第二十六話 リハビリ
「陛下」
「……」
北方の女傑、アミラ女王は大陸暦五年、息を引き取った。
同時に大陸西側諸勢力の連合軍によって、その短くも苛烈な治世に終止符が打たれた。
常に彼女の影となり手足となって支えてきた宰相、そして女王の最期を看取った唯一の臣下であるカキは三十二日ぶりに外出するべく身支度を整えている。
「アミラ、いつまで泣いてんだよ。諦めろ」
「……」
「女王として受け止めなさいよ」
振り返ってみると、終わりの始まりは北方統一間近に西側諸国同士を離間の計で弱体化させて時間稼ぎをとした試みが失敗した所だろうか。
そもそも、離間させようにも西側諸国連合とは名ばかりで、既に西側は一つの宗主国を軸に帝国化していた。
表向きは諸国連合としたのは、巧妙な擬態であった訳で宰相であるこの俺も騙されていた。
そんな訳で無謀で投機的な侵略戦争で疲弊していたアミラ王国はゲームオーバー(自国の滅亡)へと邁進した。
西側を突如として纏め上げ──俺達にはそう見えたが、彼らは綿密な計算の上で──帝国化した勢力と一旦は領有していた北部諸勢力及び東側の遊牧民族国家に経済力と統治力からしては広大過ぎるとものとなっていた領土を盛大に侵略され、同時に多くの臣下や将軍の裏切りも多発した。
アミラは終盤はモニター前で苛立ちを隠せなくなり、客室をピシピシと凍てつかせていたが、その頃には詰んでいた。
久しぶりの現実世界、もといお外。
日差しを浴びるだけで脳が溶けそうになる。
生活費も稼がなければならない、そして市外へと出る為の金を手にする為にも本格的に迷宮に潜ろうと思う。
金も手に入る、そして弱さ故に恐怖しなくても済むように強くもなれる。
金さえあれば警備会社の者を四六時中尽ける事が出来るし、銃火器を多量に運用する事も可能だ。
自分の肉体や魔力的な強化は目的の為の手段に過ぎない。
改めて指針を定め、俺は未だに亡国の亡霊と化している元女王のアミラを伴い迷宮へと向かう。
リハビリも兼ねて出し惜しみ無しで第三階層からエンカウントしたパープルアントを片っ端から捻じ曲げていく。
この一月の間、部屋から一歩も出ず実戦はゼロではあったが、アミラのゲームプレイを見ている間は魔力を練り練りしていたので、魔力の喪失感は以前に比べて若干少なく感じる。
しかし、肉体の方はやはりガタついているようで何をするにしても重い。
加えて反射神経もかなり劣化している。
第三階層のパープルアント程度であれば動きは既に見切っているつもりであったが、面白いように攻撃を食らう。
初日は迷宮に足を踏み入れて二時間で手足がプルプルと震え出したので退場。
二日目、三日目は三時間でプルプルして退場。
四日目は調子に乗って第五階層まで一気に潜り、ジェリークラブに全身を固められたお陰で虎の子のレザージャージを脱ぎ捨てて逃げ帰る事になる。
四日目までに僅かばかり稼いでいた資金がこの失敗により全て蒸発する。
全裸は免れたものの下着姿で逃走する俺の姿を見て、ようやくアミラが笑みを零していた。
久しぶりに俺の事をゴミ虫を見ているかのような笑い方であった。
見下すように笑う憎たらしい少女はリハビリというものは不要なようだ。
下着姿で逃走した翌日、新調したジャージに身を包み気合を入れて再度迷宮に足を踏み入れた俺は、アミラに対して嫌味の一つも言いたくなった。
こいつは四日間ずっと俺の戦闘を見ているだけで核を拾うだけの簡単なお仕事に終始している。
「アミラって鈍ってないの? 危なくなったら助けて上げるよ? やってみやってみ」
嫌味というよりも挑発にも似た【固有スキル】小物感(大)な俺の発言。
昨日、俺をひん剥いたジェリークラブが生息している第五層にて告げてみる。
「……」
心底、面倒ですと顔に浮かべて俺の前をとぼとぼと歩き出すアミラ。
無言ではあるが、「まぁ、見てろよ小物め」と背中で語っている。
しばらくアミラの背中を見つつ歩き続けると、ジェリークラブがエンカウントする。
いつもの氷結する際に生じるピシッという音ではなく甲高い金属音が迷宮内に鳴り響く。
同時に一瞬にして周囲の気温を下がる。
ジェリークラブはその異常な現象を理解していないのか、アミラにゼラチン質の体表で包み込むべく襲い掛かる。
アミラが右手をゆっくりと持ち上げる。
ジェリークラブが体全体を躍動させ、その細く小さな手に飛び付く。
『ギッ』
古い扉やタンスを動かした時に出るような音に似た、心地良いとは言えない音が一つ鳴る。
ジェリークラブがアミラの上げた右手に接触する直前、その活動を停止させる。
美しいとは形容しがたいそのジェリークラブの姿は、黒味掛かった何かで覆われている。
地面に落ちた、元はジェリークラブであった黒い物体を一瞥してアミラは二歩進む。
踵を返して俺の方へと振り返ったアミラは無言のまま黒い物体を蹴り上げる。
「ヒッ!」
【固有スキル】小物感(大)が継続発動中である俺は情けなく悲鳴を上げるが、眼前には既にアミラによって蹴り上げられた黒い物体が迫り来る。
『バサッ』
その硬質で禍々しさをも伴っていた黒い物体は、目の前で四散する。
四散した細かな破片が顔に降り掛かるが、痛みは感じない。
「鈍ってない」
「そ、そうですね。親分」
勝てる気がしない。
絶対的な強者。
過去を振り返って冷静に考えると、アミラがこうして戦う姿を始めて見るのか。
策敵や脅迫、八つ当たりに使用していた氷結とは比べるべくも無く、あの禍々しい黒い氷こそがアミラの持つ魔力の本来の使用法なのかもしれない。
今、その事について言及して問おうとしてもすこぶる機嫌を悪くさせているアミラは答えてはくれないだろう。
既にその合図でもあるイヤーマフを両耳にすっぽりと嵌めて、自分の世界に入り込んでいる。
よくよく考えてみると、この危険な迷宮内で音を遮断するという暴挙に打って出る行為を平然とやってのけるアミラ。
俺とは見ている世界の風景が違うのだろう。
あの日、あの出来事を境に俺のリハビリ期間が終了するまでの間、アミラの事を気を緩めると親分とつい呼んでしまう事を誰が攻められるだろうか。
アミラの親分と俺は根本が違うのだ。
引き篭もっていた間はゲーム以外に何もしていないように見えた親分、俺は少なくとも魔力を練り練りしていたというのに、この差である。
認めなくてはならない。
俺はどこまでもモブであるという事を。
ならば、どうするか。
最終目標は腐るほどの金と安全であるとしても、そこへモブの俺が辿り着くにはどうするか。
朝早くから迷宮に潜り、日が暮れる前に地上へと出る。
夜、傷付いた体を癒し、休息を取る間は常にこの事を考えていた。
リハビリを終え、五回に一回は第九階層へと単独──正確にはアミラが後ろから付いて来る──でも無傷で到達出来るようになってきた。
しかし、油断すれば第七、八階層に生息する「ボール」の攻撃を見切れずに一発貰い、その一発を発端にしてボコボコにされる事はある。
無属性は相変わらず使用出来ないので、かすった程度の攻撃でも致命傷へと繋がる為、紙装甲。
紙装甲な上に攻撃手段が対象に触れる事が最低条件。
更に攻撃回数も限られ、魔力の総量も依然として少ない。
曲げる範囲や対象の硬度にもよるが、迷宮生物相手にのみ絞れば万全の状態でも十五回程度で強烈な眠気に襲われる。
この迷宮に右も左もわからずに足を踏み入れた頃に比べれば、わずかだが成長している。
そう思わないとやってられない。
その証左に収入も右肩上がりで上昇している。
しかし、支出も右肩上がりではある。
迷宮にて入手した核は全てサマンサさんの店で卸して、あのラバースーツの店主が営んでいる店で消耗品を買い漁るという無限ループに陥っているのである。
装備のグレードを上げようにも、戦闘スタイルの問題でそれも叶わない。
「カキ、そろそろ良いよ」
「がってん」
ようやく、第九階層へと足を踏み入れる許しが親ぶ、アミラから出た。
脅迫がきっかけとなりペアを組んでいるアミラは相変わらず俺が戦闘不能に陥れば地上へと搬送してくれるが、それ以外には一切手を出さない。
助言も無ければ、魔力を扱う上での質問の類に関しても一切の返答が望めない。
しかし、俺の実力に見合わない階層へと足を踏み入れる事を諌め、実力が見合うと判断した場合はこうして許可を出してくる。
第九階層に生息するのは「ロイ」という迷宮生物。
アミラがこの第九階層へと足を踏み入れる事をいつぞやに妨害したのは、このロイが第八階層までの迷宮生物とは違って魔力を使用して人間を捕食をする事にあるのだろう。
捕食。まさにこのロイは人間をそのままの意味で切り刻み、頭頂部の穴から人間を喰らう。
人型の見た目、真っ黒な全身タイツを纏う様なその姿は一見すると頭脳は大人、見た目はアレな探偵の犯人のように思える。
動き自体も人間のそれに近い。
しかし、ロイが第八階層より上層の迷宮生物と一線を画するのはその頭部に生える角にある。
その頭部に生える角を捕食モード、正確には調理モードに入るとロイはその角を引き抜く。
角の部分は包丁の柄の部分であり、体内に埋まっていた部分が包丁の刃であるのだ。
その包丁の形状にそっくりな危険な物質を何故、頭部に収納しているのかは謎であるが、そのロイが振り回す包丁は人間が作り出す刃物と比べて非常に危険である。
防刃加工された装備であっても容易く切断する、ロイの包丁。
包丁だけではなく、ロイの本体である全身タイツの体も非常に厄介である。
一般的に切れ味が高いとされる剣ではその体を傷つける事は難しく、銃火器による攻撃が一般的な討伐方法であるらしい。
しかし、ただ単にロイに銃弾を撃ち込むだけでは倒せない。
包丁を収納していた場所に出来た穴から生み出される脅威の吸引力によって、銃弾は吸い込まれてしまう。
これがロイの魔力の使用方法であり、攻守のバランスの優れた危険な迷宮生物たらしめている。
ただし、このロイの構造上の弱点は数多くあるようで、一番手っ取り早いのは頭部の穴よりも大きな物体を高速で撃ち込めば容易く討ち取れる。
切断に対する耐性は極めて高くても、貫通に対してはさほど耐性が無い為に、大砲の弾や爆散する類の大口径の弾丸でも撃ち込めば一発で終わるのだ。
ただし、費用と効果が釣り合わないので、誰もこんな方法でロイを狩るような事はしない。
ロイの核は相場が多少上下するといっても、一つで二十万ゴス前後であるから割りに合わない。
一般的な狩り方としては、やはり魔力に頼った攻撃手段。
脅威の吸引力に負けない射出速度や貫通力が極めて高い弾丸やその他魔力を伴った物体をぶち当てれば良い。
近接直接戦闘であれば、ロイの振り回す包丁を掻い潜りつつ、斬りつけるのではなく槍や突殺武器で攻撃する。
ロイの特徴はこんなものだろうか。
あれ?こいつナイフしか武器と言えるものを持たない俺に狩れる相手じゃないのでは。
魔力の方も貫通なんていう汎用性の高い攻撃手段では無く、曲げるという事しか出来ないモブっぷりである。
何故アミラは第九階層へと踏み入れる事を許したのか。
未知なる敵。
強者であろう敵との遭遇を前に、喉の渇きと手足の震えを感じる。
「助言は?」
「即死もある」
「……了解したんだぜ」
第九階層へと踏み入れると同時に、アミラから助言ではなく適当な返しを賜る。
ここはその他の上層と同じで、階層中央に並べられた照明機器によって視界は良好と言える。
しかし、雰囲気というか空気が明らかに違う。
死者や迷宮生物の死骸が一切無い。
血や腐敗した臭気も一切無い。
それはそれで良好な環境と言えるのだろうが、迷宮内でこの環境は逆に違和感を覚えずにはいられない。
「フシューフシュー スフースフー ヒシューヒシュー」
極度の緊張によって呼吸の仕方がおかしくなる。
おかしな呼吸のままロイとエンカウントする事無く五分程進み続けると、漆黒タイツを身に纏う犯人がその姿を現した。
『ポンッ』
懐かしさを覚える音、卒業証書のあの筒で遊んだ記憶が頭を過ぎる。
左方向より聞こえた懐かしい音に頭とは別に体が瞬時に身構え、態勢を整える。
頭部より抜き放った巨大な包丁を手にした漆黒タイツのロイが迫り来る。
振り上げられた巨大な包丁が正確に俺の頭部へと振り下ろされる。
左手で握り締めたナイフを掲げ、角度を付けて包丁の斬撃を逸らす。
人型のロイ、動きに関しても人間のそれとほとんど変わりが無い。
逸らされた包丁の軌道によってやや態勢を崩したロイの左脇腹を右手に魔力を流し込みつつ掴む。
そのままロイの脇腹を曲げる事に成功したと直感した瞬間、体が浮かぶ。
『ギュイィィィン』
弾丸をも吸い取るその頭頂部の穴から発生した脅威の吸引力。
その音は意外と小さかった。




