21.ゲット・バック
ようやく分かった。俺はなんて奴だ、今になってやっと理解できたなんて。
先程、彼女が自ら死にに行くように見えたのは、何も間違いではない。実際そうだったのだ。少女は死のうとしていた。
俺がゼアの森でやった行いは、偽善どころではない。人の正しい営みを歪める行為だったということを、もう一度思い知らされた。
彼女の思い出話(と言うにはあまりに悲惨過ぎる)を聞けば、ある意味仕方がないと思うところもある。
確かにこれは、死んだほうがマシかもしれない。俺にもそれは否定できない。実際のところ、あの時に本来取るべき合理的な選択は、彼女を見捨てることだったのかもしれない。そんな考えが脳裏を過る。生き残ったところで、その先に真っ当な未来などないのだから。
だから彼女は、あの森で魔物に喰われることを半ば受け入れていた。それが、彼女にとっては救いになるから。生きているだけ辛いだけの人生を終わらせることができるのだから。
それを俺は助けた。壊れていく生命を繋ぎ止めた。少女は終わっていくはずの人生が続くことに困惑したまま、再びこの悲惨な世界に置き去りにされてしまったのだ。
それでも彼女はなんとかしようとした。永らえた生命に意味を見出そうとして、俺なんかの手伝いのために戦おうとした。
が、それも無理だった。
無理やり引きずりだされた死の沼の深さはすでに心に染み付いていて、奮い立とうとする身体を苛む。彼女は過酷な生活の中でも失うことのなかった唯一の自尊心、周りの全てを見捨ててでも生きようとする執念すらも、死の恐怖を経験することで喪失してしまったのだ。そして、今の彼女には何もなくなってしまった。
だから今この場において、襲い来る獣に飛び込んで、死にに行ったのだ。今度こそ人生を終わらせようとして。
……こんなの、あまりにも可哀想だ。
そしてそんな彼女に、俺は何をしてやった?
この依頼が終われば、契約も解除。互いの関係は終わり。
そんな彼女の、おそらくはもう出来もしないであろう強がりをバカ正直に聞き入れた。
なら、これでもう終わりなのか?
こんな、こんな結末で終わり?
冗談じゃない。これではあまりにも無責任すぎる。
過ぎてしまったことはもうどうしようもない。彼女は心を蝕まれたまま無理やり生かされた。他でもないこの俺の手によって。
だったら、自らの行いの責任は自らで取れ。
生きるという事は、刹那的な行動の繰り返しではない。全ての行いはその先へと連続している。その地続きになっている未来をよりよくするために人は生き、その結果を見届けてから死ぬ。
それは何も、自分自身だけのことではないはずだ。俺は少女の人生に介入し、そこに関わってしまった。そうである以上、もう俺は彼女とは他人ではない。
だったらこれで終わりにはするな。繋げてしまった生命への責任を取れ。
彼女の人生を、その最後まで見守るべきだ。
……見守らなければならない。
そうだ。やらなければならない。
それは脅迫でも呪詛の言葉でもない。自らを奮い立たせ、行動を起こすための意志の表明だ。
やらなければならないことなら、俺はやる。これまでだってそうやって生きてきた。
――――彼女は相変わらず、虚ろな目でぼんやりと俺の方を眺めている。
俺はもう一度静かに語りかける。
「まだあんたにはできることがあるはずだ。だからそれを諦めるな。このまま人生を無意味に終わらせて、それであんたは悔しくないのか。あんたを食い物のしようとした奴ら、こき使ってきた連中を見返してやりたいとは思わないのか」
そこまで聞いて、彼女はようやく口を開いた。
「どうでもいいよそんなこと。あんな奴らのことなんか知らないし、考えたくもない。勝手にすればいい」
「……」
「でも……そうだよ、悔しいよ。本当は私にだって何かができるはずなのに、それができないなんて嫌だ」
「だったらできるようになれ。俺がその手伝いをする。必要だっていうのなら、なんでもしてやる」
「……なんでもって、なんで赤の他人のあなたがそこまでやるの。そんなのこっちから願い下げ――――」
また彼女は強がりを言おうとしている。
だが、これも前々から気づいていることだった。彼女は強がればそうするほど、むしろ余計に弱々しく見えてしまうのだ。
俺は少女の手を握りしめた。
「正直に言えばいいんだ。人間っていうのは清濁併せ呑む生き物だ。浮世の苦楽は壁一重、今まで散々悪意に晒されてきたんなら、もうそろそろ善意を受け入れてもいいはずなんだ」
少女は視線降ろし、俺から眼をそらして少しの間黙り込んだ。
それから聞こえてきたのは、ややもすれば聞き取れないほどの小さな声だった。
「……助けてほしい」
「……」
俺は何も言わずに聞く。
少女はもう一度、今度は視線を上げてもう一度俺の顔を見据え、はっきりとした声で自らの思いを吐露した。
「どうにかしてほしい。私独りじゃ何をどうすればいいのかも分からない、ずっと分からなかったんだ。なんとかしてよ!」
「なら帰ろう。まずはクロスロードに戻って報酬を受け取りに行こう。俺とあんたの戦いの成果だ。それを受け取って――――そうだな、風呂に入ろう」
「……お風呂?」
少女の拍子抜けしたような素っ頓狂な返事が聞こえる。
「そうだ。熱いぐらいの風呂だよ。自分の身体が泥だらけで汚れてるのに気づいてるか?それを綺麗に流してさっぱりしよう。そのついでに、今までこべりついていたいろんなものも洗い落とすんだ」
「……うん」
俺は疲れ切った少女の身体を背負って。そのまま雑木林を後にした。
神様から与えられた肉体だ。今更人ひとりの重さなど苦にもならない。
そうであるはずなのに、背中に感じる彼女の体重が、やけにずっしりと身体にのしかかってくるようだった。
正直に言うと。俺は別にこの世界が最終的にどうなろうと、それはそれで構わなかった。神様だって嫌ならやらなくていいとさえ言っていたのだ。仕事は勿論出来る限り行うが、結果的にそれが失敗したとしても、それは甘んじて受け入れるつもりだった。この世界に生きる住人達には気の毒なことだが。
元々俺はそういう奴だったんだ。世の中全てが上手くいくわけではないんだから、その場その場で一喜一憂する必要なんてないんだと、そう嘯くような人間だった。失敗したならそれまで、悪いことは悪いことで、抗い悔やむだけ余計な労力だと。
だが、今度ばかりはそんなことを言ってられない。
この仕事は、何が何でもやり遂げなければいけない。もう、世の中を冷めた眼で見るのはおしまいだ。
理由ができた。
俺は、この子のために世界を守る。
この二度目の生命を賭して。
※
雑木林を抜け、牧場へと戻ってきた。
待機していた荷台に少女を座らせる。
それから俺は彼女に、木製の小さな容器を差し出した。200mlのアルミ缶程度の大きさである。
「なにこれ?」
「さっきの雑木林な、果樹や薬草の類が多かったみたいだ。草食動物にとっては住みやすい環境だったんだろう。だから《スキゾイドッグ》みたいな肉食獣が移り住むのにも都合がよかったんだ。連中にとっても獲物が多いってことだからな。……で、少し拝借させてもらった。果実と薬草から成分を抽出して液体として再生成した。いうなれば即席の栄養剤だな。これを飲んでしばらく荷台で横になってれば、少しは体力も戻ってくるだろう。味は保証しないが」
「……ありがとう」
少女はそのまま容器を受け取り、アルミ缶のノブ代わりに飲み口に差し込んであった栓を外し、そのまま勢いよく中の液体を飲み込んだ。
喉を鳴らして胃袋へと流し込むなり、
「う……っ!」
といううめき声を上げる。
「毒物みたいな味……」
「毒は薬の別側面、効果がある証拠だよ。それじゃ、出発するか」
《風の馬車馬》を再展開。荷台の周囲に巻き起こった形ある風が動き出し、俺達を乗せた馬車は牧場を離れ、クロスロードへの帰路についた。
都市から出発する前に待っておいた、懐中時計のような形の小さな日刻盤を懐から取り出す。
今の日刻は“表の四”。もうそろそろ腹も空いてくる頃合いか。クロスロードに戻ったらまず案内所で依頼達成の報酬を受け取って、その次に昼食にでもするか。
いや、汚れた格好で食事にするのはさすがに衛生観念上よくないし、やっぱりまずは風呂に入るか。
などといったことを考えていると、荷台に座っている少女が不意に声をかけてきた。
「ねえ」
「どうした?」
「私にもできることがある。さっきはそう言った。けど、正直具体的にこれから何をすればいいのか分からない……どうすればいいんだろう」
「ふむ。まずは、その《下級》っていうくだらない地位から抜け出すのが一番の目標だな」
少女の言葉に俺はさらりと応えて見せた。が、それがいかに困難なものであるのかはこちらも分かっている。
先述したが、再征者はその能力と成果に応じて階級を上げることができる。それは勿論、《下級》であっても例外ではないのだ。
困窮者や犯罪者としてこの地位に貶められたものであっても、条件さえ満たせば真っ当な再征者として自由の身になることもできるというわけだ。まぁ、再征者自体そう自由な職業でもないが。
実力主義のゲルマニア王国らしい制度だ。国のために利益を生み出すのなら、過去に何があろうと関係ないということなのだから、初代国王であるキスケ王の気前の良さが二百年の時を経て感じられるかのようだ。
が、実際のところそれは、世の中の底辺から這い上がるということだ。生半可なことで許されるものではない。
俺の返事を聞いた少女が、暗い口調で続ける。
「それができるってことは私だって知ってる。でも無理だよ……」
少女がこんな調子になるのも分かる。
《下級》が上位の階級――――《兵卒級》に昇格するための条件は主に二つある。
ひとつは、万人が認めるほどの英雄的な成果を上げ、ゲルマニアの中央政府から認められて恩赦を与えられること。
だが、これはあまりに曖昧で、かつ厳格な条件である。その厳しさは、再征者の頂点である《勇者》になること以上だろう。何をもってして英雄的成果とされるかなど、正直俺にも分からない。仮にそれが可能であるとしても、相当な危険か、莫大な歳月のどちらかが生じることになる。それを彼女に強要するのは酷であるし、あまり現実的な方法であるとも言えない。
では、もうひとつの条件。
この世界においては、“稀宝”と呼ばれるものが存在する。滅多なことではお眼にかかれない宝物の類だ。
大地の底の奥深くにほんの僅かに眠る鉱石、突然変異により生じた稀少な動植物、どこかに秘匿されているという世界の真理を記した手記――――などなど、よくある話だ。よくある話だが、実際に眼にしたものは誰もいないような、そんな代物。
そういった“稀宝“を手に入れ、国に提供する。そうすることでも恩赦が与えられ、《下級》の称号を返上することもできる。
そうでなくても、国からの謝礼で死ぬまで遊べるような金が得られるのだ。となれば、誰もがその稀宝を求め探索する。が、古今実際にそれを果たしたという記録は片手で数えられるほどしかない。そもそもそういった眉唾ものな宝が実際に存在するのかも怪しいところであるし、仮に存在するとしても、それを手にするための行程には多くの試練が待ち受けることだろう。
そういう意味では、これもまた困難な方法ではある。というか、並大抵の人間にとってはほぼ不可能と言っていい。
どっちにしろ、《下級》がその地位から抜け出すというのはそれほどに過酷ということだ。
方法は、余程の例外がないかぎりはこのふたつしかない。そしてどちらがより現実的かというのなら、後者の方だろう。曖昧模糊な英雄的戦果とやらを目指すよりも、稀宝を見つけ手に入れるという方がまだ具体的だ。手に入れさえすればそれでいいのだから。後は要するに、その稀宝の所在さえ突き止めればいいだけだ。
実際に稀宝とされるものが国に贈呈されたという記録も存在しないわけではない。確かにあるのだ。前例があるというのは可能であるということの証左だ。
彼女のために、まず第一にやるべきことがあるとすればこれだ。稀宝を手に入れて国に送りつけ、重しのように課せられた《下級》という不名誉極まりない称号を払拭する。
今のままでは、彼女は八方塞がりだ。国の規律によって制度として奴隷にさせられている状態では、できることには限界がある。まずは彼女の立場を、社会的に自由で真っ当なものにしなければならない。
確かに、彼女が不安に思うだけの困難な道程ではある。が、なんとかやってみるしかない。
「勿論、今すぐにとは言わない。俺が考えているのは稀宝を手に入れて国に提供するって方法だ。とはいえ、これまで誰も見つけたことすらないような宝を手に入れるっていうんだから、かなりの準備が必要だろう。結構な時間もかかるかもしれない。しばらくの間はあんたには《下級》のままでいてもらうことにはなる。申し訳ないがな」
「それは別にいいけど。他人にそこまでしてもらうなんて、なんか申し訳ない……」
バツが悪そうに少女は言う。
……ふむ。こういう気持ちも分からなくもない。
が、そもそもの話だ。
「あのな、あんたはもう少し他人を頼りにしていいんだ。自分ひとりでなんとかしようとするのは分かるし、今までだってそうやってきたんだろう。でもな、世の中ってのは実際のところそうじゃないんだ。人間は生まれたその時から他人を利用して生きてる動物なんだよ。
――――考えてみろ。まず親なり何なりから教育を受けて知識を得る。あんただって、孤児院もどきの身売り屋で、勉強ぐらいはさせてもらったはずだ」
「うん。認めるのは嫌だけど、あそこで育てられなかったら、今の私は言葉だってまともに話せていなかったと思う。っていうか、そもそも生きてすらいないか」
「だろ?で、社会に出て他人と協力して利益を出し、報酬を得てそれで飯食って生きるわけだ。その報酬をくれるのも他人だし、飯だって自分じゃなく他の誰かが作るかもしれない。昨日食ったダネルは美味かったよなぁ、あれはあんたが作ったのか?違うだろ。それだけじゃない、飯の材料だって農家が手間暇かけてこしらえてくれたものだ。考えても見ろ、ヒトなんてぼけーっとそこら辺に突っ立って生きてるその時点で、他人に寄生してるんだよ。俺だってそうなんだぜ?自分一人で何かをやったことなんて一度もない。言い切っていいが、俺だって独りじゃなんにもできやしない。……どうでもいい話になるが、そもそも生き物なんて雄雌のつがいでなけりゃ繁殖すらできないんだ。本当にたった一個体で生きていけるなんて、単細胞生物ぐらいのもんだ。『自分はひとりで生きていける』なんて言ってる奴は、アメーバかゾウリムシに憧れてるただの自意識過剰のアホだと俺は思うね。
……だからまぁ、要するに他人に頼ることを恥ずかしいと思っちゃ駄目だよ。俺は俺がそうしたいからあんたと一緒にいるんだ。別に迷惑でもなんでもないからな。むしろ押し付けがましいんじゃないかとこっちが不安なぐらいだ」
「……あめえば?ぞおりむし?」
「ネバネバで生き物なのかただの泥なのかもよく分からない変なヤツと、米粒よりもちっちゃい虫のことだよ」
というか。そもそもこうやって偉そうに言ってる俺自身、神様から力を与えられてここにいる。クロスロードに入都するときだって、いけ好かない色男のルチアーノに助力を求めもした。が、それを恥と思うことはない。我ながら面の皮が厚いとは思うが、世界を救うなどという大それた目的を、自分ひとりで果たせるわけがないのだ。
彼女だって同じだ。生まれたその時から詰んでいた自分の人生を取り戻す。そんなこと、ひとりでできるわけがない。誰かが、彼女を助けてやらなばければならないのだ。
誰もそれをしてくれないのなら、せめて彼女と関わりを持ってしまった俺がするしかないだろ。
「だからまぁ、繰り返すが、あんたはあれこれ気にするな。なに、時間はかかるかもしれないが、俺の手にかかればそう難しいことじゃないだろ。大船どころか、超弩級戦艦に乗ったつもりでいればいいのさ」
「 ち お ど き う せ ん か ん ? さっきから何言ってんのニイハラは」
「炎を吹き上げながら岩の塊を飛ばす大きな鋼鉄の船だよ。俺はそれだ」
「嘘くさいなあ。言いたいことはそりゃあ、その……分かったけどさ」
そろそろ中継都市の巨大な城砦が見えてくる頃合いだ。




