第4章 市内騒然・戒厳令
第4章 市内騒然・戒厳令
8月14日(火)
軍の発表によると、イスラミック・マルキストの暴動に対してイスファファン及び他の2都市で戒厳令が布かれた。デモも投石から爆弾へとエスカレートしてきている。
8月19日(土)
シャーハンシャ―は軍・警察に宗教指導者に対する協力を要請するとともに、今回の一連の暴動は1953年のツデー党の陰謀と同じくコミュニストが裏で動いていると発表した。
アバダンのREX Cinemaの放火事件で377人が死亡。
8月24日(木)
イラン政府への抗議の為に、イラン人学生がオランダのイラン大使館をハイジャックした。
8月28日(月)
アムゼガール内閣総辞職。シャリフ・エマミ新内閣発足。
8月29日(火)
アバダン、コム等で宗教的集会の後で、反政府のスローガンを掲げた暴動が続いている。
8月30日(水)
テヘランで反政府デモ。逮捕者180人。
8月31日(木)
マシャッドで暴動発生。2人死亡。
9月4日(月)
今日はラマダン明けの祝日だ。レストランや映画館も再開し、ヤレヤレだ。しかし最近の暴動により、カジノとギャンブルハウス(イランにはこんなものまであるのですよ !!!!)は閉鎖されることになった。キャバレーも近々閉鎖との情報が流れ、駐在員がぼやいていた。テヘランで10万人規模の大規模反政府デモ。
9月7日(木)
4日に続きイスラム教徒を中心とする50万人強の大規模な反政府・反国王のデモが起こり、イランの政治的危機は一部の過激派によるものではなく、国民の間に深く根ざしている物であることが明確になってきた。この危機を乗り切るために。テクノラート中心のアムゼガール内閣に替り、ベテラン政治家中心のシャリフ・エマミ新内閣が8月28日に発足した。イスラム教指導者からは、反政府・反国王に加え国王に国外追放されたアヤトラ・ホメイニ師の帰国要求が打ち出され政治的危機は混迷を極めつつある。
9月11日(月)
今日は会話学校を休んで、五井物産の岩本君と一緒に、テヘラン大学とMinistry of Science and Higher Education へ行ってResidence Permit の手続きをしてきた。大学の入学手続きは9月19日から始まる。今日、大学の事務局で聞いたら今年は例年より3週間遅れで10月7日からになったそうだが、さらに延期の可能性も有るそうだ。
9月8日に戒厳令(Martial law) がテヘランに施行され夜10時から朝の5時までは夜間外出禁止令( Curfew)が出ている。市内の拠点には戦車や軍用トラックが配置され兵隊が機関銃を構えて立っている。僕の下宿先は割と北の方の高級住宅地にあるので平穏そのものだが、会社やテヘラン大学の近くへ行くと“戒厳令”という雰囲気がする。Martial Law は何となく意味が分かるが、Curfewと言う言葉から夜間外出禁止令はとても想像できない。こんな単語は知らなくて済むなら知らない人生の方が幸せだなと思う。