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FLEX  作者: 石油肉
第一章
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第一話 子として

 目の前で見知らぬ女が複数のだらしない服装の男達に囲まれている。

 羽交い絞めにされた状態で口を塞がれ、悲鳴すら上げられない状況にある見知らぬ女の姿を目撃した俺はケツの穴を引き締めていた。


 この光景を目撃する五分前。

 安っぽい腕時計が夜の十一時を示すのを確認して、俺は職場のある繁華街のビルへと向かっていた。

 直前まで勤務していた職場でトラブルがあった為、次の職場の出勤時間に間に合いそうにない。

 遅刻している状態でもあるし、普段は使わない外灯が無く人気の少ない近道である路地裏を小走りで進む。


 繁華街を歩く人々の喧騒から離れたこの路地裏は、職場に勤務する同僚や知人からは危険な場所であると聞いていたが、まさか変化球なしのドストレートの犯罪行為が目前で行われているとは。

 以前の俺なら踵を返して逃げるか、分厚い財布を差し出して難を逃れていただろう。

 今は逃げるという選択肢が頭を過ぎりはしても、何故か逃げたくない、助けたいという思いが強く湧き上がる。


 荒事に慣れている、喧嘩に負けた事がない。

 そんな特性や過去を持たない俺が、こうもヤバそうな連中を前にして逃げ出さないの何故だろうか。

 半年前、両親は非常に裕福であり、甘やかされて育てられた人生から一転して、両親の経営する複数の会社が多額の負債を残して倒産した。

 私立の金さえ出せば入学出来る大学に籍を置いていた俺を残して両親が夜逃げした事が、腐りきっていた俺の性格を変えたのかもしれない。


 まだまだ無知で傲慢な部分は残っているかもしれないが、大した学歴もない俺は日中は飲食店で働き、深夜から早朝にかけて警備の仕事をし、もう一度大学に戻る為に半年間働き続けていた。

 ようやく、ひと時の至福である甘いパンが食べられる生活を送っていたが、目の前の見知らぬ女を助けようとした事で終わりを告げる予感がする。


「……」


 甘いパンより知らない女を助けるんだ。

 いやいや、比べてる時点でまだまだ俺って腐ってるな。

 何か棒やバールのような物でもないかな。


 主に甘いパンへの回想をしていた俺は薄暗い路地裏を、見知らぬ女を取り囲む男達に気付かれぬよう首を左右に振って見渡す。

 昨日降った雨に濡れているが、ビール瓶を見つけ足音を立てないように移動して拾い上げる。

 クソ、手が震える。


 唾を飲み込み、喉が鳴る。

 そう、俺は未成年の内から親の金で酒を浴びるように飲んでいた。

 ビール瓶を握ると、今は経済的に酒なんて買えない事もあって症状が出てしまう。


 ほんとは怖くて怖くて震えているだけだ。

 酒なんて飲めない。

 甘いパンと炭酸があればええんや。


 よし、武器はおーけー。

 一応警察に通報しておこう。だめだ。

 携帯電話の契約なんて半年前に解除して以来、持ってない。


 震える手で薄汚れたビール瓶を握り、女を取り囲み既にその場で事に及ぼうとしている連中の許へと静かに移動する。

 警告や制止は無しで良いな。

 汁男優のように順番を待つ男を最初のターゲットに定める。


 汁男優(以下:汁男)の一人の男の後頭部をやや手加減して殴りつけると、くぐもった汁男の声が路地裏に小さく響く。

 瓶が割れてしまうかと心配したが、鈍い音を立てただけで汁男はそのまま前のめりに倒れこむ。

 突如起きた状況に尻を丸出しにしていた男が振り返り目が合う。


「お、おまえ! おい!」


 尻男の上げる殺意の篭る声を無視して、片膝を付き女を取り押さえているタンクトップの男の鼻っ柱にビール瓶を叩き込む。

 初手の汁男に叩き込んだ攻撃よりも、避けられないようにとビール瓶を強く振り抜いたが、また割れずに鈍い音が路地裏に鳴り響く。


「逃げろ!」


 既に上半身の衣服は乱れ、裸足となっていた女に向かって強く伝える。

 女は諦めの表情を浮かべて俺の姿を凝視していたが、小さく頷き拘束が解かれた一瞬を利用して立ち上がる。


「テメェ……」

「……グッ」


 脇腹の辺りが一瞬で燃え上がるような痛みが走る。

 背の低い坊主頭の男が俺の左肩に頭を付けている。


「クソがああああ!」


 罵倒と同時に再び腹部を正面から刺される。

 次は暗闇にぬらりと光る刃を認識したので、刺された事がはっきりとわかった。

 急激に両足の力が抜け、感覚が消えていく。


 両膝が地に付き、そのまま倒れ伏す。

 顔面を誰の靴かはわからないが、強かに蹴られる。

 いびつに結ばれた靴紐だな、そんなどうでも良い考えを最後に俺は意識を失った。




 意識が戻り、目を開けると目の前に岩があった。

 その岩には目鼻口があり、口から唾を飛ばして何か話している。

 岩かと思ったが、どうやら厳ついおっさんの顔のようだ。


 興奮した様子で話す岩男は、厳つい顔を笑顔にして涙を浮かべている。

 正直、気持ちが悪い。

 搬送された病院の医療関係者か何かなんだろうけど、奇妙だ。


 おかしい。話している言語を理解出来ない。

 首を動かして周囲を見渡そうとしても、手足は動いてる感覚はあるのに、首はまったく動かない。

 視野のほぼ全てを岩男が占拠したままで、情報を収集出来ない。


 まぁ、そんな事はどうでもいい。

 あの女は助かったかな。

 俺の微妙に端整な顔も、ぐちゃぐちゃなんだろうか。


 甲斐性がない内は女なんてどうでも良いし、まぁいっか。

 あ、今日は村田さん一人で警備になっちまうな。

 居眠りして主任に見つからなきゃ良いけど、心配だな。


 ねむ。

 岩男が顔を異常に近づけたままだけど、このまま寝てしまおう。

 おやすみ。




 目覚めると巨大で褐色の乳房が目の前に映し出されていた。

 岩の次はおっぱいとは、どんな病院だ。

 口元へと大きな乳首が捻じ込まれる。


 美味い。

 無意識で吸っていた。

 眠い。おやすみなさい。


 いやいやいや、おかしい。

 襲い来る眠気に耐えながら、この異様な状況を考える。

 しかし、眠気にすぐに負け、眠ってしまった。


 それからは、目覚めては褐色乳房ミルクを飲んでは眠るを繰り返し、情報を収集していた。

 視線だけは動かせるので何とか褐色乳房ミルクを飲みながら、周囲を見渡す。

 俺、抱き上げられています。


 この女、どんだけデカイんだ。

 そもそも何故、母乳を飲ませるのか。

 部屋を見た限り、病院でも無さそうだ。


 口を開いてここがどこなのかと問おうとしても、声が出ない。

 いや、声は出るが意味のある言葉を発する事が出来ない。

「あーあー」「うーうー」という赤ん坊のような言葉しか口に出来ない。


 その後、俺は漠然とした恐怖に号泣しながらすぐに寝た。

 再び抱き上げられる事で目が覚めて褐色乳房を吸いながら、不思議な夢もあるもんだと考えるようにしたが現実感が強く、夢であるとは到底思えなかった。

 あまり動かせないままだけど、抱き上げられたまま精一杯顎を引いて、自分の体を視野に捉えた。


 俺の体は白く清潔な布で包まれていたが、サイズが周囲の家具や寝具と比べてどう見ても赤ん坊のそれだった。

 確定した。赤ん坊になっている事が。

 また号泣してすぐに眠った。




 一年くらいが経過しただろうか、寝て食って排泄するだけの生活では曜日感覚なんて皆無で、月日の進み具合も室内にずっといては掴めなかった。

 しかし、俺自身に大きな変化があった。

 一つは岩男と褐色女が口にする言葉をかなり理解出来るようになった事だ。


 話す内容から考えるに、俺の父親と母親であるらしい。

 よくわからない単語はかなりあるが、日常の会話らしきものから推察するに岩男は褐色女のデカイ尻に敷かれているのははっきりとわかった。

 岩男改め父のラインは褐色女改め母であるカルミアから家事全般、食事や掃除、洗濯、俺の世話を含めた全てを託されていた。


 これは俺がカルミアから乳を与えられる事が無くなった時期から顕著になった。

 母であるカルミアは俺の様子を、一月に一度見に来る程度で、ほとんどの時間を俺はラインと共に過ごしていた。

 言葉をある程度理解出来るようになった他に、俺の身体機能にも変化は表れていた。


 ようやく半年、時間の経過がいまいちわからないけど、たぶんそれくらいを境に、立ち上がったり何かを掴めば歩く事が可能になっていた。

 日に日に体の中にある芯が太くなるような感覚を感じられる。

 一年程が経過したであろう現在は、時折行われるラインによる岩顔ゼロ距離愛撫を拒否すべく、両手で大きな鼻や口に指を突っ込んで抵抗出来るまでになっていた。


 抵抗出来るだけで、顔中を森のようなラインの髭で愛撫され、厳つい顔で甘ったるい声で話しかけてくる毎日は苦痛であった。

 しかし、人間、慣れる生き物だと思う。

 苦痛は小さくなり、この厳つい男に対して、育ててくれているという感謝の気持ちが俺にも芽生えていた。


 今は言葉を理解し、ある程度体を動かせるようになったとはいっても、しっかりと言葉を発する事は出来ないままだ。

 家の中を父のラインに抱かれて移動したり食事を与えられる時に観察は出来ても、屋外に出る事を許されていないようで、壁に飾られている骨董品らしき銃を手に取ってみたいと思う気持ちなど、やりたい事を伝えようにも上手く言葉を発することが出来ない事は、ストレスだった。

 それにしても見た事もない家具や調度品、道具類がこの家には多すぎる。


 もはや病院だとは自身の体を見れば理解出来ていたが、言語からして異国の地である事を認識させられる。

 壁に飾られていたり、整備中なのか無造作に机に置かれたままの小さな銃器や刃物の形状は見た事がないような独特なものが多い。

 そして電化製品全般も同じく見た事もない奇抜なデザインのものが多く、そもそも電気で動いているのかさえよくわからない構造のものが多い。


 冷蔵庫らしき大きな扉付きの箱に、カルミアが帰宅後にすぐに入る。

 そのまま扉を閉め、一時間程して出てくる光景を最初に見た時には、この女は頭がおかしいだけなのかと考えていたが、ラインとカルミアの会話から察するに治療を行う機具であるようだった。

 他にも、この治療箱以外に使用用途が不明なものが多くあったが、不明なまま更に月日が過ぎ去っていった。




 ようやく意思を言葉にして発する事が叶うようになった頃には、俺の体もかなり大きくなっていた。

 今、俺は自身の姿をしっかりと確かめる為に、鏡のある場所へと向かっている。

 最近はカルミアが家にいる事が多く、俺が自由に家の中を歩く事も容認されている。


「ふー、ここらで小休止っと」


 数十歩、移動するだけでかなり疲れる。

 俺の体が脆弱過ぎるのが原因だろうけど、少し歩くだけで着ている衣服の重さに悩まされるほどに疲労してしまう。

 それにしても、ラインの飯が恋しくなる。


 カルミアが最近家にいる事が多くなり始め、自然と家事をするようになり、カルミア手製の料理が食卓に並ぶようになった。

 俺も同じように二人と同じものを食べるようになっていたので、その一切妥協しない濃い血の味のする肉料理や肉スープ、肉水に辟易としていた。

 何の肉すらわからないが、とにかく血を啜り、飲む事が中心の生活は拷問だ。


 ラインも厳つい顔を血だらけにして黙って食べているが、カルミアに逆らえないので「カルミアの料理はやっぱりウマイ」と裏声で機械的に呟いていた。

 俺はそんな両親との温もりのある食卓で、どう接して、どんな言葉を述べれば良いのかを悩み続けていた。

 そもそも、この肉体が自分のものなのかさえ信じられない思いが強い現状では、この二人が本当の両親だと思えないでいた。


 答えの出せない事柄に思い悩む内に、体の疲れが癒えて来たので再び小さな両足で立ち上がり、浴室のある部屋へと続く険しい道のりを歩み始める。


「はぁ、はぁ……あかん、もう無理や」


 再び小休止する。

 カルミアに掴み上げられ、唐突に始まる手荒な触れ合いタイムが来る前に浴室へと辿り着かねば。

 小さな額から大粒の汗が流れ落ち、しっかりと掃除されている床に落ちる。


 静寂の中、突然足音が聞こえて体が強張る。

 またカルミアが俺を探し始めているのかもしれない。

 震えて碌に力が入らない両足で立ち上がるのは諦めて、寝そべったまま浴室へとズリズリと進む。


「カキ! どこに行った!」


 カルミアの声が聞こえ反射的に顎を引いてしまい、床に鼻をぶつけてしまった。

 痛いのと恐怖とで、疲れきった体の奥底から非常用のエネルギーを活用して浴室まで一気に進む。

 捜索を開始したカルミアの連呼する声にやや怒気が混ざり始めている。


 そう、俺の名前は残念ながら「カキ」である。

 これもラインとカルミアを両親と思えないのと同様、自分の名前として最初は受け入れる事が出来なかったが、ここ最近はカルミアの口から発せられる「カキ」を聞けば反射的に反応してしまっている。

 それはさておき、ようやく浴室へと到着した。


 よし、ご対面!


 …………


 うん、普通の幼児だ。

 あの父親とあの母親の遺伝子を受け継いでいるのか心配だったが、本当にあの二人の子のようだ。

 両親はどちらも茶色と黒の中間色のような髪に、父であるラインは黒い瞳、母であるカルミアは茶色の瞳である。


 そして鏡に映る俺も茶色っぽい黒髪に濃い茶色の瞳だ。

 顔立ちは母であるカルミアの気の強そう印象もあるが、父譲りの岩っぽさもしっかりとある。

 それがブレンドされてマイルドになっているのか、見た目は本当に平凡で普通だ。


 肌の色も白くも無く黒くも無く、肌色だ。

 鏡に手を伸ばし、触れてみる。

 不思議な感覚。


 初めて見る自身の映し出された姿は、平凡で普通な印象で、少し怖かった。

 そして、この不思議な感覚を小さな体に抱いていた十秒後、カルミアに発見され過激で危険な母子の触れ合いが開始された。

 今日こそは恐怖で脱糞してしまわないようにしなければ、俺は一人決意した。




 決意したからといって早々、目標は達成出来ない。

 それが人生だ。

 危険で恐怖を伴うカルミアとの触れ合いから解放された俺は、今日も盛大に脱糞していた。


 こんな見た目は一応幼児な俺を室内で放り投げたり、本物の重たいナイフを握らせ、鼠のような動物の解体をさせる事は辞めて欲しい。

 嫌な顔をしたり、手を止めると目の前にナイフを突きつけたりも辞めて欲しい。

 刺されないとわかっていても、根源的に湧き上がる恐怖には逆らえない。


 そりゃ脱糞するさ。

 ラインは見守るだけで助けてくれないが、触れ合いが終わると洗濯されたパンツを履かせてくれる。

 その時のラインの顔を見る度に、俺も同じような表情なのかと、ふと思った。



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