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彼の理由彼女の理由

「ねぇ……」


 あの夏の日。

 青い空、うるさい蝉の声、通り過ぎる自動車に遮られ、俺は夏海の声を聞く事はできなかった。




 いつからだろう?

 この土地が嫌になったのは?

 家の後は山、目の前は海というここ双海という土地が俺は嫌だった。

 父は漁師として母は家を守るという昔ながらの家庭の長男として生まれた俺は、小学生の時についに家出を決意する。


『あの山の向こうに行きたい』


 今でも思い出したくない黒歴史だが、あの頃の俺は本当にそれを望んでいた。

 ここではない別の場所で別の景色を見たかったのだ。

 夏のある日。

 水筒に麦茶を入れて、俺は家出を決行した。

 夏海はどうしてついてきたのか、お気に入りの白のワンピースに麦わら帽子をかぶって、遠足の時に使っていたお気に入りのリュックサックまで背負って俺を待ち構えていたのだ。


「私も行く!」

「ついてくんな!」

「や!

 私も行くの!!」


 ぶんぶん首を振って全力でついていく宣言をかましてくれた夏海を俺は説得できず、勝手にしろと歩き出す俺の後ろをとことことついてくる夏海。

 俺達の住んでいた双海町と俺が目指した松山方面の間に小さな峠がある。

 三秋峠というのだが、そこがひとまずの目標である。

 距離にしておよそ4キロ。

 小学生にとって大冒険だし、夏海はそこまでついてこないとたかをくくっていたのだ。

 だが、夏海はついてきた。

 水筒の麦茶を飲もうとしたらリュックサックからサンドイッチを出して俺に渡してくるし、汗を手で拭ったら、タオルを手渡してくるし。

 そんな彼女も俺と同じく高野川駅まで来ると黙る。

 しゃべる体力がなくなって居るのだ。

 日はまだまだ高い。

 三秋峠の標高は100メートルも無いのだが、夏の日の体力が消耗した状態で、その緑の山は巨大な壁として俺たちに立ちふさがっていた。

 意を決して俺は登る。

 夏海は少し立ち止まっていたが、置いて行かないでと言わんばかりについてくる。

 そして、頂上に着くと、その先に広がる松山平野に俺は見とれていた。

 あの先に街があるのだ。


「ねぇ……」


 あの夏の日。

 青い空、うるさい蝉の声、通り過ぎる自動車に遮られ、俺は夏海の声を聞く事はできなかった。

 ただ、泣きそうな、不安そうな夏海の顔が全てを物語っていた。

 もう一度だけ松山平野の方を眺める。

 そして、ゆっくりと夏海の方へ振り返って、俺は家出を失敗する一言を告げた。


「帰るか」

「……うん!」


 あの日の家出は、夕方に家に着いたことで夏の大冒険として終わった。

 あの時、俺は自分の衝動より夏海を取った。

 多分それが、俺の原点の一つなのだろう。

 その原点が、もう少しで離れようとしている。

 それに戸惑いが無いと言えば嘘になる。

 もし、夏海がまたあの時のように俺を引き留めようとしたならば、俺は夏海を振りほどく事ができるのだろうか?




「帰るか」

「……うん!」


 あの時の忍の顔を私は忘れることができない。

 あの時、忍は何かを諦めて私の手を取ってくれたのだ。

 その歓喜を、その後悔を私は忘れる事ができない。




 日が傾いた帰り道。

 とぼとぼと帰る私達だが、暑さは峠を超え海風が心地よく私達を包む。


「なぁ。夏海」

「なぁに?」


 峠を降りた所だったと思う。

 忍が尋ねてきたのは。

 手を繋いで歩く忍の手の暖かさを感じていた私にこんな質問をしてきたのだ。


「いつから気づいていた?」


 その質問に私は思わず笑った。

 当人隠していたつもりたったのだ。あれで。


「かなり前から。

 ずっと地図見ていたし、遊んでいた時もあっちの方見ていたでしょ?」


「そっか」


 これでも小学校で仲良く遊ぶ仲なのだ。

 忍の変化ぐらい気づかないほど鈍くもなかった。

 あとは、忍があの峠の方に歩いていくのを見て、用意していたリュックサックを背負って駈けてきたという訳だ。

 お母さんが気を利かせてサンドイッチをもたせてくれなかったら、途中で二人共リタイアになっていただろう。


「しっかし、遠いな。

 これじゃ、夜になるぞ」


 忍の声が少し焦り気味になる。

 たしかに夜遅くに帰ったら大騒ぎになるだろう。

 けど、リュックサックの中に、秘密兵器が忍ばせてあったのだ。

 リュックサックの中から、その秘密兵器--お年玉の残りである千円札--を見せる。

 眼の前の坂には『高野川駅』の矢印の看板があった。

 子供料金二人で伊予上灘駅まで一駅。

 十分払える金額に忍が肩をすくめて笑った。


「負けたよ。夏海。

 お前、凄いな」


 勝ったことが嬉しかったのじゃない。

 諦めた事が嬉しかった訳でもない。

 私にとっては、この大冒険を、忍と二人の秘密にできる事が嬉しかったのだ。

 多分、私にとって、この冒険が忍への思いの原点。


「だから、帰ろうよ。

 帰るまでが、遠足でしょ♪」


「帰るか」

「……うん!」


 あの時の忍の顔を私は忘れることができない。

 あの時、忍は何かを諦めて私の手を取ってくれたのだ。

 その歓喜を、その後悔を私は忘れる事ができない。

 私は今日告白する。

 その時、忍はまた何かを諦めて私の手を取ってくれるのだろうか?

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