第三十話 信号
もう食えない。
このまま眠りたい。
もうホテルに帰りたくない。
暴食と怠惰の海に思考を漂わせ、人生の桃源郷を満喫していると妨害が入る。
「この子、知り合いだから。ここで良いわ。ええ、大丈夫よ」
「お腹空いた」
「メニューもう一つ持ってきて貰える?」
前方に二人、左隣に一人。
桃源郷へと土足で踏み入れる女が三人現れる。
思わず舌打ちを漏らす。
「会計お願いします」
「ちょっと! 待ちなさいよ」
無視して席を立とうとするが、右は壁、左には髪の長い女が立ち塞がっているので動きようが無い。
机に足をかけて飛び越えようかという考えが頭を過ぎるが、お気に入りの店でもあるし食後のアップルジュースがまだ残っているので躊躇する。
「俺に何か用ですか?」
「ええ、さっきは助けて頂きまして、ありがとう。カキ君? であってるよね?」
「あー、帰って来れたんですね。あの厳つい人達、殺ったんですか?」
「まさか! ちゃんと話し合いで解決したのよ」
「お姉さんー、とりあえずこのセット三つお願い。食後にこれも」
「それで?」
ようやく思い出した。
こいつら、さっき迷宮で言い争いをしていた三人の女の方だ。
明るい店内で見ると、高圧的に話す短髪で鼻の大きい女の印象が迷宮とは違って老けて見える。
迷宮マジックというものを噛み締めつつ、残りの二人にも視線を向ける。
一人は話には加わるつもりが無いのか、メニューを開き追加の注文を考えている。
もう一人は注文を終え、俺の隣で煙草を咥えて一服こいてやがる。
「座ったらどう?」
「……何、ですか? 早く帰らないとマ、お母さんに怒られるんですけど」
普段はママと呼んでいるのでつい癖で言いそうになったのを、慌ててお母さんと言い直すというスキル【母への愛】を発動。
自分を生贄にして墓地からママを蘇らせてターンエンド。
相手のターン。完全にスルー。
「単刀直入に言うけど、私達と組まない?」
「む」
無理、失せろ。
と、言いたい所だがこの三人に少し興味が湧く。
決して美人とは言えない彼女達。
不思議と親近感を抱いてしまう。
アミラは外見も中身も所謂、普通ではない方に針が傾いている。
目の前の彼女達はどこか、俺に近い部分があるのではと、失礼ながら顔面を明るい場所で拝見すると感じてしまう。
「話だけでも聞きますよ。組むかどうかは別として」
「じゃあ、まずは自己紹介からね。私はザビーネ」
「私はマチルダね、よろしくー」
目の前のリーダー格と思わしき女がサビーネと名乗り、俺の横で座る煙草女が目も合わせずにマチルダと名乗る。
「ナツ」
最後の一人はテーブルの角に視線を固定したまま名乗る。
この中で一番おっぱいの大きい女。
顔もおっぱいの大きそうな女である。
サビーネがペラペラと次から次へと自分達の武勇伝や組めばどのような利点があるのかと話しているが
、適当に相槌を打ちつつ考える。
ナツと名乗ったおっぱい。
日本人と言われればそう見えない事もないが、違うと言われれば違うような気もする。
名前の「ナツ」という響きからして、彼女も転生やトリッパーの類の可能性がある。
勿論、日本人ぽい見た目の人間はこの世界に五万といるだろうし、目の前のおっぱいも髪は黒いが瞳の色は茶色だ。
日本語を使用するなど、決定的な判断材料があればとおっぱいの一挙手一投足を見逃すまいと観察し続ける。
決して久しぶりに大きなおっぱいを間近にして、ウホウホしている訳ではない。
生きるか死ぬかの瀬戸際に立ち、おっぱいを凝視する。
「──という訳よ。私達と組む事、考えてくれるかしら?」
「アミラに寄生したいってはっきりと言った方が手短に済んだんじゃ?」
「違うわよ? 私達はカキ君、君と組みたいのよ」
ザビーネの主張をまとめると要は優秀な壁が欲しいというもの。
彼女達三人は全員が近接戦闘を不得手としており、魔力に関しても属性は明かさなかったが無属性は扱えないのだろうと予想出来る。
三人では無理だが、稼ぎが飛躍的に高まる第九階層以降へと足を踏み入れたいという思い。
今までは、というよりも今日まではあの堅気には見えない三人と一月程やや大所帯のパーティーを組んでいたらしいが、喧嘩別れしたばかりで困っている。
それもそのはず、アミラにも随分前に忠告されたが、第九階層以降へと進むには壁が存在する。
どうしてもコスト面の問題も絡むが、第九、十階層に生息するロイを距離を置いての狩りは難しく、前面に立ち対象の足を止める者や直接打撃を加える者が必要らしい。
そして、彼女達が主な狩場としているのが第十三、十四階層らしいが、そこらへんは固有名や彼女達なりの造語などが頻発していたので割愛する。
「要は壁が欲しいんですよね、それなら尚更アミラの方が適任……というか、うちのボスはあいつですよ。直接あいつを誘って下さいよ」
もう興味が薄れてきた。
モブなりに精一杯泥臭く生きているのかと期待したが、何の事はない女を武器にした寄生虫だ。
「気を悪くさせるかもしれないけど、はっきり言って君と彼女とでは違い過ぎない? 彼女、二年前には既に第二十階層以降に単独で潜ってたのよ? それに……ねぇ」
「ザビーネ」
最後の方で言葉を濁すサビーネ、あえて濁したんだろう。
言わずともわかるでしょという顔をしてやがる。
一応、注意した素振りを見せるマチルダだが、これも小芝居に見える。
盗聴器をトイレに放置して来た事を思い出し、微妙な気持ちになる。
アミラを中傷している会話ではないが、俺が引き抜きにあっている事を知ればあいつがどういう行動に出るかが読めない。
というか、面倒事に巻き込まれる可能性が極めて高いな。
「彼女は一人でも大丈夫、というより今までもそうだったじゃない。それに、君も結構有名なんだよ?」
「うちのボスとは別れて、あなた方と組む。そういう事ですか?」
「サビーネは回りくどいのよ、この子の方がはっきりしてるわね」
サビーネが小さく溜息を吐く。
少しだけ間を置いて、再び口を開く。
「その通りよ。こちらが提供出来る事は取り分ね。希望があれば出来る限り答えるつもりよ」
「特にはないです。というより、もう良いですか? 飽きました」
「……こっちが下手に出てりゃ……」
こうなっちゃいますよねー。
終始沈黙していたおっぱいさんの放つ空気や、左隣のマチルダの煙草を吹かす態度からして相当イラついてらっしゃる。
ザビーネはもう苛立ちを隠さず口に出している。
まぁ、飽きたと宣言する前から頬杖ついて最悪の態度で受け答えをしていた俺にも問題があるんだろうけども。
『バンッ』
ザビーネが握り締めた拳をテーブルに打ち付ける。
「こっちはあんたを拾ってやろうって言ってんのよ? アミラに気に入られているみたいだからって調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソガキ」
「……」
「……」
低く、くぐもったザビーネの声が俺に向けられる。
正面に座るナツも顔を上げて、まっすぐにこちらへと殺意の色を混ぜた視線を向けている。
マチルダはどうでも良いや、煙草くせぇ。
俺って絡まれやすい顔してんのか?
この見た目の幼さがこうゆう事態のエンカウント率を高めているんだろうか。
溜息を一つ吐き、同時に項垂れる格好となりつつ頬に当てていた右手を腰の後ろに差しているナイフへとあてがう。
ここならば大丈夫。
相手も荒事は嫌うだろうとは考えてはいけない。
この世界、そしてこの町ではどこであろうと命の取り合いは起こりえる。
「ここじゃ何だし、店変えましょうか。マチ、会計お願い」
「……」
無言のまま立ち上がるマチルダが伝票を鷲掴みにして煙草を咥えたまま会計へと向かう。
「じゃあ、行きましょうか。ナツ、お願い」
「わかった」
「はぁ……」
相手の強さは個々では俺よりも力量は低い可能性も高そうではあるが、属性や武装も不明。
加えて、俺の魔力もほぼゼロ。
眠気によるけだるさが体に重く圧し掛かるこの状況では一人を相手にするのも危うい。
ぼったくりバーへと連行されるような流れではあるが、この世界でのこの状況であれば、もっとぼったくれるだろう事が想起される。
手持ちの金や装備は丸々持っていかれて、更に強引に金を借りさせられる可能性も有り得るな。
自身の興味本位から相手を舐めきった行動に悔しさが込み上げる。
立ち上がり、歯を食い縛りつつ、ぴったりと横を歩くナツの横乳を凝視し続ける。
もう、どうにでもなーれ。
連行されている状態でおっぱいを横目で眺め続ける、腹いせに。
肉料理専門店ソウルミートを後にして左右をザビーネとナツに密着マークされながら歩かされる。
やや後方で相変わらず煙草を咥えたマチルダに詰められている状態。
徐々にストリートの喧騒が消え、絶対に一見では入店しないであろう店舗が立ち並ぶ迷宮周辺ではあまり見掛けない光景が目に飛び込んでくる。
これでもスラムとは天と地の差があるらしい清潔な区画であるらしいが、元の世界を知る俺にとってはここも十分不衛生で小汚い。
路上に座り込む者やそこで生活する者は一切見当たらないが、薄暗く陰気な雰囲気が辺りに広がり続けている。
道幅が狭くなるのに合わせて、前後をザビーネとナツが歩き、いつの間にかマチルダが前方を歩いている。
迷子にならないように道順を記憶に留める。
すれ違うガラの悪そうな男や、場違いとも思える紳士然とした者、彼らのほとんどがこちらへは興味を一切示さない。
子供が三人の女と共にこのような場所を歩くのが奇異なものに映らないのだろうか。
面倒で危険な状況の当人である自覚はあるにはあるが、どうにでもなーれという思いが心を満たし続ける。
「入って」
「これが? 良い店ですか?」
「入れ」
一見さんお断りどころか、ザビーネが招き入れようとする「良い店」は所謂酒場や飲食店が立ち並ぶこの場所には不釣合いだ。
地下へと降りるタイプの店舗はこの町ではあまり見ない。
階下は暗く、更に地上部分に立つ店舗というには上品が過ぎるデキの小屋。
周辺の店舗も上品や優美とはかけ離れているが、これは酷い。
ザビーネの二度目の招き入れの言葉に棘を感じ、仕方なく階下へと足を進める。
どんな材質で出来ているのやら、分厚く重そうな真っ黒な扉が開かれる。
扉の向こう側、室内は赤、青、黄に照らされた照明。
どうゆう神経してこんな照明にしているのか、頭を疑う。
そんな思いで室内を見渡すと、意外な事に普通である。
入り口の正面、カウンターがありその奥の壁には整然と並べられた酒瓶やグラス。
高級な酒場というよりはどこにでもあるようなスナックといったところだろう。
信号機のような照明のお陰で台無しにしているが、奥には背の低いテーブルとソファーが見える。
想像だにしていなかった気が滅入る信号スナックの入り口の前で、数秒間立ち竦んでいると背中をやや乱暴に押され店内へと足を踏み入れる。
店員や客の姿が見当たらず、困惑の色を強める。
慣れた場所なのだろうか、マチルダがカウンターの奥に立っている。
「何か飲む? 遠慮はいらないわよ。ここ、私達のお店だから」
ザビーネから放たれたその一言に妙に納得してしまう。
こいつら、やっぱりダメだ。色々と。
「それより、ここまで来てまだ話すこと──」
背後から微かに衣擦れのような音と、何となくだが魔力の揺らぎのようなものを感じる。
発言しつつもそんな違和感を覚えたと同時に首筋の辺りに刺す様な痛みが走る。
視線を痛みが走る方向に向けると針にしては太すぎる、見ようによっては釘のような物が突き刺さっている。
万全の状態だっとしても、これは回避出来たかどうか怪しい。
引き抜くのはやばそうではあるが、目の前のこいつらをどうにか……。
「無いわね。二度手間になるし」
眠気が吹っ飛ぶ激痛に耐えながら、呼吸をする度に首と胸の辺りに異物があるような違和感を覚える。
サビーネの言葉にほとんど意識が向かわないが、その表情から碌でも無い事だと理解する。
終わったなかな、こりゃ。
釘のような物が引きぬかれたのだろうか、首や顎の周辺に気色の悪い温かさを微かに感じる。
五感が薄れ、思考が混濁し、自身の両足が直立し続ける事を拒み始める。
そう感じた時には体の支えを失い三色の照明に照らされた店内の床に倒れ伏す。
床に顔を付けたままで見るこの光景をどこかで……。
あぁ、思い出した。
この世界に生まれ落ちる前に見た、最後のあの光景に似てるな。
また、こんな終わり方か……。
前の世界での肉体と比べて強靭だと言えるこの肉体のお陰で、あの時のようにはすぐに死ねないのだろうか。
そもそも、自我は持ち続けているんだ、死では無かったのだろうか。
「ひと、つ、い、いか?」
「ナツ」
『ギュヌ』
本能で嫌な音だとわかるものが聞こえる。
首に続いて腹部にも何かを突き立てられたのだろう。
既に痛みは感じない。
「お、まえ……ブ──」
最後の最後で嫌味の一つでもと思ったが、強靭だと考えていた肉体もここで幕を閉じた。
第二章はここまでです。
書き溜め作業後に第三章の投稿をしようと思います。




