第四話 今日は死ぬには良い日だ
「今日は死ぬには良い日だ」
宇宙の彼方の毛むくじゃらの異星人が言っていたような気がすることわざをユビさんが口にした。
俺はその言葉を文字にして机に広げたノートに書き記す。
「カキ君すごいねー。もう読み書きは完璧じゃない? カルとラインからは全然教えてないって聞いてたから心配してたのに」
「まだまだです」
「んー、これなら座学の時間は減らして、魔法の練習に時間を割いたほうが良いかな」
「え゛」
それは死ぬ。
座学の時間が俺の唯一の「体」休まる時間なんだ。
だからこそ、眠い時も、体のあちこちが痛くてもまじめに勉強しているフリをしているんだ。
歴史についてはユビさんの話を聞くのも楽しく、教材として用意されたものよりも学べることが多かった。
しかし、初歩的な読み書きや計算は金さえ出せば入学出来る大学に籍を置いていた立派な過去を持つ俺には容易い。
そんな訳で歴史以外の授業ではわかりきった問題も、ある程度時間を掛けて解き、休息に充てていた訳でこのユビさんからの申し出は寝耳に水だ。
「座学も楽しいし、今まで通りの方が良いです!」
「そう? でもカキ君は冒険者になりたいんだよね? 魔法は必須といえる技術だよ?」
「で、でも、こういう言葉の意味だったり、計算や歴史なんかも大事でしょ?」
「……それもそうだね」
セーフ。
あぶねぇ。
これ以上座学の時間が減れば絶対に死ぬ。
カルミアやライン、ユビさんの交代で行われる魔法レッスンは本当に地獄だ。
子供扱いは終了宣言からのカルミアの鬼っぷりは、以前までが天使に思える程のものなんだから。
ラインの授業は銃器やナイフの取り扱い、体術全般が基本なので楽しいし、何より死の危険がない。
そしてユビさんの魔法のレッスンも魔力の練り方や発動までの流れを反復して行うという、地味ではあるが遣り甲斐のある内容だ。
まだ魔力を練る事自体が上手く出来ないので、木の枝を手に持ち魔力を流すことで圧し折る程度が精一杯。
しかし、このレッスンを受けた当初は枝に魔力を流すまでに一時間以上掛かったことを思えば、日々上達している。
そして、天敵であるカルミアの授業は基本的に暴力だ。
カルミアはあまり物事を人に教えるという事が得意ではなく、また、その事を自覚している事もあり、無属性ではないのに強靭な身体能力から繰り出される打撃や水属性の魔力を使用した攻撃を、ひたすら回避するか体で受け止める事を延々と行うというものがレッスン内容だ。
カルミア曰く、子供扱いであった日々の暴力など可愛く思える痛みと恐怖には慣れるという前に、毎日が死の危険が付き纏う。
午前中は座学中心の生活。
午後からは広大な私有地を使っての、三者(カルミアの割合が半分以上)からの個別レッスン。
そんな生活を送っているからなのか、一つだけ喜ばしい変化が顕著に表れた。
それは何をするにもすぐに疲労を感じていた体が、ある日一切の疲労を感じないと思える程に頑強になった事だ。
正確にはしっかり疲労も感じるが、以前の脆弱な体と比べれば無敵と思える。
そんな思いはカルミアからのレッスンで一瞬で吹き飛ぶ訳だが、それ以外の生活は快適に送れるようになった。
いつ、何故、不意に脆弱な体から頑強な体と持久力が宿ったのか不思議に思い、魔法の練習をしている事と何か関係するのかと、ユビさんに質問したが何故かはぐらかされる。
ラインに聞いても同じで、カルミアに聞いた場合は何故かドヤ顔をされた。
まだ教える事が適切ではない、そういった理由なのかと漠然と抱き、考える事を辞めた。
ユビさんが我が家に寝泊りしつつ、俺の為に座学と魔法のレッスンの教鞭を執ってくれるようになって早一ヶ月。
いつものようにユビさんに魔法の行使のやり方を見てもらっていると、唐突にユビさんが口を開いた。
「だいぶ地属性も形になってきたし、そろそろ次の段階の事について話しておこうかな」
「そうですか? まだ小枝を折る程度しか出来てないですよ?」
「まぁ、実践するにはまだ早いんだけどね。カキ君なら無闇に行使しないと思うから先に教えておくね」
「はい」
「火、地、水、風、無の五属性の内、一つだけを魔力核から生み出した魔力を属性に変化させるって事は教えたけれど、あれは正確には誤りなの。魔力の総量が標準以上ない人は確かに得意な属性を一つ行使するのが精一杯なんだけど、無属性以外の四属性の保有者は、無属性が得意な人よりも行使出来る魔力や錬度は落ちるけど、無属性による身体強化や無機物への魔力を巡らせる事で硬質化させる事が可能なの」
「ふむふむ、ユビさんや母さんも無属性を?」
「うん、私は無属性はあまり得意じゃないんだけどね。スタイル的にも風だけで事足りるのもあるしね。カルミアは、まぁ、そのー、得意属性は無属性なんじゃない? って程に水と無両方を使ってるね」
「……なるほど、それであの巨体で無属性のはずの父さんを……」
「そうだね。でもカルは魔力が無くても規格外だよ」
そのユビさんの言葉を聞き、妙に納得した。
まだまだ魔法が何たるかなんてわからない俺にも、魔力を薄っすらと感じる事は出来る。
カルミアからの暴力、いやレッスン中に受ける打撃は基本的にほとんど魔力が篭っていない。
さすがに俺に向かって本気で拳を突き立てる事をすれば、俺が肉片となる事は辛うじて理解しているらしい母カルミアは手加減している。
それでもだ、あの鬼糞婆の打撃は単純に痛く、重く、鋭く、怖い。
以前のように脆弱な肉体のままであれば、数秒で立ち上がれなくなっているだろう。
「そうだ、カキ君。今日はこれを曲げてみよう」
「これですか……?」
「うんうん、無属性はまだまだ早いから、今は曲げる事に特化するのが良いと思うのね、どうかな?」
「うーん、曲げるだけって役に立ちます?」
「それはカキ君次第。だけど、私もカルやラインもカキ君のその地属性の変わった魔力特性は使い方次第で光ると思ってるよ」
「……技師や職人以外にですか?」
「勿論」
「答え、やっぱり自分で考えるのが大事ですよね」
「そだねー」
カルミアの鬼っぷりを考えつつ、いつものように木の枝を圧し折る作業をしていたが、不意にユビさんから鉄の棒を手渡された。
太さは木の枝とほぼ同じだけど、容易に曲げられそうにない。
正直、空を飛んだり、火を作り出し放つというような事だったらいくつか効果的な使い方が思いつくし、近接、遠隔問わず色々と使い勝手が良いと思う。
しかし、ここ一ヶ月ひたすら魔力を練っても曲げる事しか出来ない。
口にする事は避けてきたが、スプーン曲げを出来た程度でこの命の重さが非常に軽い世界で何の役に立つのだろうか。
ユビさんは使い方次第と言うが、どうしたものか。
曲げる、曲げるなぁ。
鉄を曲げられるって事は、腕の骨なんかも曲げられるか、って無理だな。
骨の周りの筋肉やら何やらも曲げる必要があるし、骨って意外と丈夫な気がする。
それに、いちいち魔力を流し込んで曲げるまで、相手が大人しく待っててくれるなら、銃や刃物を使用した方が効率的なんじゃなかろうか。
練りこむ魔力を増やし、巡らせる魔力をもっと早く流し込めればもっと硬く、太く、大きな対象物でも曲げる事は可能だろうけど、対象に触れずに行う事は不可能だ。
対象に触れる、このリスクを最小限にする為には、結局は素早く魔力を練り、魔力を巡らせる事が必須だ。
「密度と速さ」
「正解!」
「え?」
「曲げる事を戦闘に組み込むには、練りこまれる魔力の密度と対象へと流し込むまでの速さが重要なのを、カキ君は理解したんじゃないかな?」
「はい」
「じゃあ、今は魔力の密度の形成を何度も反復して行う事で高めよう。速さも自然と付いてくるのは、もう理解してるかな?」
ユビさんからの説明は理に適っている。
しかし、この地味なスプーン曲げを何度も行う事は結構しんどい。
というか、飽きる。
ここ一ヶ月小枝曲げ名人の域へと上達した俺は、枝を触るだけでイライラするまでになっている。
モノが変わったといっても、次も同じような形状の鉄の棒だ。
「理解はしてます。でも、無属性で強化して曲げちゃう方が早くないですか?」
「使えるならねー」
「使えませんねー」
使えない。
やり方は簡単、体内の核をもう一つ作り、その核で無属性の魔力を練り込む。
こう説明された無属性の使い方、地属性の魔力さえ満足に練りこめていない俺に、もう一つの核を作り練り練りするなんて離れ業は東京タワー消失マジックよりも難易度が高い。
ここは諦めてシコシコとスプーン曲げを極めるとしよう。
最悪、これで飯が食えるかもしれない。
この魔法のある世界に手品や超能力という概念は絶対にないだろうけど。
木の枝よりも曲がり難さB+(※木はE-。俺主観の評価)の鉄の棒を手に持ちシコシコし始める
ユビさんは何やら厳ついおっさんの顔写真付きの分厚い本に目を落とし、読書を再開する。
鉄の棒をシコシコし始め、更に一ヶ月程経過した。
今日は例によって例の母に痛めつけられる日だ。
だが、最近は体に染み付いた恐怖心から出来るだけダメージが少なく済む様にガードしたり、殴られたり蹴られる瞬間のインパクト時の衝撃を軽減させるような態勢を取れるようになりつつある。
父のラインから体術の基本的な立ち振る舞いは教えて貰っているが、それが実戦形式の母からの暴力に活用出来る程にはなっていないが、受身の取り方はかなり役立っている。
ただ、空気中の水で出来た小さな粒が、唐突に後頭部や腹部にぶち当たる事は回避不能であり、チートではないだろうか。
母カルミア曰く、避けなさいの一点張りなので回避の仕方もわからないままだ。
避け方を教えてくれるはずもなく、体の痛みを軽減する為に自分で考え、回避する術を編み出さなければならない。
「母さん、ハンデくれない?」
「あげないわよ」
今日は鉄の棒シコシコの成果を確かめるべく、一つ思いついた事を鬼で試してみたい。
しかし、いつも通りの鬼の戦闘力を相手にすると、試す前にぶっとばされるので枷を付ける事を提案してみる。
案の定、手加減はしているだろうが甘やかすという発想になったのか、ハンデを受け付けない鬼。
まさに鬼畜。
これも想定通り、ならば挑発してみるしかない。
「怖いの?」
「……。カキ」
怖い怖い怖い。
半分賭けであった挑発に鬼が仁王立ちのまま笑っている。
「良いわよ。その代わり、母さんを失望させたら……」
「母さんは水属性を一切使わないって事でお願いします」
「へぇ、それだけで良いの? 何なら目を瞑って左手以外使わないわよ?」
「いやいや、そこまでする必要はないよ」
「……」
俺の最後の挑発的な言葉を聞いた鬼は無言となり、一瞬で笑みを消したと思いきや、ものすごい速さの踏み込みで殴り掛かってくる。
やりすぎた。
死ぬかもしんない。
今更謝った所で無駄なのは経験上知っているので、まずは直線的な鬼の踏み込みを回避すべく真横に転がる。
水属性の魔法を使用しない鬼であれば、追撃の手段は一瞬だが通常よりも遅れる。
これなら大丈夫。
大丈夫じゃなかった。
鬼は俺の回避行動も完全に読んでいたようで、転がった俺の体を天高く蹴り上げる。
落下地点に付く前に、激痛が走る体を動かし着地しようとするも、落下地点では鬼が待っている。
その日、生意気な口を利いた俺はボコボコにされた上、いつもはレッスン後に治療を施されるが、それも無しだった。
左腕がおそらく骨折しているのだろう為に高熱が体を包む。
俺は全裸にされて軒先に吊るされた。
久しぶりに号泣して脱糞した。