第二十三話 こんばんは
屋根伝いに移動しつつ、耳に入ってくる会話を聞いて鼓動が早まる。
同時に焦りや恐怖が沸き起こり、逸る気持ちを必死に抑え込む。
ようやく目的地であるホテルを視界に捉える。
俺やアミラが逗留しているホテルの外観に似ているようにも見えるが、階層はこちらの方がやや高いだろう。
周囲の建物とを隔てるように木々が植え込まれ、こういった部分でも俺達のホテルとは違いが見て取れる。
ホテルの正面玄関から入る事は顔も見られる訳で論外。
これから行おうとしている事を考えれば、やはり通常ルートでの侵入は無謀だろう。
名案を考え付く訳でも無いので、道中に考えていた通り単純ルートを設定し、ホテルの側面へと周り込み外壁にぺちょりと張り付く。
そのまま手足の力だけで窓を避けつつ外壁をよじ登る。
俺が泊まっているホテルには防犯カメラの類は見受けられなかったが、このような治安のよろしくない町であれば防犯装置の類をこのクラスのホテルであれば設置している可能性は高い。
DNA鑑定云々など高度な科学捜査についての知識が皆無である故に考えるだけ無駄、データとしてマリコ嬢の客室を訪れた事が残る可能性を減少させよう。
三度階層を間違え、二度客室を間違えてしまったが十数分後にはマリコ嬢の姿が確認出来る客室へと辿り着く。
イヤーマフからは今もマリコ嬢が何者かと通信機を使用して何者かと会話を続けている声が聞こえる。
内容はどこで俺を殺すのかから、事後処理や今後の予定などに移行し始め、次第に事務的な受け答えとなっていく。
お話中に仕掛ければ、受話器の向こうの何者かに事が露見する。
幸いマリコ嬢はこちらから見て背を向けている状態であり、大き目のバルコニーへと侵入、移動して窓の錠前に魔力を流し込み開錠する。
窓をゆっくりとスライドさせようかとも考えたが、立て付けにもよるだろうが大きな音が鳴る可能性と室内へと外気が流れ込む事を考え取り止める。
このままバルコニーで身を潜め、機会を窺い続けよう。
『そうね、ええ、ええ、処理はあの人に頼むわ。ええ、わかった』
会話の内容がアレではあるが、サカモトやケンジとは違って芯がしっかりとしているイメージに違和感を覚える。
目的を定めれば揺らぐことが無いという内面を持ち合わせているのだろうか。
『そろそろサカモトとケンジが帰ってくるだろうし切るわね。ええ、定時連絡は、ええ、わかった。それじゃ──』
マリコ嬢は大きく溜息を吐くと両腕を頭の上で組み、背を伸ばす。
そのままサイドテーブルの明かりを頼りに、しっかりとした足取りで客室の奥へと消えていく。
バスルームだろうか、照明が点灯する。
窓の取っ手に手を伸ばし、音を立てないようにスライドさせて室内へと足を踏み入れる。
外気が室内に入らぬよう、後ろ手で再び窓をスライドさせて閉める。
暗闇に目は馴染んではいるが、室内はほとんど光量が無く主に床全体に神経を集め観察する。
窓を閉めたその手でナイフのグリップを握り締め、引き抜く。
半透明のブレード部分が薄暗い室内に溶け込む。
靴底、というよりも未だに使用している上靴のゴムをしっかりと硬質な床にフィットさせてジリジリと進む。
『ボワァァァァ』
突然、マリコ嬢が入室したであろう照明の灯るバスルームと思わしき場所から音が鳴り始める。
侵入者であるはずの俺が悲鳴を上げそうになり、口元に両手を当ててしまう。
左手に持ったままのナイフのブレードが鼻っ柱にぶち当たり、悲鳴ではなく絶叫してしまいそうになる。
マリコ嬢による暗闇の中での連続コンボに俺の残りHPが僅かに減少する。
しかし、これで少々の物音を立てても背後へと忍び寄れる。
ここで死角を探して全裸待機予定であったが、積極攻勢でいこう。
顔に巻きつけているタオル越し、鼻が触れている布地の部分がかなり湿り気を帯びてきた。
呼吸する度に馴染み深い自身の血の香りがする。
少々のHPの減少と引き換えに安堵感を得た俺は、床に散乱しているマリコ嬢の持物を慎重に回避してバスルームの前へと辿り着く。
『ボワァァァァアアア──』
バスルームから鳴り続けていたドライヤーと思われる音が止まり、静寂が支配する。
大きな音を味方にバスルームへと意を決して強襲しようかとも考えたが、鏡がある可能性が非常に高い。
このクラスのホテルの客室であれば壁一面鏡張りの可能性もあるので取り止めていた事に安堵する。
『ポシュポシュッ』
乾いた音と同時に何かが射出される。
寝室とバスルームとを結ぶ廊下の壁にその何かが吸い込まれ、壁面に小さな円状の穴が二つ生まれる。
銃?いや、魔力を使用した攻撃?
『ゴトッ』
握りこぶし程度の筒状の物体がバスルームの方から放物線を描き、床に落ちる。
何が投げ込まれたのかと考える前に危機を悟り、先程まで居た寝室へと飛び退る。
閃光のすぐ後に爆音が室内を包み込むが、右腕で両目を塞ぐ事で視界を喪失する事は免れた。
軽い耳鳴りと眩暈を感じるが、ある程度距離を取れた事が幸いして行動不能となるまでには至っていない。
前方からの追撃を避ける為に死角へと転がり込み、態勢を低くしたまま機会を窺う。
奇襲は失敗、存在は露見、狭く暗い室内は相手の生活エリア。
加えて相手の武装も不明。
魔力属性や力量も不明。
無謀で無計画な自分はかませ犬で馬鹿なモブだと強く自覚する。
それでも、生きたい。
ここでマリコ嬢を始末しなければケンジやサカモトと合流され、生き残れる可能性が更に低下する。
逃げる事は許されない、無謀で無計画でもやるしかない。
十数秒の静寂。
このままマリコ嬢に逃げられてしまうかもしれないという焦りを必死に抑え込む。
マリコ嬢は必ずこちらを排除する為に動くはずだ。
予想は的中した。
逃げるのであれば、最初の攻撃時に退路である客室の入り口にある扉へと移動していたはず。
一瞬の爆発音の間に移動したのかもと考えられるが、そんな芸当を出来る相手であればそもそも勝てないので考えないようにする。
『ゴトッ』
想定の中にあった追撃。
床に落ち転がり始めたものをスライディングで一気に距離を詰め、投擲されたであろう方向へと蹴り上げてお返しする。
理想はバスルームの方へと蹴り返す事であったが、角度的にも不可能な間取りであったので入り口の方へと飛来していき爆発音が鳴り響く。
一つ目の贈り物とは違い、マリコ嬢からの二つ目の贈り物は殺傷目的の強い手榴弾。
無属性の魔力が流し込まれていない為なのか、その威力はかなり低い。
無属性は扱えないのか、それともあれが全力なのか。
『ポシュ』
死角から飛び出た格好になった俺のこめかみの辺りに衝撃が走る。
『ポシュ ポシュ』
連続して鳴る乾いた音の方向、高さを探る。
こうなるとほとんど勘ではあるが、何となく掴める。
体重を支えている右腕に力を流し、同時に腰を捻ることでかなり強引に前方へと小さく飛ぶ。
右肘、右肩の辺りから自身の込めた力によって嫌な音が鳴る。
飛び上がる事で急速にバスルームの入り口へと接近するが、僅かに届きそうに無い。
着地と同時に天井方向へと跳躍する。
魔力を練り込んだ左手を突き上げ、天井へと触れる瞬間に魔力を流し込み平面であるはずの天井を捻じ曲げる。
捻じ曲げるというよりは穴を穿ったという感じではあるが、強引な方法で作り出したいびつな穴の淵を掴む。
天井からぶら下り無防備な状態を曝していては撃ち落されてしまうので、両足を前後に動かし腹筋の力で落下と前進を行う。
『ポシュ』
着地すると同時に射出音が鳴る。
目の前に映るのはバスルームへの入り口、顎を上げ見上げる格好のマリコ嬢の右半身。
殺す覚悟。
覚悟がどうのという考えが頭に浮かんだのはマリコ嬢の首を捻じ曲げた後だった。
自分が人では無くなったんじゃないかという思いが湧き起こり、鏡に映る自分を眺める。
タオルを顔に巻いている事に気付き、痛みによるものなのか小刻みに震える両手で解く。
曝け出した顔が鏡に映る。
やはり鼻が折れているらしい、血だらけの顔が自分のモノとは思えない。
「……」
もう後戻りは出来ない。
バスルームの入り口付近で横たわるマリコ嬢の亡骸からネックレスを回収し、客室の入り口の方へと移動する。
爆発の影響から、所々が折れ曲がり、凹んでいるが扉は辛うじてそこに留まっている。
変形している扉は開錠しても開く事は工具や魔力を使用しなければ難しそうだ。
これは都合が良い。
扉の周囲の壁に魔力を均一になるよう流し込み、内側の淵が盛り上がるように曲げていく。
これで内開きの扉は引っ掛かりによって更に開閉することが困難になるはずだ。
先程から立て続けに生じた爆発音によって、駆けつけてくるであろうホテルの従業員を足止め出来るだろう。
治安維持を請け負う警察ないし軍相手では扉一枚では心許ないが、猶予はまだある。
寝室に戻り、そのままバルコニーの方へと足を進め窓を開ける。
客室に漂っていた硝煙から解放され、大きく深呼吸をして夜空を見上げる。
「動くな」
夜空の代わりにバルコニーの手すりに佇むサカモト。
その手には抜き放たれた武器の刀が握られている。
切先を俺の鼻先へと向けている。
何故、気付かなかった。
警戒を緩めたつもりはなかった、窓を開け放ち深呼吸をした時、視界には一切の人影も気配も感じ取れなかった。
「……」
「答えなければ、斬る」
「はい」
「何故ここに居る」
「頼まれたからです」
「……何をだ?」
咄嗟に思い付いたのはすぐにボロが出そうな嘘にもならない戯言。
しかし、この状況はほぼ詰んでいる。
どう答えようが結果は同じだろう。
「あなた達の監視です」
「ほう……誰からの頼みなのか答えて貰おうか」
「良いでしょう。その前に、これ納めて貰えますか?」
音も無く切先が真横にスライドする。
頬が浅く斬られたのだろう、じわりと血が流れ落ち、首筋へと伝うのを感じる。
「貴様は私の問いに答える事のみ許される」
「はぁ……。そうですか。では教えて差し上げます……」
『俺は日本人ですよ。あなた方と同じね。シマズさんからの指示で動いています』
久しぶりに口から出した日本語。
しっかりと話す事が出来るだろうかと思っていたが、思考や読書の時には常に日本語を扱っていた為だろうか、スラスラと話す事が叶った。
その声はまるで自分の発した声では無いようにも思えたが、目の前の男にはしっかりと伝わったようだ。
シマズというのがどんな顔をしているのかすらわからない。
しかし、マリコ嬢が通信機で長々と話していた言葉を聞く限り、彼らトリッパー達のまとめ役であろう事は容易に想像出来た。
シマズという者の持つ影響力などについては、推測の域を出ないがここは賭けてみるしかない。
だが、この状況下。
彼の名を借り、自身もトリッパー達が自称している『ニシキヘビ』の関係者を名乗る事は勝ち目の薄い賭け。
『貴様……その容姿は仮初の物か? しかし、有り得ない……そのような事』
『まぁ、シマズさんも最初は驚いていましたよ。あなたが驚くのも仕方ありません。私が日本人である事は容易に証明出来ます。日本人であれば誰しもが知っている事柄を質問して頂ければいくらでもお答えしますよ』
『わかった。だが、動く事は許さない』
この人、キャラ崩壊しているな。
格好良くバルコニーの手すりに佇んでいるのは良いが、口調と表情が残念な事に不整合を来たし始めている。
目の前に現れた時には生真面目そうな顔の上に、「おまえの中ではな」と言いたくなる「残忍で優美」な表情を貼り付けていた。
カルミアの天然の鬼顔と鬼ボディーと鬼暴力と鬼殺戮、その他諸々。
アミラの何人殺してきたんですかと問いたくなる、身に纏う鋭さ。
彼女達の所謂、本物ってのを拝見してきた俺は、サカモト氏の作り物の表情や纏う雰囲気からはどうにも恐怖や危機感を掻き立てられ無い。
それでも目の前の彼に命を握られている状況に変わりは無く、この状況を打開するにしても彼に隙を作り出さなければ難しい。
サカモトは残忍で優美な表情と佇まいを維持したまま、日本の有名企業や小売店の名称、有名な玩具やお菓子、教育機関などの名称を列挙するよう求めてくる。
俺は覚えている限りの名称を口にし、二十を超える名称を言い終えた頃には彼は複雑な表情をその生真面目そうな顔に張り付かせていた。
『ふむ……貴様が我らと同じトリッパー、日本人である事は信じよう。しかし、貴様が我らに害意を持たぬ者という証明にはならんな』
『そうですね。でも、私もシマズさんの指示を真っ当せずにここで殺される訳にもいきません。どうでしょう、シマズさんに直接確かめて頂くという事で正否を問うという事で、一旦この刃を納めた頂けませんか?』
『駄目だ。貴様が例えシマズさんからの命で動いていたとしても、マリコに危害を加えた事は明白。彼女がこの場に現れない事がそれを証明している』
思わず舌打ちを漏らしそうになるが我慢する。
サカモトめ、中々に切れる。
というよりも、俺の稚拙な誘導程度では煙に巻く事は無理か。
かなり無理はあるが、「マリコ嬢は何者かによって殺され掛けていた」
俺はその何者かを捕らえようと客室に踏み込んだが、手遅れであった。
こういう言い逃れを口から出そうとも考えたが、サカモトがニシキヘビへと監視の有無などを問い合わせた時点で、カキという俺が抹殺対象である事も告げられるだろう。
その時点で俺の嘘は明白となるし、抹殺対象である事もサカモトにはおまけとして知られてしまう。
つくづく、現場を押さえられたのが痛い。
ついでに隙を突かれたというより、完璧な気配の消し方からして、サカモトは俺よりもかなりの手錬。
『悪く思うな。誤解であったのならば償おう』
突きつけられた切先が一瞬で消え去る。
それを視覚で認識した数瞬後、思考する前に体が反応する。
首を左腕で巻きつけるようにして防御し、後方へと飛び退る。




