09話 エリーと梢
「ほら、座って座って!」
数あるテントの内、最も小さい物へ案内された。
女性に促されるまま、その場に正座する。
テント内を見回すが、特に目立つ物は無い。
中心に寝床らしき場所があるぐらいだろうか。
「そんなかしこまらなくてもいいのよ?」
「あの、ここは」
「ここ? ここは千影ちゃんの家よ」
ここに千影さんが住んでいる。
女の子の部屋にしては少々殺風景過ぎる気がするが、千影さんなら確かに納得出来るかもしれない。
だが、そんなことを気にしている余裕は今の私には無い。
「寂しい家でしょ? いっつももっと物を置きなさいって言ってるんだけどね、聞いてくれないのよね」
「そうなんですか……」
「『邪魔になるから置きたくない』とか言っちゃってさ。全く女子の発言とは思えないわー……っと、そんなことより!」
適当な相槌を返している私の前に、女性が腰を下ろす。
栗色の髪を後ろで一纏めにし、千影さんよりも一回り背の高いその女性は、優しく微笑みながらこう続けた。
「自己紹介しなくちゃね! 私は梢よ、ってさっき千影ちゃんが呼んでたから知ってるか」
照れて頭を掻きながらも、笑顔を崩すこと無く梢さんが語る。
その表情は、こちらの沈んだ感情をほんの少しだけ温めてくれる。
「えっと、私は」
「エリーちゃん、でしょ? ごめんね、さっき千影ちゃんから教えてもらっちゃった」
先程の光景を思い出す。
さっき、とは千影さんが梢さんを呼んだあのタイミングだろう。
会話の長さからすると、名前だけが伝わっているとは考えにくい。
「……私のこと、千影さんに聞いてます?」
「うん、大体はね。……だからその上で質問させてね」
やはりそうかと思う間もなく、ふぅと一つ息をついた梢さんが、真剣な顔つきになった。
こちらの様子を軽く確認する。
最後に顔を軽く覗き込んだ後、言いにくそうに私に問いを投げかけた。
「エリーちゃん……貴女、楽園から来たのよね?」
身体が冷水を浴びせられたかの様に冷たくなり、視界が歪んで梢さんを捉えられなくなる。
またか。
またなのか。
結局、私はこの世界で生きていくことは出来ないのか。
ずっと溜まっていたものが胸に押し寄せてきた。
汚い感情が私の心を侵そうとする。
たまらず目をギュッとつぶり、絶叫した。
「……っ! 仮に、もし、そうだったとしたら、私はどうなるんですか!! 殺されちゃうんですか!? それで、あの人達みたいに、食べられ」
「エリーちゃん」
全て言い切る前に、ふと暖かい何かに包まれる。
久しく感じていなかった、全てを委ねてしまいたくなる温もり。
目を開くと、私は梢さんの腕の中にいた。
「ごめんなさい。いきなり環境が変わって、分からないことばっかりで……混乱しちゃうよね?」
「あっ……」
「何か、辛いことがあったのでしょう? 私には分かってるわ。とっても悲しそうな顔してたもの」
梢さんの言葉の一つ一つが、じんわりと沁み込んでくる。
つかえが一つずつ取れてゆき、凝り固まった心がゆっくりとほぐされていく。
「大丈夫よ。貴女が答えが何であっても決して傷つけないし、誰にも傷つけさせない。信じられないかもしれないけど……これだけは私の命に懸けて誓うわ」
「……っ! ……ぅっ……!」
「だから、今この場なら全部吐き出して良いのよ? 二人だけの秘密にしてあげるから」
「うっ……ぐすっ……うぁぁぁっ……!」
今まで必死に堪えていたものが、音を立てて崩れ去った。
胸につっかえ続けていた黒い感情が、涙と一緒に流れ出していくのが分かる。
今日だけで数えきれない程泣いてしまったが、こんな涙を暖かいと感じたのは初めてだ。
「私……っ! 外に、出たことなくてっ、それで、何にも分からなくてっ、倒れちゃってっ……!」
「うん」
「千影さんに、た、助けてもらったのに、怖くてっ! どうしようもないぐらい、怖くてっ!」
「……うん」
伝えたいことが山の様にあるのに、口から出るのは要領を得ない言葉ばかりで、それが堪らなくもどかしい。
それでも、今の気持ちを止めることは出来ない。
「わ、私、まだ死にたくない……死にたくないよぉ……!」
「よしよし、怖かったよね? 大丈夫、もう大丈夫だからね……」
そっと頭に手が乗せられる。
久しぶりに、本当に久しぶりに感じた安らぎ。
その感覚が優しくて、嬉しくて、私はいつまでも泣き続けることしか出来なかった。
 




