23.浴場
組合の建物から南西方向、九番の門へと続く大通りを少し進んだところに、クロスロードにいくつかある公衆浴場の中でもっとも大きなそれがあった。
魔術のおかげで木造家屋の耐久性が向上しているためか、浴場も木組みで建てられていた。その風情は西洋というよりも日本のそれに見える。昔旅行で言ったことのある有名な温泉を思い出させた。
あまり大きいとは言えない出入り口には絶えず人が出たり入ったりしていて、その賑わいは組合の案内所とそう変わらない。まだ真っ昼間だっていうのに風呂に入る奴がこんなに多いなんて、暇人ばっかりなんだな。
……いや、俺だってそうなんだが。
巨大な櫓か何かを彷彿とさせるような浴場の建物の前にぼんやりと立っていた俺の後ろ手を、また少女が引く。
「ニイハラ。あのさ、だからこういうところは――――」
言いたいことは分かっている。これでは昨日の、大衆食堂前での一件と同じだと言うのだろう。
が、今回はそれとは違う。
気まずそうな顔をする少女の前で、俺はこれみよがしに報酬で受け取ったイエズの束をひらひらと振ってみせた。
「世の中やっぱりコレだよ。金さえあればどうにでもなるのさ。その他大勢と一緒にいるのが嫌なら。金にモノを言わせて俺達だけで入ればいい」
「私が言うのもなんだけど、ゲスな……」
そうして、そのまま彼女を連れて中に入る。出入り口は狭いが、入ってしまえば中は思っていたよりも広い。浴場に続く通路の前の番台には、数人単位が並んで次々と客を捌いていた。
その中のひとりの前に出る。
「貸し切りの浴場があるって聞いたんだ。そこを使わえてもらっていいか?」
俺の声を聞いた受付の男が、一瞬呆気にとられたような顔をした。
前もって、この大衆浴場には大勢が入るそれとは別に、個人が利用するための個室付きの浴場があることは知っていた。俗に言う“○◯の間”という奴だ。そこを借りてしまえば、風呂に入るのは俺と少女の二人しかいなくなる。周りの目なんぞ一切気にせずゆっくりしていられるわけだ。
とはいえ、その分それなりの値は張る。本来ならば王族関係者の貴族だとか、あるいは上位の階級の再征者が出先で一休みするために利用するものであって、俺のようなしがない《兵卒級》が使うことはあまりないのだろう。
受付の男が眼を丸くしたのはそういう理由だ。
が、そこはこの街で一番人気の浴場のスタッフだけある。すぐに気を取り直して、手元の台帳を確認して部屋の空きを確認してくれた。
「はい。すぐにでもご利用していただけますね。お代は1290キリになります」
一回風呂に入るだけにしてはどうも割高な気がするが。それでも今の俺にとってはこんなものはした金ですらない。これなら依頼の報酬どころか、この間ゲオルグに依頼した換金の金だけで事足りるだろう。
涼しい顔で懐から銀貨を十三枚出す。
「ほら、釣りはいらない」
「いやそう仰らずに、今更チップなんて流行りませんよ。はい、これがお部屋の鍵とお釣りになります」
……一度は言ってみたい台詞だったんだが、まさかこうもあっさり返されるとは。
とりあえず釣り銭の10キリと一緒に部屋の鍵を受け取る。まぁ、確かにたった10キリ如きで偉そうなこと言っても逆に滑稽か。
「あちらの階段を上がって、三階になります。ご利用は二刻までとなっておりますので、それまでの間どうぞごゆっくり」
という案内を聞き流しつつ、言われた通りに通路の脇にあった階段を昇っていく。
そうしてその先の通路に並ぶいくつかの扉の中、もらった鍵に書いてあるのと同じ番号の扉を開ける。
いっそこれも襖とかだったら風情があってよかったのだが、実際はよくあるノブ付きの木製ドアだ。
扉を開けた奥には、一休みできる程度の小さな個室があった。前もって頼んでおけばちょっとした食事も持ってきてくれるそうだが、今回は別にいい。
とはいえ部屋の隅に、ある種の冷蔵庫のような小さなボックスがあって、その中に仕舞ってある飲料の類は自由に手を付けていいらしい。その辺もお代に含めているというわけだ。だったこちらは頂いておかないと損というものだろう。
個室の奥にはまた別の扉があり、その向こうには脱衣所と、待ちに待った浴場がある。
「さて、まさかとは思うが、俺が一緒に湯船に浸かろうなんて言うスケベ野郎だとは思ってないよな?」
「……私は別にどうでもいいけど」
「だーかーらー。そりゃあまだ知り合って二日と経ってないけど、いいかげん俺の考えも察してくれよ!入るのは別々だ。二刻あればそれでも充分間に合うだろ。どっちが先に入る?」
冗談を真に受けられて呆れつつ、改めてこう切り出しても向こうは応えず黙り込むばかりだ。
まぁ、『これとこれどっちがいい』と聞かれてもそれこそどうでもいいわけだし、いっそこっちでさっさと決めてしまうか。
「じゃあ、あんたから先入れ」
「分かった」
返事しつつ、彼女はそのままそそくさと奥にある扉の方へと向かう。そうして扉に手をかけたところで、俺はあることを思い出して呼び止めた。
「あ、そうだ。脱衣所で脱いだ服な。ちょっと借りとくから」
「……やっぱスケベ野郎じゃん」
「洗うんだよ!服だって泥だらけなんだから、折角風呂入ってもまた汚れたの着たら意味ないだろうが」
「あ、そうか。分かった、よろしく」
慌てて弁明する俺の言葉に合点がいった様子で、そのまま少女は扉を開き奥に入っていった。
そうして数分ほど――――といっても、この世界における時間の最小の単位は“日刻”、つまり時間だ。秒や分の概念はないらしい。そのため細かい時間は脈拍だとか、それこそ一定量の砂が落ちるまでの長さだとかで計っているようだ。この辺りは、文明のレベルがどうこうというよりも、そこまで時間に頓着しないおおらかさというものの現れなのだろう。一度滅びかけたくせに、この世界はこういうところで妙に呑気なのだ。
そんな世界の常識に倣って、正確に測定したわけではなくあくまで体感で数分。それだけ待ってから、俺も少女の後に続くように脱衣所に入る。
貴族向けと言っても、木組みの建物の外観は質素そのものだ。脱衣所も、棚の上に大きな籠がいくつか並べてあるだけだった。いくつかの籠の中にはバスタオル代わりの布が畳んで積まれてある。これじゃほんとに銭湯そのものだな。なんか親近感が湧いてきた。
それはそれとして、籠の一つに乱暴に放り込まれていた少女の衣服を拝借する。
……まぁ、いまさら女の、ましてや年端もいかない子供の衣服に何を感じるわけでもない。デバートで玩具屋に向かう途中婦人服売り場を通る時に、下着が眼にちらついてドキドキする小学生のガキじゃあるまいし。
とはいえ、脱衣所のさらに奥にある扉。その先にある浴室に今まさにいるであろう少女のことになると少し話は違う。
そりゃあ、俺だって男なのだ。今まさに扉ひとつ隔てた先に、いくら未成熟であろうと裸の女がいるとなると、さすがに意識せずにはいられない。
無意識の内に耳をそばだてていると、向こうから少女の吐息が微かに……
「お゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛~~~~~……」
まるでおっさんじゃねえかよ。クッソくだらん緊張して損した。さっさと用事を済ませよう。
「服借りるぞ。すぐに戻す」
「わ゛か゛っ゛た゛~~~~~」
俺は脱衣所を出て個室に戻った。
そうして早速、借りてきた少女の服を洗濯する。
といっても、部屋の中には当然ながら洗濯機なんて便利な代物はなく、それどころか水桶の類すらないので、とても何かを洗うことなどできそうにない。
とはいえ……
――――ここまできたらもったいぶることもないだろう。要は魔術を使えばいいということだ。
「《遊離》」
水と風の属性を持つ魔術を発動する。そうすると、俺の腕に抱えられていた衣服がひとりでに(正しくは根源の力によって)空中に浮かび上がり、何かにかき回されるようにぐるぐるとその場で動き出した。さながら洗濯槽に適当にぶち込まれ、そのまま水に揉みくちゃにされる服のようだ。
水の根源により形質が変化した物体を、風の根源により引き剥がす。物質を構成する成分を分離するための魔術であるが、使い方次第ではこうやって、服についた汚れだけを文字通り浮かせて取る即席のランドリーになるというわけだ。しかも、実際に水を使うわけではないので洗い物が濡れることもない。
もう何度同じことを言っているかも分からないが、魔術とはつくづく便利なものだ。こうなるともう、俺が元いた世界の方が不便なんではないかとさえ思えてくる。
衣服から引き剥がされた汚れは、なんとも言えないくすんだ色の塊となって一箇所に集められる。
それを俺は、個室にあった窓を開けて外へと放り出した。
「《還元》」
詠唱を唱えると、外に放り出された汚れの塊は跡形もなく消滅した。正しくは、形のあるものがその形を失ったのだ。
この世のものは全て根源により構成される。泥やら埃やら、後はまぁエンガチョな話になるが汗やら垢やら、そういった類のものであろうと、元を正せば同じものより生じたものだ。
それらを元の姿――――根源へと立ち返らせるのが《還元》の魔術だ。
理論上はどんな物質であろうと根源へと還元することはできる。生きた人間だって対象にできるが、当然ながら《還元》を発動するのにも根源が必要になる。複雑なものを標的にすればその分必要な燃料も多くなり、還元された根源よりもそのために使った量の方が多いということになりかねない。
まぁ、今回は小指の先ぐらいの大きさしか無い、何やらいろいろ汚いものをごちゃ混ぜした塊だ。そんなものを還元するのに使う根源など大したものではないし、還元されたことで生じるものもたかが知れている。
ただ、汚れの塊なんてものをそのまま部屋の中に放置していたんでは、後々この部屋の後片付けに来るであろう浴場の従業員に後で申し訳がないないと思い、こちらで処理させてもらっただけだ。
数秒もすれば洗濯は終わった。踵を返してまた脱衣所に戻って、元にあった場所に借りた服を戻し、また個室へと引き返す。俺の着ている服はそれほど汚れているわけではないが、後で同じ要領で洗濯しておくか。
なんにせよ後は、少女が風呂から上がり、俺の番が来るのを待つだけか。
ふと、そういえば部屋の中に冷蔵庫のようなものがあるのを思い出した。
部屋の片隅にぽつねんと鎮座ましましていた小さな木箱へと近づき、扉を開ける。それと同時に、奥から冷気がほんのりと漂ってきた。熱を奪う魔術が使われているのだろう。何の変哲もないただの木箱にしか見えないものが、確かに冷蔵庫の役割を果たしていた。
そうして中には、数本の硝子の瓶のようなものが入っていた。その中には、黄色い液体がなみなみと満たされている。なんというか、商品名を言ってしまっていいのかも分からないが、某リアルなゴールドみたいな見た目だ。
瓶には紙製のラベルが貼られており、そこには『デミ・エリクサー』と書かれていた。
デミ・エリクサー――――まぁその名の通りエリクサーの亜種ということだろう。
おそらくは、俺が依頼場所の牧場を離れるときに少女に飲ませた即席の栄養剤と同じで、種々の成分を魔術により凝縮させた飲み物なのだろう。あるいは、液体そのものに根源を作用させているのかもしれない。まさしく魔術により生成された薬、すなわちエリクサーというわけだ。
亜種とついているのでその効果は本物には劣るのだろう。というか本物のエリクサーなんて、こんな浴場の休憩場所に置いていていい代物じゃないが。
……確か、部屋に置いてあるものは勝手に飲んでいいということだったな。
俺も先の依頼で少しは生命力を消費した。それを補えるのなら頂かない手はない。少女が風呂に入っている間に一本もらっておくとしよう。
木箱の中から一本の瓶を取り出して、コルクの栓を引き抜きそのまま口元に運んで、中身を喉へと流し込む。
――――!!??
「ア゛ーッ!効くゥ!」
キンキンに冷えた液体が食道を流れるその傍から、全身へと染み込んでいくかのようだ。体中の細胞が活き活きとし、力がみなぎってくるのを感じた。依頼から戻ってきた身体にわずかに残っていた疲れなど、一瞬の内に吹き飛んだ。
これはとんでもない代物だ。伊達にエリクサーの名を冠しちゃいないな。これで炭酸なんて入っていた日にゃ、依存症になってもおかしくなかった。
まさしく文字通りの“魔剤”だ。
俺の断末魔のような感嘆を聞きつけたのか知らないが、ほどなくして更衣室の扉が開き、少女が出てきた。《遊離》で洗ったおかげでおろしたて同然にまで綺麗になった服を着て、肩にバスタオルをかけている。
温まった身体から熱気が立ち込め、頭のてっぺんから湯気となって浮き上がっているのが見える。
「服洗ってくれたんだ。ありがとうニイハラ」
少しばかり上機嫌に見える顔でそう語る声を聞きながら、入れ替わるように俺も脱衣所に向かう。
「じゃ、今度は俺が入ってくるよ。……そうそう、そこの木箱の中にデミ・エリクサーとかいうものが入ってるぞ。さっき俺があげた栄養剤なんてただの苦いだけの汁にしか思えないぐらい効果あるから、一本飲んどけ」
とだけ言い残して扉を開け、奥へと入る。
そうして、着ているものを全て脱ぎ、先程と同じように《遊離》によって汚れを取る。
その間、扉の向こうからさっき俺が発したのと同じような声が聞こえてきた。
「ア゛ァ゛ーッ!ぎ、効゛ぐゥ!」
「……」
俺みたいな奴ははともかく、こんなの女の子が発していい声ではないんだが……まぁいいや。
そのまま脱衣所の奥にある扉も開け、いよいよお待ちかねの浴室へと入った。
浴室は石造りを基本とした、所謂テルマエというものを幾分か小さくしたような外観をしていた。木造の建物に対しては若干不釣り合いでどうにもチグハグな感じではあるが、今更気になるものでもない。
……そういえば、この温泉自体はどこから湧いているのだろう。普通に考えればこの浴場の地下に源泉があるのだろうが、なにせこの世界には魔術がある。案外、単なる地下水か何かを火の根源でも使って温めているのかもしれない。そして、温泉そのものにも、先程のデミ・エリクサーと同様に何らかの魔術が付与されているとも思われる。
まぁ、事実がどうなのかは分からないし知るつもりもない。とにかく入ろう。
湯船の横に置いてあった小さな風呂桶で少し身体を流してから、そのまま肩まで一思いに浸かる。
――――……!!!!!!
「お゛……お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛~~~……」
あ、出ちゃう。声出ちゃう。
さっきのデミ・エリクサーが身体の内側から染み渡るのなら、こっちは外側だ。
全身の細胞という細胞に熱が染み渡る。そのまま身体の中にある悪いもののあれこれが毛穴から流れ出ていくようだ。
実際、こちらの予想どおり温泉そのものに《活性》に近い魔術が付与されているらしく、浸かれば多少の傷ぐらいなら塞がるだろうと推測された。その上、湯と一緒に高濃度の根源が浴室内に満たされているようで、失われた生命力も補ってくれることだろう。
この温泉とデミ・エリクサーの効果。その二つが複合されれば、それこそ死人でも生き返りそうだ。
そりゃあ1290キリも貰うはずだ。こいつはとんだ名泉だ。これだけの効果があるのは貴族向けのこの湯だけかもしれないが、ここが繁盛するのも納得だろう。このまましばらくゆっくり浸かっていくか。
そうして、風呂の中で眠って脱水症状で死ぬかもしれないがもうそれはそれでいいか、などとぼんやりと考えながら、時間を忘れて温泉に浸かっていた。
が、不意にどこからともなく声が聞こえ、石造りの浴室に反響する。
「ねぇ」
「うわっ!びっくりした……」
少女の声だ。脱衣所に続く扉の向こうから聞こえてくる。
ま、まさか覗き!?……ってそんなわけがないか。
「ど、どうした?」
気を取り直して彼女の声に応える。
「いや、別にどうかしたとか、そういうんじゃないんだけど……。こうやって暖かいお風呂に入ったのなんて、もう何年ぶりだろうって。私、さっきの依頼でだってロクに働いちゃいなかった。むしろニイハラに迷惑かけるばかりで、それなのに、こんなことしてもらってホントにいいのかな。って思って」
「あぁ、そういうことか。何度も言ってるだろ?俺がやりたくてやってることなんだから、あんたは気にするな」
「……」
俺の応えを聞くと、そのまま少女は扉の向こうで黙り込んでしまった。
少し思いつめている様子であるのは見なくても分かったが、同時にそれ以外の何かが混在しているようにも感じられた。
その何かの正体は、しばしの沈黙を破って続いた彼女の声が自ら教えてくれた。
「それでもやっぱり、受けた恩は返さなきゃいけない。それが人として正しく生きることだって思うから。ニイハラは私の面倒を見ると言ってくれた。それはいい。それなら私だって、あなたが契約するだけの有能な再征者だってことを見せなきゃいけないんだ」
「……つまり?」
「次の依頼でも私は戦うよ。今度は今日みたいなことには絶対にならない。生命をかけて、あなたを手伝う。信じて欲しい」
「そうか」
決まりだ。
風呂から出たらもう一度取引所に戻って、改めてゲオルグに指定した素材を集めてくるように依頼する。
明日からも忙しくなりそうだ。




