第8章 テヘラン大学
第8章 テヘラン大学
10月21日(土)
いよいよテヘラン大学の授業が開始された。日本人の留学生は何故か、全員間違ってアラビア語のクラスに出てしまった。どうも内容が難解過ぎるので、おかしいと思い、教授にペルシャ語で質問をしたらアラビア語の先生と分かり大笑いになった。今日は2レッスン(1レッスンは2時間)あったが、少し簡単すぎた。久しぶりに学生気分になった。20歳くらいになったみたいで凄く楽しい。勉強するって楽しい事なんだな~と思った。
10月25日(水)
今晩は日本の商社の留学生5人でテヘラン大学の日本人留学生結団式を日本レストランの“日本橋”で行った。久しぶりの刺身などに舌ずつみを打つ。明日は国王の誕生日で休日だが、反国王のデモがあちこちであるようで、外人は危険なので外出しない方が良いとの噂で1日アパートに籠る事にする。
10月26日(木)
今日は国王の誕生日だ。テヘラン大学前のシャーレザー通りには戦車や軍用車が終結した。反政府運動は反王制運動へと変化してきた。またその主体が大学生・高校生へと移っており、過激化の傾向が強まってきた。学生たちのスローガンには“統一、闘争、勝利”“政治犯の釈放”“殉教者万歳”と書かれている。イラン、シーア派の最高指導者で、国王に国外追放されていた、アヤトラ・ホメイニ師が亡命先のイラクで政治活動を禁止された為パリへ移動した。その一挙一動がイラン国民に大きな影響を与えだした。
10月31日(火)
昨日6月にテヘランに来てから2回目の雨が降る。今日も雨が降る。やはり天気予報は必要なのだ。
11月2日(木)
大学の授業は休講が増えてきた。半分くらいの教授がストをしているようだ。今週は11レッスンの内、授業の有ったのは6レッスンで、朝寝坊の為出席出来たのは4レッスン(8時間)のみ。周辺が騒がしくなって途中で授業が中止になったりで、正味4時間くらいしか授業を受けていなことになる。レッスンは2時間単位で有る事が多く、一つのレッスンが終わると2時間、時間をつぶして(大抵は、大学の近くにある五井物産の留学生のアパートに行き、皆でだべっている)、次の授業に出ると、先生が来ない事もありガッカリしてしまう。やる気満満で授業に行くのに突然の休講では気が抜けてしまう。
今日は昼から他社の留学生とテニスに行ったのだが、何故か混んでいてテニスは出来ずじまい。仕方が無いので、シルビア・クリステルの映画(多分“続エマニュエル夫人”)を見に行った。ニュースと漫画が終わって、さあ映画がはじまるぞといった時に、後ろの方の観客が(僕たちは前の方に座っていた)、前方の出口に殺到しだしたので、ビックリして僕達も駆け出した。出口付近はパニック状態で外ではパンパンという銃声が聞こえる。一瞬頭の中を400人位が焼け死んだアバダンの映画館焼打ち事件がかすめて、ぞっとした。
イランの映画館は日本と違い映画が始まるとドアを閉めてしまい出入りが出来なくなり、逃げ道がなくなってしまう。アバダンで沢山の死者が出たのは其のせいである。
どうにかこうにか外へ出ると正面のガラスは全部粉々に砕かれていた(多分、投石のせいで)。道路には火がついた材木から黒煙が舞い上がり、軍隊が催涙弾を撃っていた。とにかく今日は一瞬であったが、死の恐怖を味わってしまった。しばらくは映画はやめておこう。最近は授業も受けられず、テニスも出来ず、映画も見られず気が滅入ってくる。更に悪い事にアパートのガスボンベの一つが空になりイランガスに電話をしたがスト中ということで配達出来ないと言われてしまった。残りの一つも空になってしまったらと思うとぞっとする。夕食を久しぶりに一人で食べたら益々気が滅入ってきた。
11月4日(土)
今日ついにテヘラン大学正門前で学生と軍隊が衝突し、軍隊が発砲し65人もの学生が殺された。テヘラン大学には最近連日1万人近い大学生・高校生・中学生が集まり集会を開いており、大学周辺は熱気につつまれた無秩序地帯になっている。イラン人の学生は臆病だからすぐ逃げると言われているが、やはり銃を前にしたら逃げてしまうのは仕方がない。いつものパターンはデモをしたり、石を投げたり、スローガンを怒鳴って軍隊を挑発して、軍隊が追いかけ始めると逃げるのだ。だから大学周辺を歩いていると、彼らに巻き込まれてしまい、一緒に走らねばならないこともある。
今日は10:30からレッスンがあり12時に修了後大学のキャンパスの様子を見に行った。しばらくはいつものように、ヤジを飛ばしていたが交通がすごく渋滞を始めたので軍隊が催涙弾を撃ち放水を始めた。僕たちはお腹も減ったのでお昼を食べに行ったのだが、それから1時間もしないうちに軍隊が正門前で発砲を始め、65人もの学生が殺されてしまった。僕達が30分ほど前にいたところで、しかもお昼を食べたレストランのそばでこんなにも沢山の学生が殺されたのが信じられない。人間の命なんて実にあっけないものだと思った。但し戒厳司令部の発表では死者はゼロであった。
今まで何千、或いは何万人もの人々が軍隊に射殺されたが、自分の身近の出来ごとではなかったので、余り実感をしていなかった。今日は恐ろしさが本当に実感された。
今日の学生の大量射殺をきっかけに、市内は騒然としてきた。12月中旬が山場と思っていたが、このまま一気に国民の不満が爆発し何か起りそうな予感がする。このような状態がこのまま長続きするとは思えない。
9月8日の戒厳令開始の日(テヘラン南東部のデモで300人が射殺)にテヘランの南隣の町レイに行ったことや、バス旅行最後の日のハマダンの事件、映画館の事件など、僕は強運に助けられているようだがこれからはもう少し慎重に行動しようと思う