2.新しい人生
口角を吊り上げ、自称“神様”はゆっくりと後ずさりして俺の前から離れ、そのまま先程の動きを巻き戻すかのように椅子へと座り直した。
「それじゃ、もっと具体的な話をしようか。まずは件の“世界”が、どのような場所かということだ……そうだなぁ、『剣と魔法のファンタジー』なんて言えば理解してもらえるかな?」
茶化すような神様の言葉に、二秒ほどの沈黙を置いてから俺は応えた。
「俺だって昔はそういうのによく触れてたよ。今でも好きなアニメがあってな、あれはいい作品だった。妖精の生きる世界を舞台をしていながら、戦争とその渦中にあるドラマを重視した作風で……――」
『何いきなりオタクっぽい話をしてるんだ』とでも言いたげに、怪訝そうな顔をする神様。
「え~っと、それはつまり?」
「“そういうこと”は俺にも分かる。要するに、その表現で神様の言いたいことはよく伝わった。俺が救うべき世界とやらがどういうところなのか、大方理解できたってことだよ」
「あぁ、そうかい!それならそうと言ってくれればいいのに。こちらとしては説明する手間が省けて助かる。いや、誤解しないでくれよ?手間を省いただけで放棄したわけではないからな。何も君を、一切の知識も持たないまま送り出すつもりは毛頭ない。その世界でやっていくために最低限必要な知識は、こちらから提供させてもらうから安心してくれ」
そうかい。今更それを有り難いとは思わない。仕事として依頼してきた以上、こんなことは最低条件だ。
俺は何も応えず、続く神様の言葉を聞いた。
「さて次に、これも肝心なことだが。
――私は言ったな?この《神》の力を君に分け与えてやると」
そうだ、確かに言った。最低条件というなら、これこそまさしくそうだ。
『世界を救え』などという滅茶苦茶な頼みを聞く以上、ある程度の用意というものが無ければ話にもならない。
「その世界において、行使される“力”というものはふたつある。自らの肉体を繰り行う“体技”と、自然の叡智を行使する“魔術”だ。そのどちらか、あるいは両方をもって人は戦う。君はその両方における達人になってもらう。いかなる強大な武器をも自在に操り、どれほどの脅威に晒されようと傷つくことのない強靭な肉体を有しながら、あらゆる“魔術”をも使役する。君は、神である私がデザインした限りなく優秀な戦士――“英雄”として転生するんだ」
そりゃそうだろう。それぐらいのことはしてくれないと逆に困る。
一時は何を馬鹿げたことを抜かすのかと思ったが、この神様、案外用意周到じゃないか。
しかし、にこやかな顔で売り文句をつらつらと並べていた神様は、不意に神妙な面持ちになって語気を弱めた。
「しかし、だ……。これは仕事だ。そうである以上、事実は隠さず伝えなければならないだろう。それが誠意というものだからね」
「どういうことだ」
またしても話に陰りが見えてきた。問いただす俺の言葉に、神様は訥々(とつとつ)と応える。
「正直に言ってしまうと、ここまでやっても無事に仕事を完遂できるかどうかは保障しかねる。さっきはなんでもしてやれるなんて偉そうなことを言ったがね。実際のところそれにも限度があるのさ。君に分け与えられるのはあくまでも神の力のほんの一部にすぎない。必要以上の力を与えてしまえば、君自身の生命体としての“存在そのもの”を維持することができなくなるだろう……どういうことか分かるかね?」
「力が強大すぎて、自分の身を滅ぼすってことか?」
「そうだ。いや、飲み込みが良くて助かるねえ。畢竟君は、あくまでもひとりの人間として、世界の滅亡に対抗しなければならないってことさ」
「……」
分からない話ではない。
人間、自分の持つ能力や知識を、寸分の損失もなく他人に与えることなど不可能だろう。それは神様だろうと例外ではないということだ。
もっとも今しがたの神様の言葉からは、それだけではないなんらかの意図が含まれているようにも感じられた。
要はあれだ。自分と同じ能力を持った存在を創造するとどうなるか、ということだ。猿が人と同じ頭脳を持ったら人類はどうなるか。
それを考えれば、目の前の神様の考えは想像できる。俺が神に匹敵する力を持ってしまえば、それこそ件の“異常”と同じように世界を救うどころか逆に滅ぼすことにだってなりかねないだろう。
俺としても、さすがにその事実に対してまで不平不満を漏らすつもりはない。予想はしていたことだ。神の力を貰い受けると言っても、俺自身が神になるわけじゃない。そんなこと、それこそ途方もなさすぎて逆にこちらから願い下げだ。
今更目の前で申し訳なさそうに頭を掻かれたところで別に文句はない。
それに、次にこの自称神様が言わんとしてることもなんとなく察しがついた。
なので、あえてこちらから先に切り出してやることにする。
「こっちは人間として限界があるくせに、『敵は強大』ってわけか?」
「……そういうことだ。“やつら”はある日突然世界に現れ、瞬く間に破滅と死を遍く全てに振りまいていった。人も動物も死に、草木は燃え、そのまま全ての生命あるものが消滅するのも時間の問題だった。だが、それは寸でのところで防がれた」
「防がれた?それってつまり……」
一度は世界の滅びは防がれたということだ。つまり、俺がこの仕事を頼まれる以前に世界は異常を自らで排除したことがある。あるいは、俺のように神から依頼を受けた前任者がいたということだろうか。
いや、どうもそれは違うようだ。世界の滅亡が防がれたという字面の割には、そう語る神様の顔つきは神妙だ。あるいは神妙な“ふり”をしているだけにすぎないのかもしれないが。
「いいかね?ここからが重要な話だ……異常はふたつある。いや、あるいはもっとたくさんあるかもしれない。全てを滅ぼしうるだけの力をもった――神である私にすら対抗し得る二種類以上の脅威が、その世界には存在してる。以前はその二つの異常同士が互いに潰し合う形になり、結果的に両者とも弱体化し一時的に手を引いたというだけのことなんだよ」
「いや……いやいやいやいや、待ってよ」
さすがにこればかりは話が違う。
ふたつ?
世界を滅ぼすだけの力を持った連中が、二種類もいるっていうのか。そしてそいつら俺が止めるって?
敵はそれだけの脅威だっていうのに、対する俺の方は神の力をほんの欠片ほどしか貰えないんだぞ。
こちらの驚愕とある種の辟易を他所に神は続ける。
「二つの異常により生じた大規模な破壊。それからおよそ二百年の歳月が過ぎた。生き残った人間達の手で復興は進み、生活も再生してきている。だが不十分だ。かつての、戦いとも呼べないような殺戮の傷跡は今も残っている。そんな状況で異常がどちらか片方だけでも再び現れてしまえば、今度こそ世界は終わるだろう。
そして、異常っていうのは嫌な時ほどよく現れるから厄介なわけで、私はやつらが再び現れる予兆を察知した。どちらか、あるいは両方の異常が近いうちに世界に再出現する。ほぼ確実と言っていい確率でね」
「……具体的にいつ現れるのかは分からないのか、神様のくせして」
「分からんね、『神様のくせして』な。感じたのは予兆だけだ。そしてさっきも言ったが、私ひとりでは異常は止められない。私にできることは連中ごと世界そのものを滅ぼすだけだ。が、それはそれで困る。だから私はちょいと知恵を振り絞ってこの方法を思いついた。これが、君が今ここにいる理由というわけだ。理解したかね?」
神様はそこで一旦話を切った。要するに、今するべき説明にはひとつ区切りがついたということだ。
となると、後は俺がこれまでの話を飲み込むしかない。
「理解は――理解はしたけどさ……」
俺は座ったままうつむいて項垂れる、そうして額を掴むように押さえて唸った。一度息を大きく吸い、そして吐く。
一度は楽観的なことも考えられたが、どだい最初から無茶苦茶な話だった。
何故、よりにもよって俺がこんなことを頼まれなければならないんだ。俺に、こんな大仰なことを果たせるような価値があるのか?
……いや、逆か。あるいは価値がないから、なのかもしれない。
ふと、また自分が死ぬ瞬間のことを思い出してしまった。痛く、恐ろしい記憶だ。正直さっさと頭の中から消えてなくなって欲しいと思う。
だが、未だに微かに残っている苦痛よりもより色濃く思い出すことができたのは、ある種の諦めだった。
生きていることに特別喜びがないから、死ぬことそのものには未練はなかった。
ただ、どうせ死ぬなら痛くも苦しくもなく楽な方法ならよかったのにと、そう思っていただけだ。
そうして、次に考える。
世の中、全員が俺のような人間ではないだろう。希望に満ち、達成すべき目標も持ち、人を愛する心がある。そういう意義にも価値にも溢れている人間の方が、きっと世の中にははるかに多いはずだ。勿論、俺が今しがた救えと言われた世界にも。
そんな人達が、みんな等しく死のうとしている。俺みたいに、前触れもなく死のうとしている。
それは駄目だろ。
そういう貧乏くじを引くのは――理不尽に死んだり殺されたり、馬鹿みたいな仕事を頼まれたりするのは、俺みたいな無価値な人間の方が似合ってる。
参った。これは面倒なことだ。全くもって面倒だ。
面倒だけど……
項垂れたまま黙り込んでいた俺に、神様が呼びかけてくる。
「まぁ、なんだ……嫌なら断ってくれて構わないよ。また別の候補を探すだけだし、最悪の場合世界を見捨てるのもやむを得ない。世界を“OFF”にしてしまえば、そこに存在する異常も諸共消失する。それが一番手っ取り早い方法であるのも確かだ。力を生産するのはそこだけじゃないからね、また新しい世界をイチから構築するさ。所詮は私の個人的な事情にすぎないから、君は気にしないでくれ」
その一言を聞いた瞬間、踏ん切りがついた。俺の中で膨張し破裂しようとしていた何かを食い止めていたものが、千切れて決壊する音が聞こえたような気がする。
――そりゃないだろあんた。
「それは神様であるあんたの言い分だ。あんたはさっき言ったよな?その世界には多くの人がいるって。彼らは確かに、今この瞬間にも生きているってさ」
「……」
「どうせ頼むならはっきり『やれ』って言えよ。『やらなければならない』って。俺はご覧の通りの人間だが、それでも、やらなきゃいけないことを無視して放り出すようなヤツでもないつもりだ」
それも嘘だ。確かにこれまでの人生、やらなければならないことを放棄したことはない。ただ、そういう状況に極力ならないよう逃げて隠れて……そうやって生きてきただけだ。
それでも、だ。自分自身がやるべきだと思ったことからも逃げ出すような人間には、さすがになりたくない。
「あんたの頼みを聞くよ。どうせ一回死んだんだ。もう一度死ぬ気になれば、なんだってできるだろうさ」
俺のその応えを聞いて、神は文字通り破顔して声をあげた。
「そうか!そうか……そう応えてくれると助かる。やはり君を選んで正解だった。ニイハラ君、君ならば私が期待する通りの成果を上げることができるだろう」
それが社交辞令なのか本心なのかは分からないが、俺としては特に感慨もなくその感謝の言葉を受け取っておく。
それから間をおかず、神はまた顔つきを引き締め、姿勢をすっと正した。
「そうと決まれば善は急げだ。こちらから話すことはもうない。必要な知識は、君が“並行世界”に転生した時点で自動的に頭の中に刻まれていることだろう。となれば、後は事を始めるだけだ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は不意に足元に違和感を覚え視線を落とした。
椅子から地面に降ろされていた両足が、つま先から徐々に光の塊のようなものに変化し、そのまま霧散して消滅し始めていた。
痛みも何もないが、それが尚更不気味だ。こんな光景を眼にすれば、さすがに動揺するなというのが無理だった。
「ちょ、ちょっと待て!心の準備が――」
「それをする時間は向こうで充分にあるさ。心配するな、君の身体を一度分解し、転生させるべき世界に再構築してるだけだ。首まで分解された時点で眠るように意識は消失するし、目覚めた時にはもう君はここにはいない。せいぜい向こうで頑張るといい。私からそちらに干渉することは基本的にはできないが、見守ることだけは続けさせてもらうとしよう」
「やることなすことが急すぎるんだよ……」
「なんだ?まだ聞き足りないことでも――……ああ、そうだ。確かにまだ言い忘れていたことがあったな。もう一つだけ、最後に伝えておこう」
いや、別に聞きたいことがあるというわけじゃない。ただいきなりのことに驚いているだけだ。
が、そんな俺の心境には構わず神は続ける。実際向こうにとっても言い忘れていたことがあるようだし、それはしっかり聞いておいた方がいいだろう。
「私が世界に干渉できない以上、これから君が行うことにも私は手は出せない。仕事は必ずこなしてもらうし、君が世界の破壊者になるようなこともないだろうが、事の“結果”については全て君次第だ。君の行いが、全て最後には君自身へと返っていく。そのことだけは忘れないでくれ。これは私の個人的な事情であると同時に、関わった以上君の“新しい人生”でもあるんだ。せいぜい後悔のないよう生きることだ」
「……」
身体がとうとうみぞおちの辺りまで光となって消えたためだろうか、声も上手くだせなくなってきた俺は、ただゆっくりと語る神の顔を見据え、その言葉に耳を傾けることしかできなかった。
今この瞬間だけは、目の前にいるこの男が確かに、世界を創造しその行く末を見下ろす高慢で偉大なる“神”であるように見えた。
「とはいえ、仕事である以上当然報酬も必要だろう。これからの“新しい人生”は君のものだが、それにももちろん終わりはある、人は死ぬからこそ人なのだからね。君がもう一度その生命を全うした時、為すべきことを為したその暁にはその魂をもう一度ここへ連れてきてやる。その時に、君の望む報酬を伝えてくれ。今度こそ、神としての権能の全てをもって君の働きに報いてみせよう。
……それでは、また会えることを心待ちにしているよ」
最後の言葉は、俺自身しっかり聞けたかどうかも定かではない。神が言い終えたその瞬間には、俺の意識は電気のブレーカーが落ちたかのようにフッと前触れすらなく消失していた。
すでに身体は鼻先まで消え、残った両眼はただ虚ろに中空へと向くだけで、どこも見てはいなかった。
何かに引きずり出されるように、あるいは優しく包み込まれるように、昏睡の闇の中へと。一度生命を塵芥ほどまでバラバラにされ、俺という存在が忘却の彼方へと放逐され、それをもう一度つなぎ合わされるその過程の僅かな、隙間のような一時の中にあって、
新しい人生
そんな言葉だけが、明確な形を持って刹那とも、あるいは永遠とも言える時間残り続けた。