28.移ろいの民
集会所の盛り上がり様は、これまでの鬱屈とした空気が嘘であるかのようだった。
またしても、どこからともなく聞こえてきた声が、ニイハラの耳朶を打つ。
「“移ろいの民”が受けるっていうならこの依頼、いけるぞ!」
「ロックアイランドだかなんだか知らないが、倒せるかもしれない」
そんな遠巻きに送られる賞賛と羨望の声に耳を傾けることもなく、銀髪の女性が率いる集団は真っ直ぐに掲示板へと近き、通路に立ち尽くしたままのニイハラ達とすれ違う。
その一瞬、彼女が、ニイハラの持つ契約書をちらりと一瞥した。
―――“移ろいの民”。
ゲルマニア王国においてその名を知らない者はいないとされる、指折りの実力者が揃った再征者の小隊である。
その構成員は四人。
無精髭の男、ウィリアムス・グレンマレィ。
魔術師の少女、ユスティーナ・イルマリネン。
その名以外一切の略歴を隠す人物、通称アマラ。
彼ら三人の《騎士》。
そして彼らをまとめるリーダーである、《勇者》。
“櫓振るい”の異名を持つ、フレデリカ・マーキュライト。
彼らの実力を実際に見た者は極少ない。しかし、たった四人の小隊でありながら、その戦力は王立騎士団の一個師団に匹敵するという噂が流れており、それが彼女らの名声を高めていた。
真実は定かではないが、移ろいの民がこれまで挙げてきた依頼の成果と、この世界に数えるほどしかいない《勇者》の存在が、その噂の信憑性を高めている。
少なくともこの小隊が、この場にいる他の再征者全てが力を結集させても到底敵うものではないというのは間違いのないことだった。―――ただ一人の例外を除いて。
彼らはゲルマニアの国土を転々と渡り歩き、行く先々で、並大抵の再征者では到底達成できないような危険な依頼をいとも容易く遂行していった。百体規模の魔物をものの一刻で全滅させたという記録すらある。
まさにその名の如くに大陸を移ろいながら、片手間で魔物を殲滅し、片手間で人々を救った。
その姿は、二百年という過去の彼方に多くの者達が置いてきた、本当の勇者――――再征者の生き様そのものであるとさえ言えた。
そんな“移ろいの民”が今、クロスロードの案内所に現れた。当然、その目的は依頼の受注であるだろう。
そして、彼らはいつだってその場で最も困難な依頼を受ける。となれば、今回の彼らの仕事はすでに決まっているだろう。
ロックアイランドの出現という緊迫した事態を打破する可能性が生まれた。集会所が沸き立つのは、そういった理由だ。
巻き起こる歓声に意識を向けることなく、淡々と掲示板から依頼を検索する“移ろいの民”。
そんな中、無精髭のグレンマレィだけが、相変わらずその軽薄そうな眼で興味深そうにきょろきょろと周囲を観察していた。
「おいおい今度は急に盛り上がってどうした?今から宴会でもおっぱじめるか?俺達も付き合うか?」
それを、再度魔術師のユスティーナが呆れ顔で釘を刺す。
「そんなことしてる時間ないでしょう。明日の朝には作戦が始まるんだから、早くフォルニアに到着しておかないと」
二人が言い合っている間に、フレデリカがすでに契約書の転写を終えており、
「行こう」
と仲間達に呼びかける。
そうして“移ろいの民”は踵を返し、来た道を戻るように依頼受注のために受付へと向かっていた。
その様子を眺めていたニイハラとフレデリカが、再びすれ違う。
集団の最後尾を歩いていた彼女は不意に立ち止まり、ニイハラの方へと振り返る。
そうして、思わず息を呑む彼に対し、ただ静かにこう言い放った。
「この場で誰よりも早く、困難に立ち向かう意志を見せたのは、どうやら貴方のようだ。その勇気は頼もしい。だが、くれぐれも生命を無為なものにはするな」
それは純粋な賛辞であったのか、あるいは忠告か皮肉か。無表情な彼女の顔からは、その意思は推測できない。
ニイハラはただこの言葉に、気まずそうに頬を掻きながら、
「……そりゃどうも」
と応えるばかりだった。
言い終えたフレデリカは再び踵を返し、先を行く仲間達の後を追った。
集会所を通り抜ける途中、グレンマレィは軽口を言い続け、ユスティーナがそれに毒を吐き続けている。
無口な他の二人とは対照的に、まるで常に口を滑らせておかないと死ぬ病気なのではないかというほどに喋り続ける無精髭の男。
上背の高いグレンマレィと並ぶとさながら幼児のように小柄なユスティーナの方は、どうも渋々彼に付き合っているだけのようだったが。
「今から出発かぁ。……フォルニアの山なんてなんにもない所だぞ。やっぱ今から第一師団の方にお邪魔して、東海方面に向かった方が楽しそうだなぁ~。仕事はさっさと終わらせて、帰りに港で釣りたての魚食って日焼けした姉チャン侍らせてさ」
「そうしたいならどうぞ一人で行ってください。移ろいの民は去る者は追いませんので」
「えぇ~?冗談だよ、可愛いユスティから離れるわけないじゃないかあ」
「あぁもう!やめてください気持ち悪い!」
そうして、そのまま“移ろいの民”は集会所から離れた。
残された再征者達は、堰を切ったように各々議論を再開した。
しかしその内容は先程までの無意味なものとは違い、遥かに前向きなものとなっていた。つまり、ゲルマニアにて並ぶものなしと謳われる“移ろいの民”に同行し《ロックアイランド》抑制依頼に参加するか。あるいは先程の結論を変えず、自分達は自分達の節度にあった依頼をこなすことにするか。その二つのどちらを選択するか、というものである。
「俺はフォルニアへ行くぞ。なに、厄介な仕事はどうせ“移ろいの民”がやってくれる。俺達はただ遠くから見ているだけで終わるだろうさ」
「おい、それじゃ他の依頼はどうする……」
「そんなの知るかよ。依頼の報酬を見直して見ろ、参加するだけで100イエズだぞ?“移ろいの民”に全部任せて、俺達はほどほどに働くだけ。それだけでこんな大金が手に入るんだ。この機に乗らない奴は馬鹿だぜ」
「それもそうか」
再征者の多くは、依頼を受注する方向へと話が向かっていた。“移ろいの民”の参戦により依頼の達成が現実的なものとなった今、100イエズという莫大な報酬が途端にその魅力をちらつかせてきたのである。
中にはこのように、恥ずかしげもなく自分達が“移ろいの民”の金魚のフンになって、ロクに戦うこともなく報酬だけ頂こうという下卑た考えを披露する者さえいた。そして、確固たる意志や理念を持って再征者となった者にとっては嘆かわしい現実であるが、そんな下卑た考えに賛同する者も大勢現れたのである。
二百年の時を経て当初の理想が形骸化した今となっては、再征者を単なる金稼ぎの手段としか考えない者も多いということが、この場で暗に示されていた。
何人かの再征者がこの状況に辟易して早々に席を立ち、掲示板へと向かい依頼の検索を始めた。“移ろいの民”が《ロックアイランド》をどうにかしてくれるのなら、自分達は自分達にできることをすればいい。ゲルマニアの治安を維持し、国民を守るための仕事は他にいくつでもあるのだから。という考えだろう。
その考えもまた、国を守るためには合理的な考えではある。むしろ、“移ろいの民”に同行したところで、半端な再征者の戦力など邪魔にしかならないだろう。
どんな形であれ、状況はひとつの収束へと向けて動き始めた。案内所がにわかに慌ただしくなる。
そんな様子を眺めながら、エリナが眉を潜めて吐き捨てるように呟いた。
「こんな連中に、《下級》はこき使われなきゃいけないのか。何が再征者だよ、クズばっかりじゃないか」
そんな彼女の怒りをなだめながら、ニイハラが言う。
「まぁ、金稼ぎをしたいってのは正しい欲求ではある。とはいえ、あんな奴らのことを気にしたところで、こっちには二束三文の得にもならないのもまた正しい事実だ、放っとけばいい。今俺達がやるべきことは、すぐに受付を済ませてフォルニア山脈に向かうことだろ。今日中には向こうに到着して、準備を済ませておかないと」
「ん。行こう、ニイハラ」
※
早々に依頼の受注を済ませたニイハラ達は、そのままフォルニア山脈を目指してクロスロードを出発した。
日刻は“表の四”。ようやく空に輝く太陽の眩しさが、本調子になってきたという時分である。
依頼内容には結局記載されていなかったが、フォルニア山脈の駐屯所に到着したとして、作戦開始まで一夜を明かせるような寝床や、食事が出るかどうかは分からない。
なにせ、昨日の今日で突如出現した魔物に対応するのだから、作戦に参加する再征者の全てを受け入れる用意は向こうもできていないだろう。
となれば、最低限の準備はこちらで済ませておかなければなるまい。
ということで、出発前にある程度必要なものは揃えておいた。
馬車の荷台を一時的にテント代わりにするため、風よけのための布を。それと、最低限腹ごしらえができるような保存食も事前に仕入れておいた。腹が減ったは戦はできぬというのは、いつの時代、どのような場合であっても当てはまるものだ。飲まず食わずの状態で仕事のモチベーションが維持できる人間など、存在しないだろう。
その仕入れた保存食というのが他でもない、荷台の上、いつもの定位置に腰掛けながら、《風の馬車馬》に揺られるニイハラが手にしているものである。
穀物類を細かく砕いて粉末にし、それを棒状に練り込んだもの。指でつまめるような大きさであるが、これ一つで多量の炭水化物と糖質を補充できる優れた兵糧だ。
再征者の街であるクロスロードには、このような簡単に栄養補給ができ、なおかつ長期間痛むことがないような保存食が多く流通しており、彼らの活動において重宝されている。
そしてあろうことかニイハラはそれを、まだ依頼が始まるまで時間がある―――というかそもそもすでに今朝から海象で食事を済ませてきたばかりというこの状況で、ちょっと小腹が空いてきたし試しに一口食ってみるかという、それだけの理由で消費しようとしていた。
「どれどれ」
その手に握られている保存食は、見た目だけなら、ニイハラも向こうの世界で何度か食べたことのあるような印象を受ける。具体的な商品名は避けるが、まぁよくある栄養食品の類だ。
実際に口にしてみても、その印象はそれらと大きくは違わなかった。
「―――うん。美味いっちゃ美味いが、やっぱり口の中がパサパサするなぁ。こりゃ水がなきゃ食えたもんじゃない。うん、でも美味いなぁ」
そう舌鼓を打ちながら、もう片手に持っていた水筒を口につけ、宿屋の水場から汲んできた水を流し込む。
そんなニイハラの姿を荷台から覗き見ていたエリナが、呆れ顔で言う。
「もうソレ食べてるの?さっき朝ご飯食べたばっかりじゃないか」
「いやぁ、ちょっとどういう味なのか気になって。美味いぞ、あんたもどうだ?ちょっと多めに買い占めておいたからまだまだ量はある。一晩過ごす分には十分足りるから、ちょっとつまみ食いするぐらいなら全然大丈夫だぞ」
「いいよ。私はニイハラみたいに食い意地張ってないからね」
「はぁー、よく言うよ。今朝もウォルラスでムシャムシャ飯食ってた癖に。レノが『食い方が汚い』って怒ってたの聞いてなかったのか?あわや出入り禁止とか言われないかとひやひやしてたんだぞ、こっちは」
「う、うるさいなぁ……」
言い返され、その褐色の顔を尚更紅潮させるエリナ。
そんな彼女に対し、ニイハラが続けて言う。
「まぁそれはそれとして、《黒い羽》の調子はどうだ?そいつは普通の魔術道具と違って構造が複雑だからな。中にゴミなんか詰まってると、いざっていう時に壊れるかもしれない。手入れについてはあんたに任せてるんだから、ちゃんと責任持って面倒見ろよ」
そう言われ、エリナは自分が手にしているものに改めて視線を向けた。
それは、ともすればただの細長い棒にしか見えない物体である。が、これこそ他でもない、ニイハラが彼女のために用意した新しい武器であった。
それを眺めながらエリナは短く、
「大丈夫だよ」
と応える。
クロスロードからフォルニア山脈まではかなりの距離がある。《風の馬車馬》を走らせても、一刻二刻では到着しないだろう。おそらく半日がかりの移動になる。
それまでせいぜい、これから始まる戦いに備えて身を休めるとするか。
エリナは、《風の馬車馬》が起こすかすかな揺れと、朝の日差しがもたらす早めの微睡みの中で、ニイハラからこの武器を預かった当時のことをぼんやりと思い出していた。




