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異世界の黒砂糖 ~最初に出会ったのは死にかけの奴隷だった~  作者: tatakiuri
第一章 全ての孤独な人達は
20/55

20.だけど私は



 ゼアの森でもそうだ。

 俺は切羽詰まった状況に限って、判断と行動がワンテンポ遅れる。

 その遅れはせめて、行動の素早さで清算しなければ。


「――――ったく……!」

 俺はすぐさま、倒れた少女の元へと駆け寄り、彼女に覆いかぶさるような形でのしかかっている《スキゾイドッグ》の身体を引っ掴んだ。

 彼女が突き立てた光の刃は急所を捉えたらしく、すでに獣の息の根は絶えている。

「どけ!」

 それを俺は、ズタ袋のように放り投げて少女から引き剥がした。そうして、彼女の状態を確認する。


《スキゾイドッグ》の牙は彼女の首筋に食い込み、肉を抉って頸動脈を破っているようだった。

 絶え間なく噴出する真っ赤な血液が、首周りを中心にゆっくりと血溜まりを広げていた。

「……」

 そんな状態で、少女はただぼんやりとした眼で駆けつけた俺の顔を見据えていた。だが、実際に俺が見えているのかどうかも曖昧だ。

 相変わらず両手で《肋の柄ボーンカタリスト》を持っていたが、その力も弱々しく、そのまま指の間からすり抜けそうだ。彼女自身がそうしたのか、あるいは俺が近くに寄ったためセーフティが発動したのか、光の刃は解除されている。


 傷は深い。しかし、これならまだ大丈夫だ。

 ゼアの森での時に比べれば、大した負傷じゃない。

 数秒もすれば不可逆的な死に達するような致命傷でなければ、《肉体生成バースコントロールを使うまでもない。

 俺は彼女の首筋へと手をかざし、命題詠唱を唱える。


「『抗え、《活性ヒーリング》!』」


 肉体を生成するのではなく、対象の生命力に直接働きかけ細胞増殖を促進し、傷を修復させる魔術だ。

 手のひらから小さな魔法陣が展開し、それに伴って、組織が剥き出しになるほどの痛々しい傷口が淡い光に包まれる。同時に、引きちぎられていた組織がじわじわと再生し、傷を塞いでいく。頸動脈も少しずつ吻合され、出血は目に見えておさまってきた。ひとまずこの時点で、死の危険はなくなったと言っていいだろう。

 肉体を作り出すわけではないので根源エーテルの消費は少ない。とはいえ、それでも対象である少女自身の生命力を燃料として強引に治癒しているので、かなり体力を消耗するはずだ。なにせ、本来ならば長い時間をかけて再生されるはずの体組織を、無理やり短時間で増殖させているのだから、いうなれば数日分の代謝活動を数十秒に圧縮しているということだ。

 俺の生命力と大気中の根源エーテルで補助はしているものの、それこそ死ぬほどの疲労が彼女を襲うことだろう。が、それで失血死を防げるのなら安いものだ。


 とにかく、これで急を要する事態は脱した。全身に凝り固まった強張りが抜けていくのを感じたその瞬間、周囲から一斉に《スキゾイドッグ》の群れが飛び出してきた。その数は十三。おそらくは、林の中に隠れていた生き残り、その全てだろう。

 今この瞬間こそ、連中にとってはまたとない好奇であるはずだ。敵対者の一人を仕留め、それを庇おうとしているもう一人も身動きが取れなくなった。となれば、後は一斉に襲いかかり、反撃する暇も与えず食い殺せばいい。といったところか。


 ……巫山戯るなよ。たかだか魔物に淘汰された負け犬の分際で調子に乗るな。


「『複合魔術、《至近防衛戦闘術式シーウス》』」


 俺が新たに詠唱を囁く。その最後の命題詠唱により、すでに完成していた“それ”は発動した。

 瞬間、少女の前でうずくまる俺の周囲に、合計十三個の魔法陣が展開された。襲い来る獣と同じ数だ。

 それぞれの魔法陣から白い光の線が一条ずつ放たれ、まっすぐに伸びたそれらは、各々《スキゾイドッグ》を一匹ずつ捉えた。

 火の根源エーテルにより発生した膨大な熱量に金の根源エーテルにより指向性を持たせ、レーザーのごとく照射したのだ。

 眉間から肉体を貫通され、あるいは腹から背中にかけてを切り裂くように溶断され、または胸を境に右肩と左肩を分断させられる獣達。

 一斉に放たれた光線の束は、まったく同時に、現れた獣の群れをひとつとして残らず返り討ちにした。


――――《至近防衛戦闘術式シーウス》。

 《受動探知パッシブセンシング》により補足した対象を標的として固定ロックオンし、展開された魔法陣から身体を溶断できるだけの最低限の威力を持った熱線を自動的に照射する。これにより、大規模な破壊を伴うことなく、多数の敵を一度に殲滅することが可能だ。

 元々このように魔術を組み合わせることができるというのは分かってはいたので、この機会にそれを実践してみた。

 人が想像し得ること、この世に存在し得るものならばなんであろうと具現化できる。それが魔術の原理だ。となれば、その時々の状況に対して最適とされる魔術を作り出せば、どのような戦いであろうと勝利することができるはずだ。

 これは、俺がこれから異常バグと対峙するためにやらなければならないことの、ほんの一例に過ぎない。


 溶断され肉塊となった《スキゾイドッグ》が、血の一滴すら流さず林の中に飛散し、鈍い音を立てて転がった。

 その後場を支配したのは、これまでの喧騒が嘘であるかのような静けさだけだ。

 すでに周囲には獣のうめき声ひとつない。

「……《能動探知アクティブセンシング》」

 念のためにもう一度雑木林の中を探索する。隠れている対象であろうと波が掻き出すかのように洗いざらい探り当てる《能動探知アクティブセンシング》で確認したので間違いない。最初に探知した生紋バイタルプリントは、すでに残らず消滅した。討伐目標である《スキゾイドッグ》は全滅したようだ。

 これで今回の依頼クエストは達成。本来の目標よりも十倍の数の獣を狩ったのだ、文句の言いようもないだろう。この戦果は《誓約術式コヴェナントプログラム》により記録されており、組合ギルドの案内所でしかるべき方法で確認することができる。組合むこうもこちらの成果は把握しているということだ。

 となれば後は、このままクロスロードに帰還すればいい。


――――だがその前に、はっきりさせておかなければならないことがある。

 状況が終了し、安全が確保されたことを確かめた俺は、改めて少女の方に眼を向けた。

 すでに《活性ヒーリング》によって首の傷は修復し、魔術も解除され淡い光は消えていた。

 彼女は相変わらず虚ろな目でどこともいない方向をぼんやりと見つめている。命に別状はないだろうが、生命力を相応に消耗しており、その息は絶え絶えだ。


 俺は静かに彼女へと呼びかけた。そこに明確に批難する意思があったことは、俺自身認める。

「……なんであんなことをした。俺は何度も言ったよな、こんな依頼クエストはひとりで充分だって。わざわざあんたが無茶をする必要なんてなかった。むしろ命を粗末にするような真似はするなとも言ったはずだ。それなのにあんたは――――」

 こちらが全て言い終わる前に、少女は応えた。

 だがそれは、俺のこの言葉への返事ではない。彼女はただ、うわ言のように誰に言うともなく吐き捨てただけだ。


「私にだって、名前があった。誰かにつけられた名前が」

「え?」

「でも忘れた……名前なんてものはね、呼ばれる機会がなければいつの間にか忘れられて、初めからなかったように消えてなくなるものだった。でも、それでもよかったんだ、私にとっては。あんな連中につけられた名前なんて、覚えてる意味もないんだから」

「……」


 彼女が何を言っているのか、なんとなく分かった。

 俺はそれ以上何を言うこともなく、起きたまま夢を見るかのような朦朧とした意識の中で続ける少女のその言葉をただ黙って聞いていた。


 彼女の昔話。これまで生きていた記録の吐露だ。



――――――――…………


 私には親がいなかった。気がついた時にはそこにいた。私のこの身体を産んだ人はどうしたのか、今どこにいるのか、それは今も分からないし知る気もない。


 私は物心つく前から、孤児院で育てられた。そこには私と同じように身寄りのない子供が大勢いた。

 でも、実際のところそこは孤児院じゃなかった。養殖場だった。人間を肥え太らせるための養殖場だったんだ。

 私がいくつの頃だったか……十歳?十一歳?よく覚えてない。夜中にほんの冒険心のつもりで部屋から抜け出してそこら辺を散策している時に、孤児院の院長が誰かと何か話をしているのを聞いた。本当に偶然のことだった。

 話している内容はあの時の私は詳しくは知らなかった。それでも今思い返せばなんとなく分かるし、当時でもひとつだけ分かったことがあった。

 ……ここにいちゃマズいって。


 院長が話していたのは、商売相手だった。孤児院の子供を売るためのね。今の時代、行くあてもなく生活に困った人間は、誰かに引き取られるか、そうでなければ組合ギルドにしょっぴかれて《下級スレイブクラス》になるのが普通だった。でもそれはそれで、国から管理されるんだからある意味安定した生活ではあるよね。仕事さえこなせばなんとか食べていくことはできるんだから。

 だけど、世の中それだけじゃない。《下級スレイブクラス》として身柄を拘束されるよりも前に、孤児を捕まえて商売の種にしようとする連中も大勢いる。

 私が孤児院だと――――親もいないみなしごの自分にとって、生きる場所だと思ってたそこも、実際のところはそれの仲間だったんだ。

 金で売られたその後はどうなるのかも分からない。……そうだ、院長が言っていた。『こき使おうが陵辱の限りを尽くした後に殺そうが、好きにしろ』って。自分の名前も思い出せないくせに、それはよく覚えてる。何も知らずにのうのうと過ごして肥え太った子供達が引き取られる先は、それこそ人間の事を餌か何かとしか思っていないような奴らってわけだ。

 そんなことを聞けば、自分のいる場所がまともじゃないことぐらい子供でも分かる。


 じゃあどうしたかって?

 逃げるに決まってるでしょ。

 私は同じように夜中に抜け出して、孤児院から……いや、養殖場から逃げた。一人でね。

 他の子供達には何も伝えなかった。だって、下手に他の奴らに伝えればそこから足がついてしまうかもしれないんだから。そうなれば、死ぬのが売られた後から売られる前に早まるだけだ。秘密を一人で抱えたまま一人で逃げる方が、成功する確率は高かった。だから誰にも伝えなかった。

 実際それは正しかった。私は誰に追われることもなく孤児院から離れることができた。そのまま一晩逃げ続ければ、後で脱走に気づかれても、もうこっちを見つけることもできないはずだった。

 ……逃げ続けることができれば、の話だったけど。


 孤児院が誰も踏み入らないような深い山の奥に、隠れるように建てられていることを初めて知ったのがその時だった。まぁ、当然だよね。国に知られたらマズいようなことをやってるんだから。

 で、そういう山っていうのは、魔物や原生動物にとっては格好の住処になる。今度は、獣に殺される危険がつきまとうことになった。私は息を潜めて鼠みたいに這いずりながら、見つからないように、獲物にならないように隠れて必死に山を降りた。

 生きて山を降りて、身寄りのない子供を――――私を商売道具や食い物になんてしないまともな大人に会って、そこでようやく秘密を伝えるんだ。そうすれば、他の子供達だって助けられるだろう、って。

 だから私は死なない一心で山を降りた。確か、太陽が三回ぐらい昇っては沈んだ気がする。


 そうしてようやく、私は人に出会った。開口一番に言ったよ。『助けて!』ってね。

 ……でも、私が出会ったのは盗賊団だった。まともに生きられない人間が取るべき道は、もうひとつあるんだ。他の誰かから全てを奪って、それで生きていくこと。

 そうだよ。この世のクズから逃げ出した先で、またクズに拾われたんだ。

 連中は私を助けてくれた。でもそれは所詮、体のいい労働力としてだった。

 いや、あるいはもっと単純な、鬱憤晴らしのために好きにいたぶることができる体のいい弱者としてかな。

 子供の身体でできることなんて少ない。いろいろ無茶をさせられて、できなければ殴られたり蹴られたりしたよ。何もしてなくってもね。

 でも、死ぬよりかはマシだと思って頑張ってきた。二年ぐらいだったかな。死なずに過ごせたのは奇跡だったと思う。くだらない奇跡だ……


 ある日、その盗賊団が王国の警備隊に見つかり、追われることになった。悪いことしてるんだ、そりゃいつかはそうなる。

 で、奴らは私や、私と同じように無理やり下働きされていた人達を囮として捨てた。私達が警備隊を足止めしている間に、逃げようって算段だ。

 ……冗談じゃないよ。

 私はまた逃げた。勿論、他の連中なんか見捨てて。……また見捨てたんだ。

 どさくさに紛れて警備隊を撒いて、盗賊団の連中にも気付かれないように逃げ出した。運が良かったのは、警備隊はそもそも私達みたいな下っ端なんてハナから相手にしてなかったことだった。


 私はまた、地獄みたいな場所から離れて自由になれた。

 でも、自由になったところで、やっぱりできることなんて何もなかった。元々孤児で、しかも盗賊団にいた子供なんて引き取ってくれる人もいない。自分ひとりで金を稼いで生活していく宛もない。そうしたければ、それこそ身体でも売るしかなかった。でも、それはしたくなかった。それじゃ結局、何一つ変わらない、変態共の食い物になるだけなんだから。


 ……もう誰かのためになんか生きたくない。私はなんとかして。なんとかしてひとりで生きなくちゃいけないんだって。

 だから私は盗みを働いて、ゲルマニアの都市を点々としながら生きていくことにした。

 盗賊をやめても、結局盗人になるしかなかったんだ。笑える話だよ。

 でも、組織立った盗賊団でもどこかで足がつくんだ。一人でやればそうならないなんてことあるわけなかった。

 一年もしない内に警備隊に捕まった。逃げたところで、最後の結末は同じだったんだ。


 それからは――――……もう分かるでしょ。

 私は《下級スレイブクラス》になった。これで国の所有する奴隷ってわけだ。こうなったらもうどうやっても逃げられない。

 でも、さっきも言った通り、確かに《下級スレイブクラス》の生活は安定してるよ。なにせ、もう三年は経ったと思うけど、まだ死なずには済んでるんだから。


――――――――…………



「そうだ。私はもう立派な悪人だった。だから、捕まっても《下級スレイブクラス》になってもしょうがない。

――――だけど。だけど私は……しょうがないじゃないか。そうしなければ死んでたんだから。罪を犯してでも自分一人で生きなきゃ、代わりに誰かが私を辱めて殺していた。誰かから盗んで奪わなければ、どこかでくびれ死んでいくだけだった。私は……私はね、そんなクズ共と違って、人だけは殺さなかった。盗賊団にいた時も、一人で盗みをしていた時も、人殺しだけはしなかった。だから無能だ役立たずだって暴力を振るわれたし、私が見逃した誰かが警備隊に報せたせいで捕まりもした。人を殺せば、本当に……本当にもう、天国どころか地獄にすら、どこにも行けなくなると思って」


 疲労している状態で長く話をしていたせいか、あるいはこれまでの話が自らの感情を喚起させたのか、少女の息は少しずつ荒くなっていた。

 喘ぎながら吐き捨てられる言葉はもはや嗚咽と表現してもよかったかもしれない。

 そこで彼女はようやく、目の前の俺の存在に気づいたのか、こちらの腕を縋り付くように掴んできた。


「じゃあ、私はどうすればよかったんだろう。初めから頼れる人なんていなくて、それでも誰かに頼るしかなかったのに、私の周りにいる人間はどうしようもない奴らばかりだった。だからもう、一人で生きていくしかなかったけど、そんな力もなくて、だからどうしようもなかった。けど、それでも私は頑張ったよ。《下級スレイブクラス》としてなんとか生きていこうって。そうすれば、いつか、どこかで報われる時がくるって」

「……」

「そうして貴方が現れた。貴方は死にかけていた私を助けてくれたし、武器だって与えてくれた。あんな上等なもの初めて手にした。私一人で獣と戦って、生き残れるだけの力だった。私はやっと、私一人でも何かをやりきるだけの力を手に入れたと思ったんだ。これなら……これなら今度こそうまくやれる。ここから何かが変わるかもしれないって、そう思った。私の人生にだって、何か意味があるんだと証明できるって。

 で、その結果が……その結果が……そうだよ!この有様だ!結局私は、なんにもできなかった。ただ震えることしかできなかった。いつの間にか私は、何もかもを恐れて、怖くて、一人で生きる気力すらなくしてたんだ!私は独りですら生きていけないんだ!」


 嗚咽は慟哭に変わっていた。彼女は涙を流しながら叫ぶように言った。

「これじゃ、やっぱり私の人生には何の意味も価値もないってことじゃないか。こんな……こんなの、あんまりにも惨め過ぎる!こんなことなら、あのままあの森で魔物喰われて死んでしまえば良かったんだ!そうだよ、私なんて生まれてこなければ――――」


「分かった」

 俺は彼女の言葉を遮った。

 これ以上話を聞く必要はない。これから先は過去の思い出話でもなければ、意思の表明でもない。ただの呪いだ。

 『生まれてこなければ』。その先に続く言葉を、言わせちゃいけないと俺は思った。


「そんなあんたを戦わせて、やはり俺は悪いことをしてしまった」

「……」

「その上で言うが、もう二度と今みたいなことを口にするな。絶対にだ。人間ってのはな、いろいろと卑屈になっても、結局のところ自分のことが一番好きなんだよ。だから生きていける。自分なんて死ねばいいなんて本気で思ったら、それはもうお終いだ。だからあんなことは口にしちゃいけないし、思ってもいけない」


 その言葉に、少女は毒づくように言い返してきた。自らに向けた呪詛の標的は俺に変わった。が、それはそれで結構だ。

「赤の他人のあなたにそんなこと言う資格があるのか?だったらあなたが私をなんとかしてくれるの?」

「もちろん、なんとかする。もっとも、何かを成し遂げるのは俺じゃなく、あんた自身だがな」


「え?」


「契約続行だ。生きていく意味が欲しいっていうなら、俺がなんとかしてやる。あんたをこのままにはしない。絶対にだ」



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