ママはどうした?魔物にでも食われて死んだか?」


 奴らの言っていることには興味はない。その言葉は耳には届かない。

 むしろ先の言葉については、そのまま全て彼らに返してやりたいほどだ。

 『こんなところに居ても意味がない』

 『さっさとどこへなりと帰るべきだ』


―――そう、今すぐ帰るべきなのだ。それが彼らのためになる。


 少し前の彼女ならば、こんな気にはならなかっただろう。ニイハラと一緒に居て、心に余裕ができたということか。

 これは彼がよくするのと同じ、くだらないお節介だ。この先に起こる事態を見越して、彼女はただ一言、眼前の再征者レコン達に対し忠告した。


「私の言うことを信じる気があるのなら、戦う覚悟を決めるか、一秒でも早く逃げるかした方がいい。……その茂みの中に魔物がいる」

 それと同時に、肩にかかっていた《黒い羽ブラックフェザー》を地面に置き、その代わりに外套のベルトにかかるホルダーに固定されている、ある別の物体に手をかけた。武器を置き、別の武器を備えたのだ。

 それは、ゲルマニアの全ての国民が口をそろえて『なんだこれは』と言うような奇妙な形状をしていた。が、そこには今しがた地面に置いた《黒い羽ブラックフェザー》と同じ、三日月のような形の金具―――引き金があった。


 そして案の定というか、彼女を忠告に対し、再征者かれらは聞く耳を持たない。

 突然の言葉に顔を見合わせて、

「はぁ」

「何いってんだこいつ」

 と要領の得ない反応をするばかりだ。

 それどころか、あまつさえ一人の《貴人級ノーブルクラス》が、苛立った顔で彼女に掴みかかろうと一歩を踏み出した。

 こうなってしまえば、《下級スレイブクラス》はどうなっても文句は言えない。彼らは依頼クエスト中にどのような眼にあっても、組合ギルドから保護されることはない。それこそ、同じ再征者レコンの手で殺されるようなことになっても。

 つまりエリナの置かれている立場は結局のところ、山賊に身を置いていた時と何も変わっていはいなかったのだ。ほんの些細な、ちょっとした気分だけで、使い捨てのモノのように扱われる。

 そう。あの“ゼアの森”で死んでいった者達と、あるいはあの時の自分―――山賊の一人に為す術もなく陵辱されそうになり、結局何もされずにゴミのように捨て置かれた自分と、何も変わりはない。

 今も同じで―――


 いや、違う。そんなことはない。今の自分は違う。

 今の自分には、彼がいる。

 彼の与えてくれたものがある。


「お前なぁ、自分の立場が分かって―――」

 理不尽な怒りをたたえたその顔のまま、エリナに歩み寄ろうとした再征者レコンの身体が、突然地面から高く跳ね上がった。

 その胸の辺りからは、何か鋭利な刃物のようなものが数本伸びていた。


 それは、“爪”だ。

 背後から現れた魔物が、再征者レコンの身体をその爪で貫いたのだ。


 エリナにとっては、見間違えるわけがない。

 《カーネイジウルフ》。あの時自分を瀕死に追い込み、喰らおうとした魔物だった。その強大な力と、鋭い爪牙の脅威は、それこそ身をもって知っている。

 それが今再び現れ、一人の再征者レコンを襲った。

 これこそ、あの時と同じだ。あの“ゼアの森”でも、こうやって《下級スレイブクラス》が、自覚する間もなく獣の餌食となっていった。


 だがこの光景に対し、今の彼女には恐怖も、そして後悔もなかった。

 もし自分の地位がもう少し良かったのなら、何人か救えた生命があったかもしれない。が、そんな“もしも”の話が何になる。

 ゴミの死んでいった《下級かれら》をニイハラでも救うことができなかったように、もうあの再征者レコンはどうあっても助からない。

「私は確かに言った。……もうどうなっても知らないからな」

 そう冷ややかに吐き捨ててから、エリナはホルダーに収まっていた“それ”を素早く引き抜いた。


 ニイハラと共に再征者レコンとして仕事をするようになってから数日した後、またいつものように何の前触れもなく、まるで気まぐれのように彼が作ってくれた新たな武器だ。

 その当時のことが、また脳裏を一瞬の回帰となって過ぎ去る。


 そう、彼は確かこれのことを、“拳銃”と呼んでいた。

 《黒い羽ブラックフェザー》と同じ、根源エーテルを使うことなく攻撃できる武器の一つだった。



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