悪役令嬢の娘は王太子と婚約しました。
「…シェイラ。君と婚約を解消する。代わりにアンナと婚約をするが。良いな?」
そう、わたしに言ってきたのはフオルド王国の現王太子のユークリッド様だった。父君の現国王、エリック様似の黄金の髪に母君の王妃、エイダ様から受け継いだ神秘的な翡翠の瞳の超美男子だ。
眉目秀麗で学問の成績はトップクラス、武芸もかなりの腕前で非の打ち所がないお方なのである。
今は春真っ盛りでこの国では珍しいツツジという花やチューリップなどが裏庭の花壇に咲き乱れていた。
現在、わたしとユークリッド様に最近に転入してきたアンナさんの三人は王立学園の裏庭にて立ち話をしていた。
この光景、うちの母様から聞いた婚約破棄の現場と一緒じゃないの。わたしは深くため息をついた。
「…親子二代そろって婚約を白紙にされるなんて。王家はわたしや母様を何だと思っておられるんですか?」
不満を口にするとユークリッド様に庇われるようにして後ろにいたアンナさんが顔色を青白くさせてびくりと震えた。ユークリッド様もわたしを睨みつけている。
風が吹いてわたしの翡翠色と称される髪やユークリッド様の黄金の髪、アンナさんの腰まで伸ばした栗毛色の柔らかそうな髪が巻き上げられた。
わたしは目を思わず、つむった。ユークリッド様とわたしはもう以前のようにはなれないのか。
脱力感に苛まれそうになったが。わたしは膝に力を入れて必死に耐えた。
目を再び開けると気遣わしげな表情でアンナさんを見るユークリッド様と目を潤ませたアンナさんの二人が視界に入る。
「アンナ。確か、シェイラに嫌がらせを散々やられたと聞いた。それは本当か?」
アンナさんはそれを聞くと我が意を得たりとばかりに頷いた。
「…え、ええ。そうなんです。私、この学園に編入してから一年は経ちますけど。その間、シェイラ様から度重なる嫌がらせを受けていました。最初は悪口を言われたりしていた程度でした。けど、半年を過ぎる辺りから徐々にひどくなって。上履きを隠されたり、教科書を破られたり。外に出た時は水をかけられた事もあります。極めつけは階段を下りていた時に後ろから背中をいきなり押されて。強い力だったのでバランスを崩してしまい、私は階段から転げ落ちてしまいました。幸い、大怪我にはなりませんでしたが。両方の手や左足を打撲して全治するまでに一ヶ月かかりました」
アンナさんはそこまで言い切るとわっと地面にしゃがみ込んで泣き出してしまった。確か、わたしとユークリッド様、アンナさんの三人はクラスこそ違うが学年は一緒で共に学園高等部の三年になる。
アンナさんが王立学園高等部に途中で編入してきたのは去年の春頃だった。つまり、彼女は二年で途中編入した事になる。
それは置いておく事にしてユークリッド様は同じようにしゃがみ込んでアンナさんの背中を優しく撫でていた。わたしはとんだ茶番だと呆れ返る。
さて、わたしはもうお昼休みが終わるからと教室に戻ろうと踵を返した。だが、それをユークリッド様の低い声が止めさせた。
「どこへ行く気だ。アンナにこれだけ、嫌がらせをしておいて謝罪の一つもなしか?」
「殿下。わたしは何もしておりません。アンナさんが言っていた悪口と言うのは作法などについて注意をしただけです。ましてや、上履きを隠したり教科書を破いたりなどわたしが実際にするとでも?」
質問に質問で返すとユークリッド様は眉をしかめた。
「…貴様の言うことを信用しろとでも言うのか。だが、そうだな。婚約を解消されたくないのだったら期限をもうける。それまでにアンナの言っていた件の証拠でも掴んでこい」
「…婚約を解消しない条件といったところですね。わかりました、父様にお願いしてもよろしいですか?」
「それはかまわん。後、期限は一ヶ月だ。長いがそれだけの猶予は与えてやる」
ユークリッド様とわたしの交渉が成されるのをほうけた顔でアンナさんが見ていた。訳がわからないようだ。
「あの。お二人して何のお話をされているんですか。私の言った件の証拠って」
「君は知らなくてかまわない。もう、昼休みが終わるな。行こう、アンナ」
ユークリッド様はアンナさんの手を引いて先に校舎へと戻っていった。わたしも後を追いかけたのだった。
わたしがユークリッド様と婚約をしたのは今から十四年前の事だ。互いに同い年で四歳だった。
四歳の頃のユークリッド様は本当に可愛らしくて天使のようなお方でわたしはご両親の良いとこ取りじゃないのと思った。それくらい、当時からユークリッド様の美貌は際立ったものだった。
最初は遊び友達で始まり、そのうちに親友といえる間柄になった。けど、わたしは恋愛感情だけは彼に持てなかった。何故か、仲の良い友人枠を出ないのだ。
まあ、父様の影響かもしれないと思う時がある。父様ことラウル・ラルフローレン・フオルド公爵は世間では頭の切れる敏腕宰相と言われているらしい。どこが敏腕なのと疑いたくなるくらい、家では母様やわたし達兄弟には甘々だけど。
その父様はわたしに婚約者が早くにできた事を大いに嘆いていた。「あんの馬鹿め。うちの娘にボンクラ王太子をあてがうなんて。もし、あのアリシアーナの子供までもがシェイラ達の婚約者とかになったら俺は許さん」とかお酒を飲みながら母様にぼやいていたらしい。
アリシアーナ様は現国王のエリック陛下の側妃でかつては母様と婚約者の地位を争った事があるそうだ。
だけど、彼女は後宮には住まず、王都の郊外にある離宮に幽閉されている。陛下は視察などがある時を利用してアリシアーナ様の元を訪れているとも聞いた。
そんな事をぼんやりと思い出しながら授業を受けていた。今は歴史の授業をしていた。先生の講義を聞きながらノートに黒板に書かれている重要な事柄を鉛筆で写し書きをする。
「…であるからして。今、フオルド王国はとても商業、特にお酒や工芸品の輸出に力を入れております。また、機織り物も珍しい刺繍が施されているものが外国では人気です」
先生は自分の感想も言いながら授業を進めていく。生徒達もこの歴史の先生を慕っている。かくいうわたしもそうだ。
キンコンカンとチャイムがちょうど鳴った。先生は手元で開いていた教科書を閉じてこう言った。
「では、今日の授業はここまでです」
先生のその言葉を合図にクラスの生徒全員が椅子から立ち上がる。
「…起立、礼。着席!」
クラスの委員長が号令をかけると全員で頭を先生に一斉に下げて上げた。素早く着席する。
そうして、先生は教科書や他の筆記着を片付けて教室を出て行った。わたしは最後の授業が終わったと背伸びをする。
ふと、背伸びをし終えたら同じクラスの女子生徒の一人が話しかけてきた。彼女はわたしの幼なじみで名をイザベラという。侯爵家の長女で母様のご友人であるスーザン様の娘さんだったりする。
「シェイラ。お昼休みに裏庭にいたみたいだけど。殿下と何かあったの?」
イザベラは心配そうにしている。わたしはどう言ったものかと悩む。
「…あの。その事についてはここでは言えないわ。寮に帰ったらその時に説明をするから」
そう言うと大体を察したのだろう。イザベラはわかったと頷いてくれた。
「まあ、誰でも秘密にしたい事はあるわ。けどね、あなたの様子がお昼休みのあたりからおかしいなと思って。寮に帰ったらわたくしがあなたのお部屋に行くわ」
「そうね。そうしてもらえると助かるわ」
「じゃあ、夕食が終わったらシェイラの部屋に行くわね」
そうしてと言ったらイザベラはもう一度頷いて自分の席へと戻っていった。わたしはユークリッド様の「婚約を解消したい」という言葉を思い出して深いため息をついたのだった。
夕食が終わり部屋で寛いでいたらイザベラが昼間に約束した通り、わたしの部屋を訪ねてきた。赤茶色の髪に銀灰色のくすぶった瞳をしたイザベラは目鼻立ちも整っていてかなりの美人だ。
それに比べてわたしはこの国では珍しい翡翠色の髪と淡い青の瞳をしてはいるが顔立ちは普通で目立たない。何でこうなったのかと神様に文句を言いたいと常々思っている。
「シェイラ。約束通り来たわよ。さあ、ちゃんとお昼休みに何があったのか話してくれるわね?」
ドアを閉めた後でイザベラは防音魔法をかけながら言った。にっこりと笑顔でだったのでわたしは頬がひきつりそうになる。何か、イザベラの背後が怖い。黒いオーラのようなものが出ているみたいでだ。
「…わかったわ。説明をするわね」
渋々、頷いて事の次第を説明した。まず、ユークリッド様とアンナさんの二人がわたしのクラスにやってきて呼び出してきた事や裏庭まで連れて行かれた事から話した。そして、ユークリッド様がアンナさんを好きになったから婚約を解消しようと言われた事、最後に婚約を白紙に戻したくないのだったらアンナさんが言った嫌がらせについての証拠を見つけろと条件を出された事までを説明した。
「そして、アンナさんが嘘をついていると言いたいのだったら証拠を一ヶ月以内に探しだして自分に提出しろと言われたわ。一ヶ月というのはユークリッド様の出された期限ね」
一通りの話を終えてわたしは自分で淹れたお茶を啜る。イザベラは黙りながらも眉間を指で揉んでいた。眉間には見事なしわができていて相当、彼女が考えこんでいるらしいことを教えてくれるが。
「…シェイラ。あなた、シェリア様と同じような目にあっているわね。それは良いとしても、殿下もお人が悪いわ。わざわざ、二人の仲を見せつけるために婚約者であるあなたを裏庭に呼び出すなんて。ましてや、婚約を解消ですって。一昨日来やがれと言いたいわ」
「イザベラ。口調が乱れているわよ」
冷静に指摘したけどイザベラはふんと不満そうに鼻を鳴らした。
「言葉使いは今はいいじゃないの。それより、シェイラはこれからどうするのよ。アンナさんの嘘の裏付けをしないといけないんでしょう?」
「それはそうなんだけど。父様に協力してもらうつもりでいるわ」
答えるとイザベラは深いため息をついた。
「呆れたというかなんというか。わかった、父君に助力を仰ぐのね」
「ええ。父様に協力してもらうのは良いとユークリッド様もおっしゃっていたし」
「じゃあ、決定ね。わたくしも協力するわ」
そう言ってくれたイザベラにわたしはお礼を述べた。照れながらも友人としてこれくらいは当たり前よとイザベラは言ったのだった。
あれから、一週間が経った。期限の一ヶ月まで三週間を切っていた。
その間にわたしはアンナさんの実家の事や彼女の素行について独自に調べていた。
といっても父様がラルフローレン公爵家直属の影を貸してくれたからわかった事だけど。まず、アンナさんは王都の外れにあるフェリス領を治めるフォーゲル男爵家の次女で兄が一人、姉が一人の三人兄弟の末っ子だそうだ。ちなみに、あのアリシアーナ様の実家であったフェンディ子爵家とは親戚らしい。アリシアーナ様は精神作用のある魔術を得意としているらしくアンナさんも似たような力があると影が報告してくれた。
わたしは寮の部屋にてそれらをノートにまとめていた。アンナさんは精神操作や魅惑の魔法の使い手だとも聞いた。
後、彼女が言っていたわたしからの嫌がらせの数々もクラスメイトや他のクラスの生徒、下級生たちにも話を聞いてみたけど。皆、口をそろえて「アンナさんの思い込みではないですか?」と言っていた。
けど、ユークリッド様と親しく側近でもある一部の方々は違った。一人目を挙げるとユークリッド様の護衛である現騎士団長子息のリチャード様は尋ねてきたわたしをにらみ据えてきた。
そして、こう言った。「今さら何の用か」と。
これにはさすがのわたしも唖然とした。アンナさんの魅惑魔法にまんまとかかってしまっていることにだ。そうですかと言ってわたしは早めに引き上げたのだった。で、何で退散したかというとリチャード様の目付きが殺気を含んでいるように見えたからよ。
これじゃあ、剣で斬られると直感で思った。後でイザベラに言ったら彼女も逃げて正解だと同意を示してくれたけど。
さて、二人目にも聞きにはいった。そう、二人目はユークリッド様の側近で将来の宰相候補と目されているわたしのいとこのアレックスだ。彼は母様の兄であるトーマス伯父様の長男でフィーラ公爵家の後継ぎでもある。
アレックスにもアンナさんの事を尋ねてみた。すると、彼は疑り深げにわたしを見てこう言った。
「君、殿下に何をしたんだ。まったく、アンナ殿に殿下は骨抜きにされてしまっている」と不満そうに告げた。わたしは彼女が精神操作や魅惑の魔法に長けている事を話した。アレックスはなるほどねと納得したらしい。
後で父上や王妃様に報告してみるよと請け合ってくれた。まあ、アレックスは魅惑とかの術にはかかっていないようなので任せる事にした。
続いて、三人目はユークリッド様の側近で財務大臣で公爵の父君を持つユーノス様だ。彼が最後になる。
ちなみに、前述の二人とユーノス様はわたしと同じ三年生である。
わたしは他の二人と同じようにアンナさんの事を尋ねてみた。ユーノス様は訝しみながらも答えてくれた。
「…何だ。殿下の婚約者のシェイラ殿ではないか。俺に何か用か?」
「あの。最近、殿下とよく一緒にいる女子生徒が気になっていまして。それでユーノス様は側近でいらっしゃるから何かご存知ないかと思ったんです」
簡単に訳を言うとユーノス様はふうんと意外そうに言った。
「殿下と一緒によくいる女子生徒ね。もしや、アンナ嬢の事か?」
「そうです。わたし、彼女の事を陛下や王妃様に報告しろと父に命じられているんです。けど、何も知らないままで報告をしても効果がないと思いましたので。だから、殿下の側近の方々にお話を聞いて回っていました」
あらかじめ、用意しておいた答えを言うとユーノス様は嘘だと気付かずに成る程なと頷いた。
「ああ、それでリチャードやアレックスにも話しかけていたのか。そうだな、アンナ嬢はあのアリシアーナ様のはとこ、従姉妹の子供らしい。そのためかな。魅惑の魔法や精神操作系の魔法が得意のようだ。俺は殿下がその術にかかっていると思う。解呪魔法を使うしかないだろうな」
「…解呪魔法ですか。確か、母がそういった方面に詳しかったと思います。一度聞いてみます」
わたしが言うとユーノス様は目を見開いて驚きの表情になった。
「…君の母君がね。確かにシェリア様はお若い頃から解呪魔法や聖属性の魔法を得意とされていたが。殿下やリチャードにかけられているやつは相当強い術だぞ。魔術師団の団員で解呪に特化した魔術師を学園に寄越してもらった方が良いと思う」
そうですねと答えてわたしはユーノス様がおっしゃっていた事をノートに手早く書き込んだ。
そして、一礼するとユーノス様にありがとうございましたと礼を述べた。ユーノス様はまた驚きながらも笑って手を振ってくれたのだった。
わたしは友人のイザベラに相談をして母様に手紙でユークリッド様が魅惑の魔法や精神操作系の魔法にもかかってしまっている事や婚約解消を言い渡された事などを書いて知らせた。魅惑の魔法や精神操作系の魔法の解呪に必要な呪文や魔具が取り寄せられないかとも書いた。
母様は父様から話を聞いているらしいから何かしらの形で協力してくれるはずだと信じていたけど。
その信用を裏切らず、二日も経たないうちに母様から返事と小包が届いた。手紙をちゃんと読んでくれたのだとじんと感動に浸りながらも手紙の封を切った。
ちなみにわたし付きの侍女は部屋に今はいない。無理を言って出てもらっている。
手紙にはこう書いてあった。
<シェイラ、元気にしているかしら。いきなり、手紙が学園にいるあなたから届いて驚きましたよ。
さて、王太子殿下やリチャード殿がアンナ嬢という人に魅惑や精神操作系の魔法をかけられてしまっているとありましたが。
そのせいで婚約解消などという事を殿下は仰せになったのだと思います。ならば、解呪をしたいともありましたね。
でしたら、わたくしの実家に代々伝わるペンダントを貸しましょう。このペンダントに填めてある宝石は魔力を強く持つ魔石です。それに解呪魔法が幾重にもかけてあります。もともと、フィーラ公爵家は聖属性魔法に長けた一族ですから。
あなたの魔力を込めれば、ペンダントの魔石が威力を発揮してくれるでしょう。呪文は「かの者の呪いを解き給え」と唱えれば大丈夫です。
では、健闘を祈っています>
というものだった。
小包を開けてみたら、透明感のある紫色の魔石と思われる宝石が台座に填めこんである銀の鎖のペンダントだった。とても、華美過ぎずでわたしは目を奪われてしまう。
そして、これを貸してくれた母様に感謝をしながらペンダントをつけたのであった。
翌日、わたしはペンダントをつけたままで学園の教室に入った。本来、学園内では宝飾品を身につけたり魔法を使うことは堅く禁じられている。なので、わたしは昨夜のうちに学園長に連絡をとり、ユークリッド様やリチャード様が精神操作系の魔法に魅惑の魔法もかけられたしまっている事などを説明しておいた。
この際だからと伝達魔法を使わせてもらった。実は伝達魔法は校則で禁じられた魔法としては例外で使う事を認められているのだ。
それを知っていたので有難く使ってみたのだけど。ペンダントは解呪効果があるとも言っておいたから今日は特別につけてきてもよいと許可をもらった。これで準備はできた。
後はイザベラがユークリッド様や婚約者でもあるユーノス様、リチャード様にアレックスの三人を連れてくるだけだ。わたしもアンナさんを呼びに彼女のいる二組の教室に向かった。
二組の教室にたどり着くと一人の女子生徒がわたしに気が付いたらしかった。
「…あの。ちょっといいかしら。アンナ・フォーゲルさんは教室にいる?」
「アンナさんですか。えっと、いますよ。窓際の三番目の席に」
「そう。わかったわ。ありがとう」
にっこりと笑顔で礼を述べて二組の教室に入った。中の生徒たちがざわめき始める。
他のクラスのしかも爵位の高い生徒がいきなり入ってきたのだから驚くのも無理はない。わたしは窓際の三番目の席に近づいた。栗毛色の腰まで伸ばした髪を見てすぐにアンナさんだと気づいた。彼女はぼんやりと窓の向こうの景色を見ている。わたしは呑気な事と呆れた。
「…アンナさん。お久しぶりね」
にこやかに令嬢らしく笑いながら声をかけた。アンナさんは気づいたらしくわたしを見てひっと小さく悲鳴をあげる。
「あ、あなたは。シェイラ様」
「あら、わたしの名前を覚えていたとは光栄ね。今日はね、あなたの言っていた嫌がらせの件で言質がとれたの。証拠物件も見つかったしね。殿下に提出する書類もできたわ。なので今から裏庭に来てくださるかしら?」
「…私、何にもやってないのに。シェイラ様はまだ私をいじめたいんですか?」
「…何をしゃあしゃあと。あなた、元々はあのアリシアーナ様の親戚筋なんですってね。どういうつもりでユークリッド殿下を誘惑したの」
冷たい声で問いかけるとアンナさんは一気に顔を青ざめさせた。わたしは無理矢理、彼女の腕を掴むと教室から引きずり出した。母様と同じような目にあうもんですか。自分で婚約解消なんて打ち消してやるわ。そう意気込みながら嫌がるアンナさんと共に裏庭へ急いだ。
裏庭にたどり着くとイザベラやユークリッド様、リチャード様にアレックス、ユーノス様の五人が待ち構えていた。ユークリッド様やリチャード様は怒りをあらわにわたしを睨み付けている。イザベラは男二人を連れ出すのに苦労したのだろうか。やや疲れ気味の表情をしている。
「…遅くなってごめんなさい。イザベラ、殿下や側近の方々を呼んできてくれたのね。ありがとう」
「あら、これくらいは当たり前よ。お礼は良いから。さっさと始めましょう」
イザベラの言葉にそうねと頷いてわたしはユークリッド様をまっすぐに見据えた。
「…殿下、このようなお忙しい折にお呼びしてしまって申し訳ありません。アンナさんの嘘の裏付けができましたので。書類もここにあります」
わたしはそう言いながら大きな紙封筒から六、七枚ほどの書類を出した。だが、ユークリッド様ではなくてユーノス様やアレックスに手渡した。すると、それを読んだ彼らは顔色を変える。
「…シェイラ。アンナ殿に悪口を言ったとあるけど」
最初に聞いてきたのはアレックスだった。わたしは頷き答える。
「…確かにアンナさんはわたしに悪口をたびたび言われたと話していました。ですが、それこそが嘘です。だって、周りにいた生徒たちも同じようにわたしに注意されているのに悪口を言われただなんて一言も口にしていませんもの。それに彼女にわたしは喧嘩を売った事すらありません」
きっぱりと言うとまだ腕を掴まれているアンナさんの顔色が青から白に変わろうとしていた。
「…シェイラ様。私が嘘を言っているだなんて。それこそ信じられません」
「…そうだな。シェイラ、アンナに悪口を言っていたのは本当だとリチャードからも聞いている」
まだ、悲劇のヒロインのふりをしているアンナさんに同調するようにユークリッド様が言う。だが、それを遮ったのはユーノス様とアレックスだった。
「殿下。俺は最初からアンナ嬢が怪しいと思っていました。ちなみに、シェイラ殿に彼女の得意な魔法属性を教えたのは俺です」
ユーノス様が真剣な顔で告げると負けじとばかりにアレックスも前に出た。
「そうです、殿下。こんな女に骨抜きにされて情けないったらありません。目を覚ましてください。アンナ殿は殿下以外の有力貴族の子息に言い寄ってはパーティーの時などに侍らせているともっぱらの評判です。それに彼女はフェンディ子爵の親戚です。アリシアーナ様が正妃になれなかったからと殿下を害しようと考えているかもしれません」
アレックスが警告の意味で意見するとユークリッド様は我に返ったようだ。アンナさんはうなだれてその場にへたりこんでしまった。
「後、物を隠した件はわたしの友人たちに色々と聞いてみましたが。誰もわたしがアンナさんの物を隠した所を見ていないし知らないと言っていました」
わたしがそこまでいいかけるとイザベラも頷いて同意を示してくれた。
「確かにシェイラがアンナさんの物を隠している素振りなど見た事も聞いた事もありません。わたくしが思うにこれはアンナさんの自作自演かと」
イザベラが口を出した途端、アンナさんがすごい勢いで頭を上げた。それに皆が驚く。アンナさんは叫んだ。
「…違う、違うわ!私、本当に殿下を害するつもりなんてなかった。なのに、私のお父様やお母様は親戚のアリシアーナ様が正妃になれなかったのはラルフローレン公爵家のせいだといつも言っていたから。それで娘にあたるっていうシェイラが学園に通っているって聞いて。お父様に頼んで編入させてもらったの。殿下に近づいてシェイラとの婚約を台無しにしてやろうと思ったの」
わたしはやっと事実を話し出したアンナさんの腕を放した。彼女は逃げなかった。腰が抜けたらしく立てないようだったが。
黙って彼女の自白を聞いていたユークリッド様やリチャード様にわたしは必要ないだろうと思いながらも近づいた。
「…お二人とも。もう二つ、付け加えておきますけど。アンナさんが水をかけられたと言っていた件や階段から突き落とされた件は全部、彼女の自作自演です。水魔法を使って自分で水をかぶり、かけられたと嘘をついた。アンナさんがそうしていたのを目撃していた生徒も数人いて詳しく状況を教えてくれました」
淡々と語るとユークリッド様とリチャード様は意外だといわんばかりに驚いていた。畳み掛けるようにもう一言付け加えた。
「…後、階段から突き落とされた件もアンナさんが自分で飛び降りたと見なすのが自然でしょう。学園長から特別に魔法使用帳を見せていただくとアンナさんの名前がありました。風魔法を使ったようです」
「…風魔法だと?」
これに反応したのはリチャード様だった。不機嫌そうに眉をしかめると腰のベルトにさした剣の束を握る。
「シェイラ殿。これ以上、嘘を言うとあなたといえども斬るぞ」
「…まあ、待て。シェイラ、私たちにここに呼んだのは先日の約束を君が守ったからだろう。わかった、まだ何かあるんだったら話してくれ」
ユークリッド様のいきなりの態度の軟化に戸惑いながらもわたしは胸元からペンダントを取り出した。
「…殿下、リチャード様。今からあなた方にかけられた術を解呪します。これを見てください」
わたしがペンダントを見せるとユークリッド様やリチャード様は渋々、それの台座に填まっている魔石に視線を移した。わたしは大きく息を吸うと呪文を唱える。
「…かの者たちの呪いを解きたまえ!」
簡単に言うだけですごい光と魔力の波動を感じた。あまりのまぶしさにわたしは目を閉じかけた。ユークリッド様やリチャード様もそうらしい。
二人はまぶしそうに目を細めていたらしい。しばらくの間、わたしは術を解呪する事だけに意識を向けた。そして、光と魔力の波動が収まると裏庭の静けさが戻ってきた。
「…あれ、私は何故ここに。シェイラ!」
「あ、俺は?」
呆けた顔をした二人がその場に佇んでいた。アンナさんは唖然とした顔でそれを眺めている。そんな中でいち早く動いたのはユーノス様とアレックスだった。
二人はアンナさんを無理に立ち上がらせると体を押し倒して腕をねじり上げた。
「…これでシェイラ殿に対しての疑いは晴れた。王家反逆と不敬罪により、アンナ・フォーデルを捕らえる!」
アレックスが声をあげるとどこに潜んでいたのか騎士や衛兵が木陰などからぞろぞろと現れた。彼らはアンナさんの両手首をロープで拘束すると引っ立てていった。それをイザベラと見送ったわたしにユークリッド様は申し訳なさそうにこちらを見た。
「…すまない、シェイラ。君に要らぬ負担をかけた」
「謝らないでください。ユークリッド様は騙されていただけです。後、今回の事については陛下と王妃様もご存知ですから。覚悟はなさっておいてください」
笑顔で言うとユークリッド様は苦笑いした。わたしの頬を撫でると額にキスをして、精々頑張ることにするよと言いながら校舎へと戻っていった。わたしはイザベラと目を見合わせた。
「…殿下、わたしにキスをなさったわ。いつもは嫌がっていたのに」
「珍しいわね」
本当よねと言いながらも嫌ではなかったのだった。
その後、わたしとユークリッド様の婚約は解消される事はなくなった。その代わり、何故かユークリッド様から花束や手紙、お菓子などが頻繁に贈られようになった。父様はやたらと機嫌が最近は悪い。花束が届くたびに「あんのボンクラめ」とか暴言を連発している。
それとあのアンナさんの事だけど。彼女は一族と共に牢獄に入れられたという。一生、そこからは出られない。後で影が知らせてくれた。わたしは学園の夏休みを使って実家に帰ってきている。久しぶりに妹や弟たちといっぱい色んな話をした。
母様にもお礼を言ったし。今日もラルフローレン公爵家は平和だ。わたしは窓ガラスの向こうの空に笑いかけたのだった。
終わり