34.無茶の上乗せ
「……なに?」
フォルニアの警備隊長が、眉根を寄せる。
この場にいる全員の視線が、ニイハラの方へと向いた。その面持ちは一様に驚愕を帯びている。
例外は二人。グレンマレィが「ほーぉ?」と鼻を鳴らしながら相変わらずにやにやとした視線を送ってくる。そして、フレデリカはこの期に及んでも無表情だ。
皆の注目を一身に浴びて、ニイハラは続ける。
「いや、正しく言えば、俺に“遊撃”を任せて欲しい。何かしらの部隊に同行するんじゃなくて、ある程度自由にやらせて欲しいんだ」
そう、これこそ無茶な申し出だった。
あろうことか、たかだか《貴人級》の、小隊ですらないただの一個人が、好きにやらせろと言ってきたのである。
確かな実績と、なにより《勇者》という無二の称号を持つフレデリカならばともかく、さすがにこの提案は到底聞き入れられるものではないだろう。
しかし、それでもニイハラはあえて押し切ろうとした。
彼の当面の目的は“立身出世”、地位と名誉を高めることだ。そのために、今回はまたとない機会であった。ここで多大な戦果を上げれば、その目標の達成にぐっと近づくのである。
そのためにも、戦場を広く渡り歩くことができる“遊撃”という立ち位置が、もっとも良いと考えていた。
それだけではない。
これは別に自惚れや楽観主義の類などではなく、紛れもない事実として認識していることだが、ニイハラとしては、今この場で最も強い者は、他でもない自分であると自負していた。
そうでなければおかしいのだ。なにせ彼は、“神”によってそうデザインされた人間なのだから。人間の持つ能力、その限界点として。
ならば、自分こそ無茶をして、他の者達を助けなければならない。そうでなければ、いたずらに被害が広がることになる。
が、そんな彼の思惑が伝わるはずもない。
警備隊長は、はなからこの申し出を断る前提で、ニイハラに言葉を投げかけた。
「いいか。“移ろいの民”は今この場にいる中で最大の戦力である。だからこそ、最も危険な役目であってもあえて任せることができるのだ。それが、現状において最善であると判断できるからだ。
だが君はどうだ?単なる《貴人級》が、数千という魔物の群れに突っ込んで何ができる。犬死するだけだ。我々は無意味に死ぬのではない、勝つためにたった一つの生命を懸けるのだ。どういうつもりなのかは知らんが、それを履き違えるな。そのような蛮勇を受け入れるわけにはいかんな」
しかしその言葉に、意外な者が反論した。いや、ニイハラにとっては意外というわけでもないのかもしれない。なにせ彼は、ニイハラにとっては数少ない知人の一人であるのだから。
クロスロードの衛兵である、ブライアンだ。彼は、ニイハラのこの無茶を後押ししようとしてくれた。
「待ってくれ。彼は―――」
だが、言い始めようとしたその瞬間だった。
突然、パァンという乾いた音が、会議室の中に響き渡った。その音は、ニイハラの立っている場所、というより、彼の顔の横で握られた自身の手から発せられていた。その手には、今しがた地図の上に並んでいるのと同じ、小さな印が握られていた。
「な、なんだ?」
突然のことに、警備隊長が不審そうに声を上げる。
彼を始め、この場にいるほとんどの者は、何が起きたのか理解できなかった。
ニイハラが印を手にした、というわけではない。彼の立っている周囲には、手を伸ばせば届くような印はないのだから。
彼は受け止めたのだ。誰にも見えないほど、誰の眼にも留まらぬほどの速さで、どこからともなく飛来してきたそれを。
それは、常人の眼には到底視認できない速度で放たれた。だが、“神”から与えられた動体視力にて、ニイハラは確かにその軌道を視認し、眼前に迫るそれを手で受け止めた。
フレデリカが何の前触れもなく突然投げつけてきた、その印をだ。
固まる空気を切るかのように、彼女が口を開いた。
「《勇者》として頼みたい。彼の言う通りにさせよう。彼は私が本気で投げた印を、確かに見て受け止めた。警備隊長殿、貴方にそれができるだろうか?自惚れでも蛮勇でもない。ニイハラ タカヤの実力は確かなようだ」
その言葉に、グレンマレィが続く。
「僕も賛成だな。実力がどうこうは知らんが、彼の好きにさせてやればいい。どうせただの《貴人級》だ。元々期待なんてしていないだろ?別に一人や二人やりたい放題したって、今更誤差の範囲内じゃない?それこそ、『勝つために戦う』のには関係ないでしょ」
そうして遅ればせながら、ようやくブライアンが言いたいことを口にできた。
「……改めて言うが、私としてもニイハラ殿のことは信用していいと思う。彼はほんの十二日前に再征者になったばかりなのだ。たったそれだけの期間で、《貴人級》にまでなれた。そんな前例はこれまでのクロスロードにはない。彼は、《誓約術式》を受ける以前から、《カーネイジウルフ》を一体、何の装備もせずに丸腰で仕留めていた。少なくとも魔術の腕前に関しては素人のそれではないというのは、私がクロスロードの衛兵長として保証する。すでに多くの民が、彼によって助けられているのだ」
そこまで聞いてようやく警備隊長は、今しがた何が起こったのかを理解した。
要するに、フレデリカがニイハラの実力を試したのだ。
彼女が本気で何か物を投げれば、それは音よりも早く飛ぶ凶器となる。それを手で受け止められるものなど、そんじょそこらにはいないだろう。彼女も意図的に身体に当たらないように投げてはいたが、そうでなければ戦いが始まる前に死人が出てもおかしくはなかった。それほどに危ない芸当だった。
そしてニイハラは、それをやってのけた。ずば抜けた動体視力と、超音速の物体を掴むだけの筋力を持つという証左である。
その上で、魔術の腕も確かというブライアンの言葉もあった。同じ王立警備隊の所属として、彼は何の根拠もないことを口にするような男ではないと、フォルニアの警備隊長は理解していた。
となれば、このニイハラの申し出も受け入れるより他にないようだ。なにせ、ゲルマニアの中央政府に匹敵する権限を持つ《勇者》が、自ら許可すると宣言したのだから、それに反論する余地はない。
わずかばかりに眼を伏せ、一度小さなため息をついてから、警備隊長は応えた。
「……分かった。ニイハラ殿には遊撃を任せよう。
―――しかしだ、そういうことをするなら事前に言ってくれ。場を無意味に混乱させるようなことをするな。次にやったら、いくら”移ろいの民”だ、《勇者》だといってもつまみ出すぞ」
そう釘を差す言葉に、スーンとした顔で腕を組むフレデリカ。
「もうしない」
「ニイハラ殿、君もだ。戦場で自由にするのは構わないが、決して他の者達の連携を乱すような真似はしないでくれ。さもなくば、魔物ではなく味方の手で殺されても仕方がないと思っておくように」
「分かってる、みんなの邪魔はしない。それは約束する。もしそれを違えたら、問答無用で即刻粛清してくれ」
きっぱりとそう言われた以上、ニイハラに対してもそれ以上の言及はできなかった。
それに、先程のグレンマレィの言葉もある。ニイハラはあくまで《貴人級》であり、元々この作戦に参加する予定のなかった者だ。そのため、戦力としてはどちらかと言えば予定外のものである。それならば、戦場で好き勝手してその結果野垂れ死ぬのなら、それはそれで構わないのだ。
自分達は無意味に死ぬのではない。とは言ったが、碌な実力も覚悟もない二流の戦士ならば、いくらでも無意味に死んでいい。
それは、ゲルマニアという国で、人々を守るために凶暴な魔物と戦う者達にとっての、共通の認識であった。
ひとまず、ニイハラのことについてはこれで切り上げることになった。
議論は本題へと戻る。
「しかし、となると問題はこいつだな……」
《騎士のラルフが改めて、地図の中心に描かれた円形の印を指で叩いた。《ロックアイランド》だ。
《ワーリザード》の大群については、フレデリカの提示した戦術(とも呼べない代物だが)でなんとか殲滅するとして、その後にはこの規格外の魔物とも戦わなければならない。他の魔物を仕留めたところで、こいつが別の場所へと移動してしまえばどうしようもない。鉱山地帯であるブラッケンドでなくとも、このフォルニア山脈もまた豊かな自然を持つ。いうなれば《ロックアイランド》にとっては文字通り山盛りの栄養になりうるのだ。
少し移動するだけでも、奴はその先々で莫大なエネルギーを蓄えることになる。そうなれば、奴にとっての皮膚とも呼べる岩のような多重装甲もより強固なものとなるだろう。そうなってしまえば、王立騎士団の一個師団を動員しても、倒せるかどうか定かではない。
“大地の臍”の土壌を喰らっただけならば、まだやりようはある。千人規模の生命力を集束させた魔術で、致命傷を与えられるだろう。他の個体を撃破した第一師団がフォルニアへと救援に駆けつけるまでの間、なんとかしてこの場にいる戦力だけで《ロックアイランド》を足止めしなければならない。撃破するのは無理にしても、それなりの痛手を与えることができれば、動きを止めることぐらいはできるはずだ。
では、どうやってそれを実行する?
無理難題の次は別の無理難題。これでは無茶の上乗せだ。《ロックアイランド》が生み出すミルフィーユ装甲のごとく、どんどん無茶が積み重なっていく。
こればかりは《勇者》のフレデリカであっても、すぐには案が思い浮かばないのだろう。司令室に、重苦しい沈黙が流れる。
それを解いたのは、今しがた一騒動起こしたばかりのニイハラだった。
彼は再び手を上げ、またしてもこの場の注目を一身に浴びながら口を開いた。
「フレデリカ達のお墨付きをもらった以上、もう遠慮なく発言させてもらうが、……俺に考えがある。足止めなんかじゃない、真っ向からこいつの外殻を破壊して、倒す方法だ。」
※
結局、会議は二刻ほどで終了した。
“移ろいの民”を起点として行動するという方針が決まってからは、後は細かい部分を詰めるだけで済んだ。敵の行動に対して、それぞれどのように対応するかというパターンをいくつか考えて、それでこの、不可能と思われる作戦への対策のための話し合いは、思いの外スムーズに収束していった。
となれば、後はそれを実行するだけだ。このまますぐにでも作戦が開始されるかと思われたが、《ロックアイランド》に依然動きがないことを確認したフォルニア警備隊は、合流した再征者達に一晩休息を取ってもらうことにした。
『腹が減っては……』という言葉があるが、それは“睡眠”にも当てはまる。敵が動きを見せないというのなら、その間になるべく休んでおいた方がいいだろう。クロスロードからフォルニアまでの移動距離はかなりある。その行程を進んできた再征者達には、相応の疲れが溜まっていることだろう。そのまま眠ることなく夜通し戦うというのは、可能であるならば避けたかったのだ。
休み無く継続的に戦うのが戦闘のプロということもあるだろうが、仮にそうだとしても、体力を温存しておいた方が兵士は単純に強くなるのだ。それは間違いのないことだった。
このまま敵が静止を続ける分には朝まで待機し、明朝、グレンマレィとニイハラが提案した《透視解析》による標的の解析を実行してから、部隊を出発させることになった。
組合から提示された依頼内容にも、作戦開始は明日からとの記載があったため、元々こうする予定だったのだろう。
ということで、ニイハラ達はフォルニア駐屯所の中で一晩を明かすことになった。
ゆっくり休めというわりには、駐屯所には必要最低限の居住空間しかないため、再征者達は皆敷地内で野宿をすることになった。ニイハラとしても薄々そうなるという予想はしていたが、前もってキャンプのための準備を整えておいて助かった。
食事に関しては、駐屯所に備蓄していた分から簡単な野営食を用意してもらえた。せっかく買い占めてきた保存食の出番がないのは残念だったが、腸詰め肉と野菜を炊き込んだポトフ風のお粥と、穀物を練り込んだだけの簡素なもの、どちらが美味いかと聞かれれば、応えるまでもない。
ニイハラとしては、なんだか学生時代の林間学校を思い出すような気分だった。
だが、これはそんなちょっとした一時の楽しみなどというものではない。これから後数刻もすれば、戦いが始まるのだ。そうである以上、余計にはしゃいだりはせずに、おとなしく荷台に張ったテントの中で眠ることにした。
―――だが、ひとつだけふと思いついたことがあった。
せっかくの機会だ。
そうする必要もないことではあるが、思いついた以上これだけはやっておこう。
例え戦いの前であろうと、戦場の只中であろうと、人間にはある程度の心の余裕も必要なのだ。
※
そのまま夜は更け、そして明けようとしていた。
“裏の十一”。広大なゲルマニアの領土の中でも比較的東に位置するフォルニア駐屯所は、王都ジェリコよりもわずかに日の出が早い。
もう少しすれば、稜線の向こうから陽の光が差し込んでくるだろう。
駐屯所にある四つの見張り塔。その中で東側に位置するもの。そこにいる者達がおそらくこの駐屯所の中で誰よりも早く朝日を眼にすることができるはずだ。
“大地の臍”は駐屯所よりも西に位置している。そのため、正反対にあるこの見張り塔は標的を監視することはない。
とはいえ、元来ここの警備隊の役目は、駐屯所周辺の様子を監視し、安全を確保することである。
作戦が始まれば、駐屯所に所属する兵士もそのほとんどが”大地の臍”へと投入される。監視員などの非戦闘員であっても、戦闘中に敵の動向を監視する者と、それを戦場に伝える魔術通信手を除き、全てが戦闘へと駆り出される。彼らも戦闘の訓練を受けているし、いつでも死ぬ覚悟はできていた。
その上で、作戦が開始されるまでの間は、今まで通りの業務を続けるのだ。部隊が出発する前に、駐屯所周辺に脅威が現れないかも見張らなければならない。駐屯所から出発した部隊がいきなり魔物の群れに囲まれてしまえば元も子もないからだ。
交代制で、夜が明けるまで監視を続ける見張り塔の兵士達。彼らにとっては、はるか遠くから昇り来る、その源がどこにあるのかも分からないような眩い光になど、特別興味はなかった。もう何度も眼にして、見飽きているほどだ。
そんな彼らの元に、不意の闖入者が現れた。
ニイハラとエリナの二人である。
「なんだ?」
突然の来客に、驚いた様子で振り返る監視員の兵士達。
それにニイハラは、
「あぁ、いや、いきなりすまない。ちょっとお邪魔させてもらうよ」
と申し訳程度の挨拶をする。
「別に構わないが、一体どうした?」
「いやね。ちょっとここで日の出を見たいと思ってさ」
「『日の出』?」
兵士のひとりがおうむ返しに聞く。
「そうだよ。別にそうしなきゃいけないってわけでもないんだけどさ。こういう場所から見る朝日はいい景色だろうなと思って。こんな状況ではあるけど、いい思い出になりそうだからさ。なぁ、エリナ?」
「うん」
ニイハラの傍らで、エリナが遠慮がちに頷いた。ニイハラと二人の時はそれなりに辛辣な態度を取る彼女であるが、いざ第三者が介在すると、途端に借りてきた猫のようになってしまう。
《下級》という立場が、どうしても彼女を萎縮させてしまうのだ。
そして、そんな彼女に少しでもいい思いをさせて、心に余裕をもたせたい。これは、そんなニイハラのちょっとしたお節介だった。
山の上から朝日を拝むなど、それこそやるべき理由は何一つない行為だ。が、そんな意味のないことをあえてやるというのが心の余裕であるし、人の魂を豊かにするのだ。
「いい思い出ねぇ……。なんだっていいが、それなら見逃さないようにしないとな。ほら、もうすぐにでも陽の光が見えてくるぞ」
言いながら、兵士は親指で東の空、はるか稜線の彼方を差した。
「お、こうしちゃいられない。ほら、行こう」
ニイハラは慌てて、エリナの背中を押し二人で物見台を囲う手すりに身を乗り出した。
それからほどなしくて、それは見えてきた。
視界の彼方でうねりを描く稜線。その向こうに一筋の、世界を切り裂くかのような光が現れ、それが山の輪郭をなぞる。
その光はすぐに無数に散らばりながら、群青色の空を別の色にゆっくりと染め上げ、黒く塗りつぶされていた山の木々に、本来の色を戻していった。
朝の始まりを告げるその光の源が、遠くの山の陰から少しずつその顔を覗かせようとしている。
昨日という日が今日に変わる瞬間。朝日の輝きだ。
思い返してみればこれまでニイハラは、昇ってくる朝日を、ただそのためだけに眺めるという経験をしてこなかった。若くして死んだことに後悔があるとすれば、その一つはそれなのだろう。
だからこそ、眠る前にふと思い立ったこの衝動に素直に従おうと思ったし、それならば、エリナにもこれを見せてやろうと思ったのだ。
彼女だってきっと、地平線の向こうで太陽が生まれてくるその光景を、ただ見るということをしたことがなかったろうから。ひたすらに、生きるためだけに生きてきてきた彼女には。
世界の全てを遍く照らすように、陽の光が自分の身を照らすのを感じながら、ニイハラは自らの胸中に沸き起こる感情をそのまま吐露するかのように声を挙げた。
「すごい光景だ!やっぱり見に来てよかった。エリナもそう思うか?」
そう問われたエリナは、ただその場に立ち尽くし、瞬きすることすら忘れて、眼の前で展開される光景を目に焼き付けながら、つぶやくように応えた。
「別に。朝日なんてこれまで何度も見てきたことだし、いまさらどこで見たところで特別なものでもない。
―――そう思ってたけど、そうじゃなかった。この景色は、なんだか、……なんか違う」
そうして二人はそれ以上何も言うことなく。ただ、少しずつその輝きを増していく朝日を眺め続けた。
が、そんな二人に、監視員の兵士が水を差す。
二人の姿を傍から眺めているのがどうにもむず痒くて、口を挟まずにはいられなかったのだ。とてもではないが、自分達の目に映る二人の姿が、これから戦いに赴くには見えなかった。
あまりに静かで、のどかだった。
「我々としては、毎日見てて飽き飽きしてるぐらいだけどな。新鮮に見えるなんて、君達が羨ましいよ」
「はは、違いねえや」
別の兵士が、けらけらと笑って続く。
が、そう口にした兵士達自身もこの光景を、今日という日の始まりを、どこか感慨深く眺めていた。
見張り台に、しばしの沈黙が―――無価値でありながら、富や名声を稼ぐためにあくせく働くよりもずっと価値のある時間が過ぎ去っていく。
そしてその沈黙を、一人の兵士のつぶやきが破った。当人も、ほとんど無意識の内に口をついて出た言葉だった。
「……今回の戦い、我々は生き残れるだろうか」
そこで沈黙は、別の形へと変わった。この場にいる者達の心に、この朝日と共にこれから始まる戦いという現実が、重くのしかかって来る。
だが別の沈黙が、この静謐なる一時を塗り替えるのなら、それをさらに塗り替えてしまえばいい。
暗澹たる漆黒の色に白を継ぎ足せば、白にはならないが灰色にはなる。良くも悪くもない、普通の色だ。
エリナが言う。
「大丈夫だよ。ニイハラがいるから」
それを聞いた兵士達が、ちらりと彼女を一瞥した後、ニイハラにその視線を移した。
彼らの視線を一身に受けたニイハラは、気恥ずかしそうに頭を掻く。
「そうだった。あんた達が死ぬ確率を少しでも減らすために、俺にもやらなきゃいけないことがあるんだ。名残惜しいが、そろそろ行くか、エリナ」
「うん」
「それじゃあ。邪魔して悪かったな」
そのままニイハラ達は、見張り塔を降りていった。
気がついたらやってきて、何事もなかったかのように去っていく。それは、さながら一陣の風だった。
去っていく彼らの姿を見送った兵士達の一人が、心底不思議そうに言った。
「なんだったんだあの二人は。再征者にしたって変わり者だろ」
その言葉に返事をしたのは、見張り台の天井に取り付けられてある魔術通信の拡声器から響く声だった。
「伝達、伝達。これより《ロックアイランド》抑制作戦を開始する。各員所定の位置に配置されたし」
それを聞いた兵士達は、今起こった全てを瞬時に忘れて、すぐさま移動を開始した。フォルニア駐屯所の人員は、一部を除いてほとんどが“大地の臍”に駆り立てられる。この見張り塔の兵士達も例外ではなく、彼らもこれから戦場へと向かうことになるのだ。
あの再征者達の、これから始まる戦いに対してあまりにも呑気なやり取りは、そんな兵士達にとっても、確かな助けになっていた。
ほんの僅かな時間であっても、今日自分達は死ぬかもしれないという恐怖を、忘れることができたのだから。




