第2話
ここで、話を整理しておこう。
俺は愛する女性に「まー」というなんとも間の抜けた
呼び名で呼ばれている、いや、いた男だ。
名前は丸山雅夫で、やたら「ま」が多いのでそうなった。
で、年齢は50歳。
なんや、おっさんやないか、と読むのをやめる読者がいるかも知れないが、
少し待ってほしい。
彼女、つまり由美だが、出会いは36年前に遡る。
中学1年、電車やバスは大人料金だが、まだまだ子供の頃だ。
俺が最初に彼女を意識したのは、彼女の声だった。
「皆さん、今日はサイモン&ガーファンクルのレコードをかけます♪」
そう、彼女の声は昼休みに放送室から流れてきた。
皆、弁当を食べるのと、じゃべるのに忙しくろくに聴いてはいなかった。
でも、俺にはなんとも心地よい声だった。
どんな子なんやろ・・・
「あれ、しゃべってんの誰や?」
「え、2組の上田やろ。あいつバレー部やのに出たがりやで」
そういう悪意に満ちた中傷は聞き流し、「上田」という名前だけすぐに覚えた。
ただ、それだけだったのだが、ある日のこと、
「丸山くん」と呼びかけられたのだ。あの声で。
振り向くと彼女がいたのだ。顔を見たのは初めてだったのだが素敵な笑顔だった。
「な、なに?なんで俺のこと知ってんの?」
「知ってるよ。バスケ部やろ?」
「ああ」そう、俺は背が高い方だったこともあり、バスケ部にいた。
「私、バレー部やから、いつも体育館のロッカーで着替えしてるから
時々見てたもん」
「そうなんや。」納得。
で、何で声かけてくれたんやろ?
「でさ、クラッシック好きなんやろ?」
「え?何で知ってんの?」中学1年でクラッシック好きなんて、あんまり人に言えない。
「うん、鈴本先生に聞いたんよ。でさ、モーツァルトのレコード、今度流すから
貸してくれへんかな」
そういうことか。
「ああ、ええよ。なんでもええんかな?」
「40番の交響曲?きれいなんやろ?」
「ああ、そやね。明日持ってきたらええんかな」
「うん。お願い。昼休みに放送室に持ってきてくれる?」
「わかった」
それが出会いだった。
次の日、放送室にレコードをいそいそと持って行った。
それから、時々昼休みに話すようになり、距離が近づいていった。
クラスが違うので、その頃はやっていた交換日記をはじめた。
携帯もない時代やからね。
しかし、そんな可愛い交際は長続きしなかった。
ま、俺が子供すぎたのだ。
高校は別々になり、そのまま会うこともなく別々の人生を歩いてきた。
お互いに結婚も経験したが、うまくいかず、一人となっていた。
そこでよくある話と一緒にされると心外なのだが、48歳の時に中学の同窓会で
再会したのだ。
俺は長く関西を離れていて、一人になって戻ってきて半年ほど経った頃だった。
彼女はずっと神戸にいたようだ。
彼女に会った瞬間、30年以上の隔たりが一瞬にして消えたような気がしていた。
もちろん、俺の一方的な感情だった。
それでも、幸せな気分になれた。
その日から、彼女が心から離れなくなっていた。
とはいうものの、いかんともしがたく、勝手に片思いを楽しんでた。
ところが、気まぐれでいたずらな神様がいたもんだ。
同窓会から1ヶ月近くたってから、突然彼女から電話があったのだ。
それからお互いの状況がわかり、よく会うようになり、昔果たせなかった
告白をし、結婚を約束するまでに近づけていたのだ。
ところが・・・
俺は死んでしまったのだ。
来年にはようやく結婚できるという時にだ。
こんな、ひどい話ないよなあ。
何で、再会させたんだよ。何で、恋に落としたんだよ。
何で、告白させたんだよ。気まぐれにもほどがあるぞ、神様。
「神様、なんて、様なんてつけるからですよ」
突然、黒服の男が口を開いた。
俺の考えてることわかんのか。さすがやな。
「じゃなに、普通の人なの?」
「そうですよ。上の世界も地上と変わりませんよ。
社長と社員みたいなもんです。」
「そうなんや。なら、下界のことを邪魔すんなって。」
「仕事ですから」
「で、俺は行くしかないのか・・?」
「そうですねえ。残念ですが」
見下ろすと、由美が泣いている。
悔しいやら切ないやら申し訳ないやら、胸が張り裂けるようだ。
しかし、黒服の男に引っ張られ、葬儀会場の前に停まっていた黒いタクシーに乗った。
そこからはよく覚えていない。
気がつくと、東京都庁を思わせるようなビルの前に車は着いていた。