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異世界の黒砂糖 ~最初に出会ったのは死にかけの奴隷だった~  作者: tatakiuri
第一章 全ての孤独な人達は
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3.ブレイキング・ガール



 眠りはほんの一瞬だった。過ぎ去ってみれば、あったかどうかも分からないような僅かな時のことでしかない。

 フッと意識を失った次の瞬間には、俺はそこに両足をつけて立ち尽くしていた。


 ……森だ。

 周囲に鬱蒼と茂る草木と、足元に感じられる感触――土と枯れ果てた草葉の残骸、そして根、それらがすべて混ざりあって一つの土壌を形成していると分かるその感触。それは、子供のころに遊んだことのある神社か何かの裏手に広がる森林を思い出させた。

 かなり広大な森のようだ。文字通りに乱立する木々、その一本一本の間隔はそれなりに開いているようだが、それがどこまでも遠くへと広がっている。結果、視界は木の幹や緑の草木に覆われていた。どこを向いても何かしらの木が必ず眼に入り、森の外から差し込む視覚は一切なかった。

 上方に視線を向けると、高く伸びる幹から別れた枝葉が空をも埋め尽くそうとしており、その青い色はわずかにしか見えない。

 さながら天然の檻であり、俺はそこに囚われてしまっているかのようだった。

 この分だと、どこがこの緑の牢屋の出口なのかも分からない。

「……どうせなら、転生させる場所も考えて貰いたかったんだが」

 今となってはもう姿形も見えない“神様”に対してぼやく。

 が、そんなことをしてもどうにもならない。とにかく今は、この森から抜け出すことにしよう。

 当てはないが……


 いや、当てなら今できた。

 遠くの方、四方八方から聞こえる木々のざわめきに混じって何かが聞こえてきた。

 それは、葉が風に揺れたり枝の隙間を風が吹き抜けたりといった、自然に発せられるものではない。

 バキバキと何かが裂けるような乾いた音と、それに続く微かな地響きのようなもの。

 これは木が倒れる音だ。というより、作為的に木を伐採する音だろう。――そんなもの実際に聞いた経験などほとんどないのであくまで憶測に過ぎないが。

 もしかしたら、どこかに木こりの類でもいるのかもしれない。誰かしらの他人と会えれば、この森から抜け出す道も分かるだろう。

 その倒木の音は続けざまに何度か鳴り響く。その度に音源は少しずつ移動しているように聞こえたが、大まかな方角は変わらないようだ。

 俺は、音の鳴る方へ向かって歩き始めた。



    ※



 しばらくの間、薄暗い森の中を行く。

 見た目は鬱蒼としているものの、木々の間にはそれなりのスペースがあり、歩き回ること自体には問題はない。一本一本の木は、俺の元いた世界ではどこかしらで御神木として崇められそうなほどに太く立派だ。どれほどの樹齢なのかも分からない。

 それほどのものが、まるで互いに示し合わせているかのように決して一定以上距離を詰めること無く、不規則でありながら整然と並んでいる。そのため実際のところは非常に動きやすかった。せいぜい、地面から這い出てきた根っこに時々躓きそうになる程度だ。こればかりは俺の注意力の問題か……

 そんなこともあり、俺は三分ほど(あくまで体感だが)淀み無く歩き続けた。

 しかし、木々の倒れる音は最初に聞こえたものからさらに三、四度続いたものの、程なくして止んでしまった。もしかしたら、木こりが仕事を終えて帰ってしまったのかもしれない。そうなるとまたしても当てがなくなってしまう。人に会いたくて進んでいるのにその当人がいなくなってしまったのでは本末転倒だ。

 しかしまぁ、この森が無限に広がっているというわけでもないのなら抜け出す方法はいくらでもある。いろいろと訳あって多少面倒な方法ではあるのだが、もしもの場合はそのひとつを実行するだけだ。

 そんなことを考えながら、俺の腹回りの十倍ぐらいの太さはありそうな巨木の傍を通り抜け、その向こう側へと身を乗り出した。


 その時だった。

 生い茂る木々の隙間から、それは見えた。


 間違いない、あれが先程の音の発生源だ。だが、その正体は俺が想像だにしていないものだった。

 ……いや、本来なら想定できているはずだったのだ。

 木こりなどと、そんな楽観的な仮定をするべきではなかった。ここがそういう世界だということはすでに折り込み済みだったじゃないか。

 だが実際のところ、俺は今しがたこの地にやってきたばかりだ。それを紛れもない現実として眼にするまでは、未だ夢物語のひとつ程度のものだと無意識にタカをくくっていたのかもしれない。

 だが、最早それも終わりだ。終わらせなければならない。

 心の準備をする時間はこちらに来てからいくらでもある。“神様”はそう言っていた。それが今だ。

 “仕事”は、もう始まっている。

 俺は、眼前に広がったその現実を受け入れようと、呆然と立ち尽くしたままただじっと眼を凝らすことしかできなかった。


 巨大な獣が、一本の木の幹――樹皮というよりかはいっそ壁とすら形容できそうなものへと向かって、何かを叩きつけていた。その何かとは、


 人だ。間違いなくそれは人間だった。


 一人の人間が獣に襲われていた。そうとしか言い表せない光景が俺の視界の奥で広がっていた。

 どうやら先程の木が倒れる音は、あの獣が木々を薙ぎ倒しながら獲物を狩らんとするものだったらしい。今まで、逃げ惑う人間を追い立てていたのだ。そうして今ついに、巨木の幹へと磔にするかのように捕らえた、といったところか。

 獣の身体は遠目に見ても巨大だ。そう何度も実物を見たわけでもないが、ひぐまやグリズリーほどの大きさに見える。だがその姿形はどちらかと言うと、やけに長い前足を持った狼と表現した方がいい。

 何にせよ、俺のいた世界においては『存在しない』とされているような奇怪な姿をした生物だ。その巨体と比較してしまうと、奴に捕まった人間の姿などはちっぽけな虫けらのようなものだった。実際、この距離からでは、獣の方はともかく人間の方の背格好ははっきりとは分からなかった。

 獣は今まさに捕らえた獲物にトドメを刺そうと、そのやけに細長い、さながら人間のような右腕をかざし、そこから伸びる巨大な爪を突き立てようとした。おあつらえ向きに五本の指があるのが不気味だったし、それぞれの指から伸びる鋭利な爪は、例え一本だけでも身体に刺されば致命傷となるだろうと容易に想像できた。


 だが、人間の方も抵抗する手段は有しているようだった。その右手には小さな手斧が握られており、それを迫り来る獣の右腕へと振り抜いた。

 もっともあんなものは獣のあの異様に対してはあまりに頼りなく、何の威力も発揮しないであろうことは遠くから見ている俺でさえ分かった。

 迫りくる腕へとぶつかるように刃が食い込む。だが、それしきでは突き立てられる爪の勢いは止まらない。かろうじて軌道を逸らし身体に命中することは避けられ、背後の木の幹へと突き刺さる。が、それまでだ。

 斧を掴んでいた手は獣の強大な腕力によりそのまま強引に折り曲げられ、明らかに()()()()()()()()()()()へと変形した。

 獣は重機のエンジン音を彷彿とさせるような重苦しい唸り声を上げて腕を引く。同時に、食い込んだ手斧の刃も引き抜かれた。人間の感覚からすればかなりの量の鮮血が傷口から噴き出すが、それはこの獣の巨体からすれば大したものではないのだろう。

 獣は決して咆哮は上げない。肉食獣の類が吼えるのは威嚇と恫喝のためであり、相手を敵と認めたからこそだ。と、誰かが言っていたような気がする。いざ標的を仕留めるとなれば、連中は無駄に声を荒らげるようなことはせず、ただ淡々と殺すのだ。


 そして、腕をへし折られ唯一の対抗手段であろう斧も地面へと落とした人間の方も、悲鳴を上げたりはしなかった。その余裕すらもなかった。

 目の前に迫りくる死の脅威からどうにかして抗おうと、なんとかして逃げ延びようと、脳内に溢れ出るある種の麻薬物質により半ば意識と無意識の中間を彷徨いながら、ただ反射的に身体を動かすだけの単純な生命体と成り果てていた。そう俺には見えた。

 こうなっては、最早あの人間にできることは何もない。続けざまに突き出された獣の左腕、そこから伸びる剣のように鋭利な五本の爪へと、残った左手をかざす。盾のつもりなのか、あるいはその手で獣の攻勢を押し退けようとしたのか、だがそんなものは一切無意味だ。かざした掌の間をすり抜けて、五本の爪は全て身体へと突き刺さった。

 そのまま獣は突き立てた爪を振り上げ、人間の身体を引き裂きながら上方へと放り投げた。

 放物線を描きながらズタ袋のように投げ出されたそれを追う俺の眼には、まだ辛うじて人として保たれているシルエットから赤黒い何かが飛び散るのが見えた。

 それは血だけでなく、なんらかの固形物が混じっているようだった。

 人を人として機能させる臓器。本来なら身体の外に出るはずのない、出てはいけないもの……


 人間の身体はこちらに向かって飛んできて、俺から十mほど離れた地面へと枯れ葉を散らす音と共に落下し、そのまま仰向けに寝転がった。

 そこでようやく、その人間の姿形がはっきりと見えた。

 浅黒い肌に黒い髪。その華奢な体つきは女のそれだ。

 しかも年若い――いや、若いなどというものではない。俺よりも一回りは小さい歳、幼いとすら言ってもよかった。


 少女だ。


 その眼には最早生気はない。だが、喉元からは壊れたポンプのように血液が吐き出され、三割近くが風穴に変わった胸元からは、とめどなく赤い液体が泥のような固形物を伴って溢れ出てきている。それは紛れもない、生命の反応だった。

 まだ生きている――死んではいない。彼女はまだ確かに生きている。

 だが、もう少しでそれも終わる。彼女というひとつの生命が、時が経つごとに徐々に()()()()()……

 この光景は、疑いようもない現実だった。夢枕の幻でも、空想の映像などでもない。今間違いなく俺の目の前で一人の女の子が死にかけている。殺されかけている。

 俺のこの胸の中にある心臓が一度だけ恐ろしいほどに力強く収縮し、血管を突き破らんばかりに血液が脈動するのを感じた。


 獣は、吹き飛ばした獲物へと向かってもう一度飛びかかり文字通りのしかかるような姿勢になった。そうして狼を彷彿とさせるその口唇が引き剥かれ、鋭い歯牙が顕わになる。

 俺の方には気づいていない。どうやら今しがた手にかけた少女の方に夢中といった様子だ。あるいは、そもそも俺のことなど脅威とすら判断せず、文字通り歯牙にもかけていないということか?

 奴がこれから何をしようとしているのか。そんなこと考えるまでもない。

 獲物を仕留めた猛獣がその後にすることなど、ひとつだろう。その牙で肉を噛み砕き、咀嚼し、胃袋へと飲み込む。

 ……捕食だ。


――馬鹿じゃないのか俺は!?


「そうはさせるか……!」

 何を悠長に眺めてるんだ。今までぼーっと突っ立っているばかりだった自分自身を批難し、呻くように吐き捨てる。

 この状況、俺がすべきことなど分かりきっているじゃないか。それができるだけの能力を持ちながらみすみす実行しないなどと、それこそ人でなしだ。

 奴の、あの化物の好きにさせてたまるか。

 今まさに少女の身体に噛み付こうという獣へと向かって、俺は右手をかざし唱えるように言い放った。

「『射抜け、《一斉射ブロードサイド》』!」


 瞬間、かざした右腕に付随するかのように、中空に数本の白い氷柱つららのような物体が出現した。その氷柱の一本一本はかざした腕よりも遥かに太く、長い。

 それは“槍”だ。どこからともなく形成された槍はそのまま獣へと勢いよく一斉に放たれ、一本残らずその身体へと突き刺さった。

 一本は這いつくばる腕を根元から貫き、また一本は頭に突き刺さり、あるいは喉元から胸にかけて食い込んだ。

 即死だった。獣は、自らが何をされたのかすら気づく間もなく一瞬にして息絶えた。


――これこそが、俺が神様から与えられた能力、“魔術”のひとつだった。端的に言えば、魔術で武器を創り、それを腕も使わずに撃ち出したのだ。

 獣一匹程度なら、ご覧の通り一瞬で始末することができる。俺がこれからやらなければならないことを考えると、これしきのこと驚くほどのことでもない。


 ……そんなことはどうでもいい。なんにせよこれで脅威は排除された。となれば次にやるべきことも決まっている。

 俺は、最早生き物ではなくなった獣の死骸へと――正しくはその下敷きにされている少女へと向かって遮二無二駆け寄り、その傍で身をかがめた。


 噴き出す血液は勢いを弱め、その身体は最早微動だにしていない。それでもまだ褐色の肌からは熱は失われておらず、瞳孔が開いた眼はなお目の前の現実を見据えようとしているように、俺には思えた。

 彼女がどういう経緯でこのような状況に陥ったのか、そんなことは想像すらできない。確かなことは、俺がこの状況で何をするべきかということだ。

 目の前に死に瀕している人がいて、自分にはそれを助ける力がある。だというのにそれを行使しない。さすがにそんな人間として今まで生きてきたつもりはないし、これからもそうやって生きていくつもりはない。

 到着早々とんだ初仕事だが、今後嫌というほど使うことになるであろう魔術の肩慣らしとしては充分だ。何、やると決めれば後は簡単だ。

 そうだとも、魔術で出来ることは果てしない。死という状況であろうと、今の俺なら打ち消すことができるはずだ。

 すでに俺は淀み無く行動を開始し、それを唱えていた。


「『其は火を宿すもの。水と移り変わるもの……――』」



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