第十九話 曲がり始めた世界
俺達がカキをペンタゴンシティに放り出し、未開地域への探査を再開させてからのカルミアの機嫌はすこぶる悪い。
カキと離れ離れになった事に苛立つのもその機嫌を損なう一つの要因ではあるだろうが、家族の問題とは別に未開地域が最近台頭して来ているらしい冒険者のグループ(聞くところによると『ニシキヘビ』とかいう変な名前のグループらしい)によって荒らされている事が主要な原因だろう。
俺自身、憤りを感じてはいるが、カルミアを宥めなければ事態を更に悪化させるだろうという考えの方がどうしても先行してしまう。
荒らされているというのは、少し正確では無いかもしれん。
未開地域といっても、文化や言語、風俗は違えど人が住んでいる地域も数多くある。
そんな未開地域のほとんどが科学力は遅れてはいても、未知なる魔力の使用方が存在している場合がある事や、見た事も無いような便利な道具、食べ物、動物の宝庫だ。
だからこそ、国同士が競って未開地域へと土足で踏み荒らすような時代も過去にはあったし、今も多かれ少なかれそういった側面はある。
それでも俺達のような冒険者が出張ることで、国の利害に関係なく未開地域の文化や風俗を破壊する事無く地図を作り、可能であれば信頼関係を構築して、更に上手くいけば交易や国交を樹立すべく依頼人や政府に繋ぐ訳だが、俺達が現場に戻ってみればこの有様という訳だ。
そして、例のニシキヘビとかいう奴等の一人が冒険者ギルドにて我が物顔で歩いているのを見掛けたのが今日だ。
というよりも、ついさっきだ。
以前のカルミアであれば、その場でそいつの手足を引き千切った後、仲間の居所を吐かしてから殺していただろうと思う。
だが、カルミアはそうしなかった。
俺が止めるまでも無くだ。
最初はカルミアが偽者かと疑った。
次に病気を疑った。
だが、ニシキヘビのメンバーの一人という黒髪の男とたった今、テーブルを挟んで言葉を交わしているカルミアは残念ながら本物で病気では無かった。
ギルド支部の飲食スペースには周囲に同業者が大勢居たはずだが、既に俺達以外誰一人として居なくなっているという事は、主にカルミアが撒き散らしている殺気の所為なんだろうから、本物であるし病気の疑いも薄い。
何故、こうも丸くなったのかは本人すら驚いているのかもしれんが、俺や仲間も困惑してしまう。
だが、喜ばしい事ではある。
しかし、臨界点が上昇しただけで暴発すればそこでゲームセットなのは同じだろう。
「お前達はキリスクの族長や村人が敵意を剥き出しにしてきたというんだね?」
「ええ、そうですよ。最初は僕達も穏便に事を運ぼうとしてたんですよ? 先輩達のように非武装で集落に入りましたし、彼らには誠意を持って接しましたよ」
「……。おかしいね。お前達は誰一人として負傷すらしていないと聞いたけど? それだけの力量差があって何故、キリスクの者すべてを殺した!」
切れる前の前兆、ティーカップを砂粒になるまで握り潰す癖は健在である。
これ、地味に掃除するの面倒なんだぞ、妻よ。
だが、そのまま目の前の坊主を握り潰さなかったのは上出来だ。
「僕達も必死だったんですよ。非武装とはいっても魔力を扱う事には多少は長けていると自負していますし、負傷者がゼロであった事を僕達は誇るべき事だと思いますが? 負傷しなかった事、その事で責めを受けているのですか?」
「ライン!」
「何だ?」
「こいつ、殺す!」
「プッ……ハハハハハハハハハ……、し、失礼……クククッ。はぁはぁ……すいません。あまりにもあなたが噂通りだったもので」
「駄目だ。ここで殺すな」
殺す気はあまり無いか。
変わったもんだ。
感慨深い。
「じゃあ手足で我慢するわよ」
「それも駄目だし、死ぬだろ」
「クッ……。わかった。じゃあ、歯だけ抜いていく」
「それくらいなら良いだろ。坊主、悪く思うなよ」
カズマとかいったか、こちらが手を出さないとでも事前に聞いていたのかもしれんが、カルミアの歯抜きが開始されるとご自慢の魔力を行使する暇も与えられずあっけなく歯を抜かれていく。
時折、聞いた事も無い言語で何か叫んでいたのが気になるが、しばらく碌に話す事も出来ないだろう。
いやはや、この後の約束をしている爺さんを待たせるのは問題ないが爺さんの弟子のルルを待たせるのは不味い。
復帰したばかりの俺達以上にニシキヘビの連中の蛮行をルルは知っている。
カルミアとは違って冷たく燃えるタイプ。
危険な鬼だ。
爺さんが調整役ではあるが、最近は師である爺さんが軽くボコられている。
不幸な爺さんだ。
俺よりは幾分かはマシであろうが、同情の念は禁じえない。
いかんいかん。
冷たい鬼に思考が奪われている内に、カズマとかいう坊主の最後の歯である前歯が抜かれている。
ここらで止めなければ、血まみれとなったカルミアがこの坊主の目をほじくり出しかねない。
「カル、そろそろ時間だ。ルルが爺さんの頭を削り出すぞ」
「はぁ……これからだってのに……。ルルを待たす訳にはいかないわね」
「お前は先に行ってくれ、こいつの始末をしてから俺は行く」
「わかった。ライン、気をつけるのよ。大丈夫?」
「問題ねぇさ。さぁ、行った行った。それよりも、お前……迷子になるなよ?」
さてと、支部長に話をつけに行くか。
支部長が居るであろう執務室へと向かおうと、足を踏み出す瞬間、頭の後ろに何かが触れた。
目を覚ますと俺は歯の抜けた男の隣で横たわっていた。
おそらくカルミアに後頭部に何かしらの打撃を受けたのだろう。
周囲に人が居ない事、救助を受けていない事からして短時間で覚醒した事が伺える。
俺も子育ての間は気軽に怪我をする事が出来るし、気を失う事が許される状況故に、耐性がかなり付いたのかもしれん。
こんな所でこのような形で気絶からの復帰の短縮という恩恵を授かるとは思ってもいなかったが……。
さてと、誰も来ない内にズボンとパンツを履き替えてしまおう。
荷物の中に汚れてしまったズボンとパンツを仕舞い込み、替えのズボンとパンツを手早く履き、歯を抜く際に気を失わされているカズマを放置して、そのまま支部長の執務室へと向かう。
支部内のエントランスへと出ると職員が居たので、カズマの処置を依頼する。
職員は不思議な顔をしていたが、「うちのがやった」と一言告げると得心したのかすぐに手配をしてくれる。
執務室のあるフロアに到着すると既に連絡があったのか、職員がすぐに通してくれる。
重厚な扉を抜け、室内へと足を踏み入れると支部長は腕組みをしたまま沈痛な顔で出迎えてくれた。
「すまんな。また迷惑を掛ける」
「冒険者同士の争いだ、問題ない。と言いたいのが本音なんだがな……。今回は相手が悪いな」
「ほう、ニシキヘビってのはそこまでの影響力……。いや、どこぞのお偉いさんの肝入りか?」
「それもある。複数の企業、某国の貴族までもがスポンサーって話だ。こっちへ奴等が顔を出す前に各方面から連絡、というよりも圧力がかなりあったくらいだ」
「……そうか。だが、それだけが面倒な理由じゃないようだな。何だ?」
「ラインもカルも復帰したばかりで奴等の所業しか知らんだろ。奴等……あれだけ好き勝手にやれるだけの事はあるって事だ。それが許されるだけの力を持っているな、単純に強いって訳だ」
支部長が強いって言葉を簡単に使う奴では無いのは長年の付き合いで知っている。
それに加えて、比較対象がカルミアも含まれるであろう状況にも関わらず、「強い」という言葉を出すという意味。
「どの程度なんだ?」
「下手すりゃ、グループの代表者、シマズってのはカルと渡り合える程だろうな。まぁ、下から見上げる形の俺の判断だ。精度は曖昧になっちまうがな」
「……」
ここにカルミアが居なかった事に安堵させられる。
もし、ここに居合わせ、この言葉を聞いていたらどうなっていた事か。
「仮にだ、カルよりもシマズが上だったとしても心配はしてねぇ。お前が付いてるんだからな。問題はお前らの倅だ」
「は? カキがどうした? あいつはここには居ないんだぞ……。なるほどな……」
「わかったか? ニシキヘビの奴等、ペンタゴンでも一部メンバーが活動してんだ。こっちでの件がペンタゴンに伝われば、報復の矛先はお前らの倅に向く可能性もあるだろ」
「……」
「奴等の居所、活動拠点の数、メンバー構成。教えてやりたいところなんだがな。これでも既に実刑もんの規約違反なんだ、すまんな……」
「気にするな。俺達の息子だ、あいつは俺やカルよりも賢いからな。何とかするさ」
内心は心配だ。
俺達が撒いた種をカキに背負わせる訳にはいかない。
助けてやるのが俺達の義務だろうが、支部長に迷惑を掛けるのは筋が違う。
長居すれば支部長の立場を危うくするだろう、これ以上の迷惑は掛けられない。
すぐに執務室を退出して歯抜けの坊主の事後処理だけは任せ、爺さん達のと待ち合わせ場所へと急ぐ。
支部を出る際、細い剣を腰に差し、濃い灰色の髪の男と目が合う。
敵意は感じられない。
普段なら何か用かと声を掛けるが、今は状況が許さない。
男の視線を無視して、通り過ぎる。
「可愛い……」
すれ違い様に男がそう呟いた。
どういう意味かと思って振り返ると、男は失言したと考えたのだろう、口元に手を当ててそそくさと支部へと姿を消した。
そっちの趣味の持ち主か何かだろうか、今はそんな事を考えている場合ではないが、どうにもその手の趣味の男に好かれる俺は過敏に反応してしまう。
そちらの世界から引き返し、爺さん達が逗留している宿のロビーにて落ち合うことが出来た。
ルルは案の定、カルミアを先行させたおかげで機嫌を斜めにする事無く落ち着いている。
爺さんの頭に少しだけ出血の痕が見受けられるが、状況が状況なだけに目を瞑る。
許せ、爺さん。
「カル、さっきの件はもう話したか?」
「ええ、今その話をしてたところよ」
「まずい事になりそうだ。先に謝っておくが、爺さん、ルル、今回の探査、俺達は同行出来ない。すまん」
まずは爺さんとルルに頭を下げて謝る。
準備や調査に何ヶ月も掛けて貰った上に、各方面との調整や交渉までしてもらったのだ。
頭を下げる程度では返せない苦労をこの二人、そして関係者には掛けている。
「ライン、詳しく話しなさい」
「そうじゃな、カルからの話だけではなんとものう。何があったんじゃ」
「……」
ルルが一切動かないし喋らないのはいつも通りだが、爺さんが妙に落ち着きが無い。
既に何かしら知っているのかもしれんな。
「手短に言うぞ。まず、ニシキヘビの事だが、奴等かなりの実力を持っている集団らしい」
「やはりのう。ワシらもあの小僧共には手を出せんかったしのう。その反動で、ルルがバ、しっかりと修練を積むようにはなったのは救い?ではあるがの……」
「爺さんは知っていたか……。まぁ、それはこの際問題じゃない」
「そうね。やりようはいくらでもあるわね。私はどいつから始末すれば良いの?」
「いや、まぁ、それは置いておこう。問題は奴等の活動地域が未開地域以外にもあるという事。その中にペタンゴンシティも含まれている事だ」
「……ラインは列車で。私は走る」
走るって、我が妻よ。正気か。
普通に無理だ。
何千キロ離れていると思っているんだ。
「カル、待つんじゃ」
「何? これは家族の問題。それに今回は私のせいよ。死んでもカキは守る。邪魔するつもり?」
「……カル、師匠の言葉、聞いて。カキ、守れなくなる」
「移動に時間を掛けている間に向こうが動けば終わりだ」
「……」
「まずはカキとの連絡を取る事が先決じゃろう。ラインよ、何か方法はあるのか?」
「あるにはある。だが、連絡員では対応出来るとは思えない。保護をしてシティから出国するまでには少なくとも数日は掛かる。既に緊急保護をするよう連絡は入れたがな……。現時点でカキがペンタゴンに滞在している事や俺達の息子である事を知る者はごく僅かな関係者だけだが……相手が相手だ、すぐに調べられる可能性を踏まえて動く」
「ニシキヘビ、そこまでの力を持っておるのか?」
「あぁ、支部長の話では奴等の強さも問題だが、複数の企業、貴族がスポンサーに付いているらしい。その気になれば、もしくは既にカキの存在は知られているかもしれん……」
自分の口から出る言葉が妙に冷たく感じる。
カルミアの軽挙を戒める思いが、俺の中にあるのかもしれない。
だが、今ここで俺やカルミアの感情や行動を振り返り悔いる事は愚かしい。
時間の浪費をする暇は俺達には無い。
悔いるのはすべき事を行ってからでも遅くない。




