第二十七話 悪癖
浮かび上がった体。
ロイの脇腹を掴んだままの右手を支えにして、引き寄せられる事に逆らうように強引に両足を折り曲げ、靴底を掴んだままの右手の部分へと密着させる。
密着させた瞬間、包丁の柄の部分が眼前に迫り来る。
回避不能。
そのまま柄の先端が頭部へと直撃し、意識が飛びそうになる。
気を失ってはこのままロイに切り刻まれるだけなので、両足に力を込めて横向きに跳躍する。
脇腹を掴んだままであった右手を離す瞬間、魔力を流し引き千切るように捻じ曲げる。
背中から地面に落ち、その勢いが収まる前に体を捻って立ち上がる。
右手にはロイの体の一部であろう、漆黒のタイツだけが握られている。
『プシュー』
見たか!
瞬殺だぞ!
アミラの方にドヤ顔を向けると、明後日の方向を向いてやがる。
一度作り出したドヤ顔を仕舞うタイミングを逃した俺は、脱ぎたてホヤホヤのように萎びた漆黒タイツの方へと進み、ロイの核を穿り出す。
タイミングや間合いを間違えれば、即死もあり得る相手だという事を思い起こしてようやくドヤ顔を消す。
頭をロイの包丁の柄で強かに打ちぬかれたが、血がダバダバと出る程度で済んだので、止血テープで応急処置をして第十階層へと向けて進み始める。
一戦交えた事は正常な呼吸の仕方を取り戻す事となり、緊張による体の震えも取り除いている。
昨日購入したばかりの上靴も既に足に馴染み、歩く度に違和感を感じる事は無くなっている。
魔力に関しても眠気の具合からして十分な余裕があるだろう。
これなら、いける。
このまま今日は第十階層も突破してやろう。
そんな風にナメェきな考えをしていた自分をタイムマシーンがあれば過去に戻り、殴り飛ばしてやりたくなる。
俺は今、漆黒タイツ二体と対峙している。
後方、かなりの距離を開けて佇むアミラ、言うまでも無く共闘など期待出来ない。
おそらくロイがアミラの方へと向かう事も、この距離では望めない。
目の前の二体のロイを自力で倒すしかない。
戦い方を頭でイメージする前に、ロイAが至近まで迫って来ており包丁を振り下ろしてくる。
ロイBは俺の背後へと周り込むべく包丁を構えたまま移動する。
まずは初段をナイフで受け止め逸らし、吸引に巻き込まれないよう後方へと飛び退る。
ロイBが背中から斬り付けてくる事を予想していたが、やや屈んだ態勢を取った後、ロイBが跳躍してこちらへと斬り掛かってくる。
ロイAもすぐさまこちらへと追撃すべく、正面から猛追してくる。
万事休す。
一体づつ相手取るのであれば対応出来るが、二体を相手取るとなると通常の戦い方では無理だろう。
包丁による斬撃を受ければ、かすった程度でも致命傷になりかねない。
それだけロイの斬撃は重く、早い。
跪くように屈み込み、地面へと両手を這わせ、ありったけの魔力を両手にに流し込む。
体内の核から魔力が抜け落ちていき、強烈な眠気が襲い掛かるのが分かる。
意識を失わないよう厳ついおじさんの裸体を頭に浮かべ、集中する。
一秒にも満たない間に全ての準備を整え、ロイBが振り下ろす包丁の軌道を横目で確認して地面を剥がす。
玉葱の皮を向くのと同じ要領、規模を大きくして地面を剥がし、飛び掛ってくるロイBの眼前へと土の塊を出現させる。
同時に詰め寄ってくるロイAの眼前にも土の塊を出現させる。
二体のロイは俺が魔力のほとんどを消費して出現させた土の塊にその漆黒タイツの体を衝突させる。
迷宮生物は不意に起きた事に動揺したりという感情を持っているとは思えないが、少なくともロイは思考して人間を捕食すべく行動する生物。
表情は漆黒タイツなので不明ではあるが、突如として現れた土の塊に衝突した二体のロイはその場で直立したまま微動だにしない。
やはり、思ったとおり一定の硬直時間が発生する。
戦闘と策敵とを切り替える瞬間、迷宮生物の動作に僅かだが硬直時間が生まれる。
僅かに生まれた隙を活用すべく、ロイBの背後へと全力で移動する。
ようやく二体のロイが対象となる俺を策敵し終えたのか、動き始める。
既に目前にあるロイBの背に手を伸ばし、こちらも仕留めに掛かる。
『ブンッ』
頭上数センチの所をロイBが振るった包丁が通り過ぎる。
同時に吸引音が鳴り、地面を剥いで作り出した土の塊がロイBの頭頂部の穴へと吸い込まれ始める。
俺の体も浮かび上がり、吸い込まれていく。
振りぬかれた包丁が再び一閃される前にロイBのタイツへと触れようと右手を伸ばす。
爪の先が辛うじて届く。
その少しばかり出来た設置面から魔力を流し込み、漆黒タイツを捻じ曲げて引き千切る。
小さな穴が生まれ、ロイBが急速にその形状を失い始める。
萎びたタイツの残骸となる前にロイBが再度振り払った包丁がしぼみ始めた影響で角度を変え、刀身の腹が俺の左肩へとぶち当たる。
刃の部分ではなく、尚且つほぼ半壊している形状でこの威力。
自重を失っていた俺の体は大きく飛ばされ地にどさりと落ちる。
朦朧とし始めている意識を絞るように繋ぎ止め、左手を少しだけ動かし症状の確認をする。
症状を確認しつつも、顔を上げロイAがこちらへと近接しているのを確認する。
もう地面を剥がす程の魔力は無い。
左手で握られていたナイフは既に先の戦闘で落としている。
これではロイAの包丁の斬撃を受け流す事は不可能。
正面から突撃してくるロイAが大上段から包丁を振り下ろし、袈裟懸けにこちらを斬り付ける。
振り下ろされる包丁に合わせて後退、回避するのではなくロイの懐へとこちらから踏み込む。
頭上に感じる暴風、その音を聞いた瞬間にはロイの股間部分に手が届いていた。
凹凸の一切ない下腹部は何か物足りなさを感じさせた。
目が覚めると、左肩の痛み以上に首の後ろ、背中、腰の辺りから終了のお知らせが鳴り響く。
おそらく気を失う寸前にロイAによって何らかの攻撃を受けたのだろう、最後の最後はほとんど寝ているような状態であったので何をされたのかわからない。
痛みの走り方からして斬られたというより、殴打されたのだろう。
下半身に力を込めると、腰の辺りが激しく痛むが一応は動く。
麻痺したり感覚が喪失していない事に安堵して、首を動かす。
天井や壁紙からして俺が逗留しているホテルの客室である事はすぐに知る事が出来たが、アミラの姿が見えない。
毎度の事ながらHPとMP双方がゼロになった俺を搬送してくれたのはアミラだろうとは思うが、彼女と言葉を交わさずには落ち着かない。
礼も言わなければならないし、どれだけの時間が経過したのかを知りたい。
左肩や背中には雑ではあるが治療の痕があるので、一応は介抱してくれたのだろう。
目を覚まし、そんな事を考えていると再び強烈な睡魔を感じて目を瞑る。
再び目を覚ました時、左肩や背中全体にあった痛みが完全に消えていた。
不思議に思い、すぐに上半身を起こす。
その際もまったく痛みを感じない自身の肉体に安堵するよりも、焦りを覚える。
冷静に考えれば、この世界には魔法というデタラメなものが存在するし、あの監獄(実家)にはデタラメな治癒効果を持つ装置があったのだから、この状況が実現不可能なものであるとは断言出来ない。
しかし、アミラがわざわざ俺をそのような効果を持つ装置や俺が知らないだけで実在するのかもしれない、魔法や医療品を使用して治療したとは思えない。
あいつは基本的に必要最低限の延命処置をすれば放置だし、俺もそれ以上を望まない。
短い付き合いではあるが、アミラはそういう奴だと断言出来る。
そんな事を考えながらも身に付けている下着を脱ぎ、ベッドから飛び降りてバスルームへと向かう。
大き目の鏡を前に、傷痕だらけの背中、ぷりんとした張りのあるが傷痕だらけのお尻、角度をつけて自身の体を隅々までチェックする。
見た目に変化は無いが、やはり左肩や背中の怪我が完治している。
傷痕は残っているものの、全てが数多くある古傷と同様のものとなっている。
「カーキ」
ノックもせずに客室へと踏み込み、バスルームの入り口にひょっこりと顔だけを出して声を掛けてくる少女の声を聞き、反射的に胸と股間を手で押さえる。
「どう?」
「どう? 何が?」
「怪我」
「あぁ、治ってるみたい。また運んでくれたんだろ? ありがと」
「うん。半分死んでたよ。腐る前に冷凍保存しようか迷ったくらいだし」
「……」
意味は聞かずにスルーしておこう。
アミラの性癖よりも、俺の身に起きている事が気になる。
「あれからどのくらい経った?」
「二日と少し」
「……じゃあ、これってアミラが治療してくれたのか?」
「ほとんど何もしてない。もう開いてるようだったから、安定させる為に肩と背中にあった傷を消毒しただけで放置した」
「どういう意味だ? 開いてる? 安定?」
「……」
薄々とだが気付いていた。
この体がというよりも、この世界の人体構造が頑強に過ぎるという事を。
カルミアとラインの保護下にあった頃は、彼らが使う薬品や装置が特別なんだろうと漠然と考えていたが、ペンタゴンシティーにて活動するうちにこの世界全てが特異なんだという事に。
死に至るほどの傷を負ったとしても、止血して消毒し、患部を清潔に保っておけばすぐに治る。
普通は骨折や臓器を痛めるような怪我を負えば、医療知識が乏しいので詳しくはわからないがメスを入れて骨折した骨を正常な状態へと戻すよう施すだろう。
しかし、この世界に生れ落ちて以来、骨折や臓器の損傷など重症を負ってもサプリメントのような薬を服用するか、直接患部に皮下注射で薬液を注入するというのが当たり前になっている。
そんな治療法は明らかにおかしいが、そういった治療法が確立され、町中にあるドラッグストアにもそういった用法を念頭に置いた医療品が並べられている事からして、俺だけが特異な体質を持っているとは思えない。
しかし、そんなデタラメな世界でも、この怪我の完治に掛かる日数は異常と言える。
今までに体験した事が無い。だからこそ、これはデタラメだ。
足を骨折しても二、三日すれば痛みは残っているものの、ゆっくりと歩ける程度にはなるが痛みが消え去るほどにはならない。
「自覚していないようだけど、カキはもう無属性使ってるよ。まだ不安定だから見てるとイライラしたけど」
「マジか! フハハハハ、これで俺もハーレ……どうやって使うんだ? もう一つの核なんてどこにあるのよ! ねぇ!」
「安定はしたはず。でも、使いこなせるかどうかは別。カキって才能無さそうだし」
「裏コマンドとか無いのか?」
「ない」
「ほんとかー? ほんとは知ってるんだろー? 言っちゃえよー、おうおう」
「うざい」
機嫌を損ねたようでアミラはそう言い残すと姿を消した。
一人全裸のまま核を探そうと試行錯誤するうちに空腹を覚え、無属性の核の事は一旦放置して食事を摂るべく支度する。
習慣となりつつある為にホテルの最上階へと向かおうとしたが久しぶりに一人でホテルを出る。
もうあの三人組もおらず、ニシキヘビからの脅威も消えたのだから、一人で外出しても問題ないはずだ。
そう自分に言い聞かせ、ホテル近くの食料品店にて各種ハンバーグを購入し、宿泊している客室へと戻り手狭なトイレへと入る。
トイレ飯をこちらの世界に来て初めて行ってみる。
食事を口に流し込むうちに色々な事を考える。
無属性の魔力を無自覚であったとはいえ扱えていた事に舞い上がり、数秒足らずで調子に乗り始めていた自分。
万能感に支配され、美女をはべらかす事を想起していた自分に嫌悪する。
「食った気がしない……けど、妙に落ち着く」
芳香剤の香りと自己嫌悪が世界を支配していた。




