第5章 ひと時の平穏
第5章 ひと時の平穏
9月13日(水)
かねてから探していたアパート(場所的にはダウンタウンのはずれのような場所)に引越しをする。下宿が1カ月強の契約だったし、何時までも賄い付きの下宿では疲れるのでアパートを借りることにした。古いアパートをリノベーションしたもので、割とおしゃれな造りになっている。 大家が約束した通りのスケジュールで、お湯が出るようにならなかったり、これも大家が約束をしたソファーセットやガスクッカーが設置されなかったりで、毎日大家と言い争いをしている。僕の部屋は1階で庭も有る(共有だが)。1階の隣の部屋はユーゴスラビア人(当時はユーゴスラビアという統一国家があった)の若夫婦、2階には得体の知れないスリランカ人のお兄ちゃんとイラン人のお婆さんが住む事になった。一夜スリランカ人が夕食を一緒に食べようと呼びに来たので、彼の部屋にお邪魔をしたら、米のご飯に魚の缶詰だけで、貧しい生活をしており気の毒になった。彼も一人で寂しいのか、時々庭に枕を落としたとか、サンダルを落としたとか言って、僕の部屋に遊びに来る。隣のユーゴスラビア人の奥さんは割と美人だが、逞しく大柄な人で、共同の庭先には何時も大きなパンティーが干して有り、単身赴任の僕には目の毒(保養?)だ !!!
9月20日(水)
プールで知り合ったイラン人の女の子から、最近何度も電話がかかってくる。英語にペルシャ語混じりで会話をするのだが、余り上手く通じない。面倒臭気なってしまい、ついついつれない態度を取ってしまう。
9月28日(木)
25日からテヘラン国際見本市が始まった。住倉商事もブースを出しており、日本人でただ一人ペルシャ語をしゃべる僕は引っ張りだこだ。日本から出張で来た広報部の御木本さんが、チーフだが実質的には僕が仕切っている。コンパニオンもテヘラン大学のイラン人の綺麗なお姉さんを3人採用した。英語も上手なテヘラン大学の学生である。ここに来ていると色んな人と知り合いになれてとても楽しい。イラン人の知り合いも沢山出来た。今日は休日なのでものすごい人出で、日本のデパートみたいである。僕も段々顔が売れてきており、僕がカウンターに出ると黒山の人だかりになる。今日も友達が沢山出来た。下宿をしていた、大家のドイツ人のおじさんも訪ねてきてくれ楽しい意ひと時を持てた。
10月1日(日)
今日が見本市最終日で、フィナーレの全体パーティが有った。参加40数カ国の代表が集まり、僕も日本代表(?)として参加した。日本人は3人くらいしかいなく、各国の外交官やビジネスマンと同席してなんとなく偉くなったような気分で気持良かった。その後駐在員宅で一杯やって話をしたが、最近駐在員のイランやイラン人に対する考え方と僕自身の考え方にかなりのギャップが有る事に気がつき、なんとなく孤独感を感じる。イランやイラン人との付き合い方が、駐在員と留学生とでは、違うので仕方がないのかなとも思うが?
テヘランの日刊紙Tehran Journalに以下の記事が載る。非常にうれしく思った。
“ The Japanese pavilion is sprinkled with young men from the universities who act as guides for the Iranian customers. They are the Japanese who study Persian in Tehran or Shiraz and are quite fluent”
10月2日(月)
久しぶりに会話学校に行き、午後アパートに帰って昼寝をした。イランでは多くの人が昼寝をする。3時ころ、ペンキ屋、大工、ガラス屋がやってきた。これで今まで懸案だったアパートの未完成部分がほぼ完成する。残ったのは風呂場の鏡くらいである。これで文化的な生活ができるぞ!!! イランでは何事もヤバーシュ・ヤバーシュ(slowly and slowly)が大切なのだ。ガスクッカーも設置され(さ~、これで日本から持参したインスタントラーメンやお茶漬けが食べられると思うとウキウキしてくる)、隣の奥さんに使い方を教えてもらった。大工もよく来るので皆と親しくなっており、雑談の最中に年齢の話になった。大工の一人が31歳とうので驚いた(42~43歳に見える)。隣の奥さんは22歳というのでこれもびっくり(28~29歳と思っていた)。僕が27歳と言うと、今度は皆がビックリ(17~18歳と思っていたそうである)。
隣の奥さんはデッカー・チャップルマーという名前ですが、面倒臭いのでMrs.チャップリンと呼んでいる。彼女が僕に言いました。“お前は27歳にもなって部屋の掃除はしないし、料理の仕方も知らないのか!! なんでも母親にやって貰っていたからそんな風になったのだ。過保護である。今からでも遅くないの、料理や掃除を勉強しろ”
西洋の女性はなんと恐ろしい事を言うのかと思った。
10月3日(火)
アパートの2階に住んでいるイラン人のお婆さんがお茶に呼んでくれた。彼女は一人で住んでいるので、寂しいらしく僕が息子さんと同じくらいの年齢なので、親しみを感じているようだ。彼女も大家に対し凄く反感を持っているようで、これから何か問題が有れば共同戦線を張る事にする。
10月4日(水)
午後見本市で知り合ったコンパニオンが家に招待してくれた。イランでは普通お茶に招かれると、最初紅茶とシリニー(ケーキとパンの中間みたいなもの)が出てきて、次々と色んなお菓子が出て、更に果物が出てくる。一通り終わるとまたこの繰り返しが始まる。よって、適当なタイミングで“ナー、メルシー” ( Non merci !)と言わなければエンドレスになってしまう。ペルシャ語ではNoの事をNaと舌打ちをするようにやや憎らしげに発音をするのだ。メルシーはご存知の通りフランス語からの借用である。