第十八話 パン
アミラがテーブルの上に置かれている、細かな装飾が施されたピッチャーからグラスに水を注ぎ込む。
細く透き通るような白い肌の首、手にしたグラスを傾け喉を小さく鳴らして水を飲み始める。
勿論、俺に飲み物を勧めてくる素振りなんてない。
アミラが三杯目の水を飲み干し、一息付いた様子を見せる。
「三人組……何組かすれ違ったかな」
「黒髪黒目の者はその中に居たか?」
「……そういえば居たかな。その人達がどうかしたの?」
「ふむ」
「ねぇ、その人達がどうかしたの?」
「ちょっと待って、アミラ」
あの時、そう、第七階層へと足を踏み入れる前に俺の慢心から負傷した時。
あの時点で引き返しておけば、アミラにも会わずに済んだはずだけど……。
何かおかしい。何か引っ掛かるな。
そもそもアミラは何故、第九階層に居たんだ?
俺を待っていた?
「アミラ、第九階層で何をしていたんだ?」
「カキが来るのを待ってた」
「……暇なんだな」
「うん」
「確認しておくが、その三人組。黒髪黒目の奴らな。そいつらに過去話し掛けられたり、もしくは顔見知りだったりするのか?」
「だいぶ前に一度だけ、黒髪の女に話し掛けられたかな」
四杯目となる水をグラスに注ぎ込みつつ、思い出すように口を開くアミラ。
室内ではダウンジャケットを脱ぎ普通の格好の為、お腹がぽっこりしてきたのがわかる。
俺が目覚める前から飲み続けているのかもしれない。
いかんいかん。
アミラの呑みっぷりに見とれて思考が妨害される。
こいつの腹ボテ感もどうだって良い。
「どんな事を話した?」
「んー……お勧めのショップを聞かれたりだったかな? つまんなかったからよく覚えてないけど」
顔見せをした程度か……?
徐々にアミラとの距離を縮めて、親しくなろうとしているのか。
それとも他に目的があるのだろうか。
それにしても、迷宮でアミラに拉致され運搬されていた俺の姿を原作トリオに目撃されていたとなっては、沈黙を押し通す事は不可能だろう。
ここで多少なりとも俺から原作トリオに対しての考えを提示しなければ、アミラが原作トリオに接触する可能性もある。
その前にこの状態のままで話す訳にもいかない、というより対等な立場に少しでも見える状況で切り出したい。
当たって砕けろ。やるっきゃない。がんばるんば負けないでもう少し。
「我が友であるアミラにカキ・ビスマルクが命じる、拘束を解け!」
「わかった」
ノリで言ってみたら成功した。
こいつの行動原理がよくわからない。
拘束を解かれた俺はアミラの案内でダイニングのある方へと足を運ぶ。
アミラは大きな冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出し、何杯目かの水をグラスに注いでいる。
手持ちぶさたになった俺は大きなテーブルに備え付けられている椅子に座る。
「よく飲むな」
「ずっと潜ってたから」
「ん? もしかしてこの前の朝に別れてからずっとか?」
もしかして原作トリオは第九階層で待ち伏せをしていたアミラの存在に気付いていたかもしれない。
まぁ拉致されて運搬中のアミラと俺の姿を見られているんだから、些細な事ではあるか。
「うん」
「それにしても何で水ばっかり飲むんだ?」
「魔力を使い過ぎると乾くから」
俺の眠気と似たようなものか。
それにしても張り込まれていたとは、アミラを舐めてたな。
初対面でいきなり魔法を使用して脅迫に近い事はするわ、盗聴機を仕込んだり、全裸になる俺を平然と舐め回すように見るこいつの危険度を甘く見てはいけなかった。
水はこの際どうでも良い。
俺のどこが面白いのかは知らないが、退屈だからと危険生物が跋扈する迷宮で張り込む少女なんてゲームやアニメの世界……。
なるほど。ここはそうゆう世界なんだ。
「カキ、どうしたの? 震えてる。寒い?」
「あ? いや、大丈夫だ……」
俺が知る現実と似ているようで、倫理や道徳がまったく違う世界。
魔法がある時点でそもそもおかしいが、それなのに俺が知る限りこの町にしても技術水準は現実にかなり近い。
命の価値が異常に軽い世界。
原作トリオが迷宮内で自分達の事をトリッパーと口にしていた事。
あいつらはこの世界の未来を予知するような事も口にしていた。
俺がモブである事を断定していたあの三人の思惑が透けて見えてきた。
自分達に都合の良いように世界の改変、物語の改竄をする。
その中にはアニメやゲームかはわからないが、主要キャラであるアミラも含まれている。
そう考えればあいつらの言動がしっくりとくる。
「フハハハハハハ! わかったぞ、アミラ!」
「うん? 何が?」
「この世界の理がな!」
「そう。なんか気持ち悪いよ、カキ」
アミラにドン引きされつつも、今後の方針をマジメに考える。
まず、現在の俺の実力。第九階層までを無傷で踏破出来ない程度の俺の実力では出国権利を取得するまでに長い年月が必要な事。
加えて単独では一度の失敗やアクシデントで振り出し以下、死がすぐ傍にあるという現実。
更に原作トリオが俺の排除を試みてくる可能性が高い事。
自力を上げるまで迷宮に近づかず、スラムにでも篭る事も選択肢の一つではあるが、原作トリオがいつまでこの地に滞在しているのかが不明では最善とは思えない。
それならば既に導火線に火が付いている爆弾を抱え込んでしまうという手もある。
問題は俺がその爆弾の内部構造を知り尽くしているとは言えない事もあるが、原作トリオよりはアミラの方がマシだと思う。いや、思いたい。
「あ! 俺どれくらい気絶してたんだ?」
「丸一日くらいかな?」
「客室に荷物おきっぱ……あれ?」
何となく考えが煮詰まってきて、壁に掛けられた時計に目をやって気付く。
チェックアウトすらしてないし、荷物を客室に置いたままだという事に。
しかし、アミラはその俺の言葉を聞き寝室の前の扉を指差す。
そこには見覚えのある俺の荷物が置かれている。
「フロントにカキの荷物が預けられてたから」
「あ、ありがとう。不意打を頂戴し、拉致までしてもらった上に荷物も引き取っていただいたようで、お世話になりました」
「いえいえ」
「じゃあ、俺は行くよ」
「どこに?」
「とりあえず核の換金して飯食って寝、なくても良いか。」
「わかった。準備する」
「アミラ。待て。座ってくれ」
「ん? わかった」
忘れる所だった。
いつもの癖でホテルを出て迷宮に潜ろうとしてしまった。
このまま迷宮に一人で出向き、原作トリオに待ち伏せされていれば完全に詰む。
「アミラ、迷宮を共に潜るなら決めたい事がある。良いか?」
「うん」
「では、まず第一に核の分配について。これは完全に均等に分配。どちらかが戦闘に一切参加していない場合も迷宮に同行しているのであれば適用される。この条件で良いか?」
「うん、良いよ」
「では次。基本的にアミラの方が俺よりも迷宮については詳しい。特に俺の力量では踏み入れると無謀だと思われる階層へは進まない。判断はアミラに任せる」
「わかった」
「あと、迷宮へ潜る時間や日程などは全て俺が決める。これも良いか?」
「良いよ。一人だとどうせ退屈だし」
「あぁ、それについてもだ。出来ればお互い単独もしくは他の者と迷宮へ潜る事も俺達がパーティーを組んでいる間はなしだ」
「どうして?」
やはりここがネックになるか。
原作トリオがアミラに接触する場に俺が不在という状況を回避したいが、理由を聞かれても説明のしようがない。
あなたはゲームやアニメの登場人物なんですと説明して、異世界がどうの転生やトリッパーまで出せば尚更荒唐無稽の与太話感が強くなる。
「これは最後の取り決めにも関連するがさっき聞いた黒髪の男女の三人組。理由は言えないけど、あの三人とは関わりを持たないと約束して欲しい」
「……わかった」
アミラの表情からは考えを読み取る事は出来ない。
ただ、俺の言葉に矛盾や違和感を感じているのだろう事はわかる。
最終的にはアミラが折れる形となったが、俺の要望は聞き入れてもらえた。
その後、細々とした取り決めをしたり、俺が知らない迷宮についての事やシティーにあるアミラが使う店舗などについても教えて貰う。
俺もアミラ同様にホテルの最上階、宿泊者以外がそのフロアに足を踏み入れる事も難しい一室に寝泊り出来ればと思うが、同じホテルにある他の客室を取る事にした。
四六時中行動を共にすべき状況ではあるのかもしれないが、はっきり言ってアミラを完全に信用も出来ている訳でもないので客室は別々でも仕方がない。
迷宮以外に関してお互い単独行動を取る事はパーティーを組む上での条件に入れなかったのには、こういった理由もある。
それに、原作トリオの立場に立って考えれば、アミラに危害を加える事はないし、そもそもアミラに反撃されれば消される可能性も大いにある。
原作トリオの事を危険だという事だけでもアミラの耳に入れておいたので、隙を突かれる可能性も低いだろうし、懸念すべきは結局、俺が狙われる可能性だけとも言える。
これはもう覚悟を決めて行動するしかないし、恐れていては何も出来ない。
この町に安全な場所など存在しないし、身を隠して置ける金銭的な余裕も匿ってくれる親兄弟、知り合いもいないのだから。
「アミラさん、今日はここに泊めて下さいお願いします」
決意した俺は椅子から飛び降りて土下座して頼み込む。
数十秒の沈黙の後、アミラから了承する意が聞こえて安堵する。
明日から本気出す。
翌朝、ペンタゴンシティーのストリートをアミラと共に歩く。
原作トリオが待ち伏せでもしているかと、ホテルを出る時から警戒していたが彼らの姿を一向に捉える事が出来ずにいた。
アミラが同行していては手を出し辛いのだろうと予想出来るが、警戒をしたまま『サバ』に出向いて昨日採取した核を全て売り払う。
ジェリークラブは一つ五万ゴスで買い取って貰い、パープルアントの核も売り払い、計二十五万ゴスを受け取る。
幸い店をでるまで気味の悪い笑い声は聞こえてくる事はなく、店内にはサマンサさんの姿だけしか見当たらなかった。
朝から聞きたくない笑い声を回避出来た俺とアミラは次に、レザージャージを先日購入した服飾品店へと足を向ける。
アミラは店舗内に入るなり踵を返し、外に出て行ったが理由は何となくわかるので、数日振りに下腹部のポテンシャルの高い店員の圧迫を一人で感受する。
いつまでも上靴では機能性が低すぎるので、店員にどうにかならないかと相談する。
「この靴どうにかならないですかね?」
「おーけー。三日後にまた来てくれ。それまでに用意しておく」
「あ、はい。お願いします」
続いてレザージャージの上着を更新しようかとも思ったが、入用な物がもう一点あるので止めておく。
「それと、耐熱性の高いグローブってあります?」
「んー? 君ー、へぇー、なるほどねぇー。予算は?」
「手持ちがあんまりな」
「ちょっと待ってな」
湿り気のある口周りを動かして喋る店員がラバースーツをギシギシと鳴らせて、前回同様店の奥へと消えて行く。
しばらく待たされた後、ギシギシと音を鳴らせて店員が戻って来る。
ラバーが体に馴染む事はないのだろうかと、どうでも良い事をつい考えてしまう。
いつまでも体に馴染まず音を鳴らせ続けるラバースーツの店員の手には、クリームパンが二つ。
何故にパンをこの状況でと思ってよく見てみると、クリームパン風のグローブだった。
手に持った商品の説明を店員から受け、要約すれば耐熱性以外にも丈夫で衝撃や防刃性にも優れているというクリームパン風グローブ。
お値段なんとワンセットで十五万ゴス。
追加事項として使い捨てだとう事も付け加えられる。
一見して手袋にすら見えない上に、使い捨てでこの価格。
性能を試してみたいと思うが、消耗品では店員の言葉を信じて購入してみるしかない。
店員は俺の迷いなんて素知らぬ顔で、営業トークをする訳でもなくクリームパンを二つ手にして佇み続ける。
レザージャージの事も考えるとこのクリームパンぽいグローブもよく出来た物であるだろう。
支払いを済ませ店を出ると、アミラが早速俺の両手に嵌められたクリームパン風グローブをチラチラと見て、小さく笑っていた。




