07話 砂漠で生きるということ
「食べるに決まってるじゃん」
一番聞きたくない返事だった。
千影さんの声が耳に届いた瞬間、私の時間が止まる。
言葉の意味を理解しまいと必死に抵抗するが、ゆっくりと私を蝕んでいく。
たべる。
食べる?
人間を?
やがて、完全に理解した時に私を襲ったのは、猛烈な吐き気と身体の末端から冷たくなっていく感覚だった。
何とかそれらと、知らぬ間に起こっていた全身の震えを抑え込む。
「い、いや、食べるって……冗談、ですよね? 私を驚かそうとしてるだけですよね!?」
そうだ。そうに決まっている。
そんなことがあっていいはずがない。
しかし、千影さんの答えはまたも私を裏切った。
「冗談じゃないよ、食べるために持って帰る」
限界だった。
私の内側で渦巻いていた、形容出来ないものが爆発する。
「どうして!? なんでそんなこと言うんですか!? 人なんですよ!? 確かに敵かもしれないけど、それでも、それでも私達と同じ人間なんですよ!?」
「この人達は、そうは思ってないよ」
千影さんの発言が、更に私の心を乱す。
この人達は?
この人達も、の間違いではないのか。
「でも!! それでも食べるなんて絶対に間違ってます!! 有り得ないですよ!! おかしいとは思わないんですか!?」
「エリー」
昂ぶる私の感情はしかし、目の前の少女のたった一言で抑え込まれて、冷え込んでしまう。
その声は、今までのどんなものよりも鋭く、私の胸に突き刺さる。
「いや、あっ……その……」
先程までの勢いはすっかり萎えてしまい、どもってしまう。
「君は私達を殺したいの?」
今までに見たことが無い目だった。
表情は全く動かない。
睨みつけられている訳でも無い。
だが、その瞳の奥には確かな怒りを感じた。
余りにも冷たい、心臓すら凍りつかせる怒り。
今から思えばあの岩陰で私に見せた目は、何かを探るような印象だった。
そこに害意が感じられなかったから、軽口で返すことが出来たのだろう。
しかし、それでも彼女の放つ空気は異常だった。
今回は違う。
私に対する明確な敵意が、ありありと感じられる。
怖い。ただひたすらにこの少女が怖い。
「ち、ちがっ……! 私はそんなつもりじゃ……」
「じゃあ、何で私達の生き方を否定するの? ここで食料を得るのがどれだけ大変か分かってる?」
言葉の一つ一つが、鉄の塊のように重く私にのしかかる。
何も答えられない。
「君がどこから来たとか、何をしようとしてるかとか、そんなことは知らないよ。でもさ」
「…………」
「ここは君が今まで居た場所とは違う。砂漠を舐めてると、すぐ死ぬよ」
千影さんへの恐怖と、間違ってると言えない悔しさと、自分の認識の甘さと……
その他にも数えきれない程の気持ちがぐちゃぐちゃに混ざり合い、遂に抑えきれずに涙となって溢れてきた。
何とかこの負の感情を吐き出そうとする。
「…………ごめんなさい…………」
出たのはたったこれだけだった。
「……行くよ。急ぐからラクダに乗って。もう一頭にこの人達乗せて私は歩くから」
「でも」
「嫌なら置いてくよ」
「…………はい…………」
この人に出会って、初めて後悔した。
だが、ついていかないという選択肢は私には選べない。
無力な私には、ただ朽ち果てる運命しか待っていないのだから。
「…………」
「うっ……ひっぐ……」
無言で先頭を歩く自分、泣き止まないエリー、下着姿の男二人。
当たり前だが、会話は無い。
今の気持ちを正直に言わせてほしい。
めっちゃ気まずい。
確かにエリーの発言は少し頭にきたし、彼女の砂漠を軽視した態度も気になってた。
しかし彼女は元々砂漠の人間では無いし、価値観が違うのも当然だろう。
ちょっと言い過ぎたかもしれない。
それは認める。悪かった。
でもまさかこんなことになるなんて思わないじゃん。
これガチ泣きじゃん。
「……エリー、もう直ぐ着くよ」
「ひうっ……!? ごめんなさい……!」
何か声を掛けてもこの調子である。
自分が話上手ではないのもあるが、それにしてもこれはひどい。
エリーとの関係、終わったかもしれない。
出会ってからほんの僅かだが、それでも拒絶されると結構くるものがある。
どうにかして機嫌を直してもらおうと頭を働かせていたが、妙案は浮かんでこず、遂に村のある岩場まで戻ってきてしまった。
「ここだよ」
「ひぐっ…………? ここって……」
巨大な岩壁の前で立ち止まった。
岩と岩とが重なり合った隙間に、入り口のかなり広い洞窟が現れる。
「この中に住んでるんですか……?」
「いや。でもここ通らないと行けないから」
「……怖いです」
穴の向こうは深い闇に閉ざされており、外からでは中の様子は全く分からない。
まるで洞窟自体が侵入者を拒んでいるかのようだ。
「ここからは危ないからラクダから降りて」
「……はい」
素直に従うエリー。
一応は泣き止んでくれたみたいだが、自分からは一定の距離を取り、決してそれ以上は近寄ってこない。
そういうの地味に凹むからやめてほしい。
「……中で迷わないように、私の服掴んどいた方が良いよ」
外からでは分からないがこの洞窟はかなり広く、内部構造を把握していなければほぼ確実に迷う。
さらに足元が滑りやすくなっており、本当に危険なのだ。
決して無理やり接近させようとか下心が働いた訳ではない。
理解してほしい。
しばし悩んでいたエリーだったが、やがて観念した様子で袖の端を掴んだ。
かなり嫌そうな顔だが、掴んでくれただけマシだと考えることにする。
「じゃ、行くよ」
「はい……」
エリーの返事を合図に、我ら一行は闇の中へと歩みを進めた。