第1章 テヘラン到着
第1章 テヘラン到着
7月10日(月)
1978年7月10日早朝、パンナム世界一周便でテヘラン、メヘラバード空港に降り立った。パンナムと言ってもピンとこない人が多いと思うが、Pan American Airwaysの略で1927年に設立され、1930年代から1980年代にかけて名実ともにアメリカのフラッグ・キャリアとして世界中に広範な路線網を広げていった、当時世界一の航空会社である。時代の変化に対応できず1991年2月に破産消滅した。
イラン住倉商事管理部の今田課長が迎えに来てくれていた。いかにも経理マンと言った感じの、温厚だが少し神経質そうな目が眼鏡の奥で優しげに歓迎の気持ちを表している。
年代物ではあるが、ガソリンをがぶ飲みしそうな大型のアメ車で土漠の中をテヘランの町へ突っ走る。
テヘランはイラン高原の北西部の、標高1200 mほどの地点にある。北部にエルボルズ山脈がそびえ、その山麓に位置する。南には中央砂漠が広がっている、爽やかな気候の高原都市である。首都になったのは1795年、ガージャール朝のアーガー・モハンマド・シャーがこの地で戴冠したときである。人口は1,100万の国際都市でイランの首都である。
街には高級ブティックやブランドショップも散在し、日本レストランまである。三越直営の弁慶や六本木瀬里奈まで進出しているのには少々驚いた。
ダウンタウンのメインストリートには、華やかなファッションに身を包んだ若い女性たちが闊歩し、これがあの厳格なシーア派イスラムの国なのかと不思議な違和感を感じた。
テヘランの夏の天気予報は毎日こんな感じである。“晴れ、気温30~40度”いつも同じなのであまり天気予報を気にする事もない。ちなみに今日のテヘランの気温は40度だ。空は抜けるように限りなく青い。まさにペルシャンブルーという言葉通りで空も高い。でも日本のように微妙な味わいは少ない。湿度が低いので木陰に入ると涼しく、家には暖炉は有ってもクーラーは無いが、まったく問題ない。
とりあえずイラン住倉商事の単身赴任者寮に入居する。大きな家の各寝室が寮生の部屋になる。日本料理が得意なイラン人コックがいて、結構美味しい日本料理を昼と晩に作ってくれる。僕は留学生なので、日本人と同居をしたのでは、語学が上達しないので、まず1ヶ月くらいはイラン人家庭での下宿に住む予定である。まずは下宿さがしから取り掛かる。下宿探しも大変である。新聞を見て、TELをして、条件を聞き、条件が合いそうなら、家を見に行く訳だが、日本のように住居表示が明確でないし、地図が整備されていないので、なかなか場所が見つからないのである。
7月12日(月)
ペルシャ語の会話学校に入学する。生徒は色んな国から来ている若者達と、僕のような日本企業(特に商社が多い)の留学生たちである。1クラス10人くらいである。テキストは小学校1年の教科書から始まる。ペルシア語は高度な文明を持っていた古代ペルシア帝国から現在に至るまでイラン高原を中心に使われ続けてきた言語であり、文献によって非常に古くまで系統をさかのぼることができる。ただし、現在のペルシア語にはアラビア語からの借用語が非常に多く(メルシー等のフランス語からの借用語もあり、気取り屋のイラン人気質が出ている)、その形態は古代ペルシア語とはかなりの断絶がある。いわゆるアラビア文字を使い右から左に書く。最初はわけが分からないが慣れてくると案外書けるものである。今でも簡単な単語なら書ける。会話学校に行くのには乗合タクシーを使うのだが、これも慣れるまでが大変だ。手を挙げ、行先を大声で怒鳴る。その車と同じ方向なら乗せてくれるが、まずは行きたい場所の地名や通り名を覚えないと怒鳴る事すら出来ない。一発で到達しない場合は、一度適当な所で降りて、また別のタクシーを捕まえるのである。乗りこなせるようになるまでには相当の日数がかかりそうである。
7月19日(水)
下宿さがしは、毎日新聞広告を見て、5~10件電話をするのだが、既に50件位電話した。昨晩も1か所見に行ったが、訪れた家は間違った家だったが、主人が出てきて、日本人は珍しいらしく、家に上がれ、上がれと言われ、お菓子、オレンジや紅茶を出してくれ大歓迎をしてくれた。まずは楽しいひと晩であった。
テヘランの街を歩くと、イラン人気質というかイラン人が何に興味を持っているのか良くわかる。イラン人はけっこう人懐こくて街をぶらぶら歩いていると声をかけられる。良く聞かれるのは、以下の三つの質問だ。“ショマー プールダリーン?” “ショマー ザンダリーン?” “ショマー バッチェダリーン?”。 英語で書くと “Do you have money?” “ Do you have wife ?” “ Do you have children ?” です。要するに、金と女(妻)と子供が関心事なのです。なんと素直で正直な質問なのでしょうか? プライドが高いイラン人にしては驚くほどの素朴さだ。僕がイラン人を好きなのはこのような面もあるからである。