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異世界の黒砂糖 ~最初に出会ったのは死にかけの奴隷だった~  作者: tatakiuri
第二章 氷雪の大地、沈まぬ陽光の彼方より
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26.今は昔の話 世界観説明1



 後災暦(After Disaster)と呼ばれる時代。それより以前における世界の情勢を知る手段は、今となってはほとんど存在しない。

 口述による伝承の記録のみが、過去を伺い知るための唯一と言っていい方法であり、それ以外は全てが焼き尽くされてしまった。

 ひとつ確かなのは、後災暦(AD)以前におけるハンブルク大陸には、数多くの、規模も文化も異なる国家というものが存在し、それは後世においてただのひとつとして残ることはなかった、ということである。



 “それ”はある日突然現れた。

 なんの前触れもなく、空に巨大な虚空が出現した。と、当時を知る者は語った。

 それは、初めはほんの小さな、眼球にへばりついたゴミの類に見間違えてしまいそうなものでしかなかった。

 しかし、その虚空は少しずつ巨大化し、いつしか空はその本来の青い色よりも、まるであらゆる色彩を無へと変換したかのような黒々とした穴が占拠する比率の方が高くなっていた。

 そしてそこから、無数の異形が現れた。異形としか形容のできない、あるいはそもそも定まった形すら持たない、当時を生きる者達の記憶の中にある、ありとあらゆる生物にも当てはまらない何か。

 それらは固形の雨となって地上へと降り注ぎ、流れ落ちたその先であらゆる生物を襲い、そして生きてすらいない物体を含め、あらゆるものを喰らい始めた。

 人類は彼らと戦った。それまで大陸において散発的に発生していた領土拡大や植民地支配のための戦争など放り出して、突如現れた脅威に対処することを余儀なくされたのだ。


 最初は、人類は幾度か現れた異形を排除することに成功した。

 だがある時から、異形は不定形ではなくなり、人々に認識できるだけの姿形を得た。

 それは、あるいは“人のそれに似た四肢を持つ巨大な狼”であり、あるいは“二足歩行を可能とし、武器を扱う大トカゲ“であり、あるいは“意思をもって動く地上の島”であった。

 誰も知らない、表現のしようもないはずだった“それ”らは、いつの間にか形容できるだけの存在へと変貌していた。

 “それ”らから生き残った人々の一部には、『地上の生物を喰らい、その性質を模倣するようになったのだ』と推測する者もいたが、その真相は定かではない。

 “それ”らが姿を得てから、人類は脅威に抗う術を失った。ただ一方的に蹂躙されるだけとなった。

 いつしか空に出現した虚空は魔界への入り口とされ、そこから現れたもの達は“魔界の軍勢”、あるいは“魔物”と呼ばれるようになった。

 が、呼び方が決まったところで何かが好転するわけでもない。人類はどれだけ抵抗したところで魔界の軍勢を押し返すことはできず、そのまま滅亡を待つだけだった。

 誰もがそう思っていた。


 だが、人類とは別に、魔界の軍勢と戦う者達が現れた。

 それは人とよく似た姿を持ちながらも、決して人類とは異なる種族だった。

 人々の間にただ伝承の中で語られ、その存在を確かめられることのなかった、大地を守る妖精とされる者達――――“ルーン”と呼ばれる一族である。空と大地の狭間、誰にも見えぬ不可視の領域にて静かに暮らしていた彼らは、この危機に際して表の世界へと姿を表したのだ。

 彼らは自然と調和し、眼に見えぬ者と語り合い、災害と称されるほどの猛威をたやすく使役した。

 人間が扱う剣や弓矢などとは比較にならない破壊をもたらし、編み込まれた防具や城壁が紙切れとしか思えないほどの強固な守りを敷き、そして死を免れないほどの深い傷であろうと癒やすことができた。それらは後に、“魔術”として人類が行使することになる力の原点であり、人類では手の打ちようもなくなっていた魔物相手にも十二分に通用する、対抗手段であった。

 ルーンの一族が用いるありとあらゆる術は、その全てが人間の持つそれを上回っていた。その術をもって、世界を守るために彼らは人類と協力することを選んだ。


 だが、それでも不足だった。

 魔界の軍勢は虚空から定期的に出現し、それだけでなく、地上に落ちた後も生物そのものの勢いで繁殖し、際限なく増殖していった。

 ルーンの一族の参戦をもってしても、魔物の侵略、あるいは虐殺、あるいは捕食を完全に食い止めることはできなかった。

 あくまでその早さを抑えるだけでしかなく、世界の滅びはやはり時間の問題であった。


 そんな中で、さらに戦いに加わる者があった。

 それは、軍勢ではない、種ではない、集団ですらない。ただひとつの“個”であった。

 巨大な翼と長い尾、強靭な四肢と鋼のような鱗、刃のような牙を持つただ一体の生物。しかし、その力は他の何よりも巨大であった。

 ルーンはその生物が行使する力の原理を、自分達の用いるそれと同じであると称した。が、その規模は桁違いであった。

 魔物はあらゆる物質を喰らい次々に成長する。ルーンの一族は空間を満たす“根源エーテル”と呼ばれる不可視の概念を力の源とする。そして、その生物は両者を等しく飲み込んだ。それは、世界を構成する大地を、空を、世界そのものを喰らい自らの糧とした。

 その生物は全てを、文字通り全てを焼き付くす炎を吐いた。魔物も人もルーンも、等しく原型すら残さず消え去った。そして、その炎を一度放つためだけに、山がひとつ消え去った。

 その炎を、それは幾度となく吐き続けた。いつしかある国家が存在するべきはずの場所に、大地そのものが存在しなくなった。あるべき土地ごと、国が消えたのだ。

 その生物はある種の絶望に似た畏怖と共に、“竜”という名で呼ばれた。


 竜の出現により、世界の滅びは決定的なものになったかのように思われた。

 しかし実際は、この二度目の脅威の存在が、人類とルーンを救うこととなった。

 現れた二つの脅威は互いに滅ぼしあった。際限なく増殖する魔界の軍勢と、たった一体で世界を焼き付くほどの力を持つ竜。

 その戦いは拮抗し、人類とルーンはただそれに巻き込まれるだけとなり、自ら戦おうとする必要はなくなった。ただ、吹き荒れる暴威が過ぎ去るのを待つだけとなったのだ。

 その結果、自らの生命。否、それぞれの種を守ることに全てを尽くし、多くの生命が助かることになった。当然ながら、その過程において無数の生命が、存在した痕跡すら残さず消え去った。とはいえ、全てが0になることと1残ること、そのどちらが良いかなど、考えるまでもないであろう。


 いつしか魔界の軍勢と竜の力は、徐々にその限界に近づきつつあった。空に穿たれた虚空からは新たな魔物が出現しなくなり、少しずつ小さくなりついには完全に塞がった。地上に残った魔物も、そのほとんどが竜によって滅ぼされた。それは、魔界の軍勢の撤退を意味していた。

 それに伴い、竜もいつの間にか姿を消した。それが喰らい、飲み込み、炎によって焼き尽くした山と大地は、竜が現れる以前と変わらぬ形で戻っていた。まるで、与えられた力を返すかのように。だが、建物は、人は、消え去った国はついに戻ることはなかった。


 戦いは終わった。所以も分からぬまま始まったそれは、気がついた時には収束していた。その後に残ったのは、荒廃した大地と、わずかに生き残った原生生物達。そして、魔界の軍勢の生き残りだった。

 どれだけの期間戦いが続いたのかを知る者、記憶する者は、もはや一人としていない。

 その短くはなく、しかし長くもないであろう間に、それまで人類が子々孫々と代を重ね築き上げてきたものは、跡形もなく失われた。

 そして、事態は根本的に解決には至っていなかった。魔物はまだ大陸に残っていたのだ。まるでそうすることこそが生きる目的だとばかりに、あらゆるものを喰らう凶暴な獣共は。

 その数はわずかであっても、繁殖を重ね少しずつ、しかし確実に増殖していくだろう。それに対し、人類とルーンの生き残りの数も、同様か、それ以上に少ない。失われた生活を取り戻すことさえ難しかった。その上で、変わらず魔物の脅威にも晒されることとなるのだ。

 これでは、結局滅びる運命には変わりないのではないか。誰もがそう考え、絶望した。



 ……いや、違う。

 まだ終わってはいない。すでに空に虚空はない。それなら魔物の増殖にも必ず終わりは来る。

 ならば我々は戦い続けなければならない。生き延びなければならない。


 そう叫ぶ者が現れた。彼はルーンと協力し、人類が彼らの術理を扱えるようになることで、魔物を撃退するだけでなく、失われた文明を再び取り戻そうと――――否、新たな文明を築き上げようとした。

 多くの者が彼に賛同し、その流れは徐々に大きくなり、ついには全てが焼き尽くされたハンブルク大陸に、再び国家が成立するにまで至った。

 彼の名は、キスケ・フォン・ゲルマニアといった。


 キスケが国を建てたその時より、彼が奮起したその日を元年として、後災暦(AD)という時代が始まった。

 人類は失われたかつての歴史から決別し、新たな歴史の歩を進めたのである。

 空に穿たれた魔界の門。そこから現れる魔物と、ゆえも知らず現れた竜。それらとの戦いは“虚空戦役”と呼ばれ、人々の間で語り継がれることとなった。



 それから二百という歳月が過ぎた今となっては、もう昔の話だ。



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