17.一日の終わり
ダネルを食い終わり、俺達は路地裏から再び大通りへと戻った。
中々ボリュームがあり、腹は十分に満たされた。というか、夜分の食事としては少し重いぐらいだ。
なんにせよ、次に探すのは今晩の寝床となる宿屋だろう。
その日ぐらしに依頼をこなしながら、時には別々の中継都市を点々と移動する。再征者とはそういう生き方をする者達だ。一つの場所に定住する者もいるが、それと同じだけ、日々の寝床すら移し替えていく者もいる。
そういうこともあり、それぞれの中継都市には再征者が滞在するための宿泊施設が数多く用意されていた。この都市で一番多い建物は市民の住居と宿屋のどちらか、と言われているほどだ。
そんなこともあり、一夜を明かすための場所など探せばいくらでも見つけられた。それこそ、路地裏を出て五十歩と歩かない内に、宿屋の看板を見つけられたのだから。
宿屋の中には組合が提供する、長期滞在を目的としたある種の寄宿舎のようなものもあった。というか物見遊山のために中継都市に来る観光客向けのものはともかく、再征者のために用意されている宿屋は基本的には組合から民間に貸し出されるような形で運営されているものがほとんどだ。数日だけの短期間の滞在から、年単位での滞在まで幅広く対応している。
再征者になりたての《兵士級》などは、そのような組合公認の宿にしばらく住まわせてもらい、依頼をこなしながら経験を積み、ある程度地固めができてからその後の身の振り方を考えるのだという。
俺もその例に倣うべきだろう。一日二日といわず、それなりの期間身を落ち着けておく場所が必要だ。
探し始めて最初に眼についたこの宿屋も、ご多分に漏れず組合公認のものだった。いまさら選り好みするものでもないし。ここに決めてしまう。
……部屋に空きがある上で、滞在費次第ということにはなるが。
出入り口の扉を開き建物の中に入ると、最初に見えたのはこぢんまりとした広間だ。その右手にはホテルでいうフロントめいたカウンターがあり、左手には滞在者向けの集会所のような、広いスペースがあった。利用者は多いようで、数人の再征者が、ソファに座り込んで広いテーブルを取り囲みいろいろと話をしているのが見える。
ホールの奥には大きな階段があり、そこから三つほどの階層に分かれて、ホール全体を取り囲むような形で通路が伸びていた。それぞれの通路には同じデザインの扉が規則正しい間隔で並んでいる。それぞれの扉が各宿泊者の個室へと繋がっているのだろう。
なんというか、いかにもな感じの洋館といった趣きだ。とはいえ木組みで立てられた建物の内装は質素なもので、なんというか我々日本人が洋館に抱く絢爛豪華で清廉としたイメージとはまた違う印象を抱かせる。
さて、そんな風に中の様子を伺う間もなく、中に入るなり集会所にたむろしていた再征者達がちらりとこちらに視線を投げかけてきた。それを見て、またしても少女がたじろぐ。
が、飯を食うのならともかく、今晩の寝床なのだ。さすがに今度ばかりは彼女の気持ちを慮ってここで引き返して出ていくわけにもいくまい。
「だから気にするなって」
彼女にそう声をかけてから、ずかずかとカウンターに居座るこの宿屋の貸主であろう男の方へと近寄っていった。
「いらっしゃい。ご用の赴きは――って、聞くまでもないですねぇ」
こちらの顔を見るなり、そう聞いてくる貸主に、単刀直入に要件を言う。
「部屋の空きはあるか。しばらくの間滞在したい。具体的な期間は未定なんだが、それでも構わないか?」
「ありますよ。長期の滞在も受け入れております」
「二部屋だ。ちょうど隣同士の部屋があるなら尚のこといい」
「……へ?」
こちらのその申し出に、貸主が素っ頓狂な声を上げる。
少女の方も呆気に取られたような顔でこちらを見てきたようだが、気にしない。
二人共俺の発言が理解できないといった様子だ。
彼女は別にいい。
だが、『まさか』といった様子でちらりと少女の方に目配せした後、眼を丸くしてこちらに向き直しながら、
「二部屋ですか?」
と、おうむ返しに聞いてくるこの男だ。
なるほど、こいつの考えていることは分かる。《下級》である彼女の分も部屋を借りるというのが、まさに青天の霹靂とでもいったところか。
――巫山戯るな。どいつもこいつも寄ってたかって彼女を馬鹿にしやがって。
俺はこれみよがしに眉根を寄せて、低く唸るような声で口早に捲し立てる。
「おい……おい、なんだその顔は。俺は客だぞ?言うまでもなく彼女もな。客に対してそんな舐め腐った態度をしていいと思ってるなら大した商売人だよあんたは。いいよいいよ、俺とこの子に貸す部屋はないっていうなら、結構なことだ、今すぐ出ていってやる。その代わり夜中には気をつけろよ。俺は一端の魔術師だ。証拠も残さず、当人すら気づかない内に他人様をぶち殺すことなんて朝飯前なんだからな」
「……」
貸主が目に見えて狼狽する。
いい気味だ。俺自身言われて嫌な発言を他人にするというのはどうにも気が引けるのだが、今回に関しては話は別だ。
「さっさと部屋の空きを確かめるんだな。俺が言った通りの部屋があるならそこを借りる」
「……しょ、少々お待ち下さい」
続けざまの俺の言葉に、貸主は慌ててカウンターに置いていた帳簿を広げて部屋の空きを確認した。
一分と待たない内に、確認は終わったようだ。
「お望みした通りの部屋が空いているようです。ちょうど隣同士になっているところが」
「ならそこにしよう。――で、さっきも話したが、いつまで滞在するかは決まっていないんだ。金はどうすればいい」
「長期滞在の場合は月賦になります。一月160ライですね。本日から滞在されるのでしたら、今日から一ヶ月後の支払いになります。ですが、期間の途中で出発される場合でも満額お支払い頂くことになりますのでご了承ください。例え明日部屋をお返しいただく場合でも、きっかり160ライ払って頂きますのであしからず。それと、食事などはお出ししません。あくまで滞在のための部屋を貸すだけですので、必要でしたら外でどうぞ」
「そうかい」
――今更な話ではあるが、どうやらこの世界の日時の感覚は俺の元いた世界とほぼ同じであるようだ。一日は二十四日刻だし、一年は十二ヶ月だ。
では一ヶ月は具体的に何日なのかということになると俺もまだ良くわかっていない。もしかしたら、多少のズレというものは存在しているかもしれない。
十年で何日というレベルのズレだろうとは思うが……
閑話休題。
「二部屋で32,000キリか……」
想像していたよりも随分割高な気がする。しかしまぁ、ホテルに一部屋一ヶ月間泊まるようなものだと考えれば、むしろ安すぎるぐらいか。この世界における金の相場を具体的に知っているわけではないが、ここが組合から提供されている宿である以上、経営者の一存で多少宿泊費に高低差はあっても、とんでもない額をぼったくられるようなことはないだろう。そんな詐欺まがいのことをして組合が黙っているはずがない。
ここがこの金額なら他の宿屋だって似たようなものだろう。金を理由に断るわけにはいくまい。
「まぁいいや。分かった。その部屋に決めよう。今日からしばらく滞在する。いや、支払いがひと月単位で助かったよ。なにせ今はそんな大金持ってないからな」
そう応える俺の発言に、再度貸主が唖然とした。
「は、はぁ?」
まぁ、さすがに今度ばかりは向こうがそんな声を上げる気持ちも分かる。が、だからといってこちらも黙っているわけにはいかない。
「だからさぁ、客に対してそんな顔をするなって言ってるだろうが。よくそんなんで客商売が務まるな。金なら期日になったらしっかり二部屋分払う。もし払えなかったら組合に頼んで引っ捕らえるなりしてくれて構わない。いちいち馬鹿みたいな顔しないで案内してくれよ」
「……」
しばらく怪訝そうな顔でこちらを眺めていた貸主だったが、やがてカウンターから二枚の薄い小さな板のようなものを取り出した。
「お貸しする部屋は2-1番と2-2番になります。あちらの階段を上がって右手側にありますので。それで、こちらが部屋の鍵になります」
早々に差し出された板を受け取る。その形はさながらカードキーだ。なるほど、これを部屋の扉の前にかざせば施錠がされるというわけか。
「その鍵には魔術の術式が施されています。頭の中で念じれば施錠と解錠ができます。かなり離れた場所からでも術式は反応しますが、盗難の恐れもあるのでおすすめはしませんよ」
……カードキーどころの話ではなかった。まったく、魔術っていうのはつくづく便利なものだ。
さて、部屋の鍵も受け取ったことだし、もうこの無愛想な主人の顔を見ている必要もない。
「ありがとう。それじゃあしばらく世話になるよ」
我ながら心にもない礼だけを言い残してさっさとカウンターから離れ、少女を連れて借りた部屋に向かうことにする。
部屋に行くためにはホールの階段を昇る必要があり、その途中で集会所を通ることになる。先程のこちらのやりとりを聞いていたであろう再征者達が奇異の視線をこちらに投げかけてくるのを感じた。
傍らにいる少女が気まずそうにする様が見なくても分かる。それがいたたまれなくて、俺はまたしてもついお節介をしてしまった。
「そうやって周りを気にするぐらいなら、いっそ俺のことだけ見てろ」
「……はぁ?」
いや、さすがにこれは言い方が悪い。要するに、周りの視線を気にしないように、どこか一点、例えば俺の方を見ることに意識を集中しろと言いたかったのだが、それがなんでこんな三流の口説き文句のような文言になってしまったのか。
「いやぁ、つまり俺が言いたいのはだな?」
と弁明しようとする言葉を遮って、少女は
「分かってるよ。馬鹿馬鹿しい」
と辟易しきった様子で吐き捨てた。
どうやら、いつもの調子に戻ったようだ。それならそれでいい。なんだか想定したものと違う効果を発揮したようだが、気を取り直してくれたようでよかった。
そんなことをしている間に、階段を上って通路を進み、部屋の前まで着た。通路の端に位置している2-1番と、その隣の2-2番。
主人から受け取った二枚の鍵を少女の方に差し出す。
「で、あんたはどっちの部屋にする?2-1か2-2か。俺はどっちでもいいぞ」
「私だってどっちでもいいよ」
「ならあんたは2-1な。端の方が落ち着くだろ」
「……まぁ、そうだけど」
ということで、通路の端側、2-1の鍵を彼女に持ってもらうことにする。
さて、これで諸々一段落ついたし、後はこのまま部屋で一晩を明かすだけだ。
「それじゃ、俺はもう休むぞ。あんたも今日は大人しく寝ておけ、明日は依頼を手伝ってもらうんだからな」
そういって部屋の扉の前に立ち、魔術式が施された鍵に念じる。そうすると、木組みの扉が音もなく解錠された。取引所で借りた作業場と同じで、扉そのものにも魔術が施されているようだ。
そのまま扉を開き中に入ろうとした矢先、不意に通路に立ったままの少女の呼び止める声が聞こえた。
「ねぇ」
「なんだ?」
「なんでわざわざ、私なんかの分も部屋を借りたの」
「……」
いや、そんなこと考えれば分かることだと思うのだが……
どうやらまた彼女は例の卑屈さを発揮してしまったらしい。
段々と分かってきたことだが、こういう時には正直に包み隠さず、こちらの事情を話してしまった方がいい。その方が彼女も納得してくれるのだ。
「あのなぁ、当たり前の話だろう。いくら幼くっても女の子と相部屋なんて気恥ずかしくてこっちから願い下げだ。あんたと一晩おんなじベッドで寝るぐらいなら、金払ってでも別々の部屋にしてもらった方がマシだ」
「そりゃそうか」
「言いたいことはそれだけか?」
「……うん」
「それじゃあんたも寝ろ。それとも何か?その鍵の使い方も知らないのか?」
俺がそうやってからかうと、彼女はすぐムキになった。
「うるさいなぁもう!そんなわけないだろ」
そうして鍵の魔術式を使って、扉を解錠し、勢いよくこれ見よがしに開け放った。
「ほら、これ見てみろ。誰が使い方を知らないっていうんだ誰が」
「悪かったよ。それじゃおやすみ」
ようやく彼女が元気になったのを見届けてから、俺はそのまま改めて部屋の中へと入っていった。
扉を閉めると、数秒してから遠くの方で同じくバタリと言う音が聞こえてきた。
これで今度こそ、今日やるべきことはみんな終わりだ。
※
部屋の中には、ベッドと小さな作業机と椅子、それと衣装棚のようなものがそれぞれひとつずつ。生活する空間としては少々狭苦しいが、ビジネスホテルの類と思えばこんなものだろう。
天井には、少量の根源を循環させて光へと変化させる“魔術灯”があり、俺が部屋に入るなり迎え入れるかのように点灯していた。俺が命じれば光は消えてくれるだろう。
思い返してみれば、この世界にきてから初めて生活を目的とした建物の中に入ったのだが、それにより分かったことがある。
魔法により土木作業の技術も高度なものがあるということはもともと把握していたのだが、どうやらこの中継都市は上下水道も整備されているらしい。水洗式のトイレもあったし、飲み水程度ならいつでも確保できるような流し場もあるようで、昔祖父母の家で見た組み上げ式のポンプのような不格好な形をしているものの、蛇口らしきものも見える。
地下水や貯水槽のような水源がどこかにあるのか、あるいは大規模な“水”の魔術によって生活用水を供給しているのかは分からないが、とにかく水回りについては心配する必要がなさそうで助かる。
風呂がないのが残念ではあったが、都市の中に大衆浴場もあるようなので、身体を洗うこと自体はいつでもできるだろう。
いやはや、つくづくほっと胸を撫で下ろす気分だ。いくら仕事とは言っても、糞尿は垂れ流し、汚れた身体はそのままなんて生活をいつまでも続けたくはなかったからな。
この分なら生活において苦労することはなさそうだ。
安心していると、ふと作業机の横に設えられた姿見らしき鏡が目に入った。
特に何の気なしにその前に立ってみた。
そういえば、“神様”の手によってこの世界に転生してから、俺自身の姿をしっかりと見るのはこれが初めてだった。
――まぁとはいえ、何かが変わったわけでもない。
鏡には二十代半ばの冴えない男が、大きな外套で蓑虫みたいに身を包んで立っている姿映っている。
転生と言うほどなのだから、もしやして俺の体格や顔も新しく生まれ変わったのではないかとも思ったのだが、そんなことはないようだ。
正直言ってかっこいい顔つきに変わることを全く期待してなかったといえば嘘になるのだが、そうでないのなら別にそれでもいい。
年齢よりも老けて見えると周りから評判だった自分の顔を、俺自身あまり好きではなかった。だが、それでも自分の身体なのだ。好き嫌いは別として、この顔と今後とも付き合っていくことになるという事実には妙に安心した。
そうだ。俺は今までの俺のまま、違う世界で新しい人生の道程を歩き始めたのだ。
……違う世界で。
一日を無事に(……無事ではないが)終え、ようやく落ち着ける時間ができたからであろう。
俺は鏡の前でひとり立ち尽くし、今の自分が置かれている境遇というものを再確認することとなった。
明日になれば、俺は再征者として初めての依頼をこなすことになる。それ自体は何も問題はないだろう。
だが、そこで俺はもともとこの世界に生息していた動物をこの手で殺すことになる。それだけではない、これから俺は何十、何百、何千、あるいは幾億万という獣を狩り殺すことになるだろう。
いや、というか現にすでに一匹殺した。この世界を滅ぼしうる異常の残滓である魔物を。
しかしあれは所詮、かつてこの世界に現れた脅威が残していった上澄みの滓みたいなものだ。本当の脅威は、まだこの世界には存在していない。
それがいつ現れるのか、具体的なことは神様にも分からない。
俺が生きている間にはということだったが、言い返せば、それは下手すると明日になるかもしれないということだ。
「……」
どうせ自分のことなのだから強がりをする必要もない。正直なことをいうとまだ心の準備ができているとは言えない気がする。
異常が姿を現したとして、俺は本当に仕事をこなすことができるのだろうか。それすらも確証はない。
……だが、世の中とはそういうものだ。
人間というのは不安と懸念にまみれながら、その時々でできることをしながら生きる。それぐらいのことは、酸いも甘いも感じることのない、ろくでもない人生を過ごしてきた俺にすら分かることだ。
一度引き受けてしまったのだから仕方がない。精一杯やってみるしかないか。
――もう寝よう。
俺は外套とスカジャンをまとめて脱ぎ捨てて衣装棚に仕舞い。そのままベッドに飛び込むように横になった。
そうして魔術灯を消灯し、部屋の中が、空から差し込み小窓から迷い込むように漏れ出てくる月明かりだけを光源とした暗闇に包まれる。
なんであれ時間は過ぎていく。
明日“奴ら”がやってくるというのなら結構だ。来るなら来い。
それでも俺は今生きているし、これからも生きていく。




