第三話 殺人指南
六歳になりました、カキです。
もうこの名前にも違和感を覚えなくなった。
そして、この体にも。
鬼のような気の触れた母、そんな母に時折マウントを取られてボコボコにされる父。
この二人との生活にも慣れた。
脆弱な体、疲れやすく体力が一向に向上しない、もやし体質には慣れたとはいえ、以前の体が恋しくなる事もなくなった。
そもそも、以前の体の記憶がかなり薄れているので、比べようがないというのも大きいかもしれない。
どんな仕組みで赤ん坊として誕生したのか、以前の肉体はどうなったのか。
そもそも、この世界は俺が知る世界と同一なのか。
数々の疑問は解消されないままだが、さすがに六年もの歳月が過ぎると別の世界だと思えるようになっている。
両親が交わす会話や、書物などから考えるに聞いた事もない国家や地名、宗教、文化、職業などなど。
そしてどのような書物にも登場する、「魔力」「属性」という単語。
ここは、そういう世界。
ここまでは、まぁ何となく納得出来た。
母であるカルミアの背丈が女性にしては高く、鍛えられた肉体だと一目で分かるとはいえ、熊のような体躯で二メートル近くもある父であるラインを苦も無く放り投げる姿は、魔法でも行使しなければ不可能だからだ。
しかし、魔法よりも俺を悩ませている事実がある。
それは、人の命が軽すぎる世界という事だ。
本当に軽い。
子供用の御伽噺や、通常の文学や偉人の半生を記した書物にもその事が表れている。
特に、子供用の御伽噺なんてのは俺が知る限り、人が死ぬ事に関してはオブラートに包んでいるものしか知らなかったが、この世界の御伽噺にはどれもこれも、主要人物を含めて多くの登場人物が簡単に死ぬ。
それもあっけなく死に、その事実に対して主人公は当たり前の犠牲という感覚を持つ者が多い。
数は少ないが、中には仲間や恋人の死に対して、少しでも足を止める者がいたが、そういった主人公や登場人物の考え方は悪とさえ主張する作品もあった。
これは全ての作品を読んだ訳ではないので、正確にはわからないが、そういう傾向があるのは確かだろう。
この命の軽い文化は、両親との会話、行動でも見て取れる。
俺が五歳となり、大蛇を生きたまま解体させられた時だったろうか。
ラインが脱糞KOさせられたまま放置され、俺は大蛇の毒牙を回避しつつ皮を剥いでいた。
作業が一通り終わり、ラインも起きてブリーフ姿のまま家の中で蛇肉を三人で飲み込んでいた時、賊が強襲してきた。
強襲といっても不発に終わったらしい。
後程、ラインが言うには家屋を何らかの火器で吹き飛ばそうとしたらしいが、特注の建材で作られた家屋には食卓の蛇肉が乗った皿が揺れる程度の効果しか発揮されなかったようだ。
皿が揺れ、地震かなと思い、再び顔を上げて蛇肉を飲み込もうとした時だった。
目の前の席に腰を下ろしていたカルミアの表情に殺意が混ざっていた。
低く冷たい声で「そろそろカキにも見せるべきね」と一言呟き、訳も分からぬまま屋外にて第二波の攻撃を仕掛けようとしていた賊の集団を殺害する光景を強制的に見学させられた。
ブリーフ一丁で大振りなハンドガンを持ったままのラインはカルミアが賊を殺戮していく手順を、丁寧に説明してくれたが、ほとんど目で追えなかったので意味がわからなかった。
そして、まだ微かに息のある賊の一人を片手で持ち上げ、止めの刺し方や、拷問する場合の方法などをその場でレクチャーされた。
動物などの解体と、日々の食卓に並ぶ半生の臓器や眼球などに慣れていたとはいえ、人間の肉体を突き刺し、頭部を引き千切る光景を目前にした俺のケツの穴を強制的に緩めたのは言うまでもないだろう。
そんな訳で、実体験としても命が軽いという事を知った。
勿論、この世界にも法もあるようだが、殺人に関してはズブズブなようだ。
正確には、父と母のように冒険者という資格保有者はある程度の殺人などに関して免除されているようだが、反面自衛力も問われているようだ。
それに付随して冒険者としての責任も発生するが、詳しくはあまり教えてくれなかった。
そして、その後は月に一度か二度、規模はまちまちだったが来訪する襲撃者の殺戮の見学が決まりとなり、毎度見る事になった。
慣れるというのはさすがにないが、耐性は嫌でも付いた。
時折、俺の方にも襲いかかって来る賊はいたが、隣に立つ手馴れた手付きで銃器を扱うラインの正確無比な銃弾が炸裂して頭部を失った人間の骸を避ける事が、俺の唯一の襲撃時の行動だった。
こんな血みどろの生活が始まったのが五歳になった頃で、今はそれから一年が経過している。
昨夜、誕生日祝いなんていう文化がない我が家では、生まれた日に特別な祝い事なんかも行われないが、生まれてから丁度六年目だという事で、ラインから自作だというブレードの部分が半透明なナイフを貰った。
カルミアからはまったく想像すらしていなかった、素朴で飾り気のない銀色の首飾りを貰った。
そして、今、大切な話があると言われ、食卓に呼ばれた俺は初めてこの家に招かれたであろう客に対面している。
「はじめまして、カキです」
「あらあら、この子がカキ君? 昔のカルにそっくり! あ、はじめまして、私はユビ。よろしくね」
「はい」
珍しい、カルミア、ラインどちらかの知人なんだろうか。
座っていた椅子から立ち上がり、背の低い俺と目線を合わせるように屈んで挨拶を返してくるユビと名乗る女性は、どう見ても荒事全般を生業にしていますという風貌の両親との繋がりを想像出来ない。
おそらく百八十センチは超えるであろうカルミアよりもかなり背が低く、体の線もかなり細いユビさんは、栗色の短く綺麗に切り揃えられた髪に、瞳を覆う大きなメガネを掛けている。
第一印象は学生さん。
服装もカルミアが着用すれば笑いを我慢する事が困難であろう、女の子らしい細かな装飾の付いたものを着用している。
とても荒くれ者の両親の知人とは思えない、ユビさんは一体何者なんだろうか。
「カキ、ユビは私とラインの古くからの仕事仲間よ」
「仲間!? 父さん、本当?」
「ああ、ユビはこんな形だが冒険者だぞ。それも凶悪な犯罪者を追う事を専門にしている、バウンティーだ」
「カキ、何故ラインに確かめるの……」
「い、いや、その、ごめんなさい」
「カル、あんまり信用されてないみたいね。プププ」
俺は失言を取り返すべく、目の前の机に額を押し付けて謝意をカルミアに精一杯示す。
危ない所だった。
機嫌が悪ければ、ビンタが飛んできていた所だ。
というか手の動きが見えないし、気を失うので辞めて欲しい。
それにしても、こんな華奢な普通の女性が凶悪な犯罪者を追ってるとは、これも魔法が成せる業なのだろうか。
「カキ、今日は私とラインが行っても良いんだけど、ユビにはカキの属性判定を行って貰おうと思ってるわけなのよ」
「属性判定?」
「ユビ、魔力や属性についてはほとんどカキには教えてないから、説明してあげて。私やラインは感覚で魔力を使ってる方だから、カキにはしっかりと基本から教えて上げて欲しいの」
「うん。私もそのつもりで色々持って来たし、依頼も今は受け付けてないから、みっちり教えるつもり!」
「ユビ、俺から頼む」
「お願いします、ユビさん」
ここは拒否すればぶっ飛ばされる事確実なので、疑問に思う事や不満は一切口にせずに流れに乗っておく。
頭を下げた俺の肩にユビさんの柔らかい手が触れる。
頭を上げると笑顔のユビさんの顔が目に映るが、メガネの奥に見える瞳が笑っていなかった事を僕は一生忘れないだろう。
属性判定をするというほぼ強制的なイベントが始まる。
すっかり見慣れた平原と遠くに見える山と森、見渡す限りが両親の私有地らしい庭に出る。
田畑がある訳でもなく、時折平原に増える大きな穴に何かを埋めた跡と季節の移り変わりだけが景色に変化をもたらしている。
「では、カキ君。この紙に印されている円の中に、掌を強めに押し付けて」
「はい」
「あ、右手だけで良いよ」
「カル、私が流し込んでも良いんだよね?」
「お願い」
「おっけー。じゃあ、カキ君いくね?」
「ちょ、ちょっと待ってください。今から何をするのか、説明はしてくれないんですか?」
「色々と説明する前に、まずは属性判定をする方が無駄が省けるの」
「なるほど、わかりました」
ユビさんに言われるがままに、俺は大きく丈夫そうな紙に記された丸い円の中に右手の掌を押し付ける。
「じゃ、いくねー。おっと、忘れてた。これ咥えててね」
「フガ」
四つん這いになる俺の口に、マウスピースのようなものをユビさんが無造作に差し込んできた。
メンソール味かな。
そんな事を考えている内に背中に刃物が突き刺さるような感触が走る。
「え゛」
「感じるかな? 自分の中にある核を」
「……」
わかんないです。
説明不足。
理解不能。
この人も両親と同様、感覚派なのでは。
そんな考えが頭を過ぎるが、ほどなくして体内を巡る流れのようなものを徐々に感じ取れるようになってきた。
その体内を巡る流れは背中から刃物で貫かれた辺りに収束されているような感覚が芽生え始める。
小さく、薄く、微かな流れが太く、濃く、強くなるのがわかる。
自然と集中する為に目を瞑っていたが、押し付けていた手に違和感を覚えて目を開ける。
「これ……何ですか?」
「へぇ、こんな風に発現するのは珍しいね。カル、ラインもよく見て」
俺が右手を押し付けていた紙に印された綺麗な円の線が曲がりくねっている。
カルミアとラインからはその印がよく見えなかったようで、二人も覗き込むように曲がりくねった印を凝視している。
「あの、これって普通はどうなるんですか?」
「んー、この紙や印に一定の変化、そうねぇ……属性に則した変化が表れるのが普通なんだよね。火属性なら印の周りが焦げたり、水属性なら水滴が浮かび上がったりね。発現の仕方には個人差がかなりあるんだけど、どの系統かは一目でわかるのがほとんどなの、普通はね」
「えーっと、そもそも属性って何ですか?」
「……。ほんとに何も教えて貰ってないんだね……」
「すいません」
「すまん」
四つんばいの状態で見上げる形のまま、ユビさんからの説明を聞く。
属性がどうのと一部意味のわからない言葉もあったが、概要は何となくわかった気がする。
要は魔法とは、個々人がそれぞれ持つ一種類の属性で決まるそうだ。
俺は押し付けていた右手を紙から上げ、その場で正座となりユビさんから各種属性から派生する各種魔法について、発展して魔力の保有量の見極め方、魔法の発動方法についての講義を受けた。
何故かカルミアとラインも所々初耳だというような顔でユビさんの話を聞いている。
「とにかく、基本となる火、地、水、風に加えて無属性の五つが大多数の人が持ち合わせている属性なの。勿論、魔力核の大きさや、魔力を効率良く体に巡らせたり、放出させる事でも個々人の力量に差は生まれるのね。更に、各種属性には一定の特性は有るんだけど、これも個々人によって使用形態は様々ね」
「えーっと、各種属性は文字通り火属性なら火に関連した魔法っていうのは理解出来ました。無属性は父さんのように無機物や自身の体に魔力を巡らせて硬質化させたり強化したりするのが一般的なんですね?」
「うんうん、その通り。カキ君は六歳とは思えない理解力ね」
ユビさんのお褒めの言葉に何故かカルミアがドヤ顔をしている。
ラインは照れ隠しなのか大きな体をモジモジとさせている。
ユビさんの魔法全般に関する講義の概要は、さすがに中身がおじさんといえる年齢に到達しているので理解出来た。
理解出来たと言っても、知っているだけであり、すぐに魔法を扱える気は一切しない。
ましてやユビさんの講義を聞き終った後も、自身の属性すらわからない。
「それで、僕の属性は何なんですか?」
「地に分類されるかな。普通、地属性ならああいった発現の仕方じゃなくて、印の周りに小さな砂粒や石が出てくるんだよね。変わった発現の仕方をしても印に何かしらの変化が生じるのは、総じて地属性だと判断して良いかな」
「地属性……地味だなぁ」
地味だ。
自分に特別な才能が有る、そんな思いは中身が既におじさんなので期待していなかったが、地味だなぁ。
そんな思いが自然と口からこぼれた。
「カキ君。地属性は確かに地味だって思えるかもしれないけど、技師や職人なんかにはすごく向いているんだよ?」
「そ、そうですね」
「やっぱり、カルやラインみたく冒険者になりたいのかな?」
核心を突かれた。
考えないように日々過ごしていた俺の悩みを一言で抉られた。
最初は薄々だった。
俺もこの命の軽い世界で自分の力で身を守れる程度には強くならなければと焦りを覚え始めていた。
こちらの世界でも両親の庇護の元、命の危険はあるけども悪意はないと思いたい両親のおかげで他者からの悪意ある殺意から守られている。
まだまだ、虐待だと甘えた考えで反抗的になる事もあるが、こちらの世界ではこれが当たり前の教育だと考えカルミアとラインには感謝している。
だからこそ、この二人のように俺もなりたい。
ただ消極的に身を守れるようにと思うのではなく、二人のようになりたいと素直に思い始めていた。
ユビさんにそう指摘され、その思いが自分が思っていた以上に強かったのだと、今更ながらに気付かされた。
「……なりたい。なりたい! 母さんや父さんみた」
「子供扱いは今日までね」
「なんでやねん」
俺の見せ場ともいえる言葉を遮り、カルミアが口を挟む。
なんでやねん。