第11章 革命前夜
第11章 革命前夜
11月27日(月)
社長が日本から帰国した。僕も当面イランに残る事になった。昨日辺りから、徐々に街も険悪な雰囲気になってきた。今日駐在員と一緒に車でダウンタウンの銀行に行く途中、車の前方4-5m位のところで軍用車から沢山の兵隊が銃を構えて飛び出してきて発砲(空にだったが)をしたのでビックリした。
多分、アパートの一人住まいは、危険なので僕も12月2~12に日は会社の寮に退避せざるを得ないだろう。
11月28日(火)
夜7時30分から停電。10時に復旧。真暗で何も出来ないので、留学生仲間と電話でおしゃべり。皆は会社にも行かずにのんびりやっているようだ。我が社だけは、何かあるとTELで呼び出しがあり、細かい事を言われる。少し慎重すぎるのではないかと思う。大手商社で家族全員の帰国を決めたのも、アパートに一人で住んでいるのは危険だと言うのも我が社のみだ。でも“君の安全を考えて言っているんだ”“この緊急事態に会社の仕事を手伝うのは当然だ”と言われれば従うしかない。ストレスが徐々に蓄積してきている。
12月1日(金)
パリにいるホメイニ師がNIOC(イラン国営石油会社)の労働者に対し、“石油労働者はストに参加し、外国への石油輸出をストップせよ”との指示を出す。石油が極度に不足し、ガソリン・灯油を求めて長蛇の列が出来る。
12月3日(日)
ホメイニ師がNIOC労働者にスト継続指令を出すとともに、イラン国軍兵士に対し、軍からの脱走と反国王の戦いに参加するよう呼びかけた。
12月4日(月)
立憲君主制の立場を取っていた穏健派の国民戦線も“国王は去れ”に方針を転換し宗教指導者に同調した。石油生産は日産380万バレルに。
12月5日(火)
モッハラム月前夜の12月1日から始まった、シーア派指導者の指示に基づいた夜間外出禁止令を無視したデモは市内で連日継続している。激しい銃声が毎晩聞こえる。夜9時30分頃になるとデモ隊の叫びが聞こえ、それに呼応して各家の屋上或いはベランダから子供を中心にスローガンが叫ばれ、しばらくすると銃声が轟く。4日夜には死者7名と軍の発表があったが、イラン人の誰に聞いても1,000人近く射殺されただろうと言っている。僕自身が聞いた銃声の激しさからして、やはり1,000人位の人が射殺されたと言う方が正しいと思う。今朝会話学校に来たら、近くで銃声が聞こえてきてアパートに帰れなくなってしまった。近所の紅忠の留学生のアパートに退避して、家族宛の手紙を書いている。昨晩は僕の実家からも安否を気遣うTELがかかってきた。
朝になると、平穏な日常に戻るが、暗くなるととすごく不気味で嫌な感じがする。アパートでは夜になるとよく、隣のユーゴスラビア人が呼びに来て一緒に色々話をしたり、情報交換をしている。
12月6日(水)
アヤトラ・タラガニ師が10-11日は戒厳令を無視して宗教行事をおこなうと発表。石油生産は日産300万バレルを割る。輸出は全面ストップとなる。
12月7日(木)
カーター米大統領がパーレビ体制の存続に疑念を表明し対イラン政策の見直しに着手。
国民戦線サンジャビ党首が釈放される。一部に国王との妥協成立説が流れる。サンジャビ党首とホメイニ師の合意事項は①現政権の非合法性・非回教性②民主主義と回教に基づく運動の継続と現政権との妥協拒否③国民投票による民主主義、自主独立、回教に基づく国民政府の樹立である。
12月8日(金)
米国務省はパーレビ体制支持を継続すると発表。
12月9日(土)
アズハリ軍事政権は、戒厳令違反者は射殺をするとテレビ発表を行った。明後日11日のアシュラーの日の騒乱を予想して、今日から僕と単身赴任者寮の数名は3日間の予定で、治安が比較的良いテヘラン北部の駐在員宅へ分かれて避難を行う。
12月10日(日)
軍は大規模な流血事件を避けるため、10-11日のデモを認め、大通りから軍隊を引き揚げた為、整然とした100万人デモがあったのみで、騒乱は起こらなかった(大山鳴動してねずみ一匹といった感じであった)。一方国民戦線は国王の即時退位を要求。反国王勢力は全外国人に対し国外退去を呼びかけた。テヘランのデモは一説によると200万人、政府発表では30万人といわれ真偽は不明。 マシャッド100万人、コム20万人、アバダン30万人、シラーズ30万人と各地で大規模デモが行われた。
12月11日(月)
再び100万人デモが行われ、宗教的スローガンより政治的スローガンが目立つ。石油は日産180万バレルに。
12月12日(火)
イスファファンでデモ隊と軍が衝突。約40名死亡。テヘラン市内は平穏化。この頃国王派と宗教界の妥協工作の記事が良く出る。ホメイニ師がイラン軍青年将校に対し国王打倒を支持するように呼びかけた。またイスラム政権樹立後は現国王を支持している国には石油を売らないと表明。
12月13日(水)
石油は日産100万バレルを割る。政府はクエートやサウジアラビアからの石油製品の緊急輸入の検討を開始。
12月14日(木)
カーター米大統領が再度パーレビ国王支持を表明。アズハリ軍事政権はストライキ職員は解雇する。またデモには強硬措置を取ると発表。
12月18日(月)
問題の10-12日は平穏に過ぎた。最近は毎晩8時30分か9時になると停電になる。今晩は珍しく1時間で電気がついた。いつもは停電になると30分くらい酒を飲んで寝てしまう。暖房用の石油もだんだん市場から無くなってきている。昨日も石油を買うのに、アパートの近くのガソリンスタンドで4時間も行列をした。家族がいる人は適当に行列を交代出来るが、ひとり者はトイレにも行けない。ここ2~3週間は、勉強する意欲がわかないし、何をしてもつまらなく陰鬱な日々が続いている。つかみどころの無い孤独感・無力感に陥って心の拠り所がなく何かにすがりたい気持だ。今週の金曜からスキーに行けそうなのが唯一の救いだ。こんな時だがスキーの板を買いに行った。ロッシニョールの良い板が日本の半額ぐらいで買えた。
12月20日(水)
テヘランの町は小康状態を保っていたが、今日大学周辺で暴動が有り、戦車や軍隊が多数出動した、授業も途中で中止になってしまった。一方ゼネストの一環の停電が毎晩8時30分からあり、ローソクを使っている。ガスランプも買ったが肝心のガスを売っていないので使えない。ストーブの灯油も不足しがちで行列をしないと買えない。料理はだんだん嫌になってきて、簡単なものばかり作っている。作る時間が15~20分で作りだしてから食べ終わるまでで25~30分だ。一番良く作るのが肉野菜炒めだ。僕は他の人のように時間をかけて色々作ろうという気になれないので、料理については、これ以上の上達を諦める。
12月22日(金)
会社の車で駐在員3人とスキーに行く。テヘラン市内から車で3時間くらいの所だ。
スキー場はすごく広く至る所がゲレンデである。イランではスキーはまだ金持ちのスポーツのようで、山小屋風のレストランのデッキチェアーには指に大きなダイアモンドをし、高級そうな毛皮のコートをまとったいかにも金持ち風のマダム達がたむろをしている。山はすごく綺麗で日頃の鬱屈した気分が大いに晴れた。今にして思えば、よくこんな時期にスキーに行ったものだと感心する。
12月26日(火)
会社からTELがあり、近々国外に緊急退避の可能性があるので、必要なもののみスーツケースに詰めて、何時でも国外脱出出来るように準備をして置くようにとの指示があった。愈々である。
12月28日(木)
明日の早朝に国外脱出の連絡があったが、飛行機の席が確保できず延期となった。
今までは、敵意の対象はアメリカ人や韓国人であったが、これからは外国人に対する無差別攻撃が始まるとの情報があり、僕と単身赴任者寮の住人は、再度、市内北部の駐在員宅に避難し共同生活が始まる。一軒に4~5名づつ分宿する事になった。




