31.命ある地上の島
ゲルマニア王国領、その北東部から北部に向かって伸びるように広がる山脈地帯―――“フォルニア”。
中継都市を数十個収めても尚余りあるとすら言われているその広大な山陵のほとんどは、王国が成立してから二百年の歳月を経てもなお、開拓の手がほとんど届いていなかった。
大陸をまるで両断するかのごとく長距離に伸びる山脈の環境は、それぞれの位置によって大きく異なる。特に北側に近い標高の高い場所になると、常にその気候は不安定であり、気温も低く堆積した雪と吹き荒れる吹雪が足を踏み入れる者を苦しめる、さながらこの世の地獄であった。そんなところを開拓したところで、消費される労力に対して得られる実りが少なすぎるのだ。
だが、比較的標高が低く気候も安定している山脈東端近くの山々―――それらを越えた先に、豊富な資源が眠る宝の山があるとなれば、また話は別だ。
フォルニア山脈よりさらに北東に存在する鉱山地帯である、“ブラッケンド”。そこは王国成立の当初から、早い段階で開拓と整備が行われた。採掘場として機能させるに至るには多数の人員と十年単位の歳月が必要とはなったが、それも昔の話。今となってはゲルマニアにおける鉱物資源の、およそ三割を占める最大の生産地となっていた。
ブラッケンドでは王国の各地から集まった炭鉱夫達が日々採掘を繰り返し、定期的に百人規模の商隊が山程の鉱物を積んで、王都を始めとする各都市へと輸送していた。
そして、その商隊の移動路を確保するために、フォルニア山脈の一部、比較的環境の穏やかな東側の山々にも区画整備が行われたのである。それにより、商隊は短い移動距離と時間で、効率的に資源の輸送ができるようになった。もっとも、比較的標高が低いとはいっても、山越えをしなければならなくなるので移動の労力は少なくはない。しかしそれも、魔術による補助があれば軽減することはできた。
フォルニアの山を開拓するのにもかなりの時間と労力を要したが、かといって山脈を突っ切るような形で移動しなければ、ちょっとした小国ひとつ分に匹敵するほどの広大な範囲を迂回して進まなければならなくなるため、輸送に莫大な時間がかかってしまうのだ。
そういった面もあり、険しい山々の中に設けられたこの山道は、ゲルマニアにおけるある種の生命線のひとつとして重用されていた。
そして、そんなフォルニア山脈の輸送路を警備するために設置されたのが、王立警備隊フォルニア駐屯所―――ニイハラ達を乗せた馬車が、数刻に渡る移動の末に到着した場所であった。
いくら山道を整備したといっても、山脈には未開の場所も多い。そこには言うまでもなく、人類にとっては脅威となる魔物や原生生物が多く棲息していた。それらがブラッケンド鉱山地帯からやってきた商隊を襲うのを防ぐというのが、この駐屯所で働く警備隊の仕事であった。
が、もちろんそれだけが仕事ではない。
彼らは今、フォルニア山脈の一角、まるでそこだけ山々が削られたかのようにぽっかりと存在する盆地帯である、通称“大地の臍”。そこに突如として出現した、《ロックアイランド》を始めとする魔物の群れの動向調査を行っていた。
そして、これから駐屯所に集まる再征者達と協力してそれらを排除する。それが、これからの彼らの役割なのである。
フォルニア駐屯所は、木々を切り倒して作られた広いスペース、その中に設けられた木造の城塞だ。木造ではあるものの、その外壁は魔術により補強されており、大抵の魔物が攻撃しても傷一つつかないほどに頑丈だ。
城塞の内部には、武器庫や警備隊員の寮舎、必要に応じて管制室や魔術通信を用いた連絡室として機能する基地施設などが点在しており、さながらクロスロードを幾分か縮小したかのような様相だ。多くが木造であるため、見た目は少し原始的だが。
また、城塞の四方には高くそびえ立つ物見塔があり、これにより山脈の広い範囲を監視することができる。これらを活用し、ブラッケンドからやってくる商隊を警護するのだ。
駐屯所は現在、それらの設備をフル稼働させている最中であった。
いずれ始まる《ロックアイランド》抑制作戦の準備のために、総勢百名の人員が一人残らず慌ただしく動き回っていた。
開けられた城門の向こうで、数十人の人員が絶え間なく行ったり来たりする姿を眼にすれば、この駐屯所に訪れたばかりのニイハラもさすがに少しばかり圧倒されるような気分になった。まるで、これから戦争でも始めようという雰囲気だ。
そして実際、その印象は間違ってはいないのだろう。戦争が始まるのだ、これから。
門をくぐるなり、一人の兵士がニイハラ達を迎え入れた。
「ようこそフォルニア駐屯所へ。貴方のご協力に、心から感謝します」
「あぁ、不肖の身ではあるが、よろしくお願いするよ。責任者とかに顔を見せておいた方がいいか?」
「いえ、その必要はありません。ひとまず人員が出揃うまでは、指定した場所で待機してもらいます。馬車の荷台についてもそちらに駐留してもらいます。案内しますよ」
「分かった。
―――案内してもらうついでなんだが、可能なら物見塔にお邪魔させてもらっていいだろうか。俺もこれから戦う相手のことを見ておきたい」
「分かりました。そちらについても後ほど案内します」
※
指定された待機場所に《風の馬車馬》の荷台を駐留させた後、兵士の案内で城塞内の物見塔、その中で最も“大地の臍”に近い方に向かうニイハラ。
他の設備と同じように木組みで建てられたそれは、言っては悪いが古臭い櫓といった印象でどうも見窄らしく見える。しかし、釣り上げ式の昇降機で移動ができたりと、見た目の割には中々近代的であった。ゲルマニアの建物というのはこう、いちいち古さと新しさが融合しているものだ。
背伸びすれば手が届きそうな低い屋根付きの足場に上がったニイハラとエリナの眼に映ったのは、数名の監視員の姿だった。
それだけではない、彼らにとっては見知った顔が二つあった。
一人はちょうど今朝見たばかりの、無精髭を蓄えた見るからに軽薄そうな男。”移ろいの民”のウィリアムス・グレンマレィ。
そしてもう一人は、この世界に転生した初日、クロスロードにやってきたニイハラを検問した衛兵の兵長だった。この場で出会うには少し意外な人物だ。
ニイハラの姿に気づいた衛兵長が、こちらに歩み寄ってくる。
「貴方は、ニイハラ タカヤ殿か。久しぶりだな。あれから会うことはなかったが、活躍はよく耳にしていた。こういう状況ではあるが、また会えて光栄だ。今更の名乗りにはなるが、私はブライアン・メイフィールドという。今後共よろしく」
自己紹介と共に差し出された手を、握り返す。
「あぁ、よろしく頼むよ。あの時は大した歓迎だったよな。別に恨んじゃいないが。……っていうか、どうしてあんたがここに?」
というニイハラの疑問に、衛兵長のブライアンは応える。
「このような有事だ。クロスロードの衛兵からも、何名か人員を派遣するよう要請があってな。特務部隊としてここに連れてきたんだ」
「なるほど、そりゃそうか」
このフォルニアのように、王立の警備隊が設立されている場所は他にも多くある。それこそ、クロスロードを始めとする中継都市にも衛兵として配備されているし、鉱山地帯のあるブラッケンドにも、同じく百名規模の警備隊は存在するのだ。
何らかの緊急事態が発生したが、再征者に依頼を要請するだけの時間の余裕がない、などということになった場合に迅速に安全を確保できるよう、彼らはゲルマニア王国の要所となる場所にそれぞれ配備されていた。そして、今回のような重要性の高い事態においては、それぞれの警備隊から人員の一部が派遣されるようになっているのだろう。
なるほど、言われてみればそういうことか合点が行く。
二人のやりとりに続いて、無精髭の男もニイハラに近づいてきた。
「おー。君は今朝の、勇気ある《貴人級》の青年ではないかぁ~。お早い到着みたいで感心感心」
どうも皮肉めいたものを感じる言い方だ。実質的には初対面ではあるものの、すでにニイハラの中には、この男がどういったタイプの人間なのかという直感があった。おそらくそれは間違いではないだろう。
「お褒めにあずかり、ドウモドウモアリガトウ」
と、心にもない感謝の言葉を返すニイハラ。それにも無精髭はケロリとした顔である。
「お前さんも、“連中”の様子を見に来たのか?」
「そうだよ。だからあんたとの無駄話は、やることやってからにしたいね」
「お、言うね~」
そうヘラヘラと笑ってから、グレンマレィは近くにいた兵士の肩をポンポンと叩いた。
天井から吊り下げられていた望遠鏡をじっと覗き込んでいた兵士が、振り返る。
「おい、彼にも見せてやってくれ」
「あぁ」
グレンマレィの呼びかけに応じた兵士が、天井から別の望遠鏡を引き下ろして、ニイハラの方へと差し出す。
「これを使ってくれ。《下級》の分もだ。……あんたらが来てくれて助かるよ。階級はともかくとしてな」
長い間この駐屯所で仕事をしているのだろう。年季を感じさせる落ち着いた姿だ。階級への言及についても単なる率直な言葉であって、嫌味はない。
衛兵のブライアンにしてもそうだが、こう堂に入った佇まいを見ると、それだけで頼りになると思える。
そんな兵士から、望遠鏡を受け取るニイハラ。
が、それを覗き込む前からすでにニイハラ達の眼には、はるか遠方に広がるフォルニアの山々、その一角にぽっかりと開いた“大地の臍”の中に佇むその姿が見えていた。
傍らのエリナが、わずかに竦むよな声を挙げたのが聞こえる。
「アレと、これから戦うのか……」
いざ実際に眼にしてみると、さすがに息を呑む。
魔物 《ロックアイランド》―――その姿はまさしく、大地の上に浮かぶ島のようだった。
無数の岩石が積み重なったかのような外殻。その下に埋もれるように、蛸か何かを彷彿とさせる触脚がいくつか伸びていた。その外見はどことなく、奇妙な形のヤドカリという印象を起こさせた。
受け取った望遠鏡を覗き込むこともせず、遠くに見えるその威容を見つめるばかりだったニイハラ達に、監視員の兵士が言う。
「全長1,000メンス。全高320メンスの怪物だ」
「(1,000メンスね……)」
ニイハラが脳裏で兵士の言葉を咀嚼する。
“メンス”―――久しぶりに聞き慣れない言葉が出てきたが、やはりその意味自体はニイハラも既に理解していた。
そう。これもまた久しぶりであるが、固有名詞解説タイムの始まりである。
時間の経過。すなわち太陽が昇り沈んでいく周期などは、同じ世界に生きているかぎり、どんな国家、どんな人種であろうとある程度共通した“普遍的な概念”となる。
それはそうだ。太陽の浮き沈みするタイミングに誤差はあっても、その周期に誤差が生じるなどということは、少なくともニイハラにとってはありえないことという認識があった。そのため、向こうの世界での人類の歴史においても、時間については、呼び方や分割の仕方の違い程度はあるにせよ、かなり早い段階から統一されていた。
しかし、それが長さ、重さなどになると、途端に話が違ってくる。これらは“可変的な概念”だ。それを体感する個人によって、それを『長い』と感じるか、『短い』と感じるは異なる。
となれば個人によって、あるいはある程度統一化、規格化されたとしても、文化や国家によって異なる基準が生まれることもあるのだ。
ニイハラにも親しみがある例とすれば、“インチ”とか“フィート”とかだ。“メートル法”に正して共通化すればいいのに、わざわざ『長年それを使ってきたから』とかいう時代遅れな理由を振りかざされたものだから、苦労した記憶がある。8インチ=20.32cmなんて、そんなの覚えられるわけがないではないか。
つまるところこの“メンス”とやらも、インチとかと同じ“可変的な概念”のひとつであった。
要するに、このゲルマニアにおいては、小指の爪の長さが(誰の小指の爪から測ったのは知らないし、知る気もない)“1サン”と規定されていた。そしてその百倍が“1メンス”、さらにその千倍が“1ランダ”である。
小指の爪というと、どこを端にしたかにもよるが、概ね1cmぐらいだろう。となると、今度は“キリ”や“イエズ”などよりもずっと分かりやすい。
1サン=1cmだし、1ランダ=1kmと考えてもいいだろう。
―――さて、つまり“大地の臍”に今鎮座しているあの巨体の大きさは、全長がおよそ1,000m。高さが320mはあるということである。
長々と説明したが、それが結論だ。
ニミッツ級原子力航空母艦だって、全長たったの300m強。
高さについても、パリのエッフェル塔以上。
ニイハラが知りうる限り最大級の生物であるシロナガスクジラですら、その体長は数十mだ。
規格外にも程がある。
《ロックアイランド》は紛れもなく。これまでのニイハラの常識を打ち崩す―――それどころではない、多くの魔物を撃退してきたゲルマニアの国民にとっても到底受け入れられるわけがない、スケール感の狂った異常な生命体だった。
これから、そんな奴と戦わなければならないのだ。
だとしても、いつまでも圧倒されるわけにもいかない。
なにせニイハラにとっては、これすらもただの前座でしかないのだから。




