11.組合(ギルド)
関所の出口を通った俺の眼に入ってきたのは、クロスロードの市街、その賑わいぶりだった。
見渡すかぎり小高い建物で埋め尽くされ、広い街道の両脇には所狭しと露天のようなものが立ち並んでいる。
建物は煉瓦を積み立てたものや木造のものがほとんどで、こちらからすれば大分前時代的な様式のものに見える。もっとも、俺は建築についての知識なんてなにもないので、なんとなくそう見えるというだけのことだが。
しかしよく眼を凝らしてみると、多くの建物からは魔術によって補強している跡が見て取れる。見た目は古臭くても、実際はかなり頑丈な作りになっているのだろう。
この世界において指折りの大国であるゲルマニア王国。その中でも特に大きな居住区である中継都市は、国内外問わず有名な観光地でもあるようだ。ゲルマニアだけでなく、他国からの来訪者に向けた土産物などを売っている店が多く見受けられる。都市の出入り口といえば、来るものを歓迎し去るものにはもう少しお金を落としていただくためにあるというのはどこでも同じなのだろう。
道行く者達を呼び込んだり、値引き交渉をする声がいくつも重なり響いて、正直鬱陶しいほどの喧騒が鼓膜を絶えず揺らしていた。
街道を行き交う人の数も多く、その誰もが活気に満ち溢れていた。
「――いや、これほどだとは……」
圧倒され、俺は思わずそう呟く。
この光景を見ると、この世界が一度滅びかけたということが俄には信じがたくなってくる。
不意に、どこからともなく香ばしい匂いも漂ってきた。食い物の類を売る屋台もあるようで、立っているだけで腹が空いてきそうだ。実際もうそろそろいい時間だ、腹ごしらえのついでに街の中を見て回りたい気分でもあったが……
お生憎様だ。先も言ったが今の俺には金がない。立ち並ぶ露天を練り歩いたところで何も買えないのでは逆に虚しくなるだけだ。
今はとにかく、目的を達成することを第一にしよう。
遠くの方へ眼を向ける。
ひしめき合うように立ち並ぶ建物のその向こう、都市の中心部にそれはあった。
その姿はどことなく、件の森を抜け最初に眼にしたクロスロードの外壁を思い出させた。それとよく似たシルエットの建物が、視界の先に聳え立っていた。
つまるところ、巨大な砦であるクロスロードの中に、もう一つ大きな砦があったのだ。これではまるでマトリョーシカだな。
あれこそが、再征者を管理する組合。そのクロスロード支部となる建物だ。
依頼の受注をするための案内所や、金銭や素材のやり取りをするための取引所、その他諸々の施設を一箇所に統合した結果、都市の数割を占める凄まじい規模にまで拡大した街の中にある街。
再征者の活動に必要な用事はほぼ全て、あの砦の中で済ませられる。
中継都市の機能の中枢は、あそこへと集約されていた。今俺の周りに見える数々の露天も、その収益の一部は組合の維持費へと回されている。
俺は今からそこへと向かう。
行き交う人々の間を通り過ぎ、視界に入っては消えていく露天に眼を奪われそうになるのをぐっと堪え、とにかくまっすぐ組合に向かって歩いた。
そんな中で、傍らについてくる少女の顔が暗く沈んでいるのが気になった。落ち込んでいるというか、何と表現しよう。周りの賑わいに対して自分を隠しているかのように、俺には思えた。
その理由は、なんとなく分かる。
もしかしたらこのまま黙っていてほしいと向こうは思っているかもしれない。だが俺はつい、隣を歩く少女に声をかけてしまった。
「……こういうのは苦手か?いや、俺だって好きではないけど」
そうして、『やってしまった』と後悔するのはその後だ。後に悔やむから『後悔』というのだ。
俺の声を聞いた少女の顔つきが、少しだけ変わった。
「私達《下級》は、契約されず依頼に出てない時はいつも中継都市の中にいる。この街の中だよ。……どこにいると思う?」
「……さぁ」
歯切れの悪い返事をしたものの、少女がこの先言わんとしていることは具体的ではないにせよ察しがついた。
再征者という者が生まれた理由。それは単に必要だったからだ。自らの身を捧げて人々を守る者が。
そしてそれはなにも昔の話ではなく、魔物の残党が未だ数多く大陸に蔓延っている今も、変わらず続いていることだった。
しかし、再征者というのは考えるまでもなく危険な役目だ。魔物との戦いで生命を落とすことだって大いにあり得る。自ら進んでその任を負う者は、少なくはないが決して多くもない。そして、そんな本当の意味での“勇者”だけでは、この世界は守りきれない。圧倒的に数が足りないのだ。
今の世の中には勇者が必要だ。しかしその勇者がいない。となればどうすればいいか。
誰かに無理やりその役を押し付けるしかない。
その結果として、罪人や孤児など社会における“不適合者”と呼ばれる者達が強制的に再征者として登録されるようになった。それが《下級》と呼ばれる者達だ。
しかしそれは最早、かつてこの大地に、人々への献身のために立ち上がった“勇者”とは似て非なるもの。国家の正式な制度として徴用される奴隷でしかない。
それが彼らだ。
そして、《下級》が制度として国家に管理されているものならば、管理するための場所というものが必要になる。
すなわち――
少女が応える。
「今あなたが向かっているあの馬鹿でかい砦。あの中にね、《下級》の居住区があるんだよ。酷い場所よ……。牢屋みたいな部屋に押し込まれて、他の再征者に契約されるまでは出ることもできない。食べる物は自分で買って手に入れなければいけない。誰かに雇われて依頼をこなすことで貰える、ほんの少しの契約金でね。一度契約をこなせば、三日はなんとか食べていける程度のはした金だ」
「……」
「それすらないような奴は、そのまま飢えて死ぬだけだった。死んだら死んだでそれまで。だって、元々生きている価値もないような連中なんだから。
……それが《下級》だ。肥溜めのような場所だよ。城砦の壁に囲まれて、真っ当な人が住む場所からは隔離されてる。見えないように、安らかな生活を邪魔しないように蓋をされた地獄みたいな場所が、私達の住処」
「……」
もう何度も考えては後回しにしてきたことを、再び思い出す。
俺達は中継都市に到着した。そうである以上、少女もいずれ戻るべき場所へと戻らなければならないだろう。
その戻るべき場所というのがそこなのだ。
胸の奥から、言い様のない気持ちの悪さがこみ上げてくる。
彼女の語った言葉から、ぼんやりと《下級》と呼ばれる者達の生活が脳裏に浮かんでくるような気がして、それを必死に振り払おうとした。
それでも、今この瞬間にもあの巨大な砦の中では、賑わいから隔離され過酷な生活を送る者達がいる。あの森で魔物に喰われて死んでいった人達がいるように。その事実だけはどうしても消えてくれなかった。
勿論、そうせざるを得ない。そうすべき者というのもいるだろう。
大量殺人者とか凶悪な盗賊とか、客観的に見て野放しにしては社会の不利益となる者達。あるいは危険な仕事でもやらなければそもそも食っていくことさえできないような困窮者。
そういう者達を社会のために活用するという意味では、確かに《下級》というのは合理的な制度なのだろう。彼ら一人の生命と引き換えに魔物を一匹仕留められるのなら、それは確かに有意義なことではあるだろうから。
俺だって聖人君子じゃない、それは認めよう。
しかし、だとすれば……
だとすれば、今俺の隣にいるこの少女は?
この少女は何故、そんな人間の道から外れた畜生の世界に身を窶しているんだ?
そんな疑問が頭の中、卵から孵る蜘蛛の子にように群がっては散っていった。
気がついた時には、こんな問いが俺の口をついて出ていた。
「あんたはどうして、《下級》になったんだ」
だがその問いには、にべもなく冷たい返事が返ってくるだけだった。
当然だ。仮に俺が彼女と同じ立場にあるとして、こんなことを聞かれて快く応えられるわけがない。
ましてや俺はこれまで何度彼女の神経を逆撫でしてきたことか……
「そんなこと聞いてる時間あるの?あなたの目的地はここでしょ」
いつの間にか随分と歩いてきたらしい。
ついさっきまで遠くに見えていたはずのものが、気がついた時にはすぐ目の前にまで近づいていた。
何にせよ、少女の言う通り俺は目的地である組合。その施設の一部である案内所の入り口に到着していた。
関所を抜けてすぐの露店街からは打って変わって、物々しい雰囲気を醸し出しながら、再征者と思しき者達が絶え間なく、動かすのにも苦労しそうな大扉が開けっ放しになっている出入り口をくぐって建物の中へと出入りしていく。
時折(当人には悪い言い方だが)見るからに見窄らしい格好をした者を連れ歩く者の姿も見えた。彼らに対し、
「遅いぞ。キビキビ歩けよ」
と怒鳴る者もいた。
おそらくは《下級》と契約しているのだろう。《下級》中には、少女と同じような年頃の子供の姿もあった。身寄りのない孤児が、他に仕方もなく働いているのだろう。失礼ながらよく眼を凝らしてみると、それぞれの《下級》には少女の頰にあるものと同じ、根源で描かれた刻印が見えた。
そういうこともあり得るだろうと分かってはいたことだが、実際にそれを眼にすると思わず息を呑む。この世界では、子供であろうと魔物の前に容赦なく駆り立てる。それがごく普遍的なことになっている。
勿論、全ての子供がそうではないだろう。普通は、親の庇護のもと安らかに暮らすのがほとんどだ。孤児の中にも、誰かしらの養子として迎えられる者もいるだろう。しかし、少しでもそういった“普通”から足を踏み外してしまえば、待っているのはこれだ。
身寄りのない者達は、誰かのために使役されて生き残るか、さっさと死ぬかしかない。
このクロスロードは、世界の縮図だ。人口の何割かを占める爪弾き者が生命を捧げ、大衆の安寧を保っている。この街の賑わいの陰で、苦しむ者達がいる。別にそれが悪いとは言わない。どんな世界にも、多少なりともそういう面は存在するだろう。
しかしこれは危うい均衡でもある。もし今この世界に“異常”が再び現れれば、全てが破綻する。それでなにもかも終わりだ。何も対策をしなければ。
……改めて考えてしまう。
本当に、俺にそれを食い止めることができるのか?
だが、今はこんなことをあれこれ逡巡しているわけにもいかない。まずはこちらの用事を済ませるのが先だ。
俺は周りを絶えず通り過ぎていく者達の後に倣うように、案内所の中へと入っていった。
出入り口を通って最初に眼についたのは、無数に立ち並ぶ受付の窓口だ。それぞれの窓口にはひと目見て美人と表現できる受付嬢の皆様がお待ちしていた。
うむ。怒られるのを承知で言うが、やっぱりこういうのは美人がいてこそだ。
各々の窓口に次々と再征者が訪れては、すぐに去っていく。そんなことが延々と繰り返される光景は、なんというか俺からすれば見慣れたものだった。窓口での手続きなんてものはどんな世界、どんな時代でも同じようなものなのだろうか。それはそれで、こちらとしてもむしろ気負うことなく済む。
早速、適当に開いている窓口へとお邪魔することにした。
俺の姿を見るなり、受付嬢がにこやかな笑みを浮かべる。
「ようこそお越しくださいました。再征者へのご登録をご希望ですか?」
どうやら向こうもこちらの用事はお見通しらしい。だというなら話は早い。
「そうだ。身分証明証や金銭の類は必要なく、すぐに登録できると聞いてきたが、そうなのか?」
「はい、その通りです。登録をご希望されるのですね。少々お待ちくださいませ」
そう言って受付嬢は一度その場を離れた。
ゲオルグから話を聞いた時はどうにも眉唾なものだったのが、どうやら本当に再征者になること自体は簡単らしい。それこそ何の身寄りもない俺としては、あれこれややこしいことにならずに済んで素直に助かる。
まぁ彼も言っていたことだが、現状魔物を撃退し大陸を再開拓するには二百年経った今でもまだまだ人手不足なのだろう。希望する者がいるというのなら二つ返事で了承する。それがゲルマニアの方針らしい。
一分と待たない内に受付嬢が戻ってきて、窓口に一枚の書類とペンと置いた。
「こちらに書かれてある内容に同意された上で、こちらの欄にご署名をお願いします」
そんな事務連絡を聞きながら、俺は広げられた書類に眼を通す。
当然の話であるが、そこに記されていたのは俺が見たこともないような文字の羅列だった。まさしくミミズが這ったようにしか見えない。ゲルマニア王国における公用語であるゲール語だ。
見たことはないし本来読み取ることもできないはずだが、言語の翻訳はこのような場面でも発揮された。書いていることの意味が、自然と頭の中で理解できる。
内容は、なんてことのない所謂“規約事項”というものだ。こんなものどうだっていいわけだし適当に読み飛ばすが、いくつか気になる記載も眼についた。
なになに――
『登録後の階級は兵卒級とし、以後規定の条件を満たしその功績を認められ次第、上位の階級への昇格が認められるものとする。』
『再征者への登録に際して、登録者に対し誓約術式を施行する。』
『依頼失敗による違約金の未払いが長期間続いた場合、その身柄を拘束した上で、下級への再登録を行うものとする。』
エトセトラエトセトラ……
大体眼についた記載はこれぐらいで、他は毒にも薬にもならないようなありふれた定型文ばかりだ。
今更これに目を通して『やっぱりやめよう』なんてことにはならないので、指定された欄に指定されたことを書く。
しかし、まさか必要な項目が名前だけとは……本当にこちらの素性などお構いなしなんだな。
あの関所の検問を通過した時点で身の潔白は証明されたということなのだろうか。
当事者がどんな人物であろうと関係なし、後は実力と成果次第とでも言おうか、なんとも実力主義的だ。
とにかく、言われた通りに書類に名前だけ書いて受付嬢に返す。
これもまた翻訳の応用だろう。自分でも不思議なほど自然と、自分の名前をゲール語で筆記することができた。
それを受け取るなり彼女はそこに書かれた内容を確認し、
「承りました。ニイハラ タカヤ様。貴方の勇気に敬意を。
これより再征者への登録に際しまして、《誓約術式》を施行致します。あちらの列に並んでお待ち下さい」
そういって手を差された先に眼を向けると、いくつかの人影が列を成しているのが見えた。俺と同じく再征者となるべくここを訪れた者達だろう。あの一団に混ざって待っていろということか。
やれやれ、これじゃまるで昔にやった運転免許証の発行みたいだ。まぁ、実際今やっているのは再征者としての免許証作りみたいなものなのだが。
ひとまず言われた場所で待つべく窓口を離れようとしたのだが、その直前、受付嬢に呼び止められた。
「お待ち下さい。差し支えなければひとつお聞きしたいのですが、そちらにおられるのは組合に登録されている《下級》とお見受けします。ニイハラ様はまだ再征者としての正式な登録をお済ませでないようですが、何故《下級》をお連れなのでしょうか?」
……またそれか。再征者でもない者が《下級》と一緒にいるのが余程物珍しいと見える。
こういう詮索に対する応えにはもう常套句ができてしまっている。俺は辟易しながら受付嬢の問いに返した。
「ヴィットリオ・ルチアーノだ。そいつに問い合わせてくれ。それで理由は分かる」
「ヴィットリオ・ルチアーノ殿下ですか?分かりました。こちらで一度確認させていただきます」
「そうしてくれ。そのついでに、確認が取れて俺が『正式な登録をお済ませ』になったら、そのまま彼女との契約状態は“保留”にしておいてくれ」
「かしこまりました。お呼び止めして申し訳ありませんでした」
そう言って受付嬢が頭を下げる。
やはりこういう仕事では美人であることはアドバンテージだ。顔がいいだけで頭を下げられるとこっちもやけに気分がよくなってしまうんだから。こればかりは男としての性質というものだ、批判はしていいが受け付けない。
「別にいいよ。それじゃ、あそこで待ってればいいんだよな」
そう言い残して、俺は今度こそ窓口を後にした。




