大街道>>JR松山駅
夏海:忍。バイトはいつもどおりに終わるの?
忍:そのはず。今は二次会か?
夏海:うん。大街道のカラオケで二次会。大街道駅で落ち合いましょう。
忍:了解
スマホをカウンターの裏に置いて、カウンター業務をする忍。
普通は駄目だが店長の渡辺慎一郎がああいう人間で、仕事に支障が出ない範囲でと許可をもらっているから問題はない。
出てゆく客の清算と部屋の掃除を終えると、丁度時間になっていた。
「店長。
俺そろそろ時間なのであがりますね」
「もうそんな時間か。
彼女とはいつもの待ち合わせ場所かい?」
エプロンを脱いでロッカーから私物を取り出す。
なお、夏海は暇だとここに押しかけてくるのでしっかりと常連として顔を覚えられていた。
「ええ。
いつものように、大街道から市電に乗って帰りますよ」
それも最後と思うとなんとなく感慨深い。
この市電、伊予鉄道松山市内線と言うのだが、そんな正式名称を松山市民だけでなく愛媛県民も言わずに市電で通じるあたりこの電車がよく親しまれて使われている証拠だろう。
「いつものようにおにぎりとか持っていってくといい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ネットカフェで用意している軽食だが、店長の食事兼こだわりで業者から良いものを仕入れていた。
パンやおにぎりにスープや味噌汁などがいい匂いを漂わせている中、忍は帰りの列車内で食べるおにぎりとパンを数個見繕ってビニール袋に入れる。
「じゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れ様。
卒業おめでとう」
「ありがとうございます。
これからも色々とよろしくおねがいします」
立ち上がった渡辺慎一郎がそういって二宮忍に手を差し出す。
こういう所で筋を通すからこそ、忍はこの店長を気に入っていた。
差し出された手を握って、放した後で忍は深々と彼に頭を下げて、ネットカフェを後にした。
「忍!こっち!こっち!!」
「何だ。
みんな下りてきたんじゃないか」
「このまま会わずに別れるのも何かあれじゃないか。
少し付き合えよ。
ジュースを飲む時間ぐらいはあるだろう?」
手をふる夏海に忍がつっこみ、それを宮田優がフォローする。
大街道入り口のスクランブル交差点。
松山における若者の情報発信地であり、この時間になっても若者たちが大街道を軽くのが途切れない。
その商店街側で十数人の男女が夏海と共に待ち構えていた。
「そうだな。
このまま帰るのも味がないか」
「そうこなくっちゃ!
ほら。忍。
お前の分だ。
音頭はお前がとれよ」
市電のダイヤはこの地方都市では過密に思えるぐらいの数が走っており、五分も待っているとお目当ての列車がやってくるというありがたさである。
それでも22時を超えると途端に少なるのが地方都市らしいと言えばらしいのだが。
忍の手にコーラが渡され、それを飲み終えて電車を逃したとしても問題にはならないぐらいこの時間はまだ市電が走っていた。
「じゃあ、みんな卒業おめでとう!」
「「「「「おめでとー!!!!!」」」」」
周囲の通行人が彼らを見るが、その掛け声を聞いてそのまま通り去ってゆく。
今日はこんな光景があちこちで起こっているのだから。
「ちょっとの間だけど、楽しかったね♪」
「ああ。
ああいうのは悪くないな」
大街道からJR松山駅行きの市電に乗る。
古臭い木目のチンチン電車の中はそこそこの客が乗っており、その殆どがJR松山駅で降りる事になる。
「せっかくの卒業式なんだから少しぐらい羽目を外しても良かったんじゃない?」
「それも考えたけど、卒業式だからこそ羽目を外しちゃ駄目と思ってな。
この春からは一人暮らしをする事になるからな」
「そっか」
ガタンゴトンと左右に揺れる。
白い着物を着た乗客が吊り革につかまって揺れ、その袖が吊り革と同じように揺れる。
四国八十八ヶ所参りの参拝者もこの市電は良く使っており、松山駅から道後温泉に泊まるのはこの四国八十八ヶ所参りの定番コースにもなっている。
「松山での家はどこだっけ?」
「清水町。
学校の近くだよ。
風呂なしで家賃一月15000円」
「お風呂なしぃ!?
信じられない!」
夏海の驚いた声に忍が苦笑してそのからくりをバラす。
「別に風呂に入らない訳じゃないからな。
今のバイトはそのまま継続するからあそこでシャワーを使えるし、道後温泉があるから正直困らない」
忍が言っているのは道後温泉の施設の一つ『椿の湯』の事で、23時まで入れる温泉で入浴料金は400円。
道後温泉本館が観光客向けとするならば、この椿の湯は地元民向けの温泉なのだ。
男一人が風呂に入るなら、水道代ガス代を考えるとこっちの方が得になる。
「まぁ、分からなくはないけどもぉ……」
夏海の煮え切らない声に忍は気にすること無く、車窓に映る松山城の掘を眺める。
大街道からJR松山駅までの所要時間はおよそ15分。
運賃160円の旅は二人にとって当たり前の日常として、その日常を終えた。