27.ロックアイランド抑制依頼
これは最早、彼一人の物語ではない。
そうである以上、その語り手も彼であってはならないだろう。
※
後災暦218年。
その男がこの世界に現れてからすでに十二度太陽が巡ったが、彼の存在に気づいているものはほとんどおらず、ましてやその目的など、ただの一人として知る者はいなかった。
そんなある日。
その報せは衝撃を伴って、ゲルマニア王国を、そしてそこに生きる再征者と呼ばれる職業化された勇者達のもとを駆け巡った。
東の中継都市 クロスロード、その中心部に位置する組合内にある案内所。そこにはいつ何時であろうと、多くの再征者がたむろしている。今日であってもそれは例外ではなく、むしろ受付の脇にある集会所にいる者の数は普段以上に多く、その喧騒もかなりのものであった。
しかし、そこに流れる空気は普段のそれではない。いつもなら、気の知れた同僚を依頼に誘ったり、今日の成果を得意げに自慢する声が到るところをから聞こえ活気に溢れているのだが、今はただ重苦しい雰囲気がその場に沈殿し、まるで隠れるようなざわめきが空気を震わせるばかりだった。
彼らは皆一様に、“ある事柄”に対し考えを巡らせ、仲間内で議論を続けていた。
「おい、あんたはどうする?」
「どうするって……」
そんな言葉を口々に言い合うが、実際のところすでに百も千も交えられているそれらの言葉にはなんの意味もなく、誰一人として建設的な結論に行き着いている者はいなかった。
彼らの議論の源。それは、集会所の隅、組合からの依頼を記録する光の掲示板に載せられている、ある一つの依頼だった。
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依頼内容:“大地の臍”に出現した魔物の討伐と、ロックアイランドの行動抑制
依頼期間:明日明朝より
報酬:100イエズ(依頼の成果に応じ追加の謝礼金あり)
受注制限:なし
組合からの連絡によりすでに周知である通り。ゲルマニア領の四箇所に、魔物 ロックアイランドが他種の魔物を多数伴って出現した。これは後災暦史上初となる未曾有の事態である。現在は四体の個体全てが明確な行動をせず停止しているものの、早急なる対処が必要とされるのは間違いない。
中央政府は王立騎士団を総動員し討伐部隊を編成しているものの、王国全体の警備も引き続き必要とされており、そちらにも人員を配備する以上十分な戦力を用意することもできない。そのため現状二体のロックアイランドにしか対応できないと判断される。
そこでクロスロードに滞在している再征者諸君には、都市北方に位置するフォルニア山脈、そこに存在する“大地の臍”と呼ばれる盆地帯に出現した魔物を討伐し周辺の安全を確保、それと並行してロックアイランドの活動を可能な限り抑制してもらいたい。
その後、他方の魔物を殲滅した王立騎士団第一師団が援護に駆けつけ、集中攻撃によりロックアイランドを殲滅するという作戦である。
依頼を受注した者は、随時フォルニア山脈にある王立警備隊フォルニア駐屯所に向かわれたし。現地に駐留する兵士が現在も殲滅目標の動向を監視している。彼らと合流し作戦内容を把握、明日明朝より行動を開始する。
この依頼内容は騎士以上の再征者には誓約術式を仲介し送信した上で、自動的に受注手続きを完了している。他より優先してこの依頼を遂行されたし。
また、貴人級以下全ての再征者の依頼受注も無条件に受け入れ、成功の暁には全ての者に上記の報酬を支払う。
この作戦は参加する者が多ければそれだけ成功する可能性は向上する。これは王国の、ひいては世界全ての安全を維持するための重大な使命である。
諸君らの勇気に期待する。
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それは、王都ジェリコの中央政府から直々に発令された依頼であった。
―――魔物 “ロックアイランド”。その名は多くの再征者が知っているが、実際にそれと遭遇した者は誰もいない。
それもそのはずで、その魔物は二百年前、大陸を焼き尽くした“虚空戦役”にて出現し、その後の二百年において再度現れることはなかったのだから。
だがその姿と生態は、戦いを生き残った者達の証言により今日まで、(彼らが知り得る限り、推測し得る限りで)記録されている。
それは、巨大な“岩”であり、巨大な“島”である。
その表皮は巌の如き外殻に覆われ、当時大陸に存在する全ての国家の全ての攻撃手段であっても、完全に破ることは叶わなかった。その魔物がロックアイランドという名で呼ばれる所以はその外殻にこそあった。名前通りの“岩の島”ということだ。
この魔物は無数の触脚を外殻の底に有し、それを動かすことで活動する。触脚はありとあらゆる物質を飲み込み、おそらくはそれがロックアイランドの活動源、すなわち栄養であり糧食となった。
触脚により這うような動きでゆっくりと動き、その度に通過点にある人を、動物を、それどころか同族である魔物でさえも喰らっていった。街を通れば街を喰い、山を通れば土壌を喰らってその山に成り代わった。
この魔物は、かつての戦乱における最も脅威的な存在の一つであった。人類がルーンの協力を得て、彼らが操る魔術により有効打を与えられるようになるまで、一体のロックアイランドは万に達する人を犠牲にした。それが何体と、何十体と現れたのが虚空戦役だった。
そして今、そのロックアイランドが二百年の時を経て、再びハンブルク大陸に出現した。
それこそ山と見紛うほどの巨体を持つ魔物であるが、今日まで出現の予兆はなかった。数日前、突如としてなんの前触れもなく出現したという。
どこか、例えば地下深くにでも人知れず潜伏していたのか、あるいはもっと別の、誰もが想像したくもない何らかの理由で現れたのか、具体的な発生源は定かではない。
ただ一つ確実に言えるのは、これは後災暦が始まって以来最悪の、虚空戦役の再来とすら言える――――もしかしたら起こるかもしれないと危惧されながら、そうなって欲しくはないと忌避され続けてきた緊急事態であるということだ。
当然、中央政府は大至急出現したすべてのロックアイランドを駆除することに決定した。
が、人類が魔術を用いるようになってからやっと対抗することができるようになった強大な魔物、それが一度に四体も出現したのである。中央政府お抱えの王立騎士団―――総員一万名に達するお抱えの精鋭部隊であってもその全てに対抗することはできない。いたずらに戦力を分散して逆に総崩れになることを避けるために、可能な限り兵員を一箇所にまとめて各個撃破するという戦略を中央政府は選択した。そのため、彼らでは二箇所に出現したロックアイランドにしか対応することはできない。
しかしそうなると、残ったロックアイランドと、そのお供と言わんばかりに出現した魔物共が完全な野放しになってしまう。今は沈黙を保っているが、もし連中が何らかの拍子に動き出せば、魔物の群れがゲルマニア各地に離散し、それにより王国は混乱の坩堝に呑まれることになるだろう。それを防ぐために、なんとかしてそちらにも戦力を回さなければならなかった。
―――ではどうするべきか。
他でもない。もとより再征者はこのような時のために存在するのだから。
それが、この依頼が発令された経緯であった。
だが蓋を開けてみれば、中央政府があてにした再征者達。集会所に屯している者達の中で、この依頼を進んで受注する者はほとんどいなかった。
作戦への参加を半ば強制された《騎士》はともかくとして、それ以下の《貴人級》や《兵卒級》は皆一様に、依頼を受けることを渋っていた。
彼らが仲間内で話し合っているのは、つまりこれを受注するか否か、というものだった。
ロックアイランド相手の場合、生半可な魔術ではその硬い外殻で防がれてしまうという。そのため、千人規模の魔術師が根源を一箇所に集め、強力な魔術を発動しなければ倒すことはできない。とにかく人力を用意して数で攻めなければ勝負にならないのだ。
そのため一個師団規模、三千名を超える魔術師を一体のロックアイランド相手に総動員しなければならない。となると、他に回す人員がいなくなるのも当然の話だ。
一人二人の魔術師の力ではそれこそ傷一つつけることはできない。その上標的となるロックアイランドは、無数の触脚を軽くひと撫でするだけで、あらゆるものを箒で掃くかのように飲み込んでいく。伝承においてそう言い伝えられている怪物だった。
それに加えて、出現した魔物は奴一体だけではなく、他にも多くの魔物がいるという。
これはどう考えても、これまで組合から発行されてきた全ての依頼の中で、圧倒的に危険なものだと誰もが判断していた。
なにより恐ろしいのが、中央政府が発案した作戦の内容だ。
クロスロードの再征者達が命じられた役目は、つまるところ王立騎士団の助けなしに、自分達と、フォルニア山脈の安全維持のために駐留する警備隊(総員百名程の小さな部隊だ)だけで魔物を殲滅し、“岩の島”を食い止めろということだ。
今都市に滞在している再征者を総動員しても、その総勢は五百にやっと達する程だろう。それだけの数では、おそらくロックアイランドを撃破することはできない。それこそ、依頼内容に記されている活動の抑制―――すなわち足止めすら可能かどうか怪しいところだ。もし奴が本格的に活動を開始すれば、膨大な数の犠牲者が出るのは間違いない。
一応作戦が予定通りに進めば、他の場所に出現した魔物を先んじて撃破した王立騎士団第一師団とやらが、返す刀でフォルニア山脈に駆けつけてくれる。そうなれば三千という数の暴力により、巨大な生きた岩の島であろうと倒すことはできるだろう。
だが、つまるところ再征者はそれまでの間の“つなぎ”ということだ。さらに言ってしまえば捨て駒でしかないのではないか。
そう考える者がいても―――むしろそれがこの場にいる者達の大半を占めていたとしても仕方がなかった。
この依頼を受ければ、高い確率で死ぬ。それが共通の認識だった。
そして、そんな彼らにとってはある意味で助けになり、ゲルマニア全体にとっては切迫した事態に拍車をかけるだけの事情が他にもあった。
集会所にひしめき合う再征者達の中、一人の男がテーブルに向かい合う同僚に向けて意を決したように言う。
「俺は別の依頼を受けるぞ。魔物は奴らだけじゃない、国中のいたるところにいるんだ。そいつらをやっつけることだって、再征者の重要な使命であるはずだ。俺達がロックアイランドとやらの相手をしてしまえば、他の魔物が野放しになる。俺は、身近にいる人達を守ることをまず優先する」
それは字面だけならば綺麗なものではあるが、実際には単なる逃げの方便であった。だが、同時に確かなことでもある。
ロックアイランドの出現にまるで呼応するかのように、ゲルマニア各地に出没する魔物の数も急増し、それに伴って組合に要請される依頼も爆発的に増加していたのだ。
中央政府としてはロックアイランドの討伐を優先したいところではあるが、これらの依頼も当然国民を守るための重要なものである。“岩の島”を討伐するための戦力を十分に用意できていないのには、こういった理由もあった。
そして、これらに対応する再征者も当然必要とされた。
すでに集会所で朝から一刻も二刻も続けられている議論は無意味なようでいて、その実ゆっくりと一つの結論へと行き着こうとはしていた。
しかしそれは、紛いなりにも勇者として戦う者である再征者が行き着くべきものではなかった。
―――そうだとも。俺達は俺達で、できることをすればいい。
ロックアイランドの討伐作戦自体には、《騎士》が強制的に招集される。彼らと王立騎士団がなんとかしてくれだろう。
なら俺達は今まで通り、無理をしない範囲で仕事をしていればいいのだ。―――
沈殿していた空気がより暗鬱な方向へ、それでもようやく流れを再開しようとしていた。結局、誰一人としてロックアイランド抑制の依頼を受ける者はいなかった。
そんな矢先だった。
暗く沈んだ集会所に、新たな来訪者が現れた。
一般的な再征者が身につけるのと同じ灰色の外套を羽織った一人の男と、男のそれとは違う形の薄黒い外套を身にまとう褐色の肌の少女。
少女の頬には、誇示するかのように淡く光る刻印があった。
《下級》であることを示す魔術刻印だ。
集会所と、そこに集まる険しい顔の再征者達の顔を見渡しながら、少女が言う。
「なんだか、この世の終わりみたいな空気になってる……」
それに、男が周りにいる者達に聞こえる程度の声で応える。
「相手はロックアイランドだけじゃない、他の依頼も人々を守る大事な役目だ。誰かがそれを果たさなきゃいけない。
―――それを逃げの方便じゃなく心から言ってる奴は一体何人いるんだろうな。これじゃなんのための再征者だか分からん。この光景、キスケ王が見たら哀しむぞ」
それを聞いた何人かの再征者が、この飄々とした男と、社会の最底辺に位置する《下級》である少女の方に白い眼を向ける。が、男の言葉に事実が多分に含まれているため、何も言い返すことはできなかった。
男の名は、ニイハラ タカヤ。十二日前に再征者になってから、目を見張る早さで《貴人級》にまで昇格した、いわゆる期待の新人である。
彼は特定の再征者と協力するようなことはせず、今も隣にいるエリナと名乗る《下級》と常に二人で行動し、他の者ならば躊躇うような危険な依頼を涼しい顔で受注し、そして涼しい顔でその報酬を受け取っていた。
そんな彼らは今日も変わらぬ調子で、差し込まれる険しい視線を気に留めず、真っ直ぐに掲示板へと進んでいく。
そうして、掲示板から依頼を検索しながら、世間話でもするような軽さで言葉を交わしていた。
「さて、これか。今回ばかりはいつものようにはいかんだろうが、あんたはどうする?」
「どうせ前に出るのはニイハラでしょ。私は後ろから援護射撃、いつもと同じだよ」
「うむ、彼我の距離にもよるが、まぁ《黒い羽》の射程なら“大地の臍”とやらも大体全域カバーできるだろう。むしろこういう戦場の方が、エリナにはやりやすいかもな」
「やりやすかろうと、やりにくかろうと、ニイハラがやるなら私もやるよ」
「俺達には、まさかこの依頼を受けないなんて選択肢はないものな」
言い終える頃には、ニイハラは掲示板から転写した“実体のない契約書”を手にしていた。
彼らは案内所に来る前から、すでに受ける依頼を決めていたのだ。
今日、ようやく一人――――否二人、ロックアイランド抑制依頼の参加者が現れた。
そのまま踵を返し受付まで向かおうとしたニイハラであったが、不意にその足をぴとりと止めた。
彼らに遅れて案内所にやってきたのだろう。集会所に足を踏み入れ、そのままゆっくりと掲示板へと向かってくる、ある集団の姿を眼にしたからだ。
ニイハラは、“神”と名乗る者によって強靭な肉体と魔術の知識を授かった。とはいえ、それ以上の能力は彼にはない。
例えば他人の本質を看過し、心を読み取るとかそういう特別な術を持たず、彼の感性そのものはあくまでごくごく普通の人間のそれでしかなかった。
そんな彼でも、ひと目見ただけで感じられた。
今自分の目の前に現れた彼らはおそらく、いや、間違いなく今回の依頼における同行者になるであろう、と。
無精髭を蓄えた男が、周囲を見渡しながら愉快そうに言う。
「なんだこりゃ。みんなして友達が死んだみたいな顔して、葬式の最中か?誰だか知らんが俺も弔ってやろうか?」
そうしてへらへらと笑う男に、傍らにいる糸のような眼をした少女がたしなめるように返す。
「グレンマレィさんはまたそうやって……周りから嫌われても知りませんよ」
「忠告ありがとうユスティ。でももっと早く言って欲しかったね、それ」
二人のやり取りを他所に、身体全体を覆い隠すほどの大きな外套を身にまとい、フードを口元まで覆うほどに深く被った、男か女かも分からない格好をした者が何も言わずにただ歩を進める。
そして、そんな彼らの中心。銀色の髪をした女性が、波一つ立たない水面のような冷然とした声で、少女に追随するように無精髭の男に言った。
「気が緩みすぎだ。今回は我々にとっても未知の相手になる。一定の緊張感は常にもっておけ」
「俺にとっての緊張状態はこれだよ。俺はいつだって真面目だからね」
そう応える無精髭の言葉に、彼女は『スン……』というオノマトペが浮かび上がってきそうな表情を浮かべた。
「それもそうか」
ニイハラの眼を特に引いたのは(見惚れたと言ってもいい)、その銀の髪の女性だった。
彼女の左胸のあたりから淡く輝く魔術刻印の紋章。それは、この場にいる全ての再征者のそれとは異なるものだった。
ニイハラ自身、これまで一度として見たことのなかった。―――いや、実際は一度だけ、この世界に転生した最初の日、ゼアの森で見た記憶があるその模様。合理主義者の色男の身に、それは刻まれていた。
全ての再征者の、ゲルマニア全ての民の羨望と賞賛を受ける、本当の意味でも勇者の証明。
誰かがつぶやくように言った。
「“櫓振るい”―――フレデリカ・マーキュライト。《勇者》だ」
「“移ろいの民”が来た……」
ただ、重苦しい空気が支配するこの集会所に現れた。ただそれだけのことで彼女らは、ひたすらに暗い底へと流れていくばかりだった再征者達の意思を引き締め、その意気を高らかに鼓舞した。
それはやがて、先程までの陰険なざわめきが嘘であるかのような歓声となった。




