chapter3 「友達をつくりましょう」 初等部二年生編 ③
放課後になり夏葵は少しだけ不安に駆られる胸を叱咤して、音楽室のある棟へときていた。
音楽室は授業で使われている一番大きな教室以外に、生徒が練習として使用できる個室が数十室学園には設置されている。
習い事をしていても楽器などしたことがなかった夏葵は、この音楽室のある棟には出向いたことが授業以外ではほとんどなかった。
歩いていると、防音設備も完備されているため、室内からの音は聞こえてこないが、ほとんどに使用中の札がある。
休憩時間が終わった直後、放課後はここにいるから来てほしいとガーネットから個室の番号を教えられていた。
正直途惑いは大きかったが、聞きたいこともあったので、足を運ぶことにした夏葵は気合を入れる。
それに、友達になれるのなら本当になりたいと思う。
たった二言、三言ぐらいしか言葉は交わしてはいないものの、この子は大丈夫だという確信がなぜだかあった。不思議な子だけれど、理解しようと思って交流を深めていけば理解できるはずだ。
世の中には理解が到底及ばない人もいます。という千早の不吉な言葉を思い出して、そんな不安はぐちゃぐちゃに丸めて心から追い出すように歩みを進める。
ガーネットが指定してきた個室の前まで着くと、やはり使用中の札があった。
ためらいがちにノックして、そっと扉を開ける。
瞬間、音のさざ波が夏葵を襲ってきた。
ヴァイオリンを弾くガーネットは夏葵が入ってきたことに気づいていないようで、一心不乱に弾きつづけている。
優しく、綺麗な音。
荒々しい曲だろうに、夏葵が感じたのは優しい心地よさ。
おっとりとした印象をうけていたのに、ヴァイオリンを弾くガーネットは強く凛として見える。
音楽の知識に乏しい夏葵にはわからないけれど、ガーネットの演奏は心が震えるという極端な感想しか知らない夏葵を、まさにそんな状況にもっていってくれた。
聞き入っていると、いつの間にか演奏は終わっていて、ガーネットがこちらに振り向いていた。
「夏葵ちゃん、来てくれた。ごめん、待った?」
「い、いいえ。今来たばかりですから大丈夫です。菜々月さんも練習のお時間なのに、大丈夫ですか?」
「うん。平気。練習ばかりでもいけないって、おばあ様が言ってるから」
そう言ってヴァイオリンを置いて、夏葵を座ってと椅子に促す。
遠慮がちに椅子に座ると、ガーネットはこちらをじっと見つめてきた。
先に話を切り出されるかと思ったが、ガーネットはこちらを見つめてくるだけで、声を発しようとしない。
「あ、あの……菜々月さん?」
さすがに沈黙にも見られることにも耐えられなくなって声をかけると、「ざくろ」と返ってきた。
「へ?」
「ざくろ。夏葵ちゃんにはざくろのこと、そう呼んでほしい」
「あの、素朴な疑問をお伺いしますが、菜々月さんのお名前はガーネットですよね?」
「うん。そう。でも、おばあ様がざくろって呼んでるから。ガーネットはお母様がつけた名前なの。嫌いじゃないけど」
千早が調べてくれていて先に知っていたが、ガーネットは確かクォーターだったはずだ。
祖父がフランス人。祖母が日本人。父親がハーフ。
けれど、母親が日本人らしい名前をつけるならまだしも、祖母が名前があるのに『ざくろ』と呼んでいるということに驚いた。
家族構成を見た時、祖父か祖母がつけた名前だと思っていたのだ。
「お母様はガーネットって呼ぶ。おばあ様はざくろって呼ぶ。でも、ざくろはざくろの名前のほうがいい。お母様はガーネットを見てないから」
現実での母親のことを思い出してしまい、夏葵の中に苦々しいものが生まれる。
産んでくれたことに感謝はしても、母親だとは思っていない。
どうしても思えない。
あんなに愚かしい人が、母親を名乗ることすら嫌悪を感じる。
なのに、どうして……。
夏李のことを……昔の母親のことも、こんなふうに切り捨てられないのだろうか?
愚かしさは今の母親と同レベル。いや、それよりも、もっとタチが悪い。
醜いと笑ってしまうほどなのに、心がまだ求めているとわかる。
あの牢の中で母と父の愛情を願い乞い続けることが、生きるすべてだった。
それがこんな馬鹿な感情に囚われ続けている由縁なのだろうか?
求めていると知ってしまう度に、理由を探して袋小路に入っている気がする。
理由がわかっていたら、そもそも少しは気持ちの整理もできていると思うから、なおのことだ。
「……不思議な旋律……」
そのぽつりと漏らされた呟きで、現実に引き戻される。
「すみませんでした。お話の途中でぼんやりとしてしまって」
「いいよ。やっぱり夏葵ちゃんは不思議な音がする」
「えっと……?」
言っている意味がわからずに首を傾げる。
不思議な音?
「一年生の終わりに天体観測があったの覚えてる? ざくろ、その時に夏葵ちゃんと友達になりたいって思ったの」
「覚えていますが、あの時に、ですか?」
一年生の終わり、夜に授業の一環で保護者連れ立っての天体観測が行われた。
毎年の恒例行事らしく、天体観測だというのに、天井つきの屋上から高価な望遠鏡で星空を眺めるだけという、授業? と疑問に思うものだったけれど。
もちろん夏葵の保護者は代理で千早が来てくれた。
まあ、授業というより遊びみたいなものですねと千早が言っていた。
千早と一緒だったおかげか、そこそこ楽しめたけれど奏多が二人で星を見ようと誘ってきて大変だった。
二人きりになれる場所などないし、そもそも嫌だったので断固として拒否させてもらったが。
あの時に夏葵と友達になりたいと思っていた?
「どうしてでしょうか?」
「あの時、夏葵ちゃんのほうをたまたま見て綺麗な子だなって思ったの。そしたら夜空に手をかざしたのを見て、音がね、ざくろの中に流れ込んできたの。色んな大人の人達、ざくろと同じ子どもの音を拾ってきたけど、夏葵ちゃんの音は今までとなにもかも違ってた」
夜空に手をかざしていた所を見られていたのは、あんなに大勢人がいたのだから不思議ではない。
「違っていた? どこがでしょうか?」
「音の大きさとか音色とか。今さっきもそんな音がしてた」
意味がわからないと一瞬思って、そのどちらも夏李のことを考えていた時だとわかって、驚いてガーネットを見つめてしまった。
ガーネットはにこにこと笑う。
「どんな子なんだろうって思った。知りたいなって。初めてだったんだ。そんなふうに思ったの。だからクラスの女の子から聞いたりもしたよ。夏葵ちゃんって、どんな子って。みんな紫陽宮様と密かにお付き合いしてる、羨ましいばかりしか言わなかったけど」
「違います! 私と紫陽宮様はお付き合いなどしておりません!」
どこをどう見たら、夏葵の対応で奏多と付き合っているなどと勘違いできるのだろう。
というかみんな!?
それは女子ほとんどということ!?
「うん。見ててすぐにわかったよ。迷惑だって顔にでてた」
ガーネットはわかってくれていたが、他の子達は違う。
あれだけ夏葵が拒否していても、そんなことが本当だと思われているなら、苦労がすべて損したことになる。
それってあんまりじゃないか?
「夏葵ちゃん、ざくろの友達になってくれる?」
「私の絶望を考慮しないところは尊敬します……」
ガーネットだけが違うとわかってくれた。
もうそれだけで友達になる理由は充分ではないだろうか?
「私も菜々月さんと友達になりたいと思っていました。これからよろしくお願いします。ざくろさん。それと、先程の演奏優しくて、とても素敵でした」
「優しい?」と思いっきり首を傾げたものの、すぐに満面の笑みをガーネットは返してくれた。
それから数日後、
「僕は藤ノ百合さんに用があるんだ。どいてくれないかな?」
「嫌。夏葵ちゃんはざくろとお弁当を食べるの。どっか行って」
なぜだか奏多とガーネットの攻防が日々繰り広げられるようになった。
夏葵を巡っての。
「菜々月さんも一緒でかまわないよ。僕も龍之介が一緒にいるんだし」
「嫌なものは嫌。夏葵ちゃんが嫌がってるから、諦めて」
「僕の気持ちを諦めてなんて他人に言われたくないな」
「他人じゃない。ざくろは夏葵ちゃんの友達。夏葵ちゃんが迷惑してるの知ってるから」
「迷惑しないように心がけるよ」
「存在が迷惑」
「……随分な言いようだね」
「ほんとうのこと」
ますます注目を浴びてしまっている現状が悲しい。
ガーネットが夏葵の言えない気持ちをストレートに言ってくれるのは嬉しいけれど、それで他の女子とガーネットがトラブルに巻き込まれたら嫌だ。
まあ、この前も「正しいことを言ったら泣かれた」と言っていたので、心配は杞憂かもしれないが。
なにを言ったのかは聞かなかった。
ガーネットはおっとりとして見えて、かなりやり手なのかもしれないとは最近思ったことだ。
「藤ノ百合さんは変な人に好かれるな」
「神津君のご友人の紫陽宮様も含まれますけどね。それにざくろさんといるのは楽しいので問題はありません」
龍之介に嫌味で返して、問題は一触触発状態の二人をどうするか。
「神津君、お二人を止めてください」
「いや、ここは藤ノ百合さんだろう?」
「夏葵ちゃん、行こう。そんなライオンさんは放っておいて」
「ラ!?」
吹き出さなかったのが奇跡だった。
どうやら外見の相手の特徴をどう見るのか、ガーネットと夏葵は似ているらしい。
肩を震わせて耐えていると、
「龍之介はライオン顔だけれど、かっこいいよ。菜々月さんこそ見た目と中身のギャップがありすぎだよ」
「おい! もう少しそこはフォローするところだろう! 同意するなよ!」
「行こう、夏葵ちゃん」
「行かせないよ。僕の邪魔しないでほしいな」
「夏葵ちゃんは渡さないから、どいて」
収拾のつかなくなった教室で、夏葵はがっくりと肩を落とした。
次のお話から、隠し攻略キャラ、登場予定です。




