18.想定内の不測
明くる日。俺は少女を連れ、朝早くから宿屋を出発した。
組合より引き受けた依頼を遂行するためだ。
早朝、“表の一”。
クロスロードに入る際に通った関所にそのまま預けていた荷台に、再度《風の馬車馬》を発動し門から出る。
再征者達の朝は早い。なにせまず彼ら(というか我々か)は依頼をこなさないことには食っていくこともできない。働かざるもの――――というやつだ。
俺達が門から都市の外に出た時には、すでに先達って出発している同業者の馬車が何台か、四方八方へと散り散りに進んでいく姿が見て取れた。その数は二桁を軽く超えているだろう。そして俺達が関所で準備している最中にも、他の再征者達が続々とやってくるのも見た。
彼らはそれぞれ別の依頼をこなす。言い換えればそれはすなわち、今この瞬間にも、それだけの数の依頼が発注されているということだ。
魔物はまさしく獣の繁殖力をもって、駆除してもすぐにまた現れる。そうして、連中の手によって荒らされた地方の小都市や街の復興にも再征者が駆り出されることになる。
再征者の手が休まる暇はなく、職業化された勇者が必要とされなくなるのはもうしばらく先のことになりそうだ。
さて、俺達もこれからそんな勇者のひとりとして依頼をこなすことになる。
目的地はクロスロードの北にある牧場だ。
到着するまでまだ“一刻”ほどある。俺は何の気なしに、相変わらず荷台の上で必要もない御者役をしながら、ぼんやりと視界を上に向けて空を眺めた。
早朝の空はまだ太陽が端の方で控えめに顔を出しているばかりであり、うっすらとした雲ひとつない青天はどちらかと言えばまだ夜の終わりといった風情である。
――――異常。
世界を滅ぼしうる脅威は、いつごろこの世界に現れるのだろう。もしかしたらすでに今どこかで連中が現れる兆しが生じているかもしれない。
まぁ、そんなことを言ってしまえば、そもそも奴らの末端である魔物はすでにゲルマニア王国のいたるところに蔓延っているわけだが。
そう考えると、案外異常の出現と言っても、現在の状況のほんの延長でしかないのかもしれない。
……などと楽観的な考えをするわけにもいくまい。
奴らがまだ本格的に攻勢に出てないことは幸運だ。今の内にできる準備は迅速にこなさなくてはならない。今回の依頼はその第一歩なのだ。心して励まなくては。
そうして次に、そんな第一歩の同行者である少女のことが気になった。
彼女は今日も、俺が最初に転生したゼアの森から抜けた時のように、荷台の中で小さくうずくまって黙り込んでいた。
どうも俺は、無意識の内に彼女に余計な気を使っているところがあるらしい。
またしても、よせばいいのにお節介をして、少女に声をかけていた。
「もうしばらくすれば依頼が始まる。心の用意はいいか?」
「……できてなきゃついてきてない」
彼女はぶっきらぼうに応える。
「だとしても、無茶はするなよ。こんな依頼、実のところ俺ひとりで十分こなせるんだ。あんたはまず自分の身を第一に考えればいい。下手なことをして致命傷を負っても、この前みたいに助けてやれるとは限らないんだから。せっかく繋いでやった生命をむざむざ無駄にされたんじゃ、それこそ俺がやったことがただの骨折り損になる」
「だから分かってるって……」
どうも、今の彼女からは昨日の夜のような元気を感じられない。
とはいえ彼女自身、危険な真似はしないと言っているのだ。問題はないだろう。
――――何か、今俺は重大なことを見落として、深刻な思い違いをしているような気がする。
だが、思い当たる節はない。
今しがた言った通り、こんな依頼楽勝のはずだ。仮に何か不測の事態が発生したとしても、俺ひとりで切り抜けられるだろう。たとえ少女のことを守りながらでも。その自信はある。
なら大丈夫のはずだ。もし仮に本当に見落としていることがあったとしても、気づいてから対応できる。
……はずだ。
※
そうこうしている内に、目的地である件の牧場に到着した。
牧場主と生き残った家畜がクロスロードに避難している今、牧場は完全な無人であるが、遠目に見ているだけでは何の変哲もないように見える。
牧舎に目立った損傷はなく。音ひとつ発しない様はまるで眠っているかのようだ。
だが、よく観察するとすぐに、この場所を襲った脅威の残滓が見て取れた。
牧場のそこかしこに、食い散らかされほとんど骨しか残っていないような家畜の死骸が見える。羊か牛か、それすらも判別できないほどだ。
それが、牧場を襲ったという獣の存在の確かな証左となった。そして連中は今も、この付近に存在するのだろう。
ちょうどここからそう離れていないところに、ゼアの森ほどではないものの多くの木々が生い茂る雑木林がある。獣が潜伏する場所としてはおあつらえ向きだろう。おそらく、討伐目標はあそこにいる。
だが、雑木林にいるとして、具体的にどこに隠れているのかは分からない。木の幹の陰か、枝の上か、あるいは草の陰か。木々の入り組んだ場所では、容易に不意打ちを喰らってしまうこともあるだろう。無策で連中の領域に侵入するのは賢いやり方ではない。
別に俺はそれでも難なく依頼を達成できるだろうが、ただ目標を満たすだけではつまらんだろうし、何より実りがない。
俺は今回の依頼で、もう少し魔術というものに慣れるつもりだった。
“神様”から与えられた知識として魔術を行使することはできるが、それはあくまで基礎の部分にすぎない。実際に魔術を使った経験というものはまだまだ不足している。
自らの身体に、あるいは空間そのものに宿る根源を事象に変換する、というのがどういうことなのかまだ完全に把握できているわけではないし、繰り返し魔術を使っている内に、もっと効率的なやり方を会得することもできるかもしれない。
これから現れるであろう異常がどれほどのものなのか、神様でも分かっていない部分が多いのだ。万難を排するためにも、今のうちにできることをやっておかなくてはならない。
そのためにも、こういう楽な依頼をこなす間に、いろいろと試して魔術というものをもっと身体に馴染ませておく必要があった。
――――おおまかな潜伏地点しか分からず、詳しい位置が判明していない標的。
ならばまずは、その位置を暴くことにしよう。
少女と共に馬車から降りた俺は、そのまま雑木林の方を向いて地面に片膝を立てて座り込んだ。
そうして、右手を地面に当て、詠唱を行う。
「『其は風と揺れ動くもの、金のごとく固きもの』
『熱、音、風。眼に見えぬもの、触れ得ざるものにも形はある。眼で見えぬなら耳で、耳で聞こえぬなら肌で捉えよ』
『根源よ、我が第六の感覚となりて見えぬものを視よ』
『奔れ、《能動探知》』」
掌から地面を伝い、光の波紋が雑木林へと向かって広がる。それは根源が変化したことで生じた波だ。
音よりも速く広がるその波は雑木林全体を駆け抜けると、打ち寄せた波がやがて引いてくように、あるいはビデオテープを巻き戻すかのように、再び発生源である俺の掌へと戻ってきた。
それと同時に、頭の中に雑木林の詳しい地形情報と、そこに潜伏する生命体が記録された。潜水艦が発するソナーのように位置を特定したのだ。
根源の波によって、林に棲まう生物の“生紋”を取得した。生紋は何も人間だけに存在するものではない。生きてさえいるのならば、その情報を知ることはできる。
とはいえ、逆に言えば生きているのならどんな情報でも入り込んでしまうということだ。小動物からそれこそ虫の類に至るまで、様々な生物の生紋が取得されていた。これでは、どの反応が討伐目標のものか分からなくなりそうだ。……が、実際はそうでもない。
家畜を食い殺すほどの獣だ、そんなものが小さな雑木林の中に巣を形成すれば、他の動物達を駆逐してしまうだろう。生紋というものは、言うなれば生物を形成する根源の形だ。身体が大きく強靭なほど、生紋は大きく色濃いものになる。その強弱を区分けすれば、生物の種類をそれぞれ判別することはできる。
雑木林の中で最も大きな反応を示す生紋が、おそらくは標的である《スキゾイドッグ》であるはずだ。
……目当ての反応はすぐに見つけられた。やはり連中はあの林の中にいるようだ。
しかし、その数は――――
「まぁ、初めから想定はしていたことではあるが……」
俺は思わずぼやいた。
俺達が倒すべき獣の数は、依頼の情報に記録されていたものと大きく異なっていた。
三十匹。
依頼内容よりも十倍は多いじゃないか。
実際に牧場を襲ったのは、林の中に棲息していた群れのほんの一部。依頼者である牧場主とそれを承認した組合の側が、その一部を群れの全てであると勘違いしたのだ。どこかからかはぐれてきたであろう獣といっても、たった三匹というのはいくらなんでも少なすぎるとは思っていたが……
はっきり言って杜撰な仕事だ。依頼内容の間違いないんて、一番やっちゃいけないタイプのミスじゃないのか?
とはいえ元来、再征者として仕事をするというのはそういうことだ。受注した依頼になんらかの不具合があるなどというのは大いにあり得ることであるし、それを覚悟しなければこの先やっていくことも……それどころか生きていくことさえできないだろう。
もし依頼の達成が困難そうなら、逃げてしまえばいいのだ。さすがに組合側にも誤りがあるのなら、依頼に失敗しても違約金の支払いは免除されるだろう。
だが、そんな弱気な奴では再征者として成り上がることなどできないだろうし、俺はそんなことするつもりはない。
この程度の不測など、むしろ歓迎するところだ。もともと標的がたった三匹では物足りないと思っていた。敵の数が多ければ、それだけ試せることも増えるだろう。
異常と戦うことになれば、戦闘の規模は想像もできないものになる。早い段階からなるべく多く、強大な仮想敵と戦えるというのはむしろ幸運だった。
なに、恐れることはない。何にせよ標的はあの雑木林にいるはずだ。こちらの存在に向こうも気づいているのか否かは知らないが、このままここで待っていても始まらない。
獣の群れの潜む領域へと踏み込むことにしよう。
とはいえその前に、少女にもこの事実を伝えておこう。想定の範囲内とはいえ、予定外の事態であることは確かだ。俺はともかくとして、彼女を連れて行くのは些か危険かもしれない。
彼女の方へと振り向き、《能動探知》により得た情報を伝える。
「受注した依頼の内容に間違いがあったらしい。標的はあの雑木林の中にいるようだが、その数は三十匹に達するようだ」
「……」
少女がわずかに息を呑むのが見える。やはり、彼女には安全な場所で待っていた方がいいかもしれない。
「正直言ってかなり危険な依頼になりそうだ。まぁそれでも俺なら簡単に達成できるが、あんたには――――」
言いかけたところで、少女の固い言葉がそれを遮るな。
「そうやってまた私を馬鹿にするのか。自分の身は自分で守れる、今回は武器だってあるんだ。あの森での借りは必ず返す」
……こちらを見返す彼女の視線は頑なだ。
確かに、彼女にも手渡した《肋の柄》は武器としては申し分ない性能だろう。根源の刃は生半可な獣なら、皮も肉も骨も、全てを一振りで両断できるはずだ。そして刃そのものに質量はなく純粋な熱量だけで構成されている。そのため弱い力でも素早く振り回すこともできるだろう。
それならば彼女でも自衛はできるだろうし、その上で俺も注意を配れば無事に生き残ってもらうことはできる。
彼女自身こう言っているのだ。ここまで来て尚も食い下がるわけにもいかないだろう。
「分かった、行こう」
俺は観念してそう応えた。少女は返事を寄越さずただ小さく頷く。
それを確かめてから俺は、彼女を連れて獣どもが待つであろう雑木林に向かって歩き始めた。
――――相変わらず、『何かが違う』という漠然とした感覚が頭の隅でちらつく。
『本当にそれでいいのか』と、俺の声が俺に向かって警句を発する。
……何が違う?それでいいのかって、じゃあ他にやりようがあるのか?
何も問題はない。少女にも、今度はボロボロの手斧などではない真っ当な戦闘手段がある。それにいざという時には俺が守ってやればいい。
何より彼女自身が同行することを望んでいるのだ。きっとそこには、彼女なりのけじめだとか覚悟だとか、そういったものがあるのだろう。それを踏みにじるのはそれこそ彼女に対して失礼ではないのか。
この依頼が終われば、彼女との関わりも終わりだ。
だったらせめて後腐れがないよう、やりたいようにやらせてやるべきではないのか。
俺は脳裏に蠕動する不安を振り払って、とにかく歩を進めた。
だが、振り払ったつもりになっても、アメーバのような懸念がいつまでも頭蓋の裏に張り付いているような感覚は続いていた。




