13.依頼受注
“掲示板”の前に立つと、左胸にある魔術刻印にじわりと熱がこもった。その反応に従って《誓約術式》に念じると、再び眼前に映像が浮かび上がってくる。
が、今浮かび上がってきたものは先程のような再征者としての個人情報ではない。
――これは、依頼の一覧か。
いわゆるデータベースを参照するように、掲示板に記録されている諸々のデータを閲覧できるようになっている。頭の中で念じるだけで、膨大な情報の中から必要なものだけを検索することもできるようだ。
なるほどこれは便利だ。掲示板はあくまで情報を記録させるハードウェアであって、実際にそれを見るのは再征者自身というソフトウェアに任せるということか。魔術というものが技術として広く普及してくると、こういうこともできるようになる。
ならば早速これを活用させてもらって、手頃な依頼を探すとしよう。
とはいえ、俺の今の階級は最低ランクの《兵卒級》。受注できる依頼は、所謂初心者でも安心な、簡単かつ報酬も微々たるものばかりだ。
魔物の討伐などは少なく、むしろ建築資材となる木材の伐採や農地の開墾だとか、そういった類のものが多い。
もっとも、これもまた再征者の立派な仕事であるのは間違いない。元々再征者というのは、慢性的な人手不足をなんとかするためにあらゆる仕事を進んで請け負う者達だったのだから。こういった単純な人助けといった仕事も常に一定の数組合に発注されている。
中には《貴人級》、果ては《騎士になってもこういう依頼を好んで受注する者だっているかもしれないし、あるいは魔物の討伐などせず危険の少ない依頼ばかりをこなすせいでいつまでも上位の階級に昇格できない者もいるだろう。
二百年前はともかくとして、今の時代において再征者になる理由というのは多種多様だ。純粋にただのお人好し、名声を得たい者、依頼の報酬で裕福な暮らしをしたい者。また中には他に仕事につくこともできず、《下級》になるぐらいならばその前にと志願するものもいる。
が、俺のような事情は他にないだろう。
生憎俺は人助けをするために再征者になったわけでもないし、金や名誉が欲しいわけでも――いや、金は必要だが。というかまず第一にすべきことは食っていけるだけの金を手に入れることだとは思うのだが。
とにかく、そうではない。世界を救うことだ。再征者はそれを達成するための手っ取り早い手段として選んだに過ぎない。
そうである以上、安穏とした依頼をチマチマこなしていくわけにもいかない。……まぁ、時々だったら息抜きにやってもいいかもしれないが。
まずはトップスピードで階級を上げていくことが先決だ。
そのために最も効率的なのはなんだかんだと言って、やはり魔物を討伐し組合からの覚えをめでたくすることだ。これが再征者の仕事としては“花形”になる。依頼を達成した時の報酬も高い。大工さんや農家さんのお手伝いをチマチマするよりも遥かに実りがいいのだ。
なら、これからやるべきものもそれだ。他の依頼には眼もくれず、現状掲示板に記録されている中で最も難易度の高いであろう依頼を探す。
――これか?
おそらくはこの依頼が今のところ俺が受注できるものでは最高難度で、得られる報酬も実績も最大のもの。
その内容を確認する。
なになに……
――――――――
依頼内容:スキゾイドッグ三頭の討伐
依頼期間:三日以内
報酬:2イエズ
受注制限:なし
クロスロード北方の丘陵地帯にある牧場がスキゾイドッグに襲撃され、家畜の一部が食い殺された。牧場主と生き残った家畜は現在クロスロードで保護しているが、再度の襲撃の危険があり牧場に戻ることができない状態である。
討伐対象は牧場付近に巣を形成しているらしく、巣の発見と対象の駆除を要請する。
牧場と討伐対象の潜伏地点と思しき位置は依頼を受注した時点で地図に記録されるので確認されたし。
――――――――
“イエズ”――また神様から教えられて知ってはいるが、聞きなれない単語が出てきた。
これは“通貨”の単位だ。ゲルマニアが国家である以上、金銭のやり取りというものも確かに存在する。そんなことはもう百も承知であろうし、だから俺は今困っているのだ。
この国で普及している通貨、その最小の単位は“キリ”だ。確か真鍮製の小さなコインだったはず。
100キリは“ライ”という上の単位――キリよりも少し大きな銀貨に繰り上がり、さらに100ライは“イエズ”に繰り上がる。イエズはコインではなく紙幣の類だ。紙幣というのは所詮単なる紙なので価値が安定しにくいのだが、ゲルマニアほどの国ならば通貨として運用できるのだろう。
つまるところ、1イエズ=10,000キリとなる。
じゃあそもそも1キリ自体どれだけの価値なのかというと、まぁざっくばらんに言ってしまうと大体10円ほどだ。つまり十倍すれば日本円に換算した大体の価値は計算できると考えていい。
この依頼の報酬金は2イエズ、すなわち20,000キリ。それを日本人である俺の感覚に直せば……
ふむ、決して安くはない。むしろ、たった三日以内という期日でこれだけの金が手に入るなら破格とさえ言っていいだろう。
余談ではあるが、この報酬は実際誰が支払うのかというと、依頼主である農場主と依頼を承った組合が折半して出す。さすがに、自分の仕事場が荒らされて困っている人から金を巻き上げるのも忍びない。そのために組合が存在する。組合が報酬の一部を、場合によっては大部分を肩代わりしてくれるので、仕事を再開するために依頼を発注するしかなかった牧場主が実際に支払う額はそこまで多くならない。
では、その肩代わりする金は誰が出すのかというと、農場やあるいは先程見た露店街など、中継都市における産業全体、その収入の一部が組合に徴収され、我々再征者の報酬に回される。普段助けてもらっている分、向こうも向こうでこちらを助けてくれる、すなわちギブ・アンド・テイクの関係というわけだ。
で、再征者は再征者で活動に必要な諸々の費用を都市に支払って、それが国民の収入になり、またその一部が組合に……といった具合だ。
金が滞りなく循環することで国家を機能させる。これもまた経済の流れというものだ。
閑話休題。そんな循環の果てに得られる依頼の報酬がこれだ。
国民が汗水たらして働いて得た金が、巡り巡って俺の手元に渡るというわけだ。
それはいい。しかしながら、依頼の危険性を客観的に考慮すると、どうもこれは……
――この依頼における討伐対象である《スキゾイドッグ》というのは、厳密に言うと魔物ではない。
俺も神様から与えられる知識が不十分で(これも最早周知のことだが)完全に把握できていないところもあるが、当然ながらこの世界には魔物が現れるまで元々棲息していた生き物達がいるわけだ。
この《スキゾイドッグ》もそのような類の原生動物であった。肉食獣ではあるがそこまで凶暴なわけでもなく、自身の縄張りの中だけで草食獣などを狩ってひっそりと棲息していた。食物連鎖の原理から外れるようなことはせず。
だが、魔物の出現によりその生態系は無残にも崩壊した。なにせ世界そのものが脅かされるような存在が現れたのだ。自らの獲物となる動物だけでなく、他ならぬ《スキゾイドッグ》自身も駆られる側となり、彼らは魔物から逃げるようにその個体数を減らしながら分布地を散り散りに移し替えていった。例えばヌーの群れが大移動するように、《スキゾイドッグ》も住処を変えなければ生きていけないようになったのだ。
その過程において、彼らは縄張りの中必要な獲物だけを狩って生きることができなくなった。逃げるように放浪するその先々で、目につく多種族を無作為に襲い、捕食しなければ種の存続すらも叶わなくなったのだ。その結果、これまでに持たなかった獰猛さと狡猾さを手に入れ、人間とその家畜を襲うようになった。
簡単に言ってしまえば、それが《スキゾイドッグ》という生き物だ。
改めて考えてみれば、彼らも異常の存在によってその生活を歪められた哀しい生き物ではあると思う。
とはいえ、人間に迷惑をかける以上魔物と同じ害獣であるのは確かであり、それを駆除することは再征者の仕事の範疇だ。
そんな凶暴な獣だ。
家畜を食い殺すほどの猛獣が、人を食い殺さないわけがない。そんなモノを三頭も仕留めなければならない。
で、そんな生命を危険に晒して遂行する仕事の収入がこれだと考えると、正直割に合わないのではないかという気持ちも否定はできない。まぁ、俺には生命の危険などないのだろうが。
もっと上位の階級に上がれば、依頼の報酬も高くなり、一度に文字通り巨万の富を得られるようになるのだろうか。もっとも、もしそうだとしても、代わりに危険性も大きく跳ね上がるのだろうが。
まぁ、文句を言っている場合でもないし他にやりごたえのある依頼もないようだし、早々にこれに決めてしまうとするか。
再度頭の中で《誓約術式》に念を送る。
その次の瞬間、俺の胸元の辺りに一枚の紙がどこからともなく、宙に浮かぶ目に見えないコピー機から印刷されて吐き出されるようにヌッと現れた。それを俺は手に取る。
――いや、実際のところこれは紙ではない。紙のように手で触れて掴むこともできるが、“掲示板”や魔術刻印が見せる映像のように、ただ緑の光が空中に投影され、それが根源によって仮初めの実体を持っているだけだ。記すべき用紙がないはずの場所にただ文字だけが描かれている。そして俺は、そんな文字だけを手にしていた。
ここまでくるともはや不気味だ。言ってしまえばこれは実際に手に触れられるホログラムだ。そんなものを、それこそSFの世界の話じゃないか。
一応この世界、文明の段階としては俺の知るところによる所謂“中近世”に準ずるようだが、魔術というものが存在するだけでこんな中途半端に未来的でチグハグなことになってしまうのか。
なんにせよ、後はこの“仮初めの依頼書”を先程の受付に持っていけば、正式に依頼の受注は完了する。
ここまでくればそれも《誓約術式》で済ませてしまっていいのではないかと思うが、まぁ最終確認は人の手で行うというのはどこでも変わらないのだろう。
とりあえずこのまま依頼書を持っていくだけなのだが……
その前に、だ。
いよいよもって、例の問題を先送りにすることができなくなった。
依頼書を持ったまま俺は再度胸の魔術刻印に命じ、自身の情報を呼び出した。
そうして、ある項目を確認する。
そこには、俺が今契約している《下級》について表示されていた。
――『下級再征者 一九九一号』
他でもない、今傍らにいるこの少女のことだ。
『一九九一号』。
組合により付けられた管理番号だろう。自らの名前も知らない彼女にとっては、これがただひとつのアイデンティティになるのだ。
が、こんな数字で彼女を呼ぶわけにはいかない。それならまだ『あんた』呼びの方がマシだ。
俺は今、元々の契約者だったヴィットリオ・ルチアーノから移譲される形で彼女と契約し、命令権を得ている状態だった。
が、それは彼女の身柄を保護するための単なる一時的なものでしかなく、俺自身は別に少女を《下級スレイブクラス)》として隷属させようというつもりなどない。話の流れの末、契約することになってしまっただけのことだ。
これから俺は正式に再征者として依頼を行うことになる。その前に、この契約をどうするか決めなければならない。
だが、その選択をするのはあくまで彼女自身だ
俺の一存で彼女の今後を決めつけてしまえば、それこそ彼女のことを奴隷扱いしているも同然ではないか。
俺は他の連中の邪魔にならないように隅の方へと移動しつつ、少女に問いかけた。
「さて、ここからが大事な話だ……あんたももう分かってるだろう。今、俺はあんたと契約し、同行者として雇っていることになっているらしい。このままだとあんたはこれから俺のこなす依頼に一緒についてきてもらうことになる。それが嫌なら、この場で契約を破棄しよう」
俺の語る口調は些か高圧的だっただろう。
だが、こればかりは勘弁して欲しい。案内所に着く以前、少女の言っていたことを思い出す。
契約を解除された《下級》は組合の管理する隔離場に送り返され、過酷な環境で生活していくことになる。そして、他の再征者に再契約され依頼をこなし契約金を得なければ、食っていくことさえできない。
その依頼に生命の危険がないなどとは誰にも言い切れないだろう。むしろ、あのゼアの森での一件と同じように、使い捨ての道具同然に扱われるかもしれない。《下級》とはどのように扱っても何の問題もない人間だと、ゲルマニアの規則がそう定めてしまっている。
だからこそ十九人もの人があの森で死んでいったのではないか。
これでは、何も変わらないじゃないか。
彼女をむざむざ、こんな畜生の道に戻してしまっていいのか。そう考えることの何が悪いのか。
それが単なる偶然であろうと、行きずりにできた関係であろうと、俺は彼女と関わりを持ってしまった。
そんな相手を変わらぬ地獄に送り返してしまっていいのかと危惧して何が悪い。
これが偽善だと決められてしまうのだとしたら、世の中はあまりに無情すぎる。
そうだとも、正直に言おう。俺は期待していた。彼女が俺との契約を続行すると申し出てくれることを。
そうすれば、少なくとも元々彼女が生活していた時よりも、少しはマシな環境にいさせてやることができるのではないか。
高慢だという誹りを受けたとしても、これははっきりと言おう。俺ならば、少なくとも彼女の身の安全だけは確保してやれる。
無意識の内に、目元に力がこもっていることに気がついた。
「あんたがどうするか決めろ」
彼女の返事を待つ俺の顔は、相当に険しいものになっていたようだ。これではまるで強要しているも同然だ。何が彼女自身に決めさせるだ。
だが、あるいはいっそ強要してでも彼女の意思を誘導してしまった方がいいのかもしれない。
そんな逡巡の中でじっと待つ俺の耳に返ってきた言葉は、素っ頓狂なまでに重みのない口調だった。
「っていうかさぁ」
「な、なんだよ」
思わず俺は聞き返していた。
「そもそもさ、私との契約を今終わらせて、それで契約金を払えるの?」
「……」
確かにそうだった。
そもそもの問題として、《下級》と契約すれば一定額の契約金を組合に支払わなければならないのだ。そしてそれが彼らの収入となる。
《下級》との契約期間は最長で十日間とされており、本来ならばその期間を満了した時に契約金を支払うことになっている。契約の延長も可能ではあるが、その場合でも一度契約金を支払った上で再契約するという形になり、当然その再契約に対して新たに支払いをする義務が生じる。奴隷だってタダでは働かないのだ。
そして、途中で契約を解除したとしても支払いが免除されたり減額されたりということはなく、解除したその時点で全額を支払わなければならない。今契約を解除するとすれば、当然支払いは今だ。
支払うべき金額そのものはそれほど高額ではないのだが、今の俺にはそれすらも払う金がない。
……なんてことだ。これではそもそも少女のことをどうこう以前の問題ではないか。
「い、いやあ、それが無理なんだよな――……あ。で、でも、解体屋に頼んだ換金の金が手元に入れば、それで払うこともできるし……いや、しかしゲオルグもはした金程度しか得られないだろうって言ってたから、それだけは足りないのか?っていうかそれだと今度は俺の方が今晩泊まる宿すらなくなるんじゃ……と、とにかく。それについては心配はいらん。はずだ」
必死に取り繕う俺の焦りを他所に、ため息をつく少女。
「呆れた。だから私なんか助けなければよかったのに」
「あ、あのなぁ。そんな言い方ないだろ」
「いいよ」
「……?」
「私が望もうが望むまいが、あなたは私を助けた。それは確かな恩だよ。その恩を返さないまま金だけもらってすごすご帰るんじゃ、それこそ人間の屑みたいで私はいやだ」
こちらの眼を見返しながら、少女は言う。
「それって……」
「今回の依頼を達成すれば、契約金なんて簡単に払える。例え人間の底辺だろうと、再征者として果たすべき義理は果たす。私のことは好きに使ってくれていい。そして、この依頼が終わったらそこで契約も解除しよう。それから先はもう、あなたの手は借りない。私ひとりで生きていく。……元々そうしてきたんだから」
それが彼女の、確かな意志であるようだ。
あわや安堵のため息さえ出てきてしまいそうだ。少女は快く、俺に同行することを決めてくれた。
だが同時に、その後のことも彼女は明言した。
同行するのはあくまで今回の依頼を終えるまで。その後は契約を解除し、俺との関係は終わりにするという。
まぁ仕方がないことだろう。元々俺が彼女と契約しようがしまいが、最終的にはこの結果には行き着くのだ。これ以上踏み込んでしまえば、彼女という一個人の尊厳を傷つけることになる。俺としては、この決定に反論することはできない。
「分かった。ならもう少しの付き合いっていうことになるな。短い間だがよろしく頼むよ」
そう応えた俺に、少女は小さく頷いた。
そうして俺の方を見据えるその眼からは、いつぞや見受けられた嫌悪と敵愾の意思はもう見て取れなかった。少なくとも、俺のことを多少は認めてくれているようだ。そんなもの、所詮はこちらの楽観的な印象でしかないのかもしれないが。
――そしてこれもあくまで俺の個人的な印象であって、事実がどうであるのかは何も確証できないのだが。
この少女は、真っ当な人間だ。それこそあの色男ルチアーノが合理性にまみれた考えの奥底に持つものと根本的には同じ、健全な人の心があるように思えた。
決して人を蔑む悪人でも、故意を持って冒涜を犯す罪人などでもない。
ただただ普通の、当たり前の人だ。そうであると俺は思いたかった。
そんな彼女がまた、国家と他者……何より自分自身すらも認めて、人間未満のような立場へと自らを貶めることになる。
ただそのことだけは、やはり無念だった。




