第七話 観戦
いつの間に作られたのか、家の前に木造の建造物が出来上がっている。
それはは巨大な物見櫓のような作りだが、階段を登って上部に上がると、しっかりとした椅子が二十個ほど設置されている。
俺はその物見櫓のような建物の上、カルミアとラインに挟まれる形で中央辺りに設けられた席に座っている。
そして、前後左右を初めて見る厳ついおじさんと厳ついおば、女性達が席を埋めている。
観覧席として置くが、そこからは、これまたいつの間に作られたのかわからないが、石材が敷き詰められた舞台が設置されおり、その上で殴りあう上半身裸のイケメンとペラペラの爺さん二人の戦いを、皆が観戦している。
中には酔っ払ったおじさんも数多くいて、良い感じで攻撃がヒットすると歓声を上げている。
まぁ、良い感じも何も、ほとんどの動きを目で追えていないのでギャラリーの歓声からして察している訳ですが。
よく見ると舞台の隅っこに、白と黒の縦縞の服を着たユビさんがいる。
レフェリーをしているのだろか。
おや、半裸のイケメンが転がっている。
ペラペラの爺さんが勝ったのか。
前後左右では、あの魔法がどうだの、イケメンの踏み込みがどうのと観客が話し合っている。
「よし、次は俺だな!」
「……」
スキンヘッドの厳ついおじさんが立ち上がり、そこそこの高さがある観客席から飛び降りる。
同じく立ち上がった軍服姿の金髪のお姉さんが無言のまま舞台へと飛んでいく。
「えー、これは何をしているんですか?」
「飲み会よ」
「そうですか」
飲み会は殴り合いを肴にするのがこの世界の文化らしい。
カルミアは当たり前じゃないのという顔をして答える。
少しむかつく。
「皆、父さんと母さんの仲間なの?」
「そうだ。カキを驚かそうと思ってな。皆、良い奴らだぞ」
「あのー、気絶して倒れ伏している厳ついおじさんの頭部を銃床で削っている軍服を着た女の人も?」
「ルルは、まぁ、そうだな。カルの古くからの仲間だ、良い奴だぞ」
「なるほど」
鬼系ですね。
これは注意が必要だ。
鬼側なのか、父のような岩側なのかを見極めなければ、何かのはずみで頭を削られかねない。
どうしてこうなった。
そう思い、思考を停止させるのでなく、今どうすべきかを考えよう。
まず第一に、戦わない事。
これが最重要だな。
まぁ、俺と同年代の子供なんてのがこの場にはいないので大丈夫だと思いたいが、油断してはいけない。
第二に逆らわない事。
最悪、戦おうと提案されたとしても頑なに拒否すれば、相手が鬼系である場合は危険だろう。
その場合は潔く戦う事に同意して、ぶっ飛ばされよう。
第三に先程から矢継ぎ早に隙さえあれば飛んでくる質問に適切に答える事。
主にカルミアのスパルタ教育をオブラートに包んではいるが、揶揄するような言葉に同調すれば左隣に座っている彼女の逆鱗に触れる可能性が非常に高い。
これも、基本的には両親、特に母親を賛美する方向で答えよう。
「カキよ~、もう核は形成出来てるんだよな~、じゃあ俺と手合わせしようぜ~、な~」
早速、かなり酒が回っているであろう、猿っぽい顔に毛髪が些か不足しているが強引に七三分けにスタイリングしている『ドミンゴ』という壮年の男が絡んでくる。
「えと、ドミンゴさん? の相手を出来る程、俺は強くないですよ」
「あ~? カルとラインの倅だろ~、ならそこらのガキとは違うだろ~? お~?」
「ドミンゴ、あんたが楽しめるほど、カキはまだ強くないわよ。なんなら私が……」
珍しい。
カルミアが助け舟を出してくれた。
というよりは、自分が戦いたいだけっぽいが。
「いや、その~、まぁ~あ」
「ユビー! 次は私とドミンゴだ!」
「はーい」
ドミンゴ氏がフリーズしている。
髪が心なしか乱れて、隠しているであろう頭皮が丸見えのままだ。
右隣のラインは我関せずを決め込んでいるのか、同種族かと思われる岩のようなおじさんと何やら話しこんでいる。
ドミンゴ氏はフリーズしたままであったが、周囲に座っていた鬼系のおばさま達に舞台へと投げ飛ばされる。
項垂れたままカルミアと対峙していたが、レフェリーであるユビさんの開始の合図を聞いて覚醒した。
「カルよ~、俺もちったぁ~強くなったんだぜ~」
「へぇ、それは楽しみね。髪の方はだいぶ弱くなったようだけど」
「……今日は無礼講だ~、だが~……殺すぞテメェ」
観覧席からでもわかるドミンゴ氏の緩く薄い雰囲気が一瞬で消え、殺気が舞台上を包み込む。
カルミアもそれを期待していたのか、天然でドミンゴ氏の地雷を踏んだのかはわからないが、おそらくは後者だろう。
舞台上の剣呑な様子を察知して、観覧席に座るおじさん達も酒を飲む手を止め、舞台上の二人に注目している。
「ドミンゴ、マジギレしてねーか?」
「だな、あいつハゲについて指摘されるとなぁ」
「……カルの本気が見られるかも」
いつの間にか観覧席に戻っていた半裸のイケメンとペラペラの爺さん、軍服姿のルルさんが話している。
厳ついスキンヘッドのおじさんは舞台脇の地面にて未だ頭部から大出血したまま放置されている。
大丈夫なのか?
放置されているおじさんも心配だが、カルミアがドミンゴ氏の殺気によってやり過ぎないかという心配が頭を過ぎる。
勿論、ドミンゴ氏の力量は未知数なので、カルミアがやられてしまう可能性もあるが。
ルルさんが最後に言った言葉も気がかりだ。
カルミアの本気を引き出せる程の力量を、あのドミンゴ氏が持ち合わせているという事。
俺はとんでもない奴に絡まれていたようだ。
喋り方からして小物っぽく、見た目も頭部が主にだらしなかったから強いという印象は無かったが、やはりここにいる人々は、見た目で判断してはダメだろう。
ペラペラの爺さんにしても、見た目は普通の後期高齢者にしか見えない訳だしな。
「ドミンゴ……その殺気、誰に向けてるのかわかってんの? 殺すぞハゲ」
「うるせーよメスゴリラ」
子供の喧嘩丸出しの罵倒の応酬、特にドミンゴ氏の言うメスゴリラを聞いて観覧席の面々が笑いを堪えているように見えたが、カルミアがこちらを睨みつけたので全員が俯いてしまう。
「カキ、笑うなよ。死ぬぞ」
「わかってる。母さんはゴリラじゃない、人間だ。美人でやさしい人間だ」
「やめろ……カキ、それ以上言うな」
ラインが小声で笑うと危険だと注意してくれた。危ない危ない。
僕はあなたを馬鹿にしていませんよとアピールしておく事に成功した。
他の皆は肩を震わせて俯いているが、俺だけは点数稼ぎに余念がない。
あれ?おかしい。
何故か、カルミアの視線の先が俺を捉えている気がする。
ポーカーフェイスで最高の援護射撃をした息子をその殺気が混ざる視線で捉えるのは、どういう事だ。
初めて向けられたカルミアの殺気の混ざる視線は唐突に終わりを迎えた。
カルミアの姿が爆音と同時に舞台上から一瞬にして消え、カルミアが数瞬前まで立っていた場所には些か容量不足の感が否めない髪の毛を風になびかせたドミンゴ氏が立っていた。
「あいつ、やりやがった!」
「爺さん、カキを頼む」
「うむ、任された」
その光景を見て、ラインがすぐにペラペラの爺さんを俺の隣の席へと呼び寄せ、爺さんが両手を前に突き出したままの姿勢をキープし始める。
唐突に開始された戦闘を把握しようと、舞台上から消えたカルミアの姿を探すも、舞台のはるか上空に現れた直径が三十メートルはありそうな球体の水の塊に目を奪われる。
「上だ!」
「カルもマジじゃねーか! 爺さん、いけるか!?」
「任せておけ、この距離なら防げるよ」
ペラペラの爺さんがその容貌に似合わず、突き出した両手の親指を立て、ダブルサムズアップをする。
既に観覧席では誰一人として席に座っている者は無く、皆が立ち上がっている。
上空に現れた巨大な水の塊は、停止したままであったが、よく見るとその中にカルミアの姿があった。
ドミンゴ氏は上空を見上げ、退避するでもなく両手の掌を合わせ身構えている。
変化は先にドミンゴ氏の周囲に現れた。
ドミンゴ氏の周囲に、燃え盛る小さな火球が無数に現れ、上空の巨大な水の塊に向けて火の弾丸となり打ち上げられていく。
燃え盛る火の弾丸が水の塊に激突して爆音と共に大量の白い煙が発生する。
ドミンゴ氏の周囲に作り上げられた火の弾丸が全て上空へと打ち上げられ、爆音が鳴り止む。
大量に発生した白い煙は依然として上空に漂っており、水の塊が消失しているのかさえよくわからない。
「え」
荒れ狂う大量の水が舞台全て、そして観覧席の方へと衝撃波と共に襲い掛かる。
誰のどのような行為によって発生した衝撃なのかは、すぐに理解出来る。
驚きを思わず口にしてしまったが、俺の身を案じたのだろうか、気付いたときには軍服姿のルルさんに抱き上げられていた。
「ルルよ、すまんのう」
「……」
ペラペラの爺さんが滝のように全身から大粒の汗を流し、肩で息をしている。
観覧席へ衝撃波だけで済んだのは、爺さんが何かしらの魔法を行使していたのだろう。
上空に漂っていた白い煙は消え、石材を敷き詰めて作られていた舞台も消えていた。
消えたというよりも、舞台があった地面に大穴が開いている。
カルミアもドミンゴ氏の姿も無く、レフェリーのユビさんも舞台脇で放置されていたスキンヘッドの厳ついおじさんの姿も消えていた。
大穴の周囲を隈なく見渡すと、ユビさんが未だに気を失っている様子の厳ついおじさんの右足を握ったまま、大穴からは離れた地点に立っている姿を発見して安堵する。
まぁ、俺よりもユビさんの方が全然強いんだろうから、心配する必要もないか。
再び沈黙が周囲を包み、観覧席の面々も死者が出たのではと考え始めたのか、様子を見に行こうかと話し始める。
水死体のようにボロボロとなったドミンゴ氏らしき全裸の男性が大穴の淵に、鈍い音と共に出現する。
遅れること数秒、全身がずぶ濡れとなったカルミアが現れる。
「誰かー、治療してあげて。もうすぐ死ぬわね、このハゲ」
カルミアの口にした言葉を聞き、観覧席から二人のおじさんがドミンゴ氏の許へとすぐに駆け寄り、その場で治療を施し始める。
遠目ではよくわからないが、魔力を使用した治癒を施しているようだ。
近くで見たいと思う気持ちよりも、未だに殺気を放ち続けるカルミアに近付きたくないという恐怖が先行する。
あれが本気なのかはわからないが、俺よりも遥かに強者であろうドミンゴ氏を、どざえもんにしてしまう力を目の辺りにすると、本能が逃げろと警鐘を鳴らし続ける。
久しぶりに感じた体の芯から震えるような恐怖。
俺は心配に思い、抱き上げられたままの状態で尻の辺りを確かめようと体をくねらせる。
頭上でルルさんが変な声を上げているが、脱糞したままでは迷惑を掛けるので体をくねらせ、強引に尻に手をあてがう。
よし、大丈夫。
初対面の人達の前での脱糞は、生涯馬鹿にされるネタになるからな。
翌日。
ドミンゴ氏は治療を得意とする冒険者のおじさん二人の手によって意識を取り戻すまでに回復し、カルミアとも和解していた。
ガチの喧嘩の後も決着が付いたら双方遺恨を残さないのが、常識らしい。
この人達は世間では非常識な可能性が高そうだが、へぇ、そうなんですかと無難に返答しておいた。
どこそこの森でどんな風に敵を倒した。
どこそこの迷宮でどんな風に敵を燃やした。
どこそこの路地裏でどんな風に敵を切り刻んだ。
そういった類の話を酔っ払いが次々に俺の許へとやってきて、武勇伝として語るので、この人達が世界の常識人ではないという事を切に願う。
ユビさんだけが異質に思えるほど、そういった類の話はしない。
てか、何で今日もレフェリー姿のままなんだろうか。
「ユビさん、それ気に入ってるんですか?」
「フフフー、これを着ていれば、手合わせを申し込まれなくて済むんだよね。内緒だよー」
なるほど。
策士だなー、俺もこういった強かさを身につけねば。
「加減出来ないしね」
いつだったかに見た、目だけが笑っていないユビさんが呟いた。
策士じゃなくて不器用なだけでした。