第六話 腐敗と自由と暴力と
ノコグマの毛皮を剥ぎ、爪は放置して血抜きする。
右肘から先が明後日の方向に折れ曲がっているので、添え木と固定用の包帯を巻き応急処置だけして放置する。
左手だけしか使えないのと、まだ後頭部から首に掛けて痛みが残るが仕留めた熊肉を火にくべて食す準備を優先する。
ほとんどの作業をラインが行い、調理も行ってくれたが、熊肉ステーキが完成した頃には夜も更けていた。
「カキ、腕は痛むか?」
「痛いけど、熱は出てないし大丈夫かな」
「そうか、一応これ飲んどけ。二錠な」
ラインは透明の小瓶をポケットから出し、こちらへ放り投げる。
左手で熊肉を突き刺して頬張ろうとしていたので、そのまま口で小瓶をキャッチする。
どっかで見た瓶だな。
肉をごっくんしてから小瓶の中に詰まっている錠剤を二つ取り出す。
いつも骨折したり打撲、脱臼の類は注射して箱に入るだけだったので錠剤の薬は、なんか珍しい。
そういや今朝、洗面所で見たアレかな。
「にが!」
「カキ、すまん。間違えた、こっちを飲んでおけ」
「え……。これ何だったの?」
こっちの世界の薬の味がどんなものか興味があったので、水で流し込まずに口に入れて噛み砕いてみると、動物の角を舐めたような味がした。
苦くて不味い。
すると、ラインがやや動揺した様子で口を開き、先ほど受け取ったのとは別の錠剤が入った瓶を取り出し投げてくる。
「聞かないほうが良い」
「……吐き出した方が良い?」
「大丈夫だ、すこし熱が出るかもしれんが、体に害はない」
「そ、そう」
謎の錠剤が入った小瓶をラインに返す。
ラインに小瓶を返す際、効能などが書かれたラベルをちら見すると、男のシンボル云々という文字が目に止まったが、息子として見なかった事にして置いた。
こっちの世界でもそっち系の薬はあるんだな。
思えば、ラインもそうゆう年齢になったんだな。
確か、今年で三十三だったか。
下腹部に無属性魔法で魔力を流し込んで硬化するだけじゃ色々とアレなのかな。
「カキ、お前も冒険者になりたいか?」
「うん」
おとっつぁん、話を強引に切り替える気だな。
男としてここは追求せずに、話をあわせて上げよう。
「お前は俺やカルミアと違って、頭が良い。ユビが言うにはもうほとんど座学では教える事がないらしいじゃないか」
「まだまだだよ。昨日も無知で無謀な頭のせいでああなった訳だし」
「謙遜するな。……カキ、学校はわかるか?」
「うん。大勢の人が集まってユビさんみたいな先生に教えて貰う場所でしょ」
「行ってみたいか?」
今更、同年代といっても実際はかなり年下の子供達と一緒になって勉強するのはなぁ。
見た目は子供、頭脳は大人なあいつのような生活を自分が行うとなると面倒な事が多そうな気がする。
待てよ。この世界の学校なら俺が考える学校とは違うのかもしれない。
「魔法も教えて貰えるの?」
「いや、魔法を使える者ってのがそもそも限られているから、学校では座学を中心に教師から教えて貰う場所らしい。俺もカルミアも学校には通っていなかったから詳しくは知らないんだがな」
「それなら僕は通わない。今は父さんやユビさん、鬼。じゃなくて母さん達から教わる事がたくさんあると思う」
名探偵はごめんだ。
「ユビが言うには学校は学ぶことが本分らしいが、友達も出来る場所らしいぞ」
「友達かぁ……」
確かに友達は欲しいな。
こちらの世界に生まれて以来、暴力の真っ只中に肩まで浸かった生活はあっという間に過ぎ去った。
生きる事が最優先、その次に小さな楽しみを見つける。
そんな訳で友達なんてのは俺の中では欲しいと思う順位が低かったのかもしれない。
まぁ、同年代の友達となると三十手前が対象なんだけども。
学校に通っても見た目は子供、頭脳は大人な奴はいないだろう。
「友達は学校に通わなくても、その内出来るんじゃない? 父さんも母さんも仲間はたくさんいるんでしょ?」
「言われてみると、そうだな」
「もし、学びたいと思えば自立してからでも遅くはないし、何とかするよ」
精力剤の話をごまかす為に学校の話を切り出されたが、これはごまかす為じゃなくて俺の事を心配しての話だったんだろう。
ラインにしろカルミアにしろ、教育者としては失格と言えるような親だ。
いやいや、価値観や文化がそもそも違うので、この考えは乱暴だな。
そもそも、親になった事すらない俺が、どうのこうの言える資格もない。
何が正解かなんて決める事が出来ないよな。
食べ物と衣服、住居を与えてもくれる存在が近くにいるだけで俺は恵まれているんだ。
ラインもカルミアも幼い頃には両親の手を借りずに自立していたらしい。
それを思えば、俺は幸せだ。たぶん。
「カキ!」
「げっ」
カルミアがあらわれた。
たたかう じゅもん
にげる どうぐ
カルミアが不意に出現した事で、俺の脳内にド○クエ風の戦闘画面が浮かび、BGMが流れ始める。
話の流れ上、もう少しカルミアの登場が遅ければ、悪口や馬鹿にした言葉を口にした可能性が高かった。
セーフ、セーフだよね?
カルミアは俺とラインが日が暮れても戻らなかった事を心配して、森の中を捜索していたらしい。
ラインがボコボコにされつつ説明していたが、少しだけ落ち着きを取り戻したカルミアが、プルプルと震えて丸くなっていた俺を抱きかかえている。
久しぶりに抱きかかえられている懐かしい感覚に浸るよりも、いつスイッチが再びオンになるかわからないこの状態は落ち着かない。
そもそも骨折している左肘への配慮なんてお構いなしなので、激痛に顔が歪みそうになる。
しかし、決して顔を歪めてはいけない。
歪めれば放り投げられるか、決して柔らかくない地面に向けて、このままパワーボムなのを経験上知っているからだ。
「ライン、立ちなさい。まだ足りないわ……」
「もうしない。何があっても帰る。すまん」
アカン。
ラインへのお仕置きはまだまだ続くご様子。
ここはフォローしておこう。
「母さん、父さんは悪くない。俺がノコグマに腕をやられて……それで、たまには野宿をしてみたいって我侭を言ったからなんだ」
「……」
カルミアが俯き、俺が真実を述べているのかどうかを確かめている。
鬼改め、閻魔に睨まれて目を逸らしたくなるが、逸らせば色々と危険なので視線を逸らさないで見返す。
沈黙が十秒以上続き、閻魔が小さく溜息を吐く。
「腕が折れたくらい、いつもの事でしょ? どうして野宿をしたかったの?」
ヤバイ。
咄嗟に吐いた嘘の矛盾を突かれている。
テメーの作る晩飯が不味いから男同士で焼肉パーティーを楽しんでいましたとは今更言えない。
「父さんに、その……相談したい事があったんだ」
「母さんには相談出来ない事なのかしら?」
カルミアの瞳に怒気の色が混ざり始めている。
「うん。出来ない」
「そう」
あれ?
助かった?
カルミアがラインの方を見詰め、抱えていた俺を降ろす。
どこかカルミアが哀しそうな表情を見せる。事は一切ない。
どちらかと言えば清々しい表情だ。
「そういう事なら私は先に帰るわね。明日の授業が始まるまでには帰るのよ」
「あ、あぁ、わかった」
「母さん、ありがとう。それと、心配させた事はごめんなさい」
ふぅ。
何とか丸く収まった。
ラインの顔は結構ボコボコになっているが、まぁ良かった良かった。
カルミアは少しだけ笑みを浮かべて、俺とラインを残して帰っていった。
ラインは両目が既に腫れ上がっているので表情は読み取れないが、こちらを見詰めている。
「カキ、助かった。だが、家族に嘘は吐くな」
「わかった。母さんに正直にはな」
「すまん。嘘も時には必要だ」
信念を貫く事は容易ではない。
嘘を吐かないで生きる事が出来るなら、それは素晴らしい。
しかし、現実は弱い者は時には嘘を吐かなければ、強き者に対抗出来ない。
「父さん、嘘は吐かないようになるべくするよ。でも殴り飛ばされる人を助ける為なら嘘は吐く」
「あぁ……カキは時々大人みたいな事を言うな……」
「これ、飲んどく?」
ラインが話すだけでも辛そうだ。
先程渡された小瓶を、ラインに見せる。
小さく頷いたラインは手もプルプルしているので、錠剤を二つ取り出し口に放り込んでやる。
噛むだけでも傷が痛むのか、ゆっくりと咀嚼してラインはすぐにその場で横たわる。
ラインの大きな図体を引きずり、洞穴へと運ぶ。
二人共寝てしまっては、危険な動物が跋扈する森では捕食されてしまう可能性が高い。
ラインが健在であれば寝ていようが大丈夫そうだが、見た感じ朝までは動けそうにない。
昨日からあまり寝ていないが、ここは俺が寝ずに番をしなければ。
無理でした。
六歳児の眠気を舐めてはいけない。
寝ずの番をと張り切っていたが、ノコグマのステーキをお腹一杯食べた俺はラインの巨体をベッドにして朝まで眠ってしまった。
幸い、洞穴に訪問した襲撃者はいなかった。
何故だろう。
ノコグマの匂いを警戒して近づく動物がいなかったのか?
ラインがモゾモゾと起き上がってきたので、何故動物が襲ってこなかったのかと聞いてみた。
ラインが言うにはノコグマがいた洞穴付近に近づく動物はいないらしい。
例え大量の血の匂いが周囲に広がっていてもノコグマが食事をしたと判断する動物が大半。
襲ってくるならば同種のノコグマぐらいだろう。
ラインが何でもないように言い放つ。
カルミアが凄過ぎて忘れがちだけど、ラインも人外レベルなのを忘れていた。
なら、寝ても良いよって言ってくれよ。
まぁ、言われなくても寝たんですが。
それにしても無属性は便利だなぁ。
昨日、あれだけ痛めつけられていたラインの顔や体の痣、裂傷の痕が一つもない。
無属性を扱える者は、瞬時に傷や怪我を治せる訳ではないが、自然治癒力が馬鹿みたいに高い。
核から生み出す魔力量によって差異はあるようだが、人外レベルのラインであれば、一晩眠るだけで完全に回復するようだ。
俺も早く無属性の核をと思うが、地属性とは同時に体内に二つの核を宿らせるなんて離れ業は、まだまだ無理だ。
地属性一つとってみても、鉄の棒を自在に曲げる事が可能になった程度の亀進行だ。
今は両手で複数の鉄の棒を同時に曲げる事を練習しているが、全ての棒を同じ方向に上手く曲げる事が出来ず、足踏みしている。
地味だ。
そう言いたいのはわかるさ。
俺もそう思う。
だが、俺はこの曲げる特性について案外使えるのではと考えている。
その目で見れば絶対厳守させる事が可能な能力や、肉体がゴムのようになる能力、リサイタルを開き歌声で人々を動けなくする能力よりもだ。
笑いたければ笑うが良い。
この『曲げる』力で世界の全てを手にしてやろう。
フハハハハ。
さてと、妄想は辞めにしてお家に帰ろう。
妄想が長く続き、左手で太陽を掴むようなポーズをしていた為、ラインに変な目で見られていたが気にしない。
たまには子供らしい奇行も見せておく必要がある。