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第7話 「最強の遺伝子求む!」

今年もじめじめとした梅雨がやってきた。

 

ドラマの方はと言うと、天気の良い日が喉から手が出るほど欲しいと言う事だ。学園物なので外でのシーンが多く、それはほぼ晴れじゃなければ成り立たない。曇りや雨の日に俺達がどんなに張り切ったとしても、元気良さは中々表現できないからだ。必然的に学校内のシーン撮影になるのだが、雨ばかりなのでかなり先までの撮影を終えてしまった。


 ドラマの内容では、かなり俺の露出とセリフが増えた。この間の総合格闘技イベントでの番宣で、館長の猪俣(いのまた)氏の尻を蹴り上げた事を多くのメディアが取り上げたからだ。


おまけに、館長が俺の事を非常に気に入ったと公に宣言し、その団体『Xファイト』のイメージキャラクターに俺を採用した。


この間、Xファイトの短期CM撮影で猪俣氏の道場に赴いた所、前回ひと悶着あった外国人格闘家達を含め、門下生達が俺に礼儀正しい事礼儀正しい事……。まだ作っていなかった『神野和海ファンクラブ』をその場で結成する運びとなり、会員ナンバー1~100番までは全員瓦を20枚以上割る事が出来る男達で占められた。




 本日は珍しく天気が良く、朝方からドラマの俳優が屋外に集められて撮影が行われた。しかし、天気予報とは違って正午前には曇りはじめ、俺達はそこで解散となった。


天気の事はともかく、撮影ってのは遅く終わることもあれば早く終わることもあるので、俺はいつも学校の用意を持ち歩いている。今日は午後の授業が受けられそうなので、俺は撮影現場から直接電車で学校へ向かう。そろそろ出席日数が気になってきた俺は、隙あらば学校へ行って授業を受けなければならないのだ。


「ちぃーっす。一日ぶりー!」


 俺が入ると教室が静まった。あれ? そんなにギャグがつまんなかったかな?


「あなたが神野和海ですわね?」


 席に向かおうとした俺に、見慣れない女が話しかけてきた。


長い髪を前髪ごと後ろで一まとめにくくった女だ。力強く整えられた眉、気が強そうな目、顔はかなりきつめだが、結構作りは丁寧だ。


しかし、そんな髪型や顔よりも目立つ特徴がある。体だ。身長は久美よりも高く、恐らく170センチくらいか。身長158センチに裏ワザでプラス3センチの俺は、結構な急角度で見上げなければならない。そして彼女の足は極めて長く、短いスカートから伸びるそれが白いカモシカの足に見える。迫力満点の足と均衡がとれるくらい、胸も巨大なのが付いている。胸なのか? ロケットなのか? と言った感じだ。


「あんた……誰?」

 

そりゃ他人のクラスに入っては駄目と言うルールは無いが、普通なぜか遠慮をしてしまうものだ。しかし、この女はまるで我がクラスかと言うように、悠然と教卓にもたれかかって俺を見ている。


「貴方の敵ですわ」


「……やっぱり?」


 俺はため息をつく。なんか俺の人生って、こんな展開ばかりなんだよな……。


「さあ! 勝負ですわよっ!」


 女は教卓の上を手で強く叩くと、俺に向かって片頬を膨らました。


「えぇ……俺朝から働いて疲れてんだけど……」


「疲れているからって、敵は待ってくれないですわっ!」


「そりゃそうだけどさぁ……」


 俺は鞄を自分の机に置くと、正也の席へ行く。


「なあ正也、今UNO持ってる?」


 頷いて、机の中からカードを取り出した正也からそれを受け取る。


「じゃあ勝負しようぜ…」


「貴方、正気ですかっ!?」


 当然のように口を尖らしてきた女を見ながら、俺は深いため息をついた。


「……ボケたんだよ」


「さっさと表に出なさい!」


 女は短いスカートを翻し、教室の外へ向かおうとする。よく見れば上履きに入っているラインの色が俺と同じだ。こんな同級生いたかな? それに、上履きが真っ白のピカピカだ。


「お前、ひょっとして転校せ…」


「お前って呼ばないでくださいませっ! 偉そうな男ですわねっ!」


 そいつは振り返ると、俺の顔をビシッと指差しながら言った。


「私の名前は猪俣(いのまた)(じゅん)()! 本日付で貴方を倒すためにこの学校へ転校してきたのですわっ!」


「……えっ? いの…また?」


 その少し変わった苗字って、ごく最近聞いたばかりのような……。偶然同じと考えるより、血縁……と思う方が自然だ……。


「私は伝説の格闘家、猪俣(いのまた)()太郎(たろう)の娘! その伝説を伝説としておくため、神野和海っ! あなたを抹殺しますっ!」


 興奮して目を輝かせている伝説の格闘家の娘の前で俺はつぶやく。


「また濃いキャラが現れたぜ……」


 無理をして学校へ来たことを後悔した。 



 俺は、疲れた体に鞭を打ってグラウンドに向かう。心配気な顔で千夏も付いて来て、その後ろに久美と正也、松尾も続いている。


「貴方ねぇ、緊張感って物は無いのですか? これから命を懸けて戦うのですわよっ!」


「だって、朝からなんも食ってねーもん」


 俺は、持ってきたサンドイッチとオレンジジュースを両手にしながら歩いていた。緊張感って言うけど、昼休みでサッカーや野球をしている生徒達がいるグラウンドの隅で生死を賭けた戦いをするってのも、緊張感があるとは思えないけどなぁ……。


 バンブーダンスの練習をしている奴らにも追いやられ、俺達は本当にグラウンドの端っこの百葉箱が置いてある辺りに来た。


「さぁ! 始めますわよ!」


猪俣(いのまた)(じゅん)()は腰の横に拳を置き、父親と同じ構えを俺に見せた。正直、隙が無い。こいつはかなり強いんじゃないだろうか?


「せいやぁ!」


「おわっ!」


 洵花の振り上げた足を俺は体を仰け反らしてかわした。つま先が俺の前髪を吹っ飛ばす。


「おおおおおぉぉぉ!」


 どよめいて見せたのは、千夏でも久美でも無く、正也と松尾だ。


「白だっ! 顔に似合わず白だっ!」


「ついて来て良かったぁ~」


 ハイタッチをしている二人の前に洵花は歩いていくと、目にも止まらない速さで二人のみぞおちに拳を叩き込んだ。正也と松尾は、殺虫剤をかけられた黒いアレのように、ぴくぴくと地面に寝転がった。


「もう一度見たら、貴方達も息の根を止めますわよっ!」


 正也達に言葉を吐いた後、顔を赤くしたまま洵花は俺の前に再び立つ。


「俺にはパンツ見えて良いのかよ?」


「貴方は……死ぬから良いのです」


「異議ありっ!」


 そこに千夏が手を上げながら近づいてきた。


「女の子が男の子にパンツ見せちゃダメだよっ!」


「えっ……それはそうですけど……」


 何やらごにょごにょと女同士で揉め出したので、俺はグラウンドに胡坐をかいて空を見上げた。


雲はそれほど厚くは無いから、今日一杯は雨降らないかな……。


「よろしいですわよっ!」


 俺が洵花に顔を向けると、奴はスカートの下に体操着であるハーフパンツを穿いていた。短いスカートから、二十センチ程ハーフパンツの裾がはみ出ている。


「……だせぇ」


「しっ…仕方ないでしょっ!」


 あのハーフパンツは恐らく千夏のだ。何か袋を持ってきているとは思ったが、相変わらず先を読んだ賢い俺の婚約者だぜ。


「それじゃ、少し待ちなさいっ!」


 そう言うと、洵花は俺の前でスカートを脱ぎだした。


「これでどうっ!」


どうって言われても……。今度は、上が制服のブラウス、下が体操着のハーフパンツだ。ますます訳の分からない格好になっている。


「……何もいえねぇ」


 空手家の娘って事で、少し変わった育てられ方をしたんだろうなって……、俺は自分の風変わりな両親を重ね合わせて同情した。



「行きますわよ!」


 洵花の目にも止まらない突きが俺の顔めがけて飛んできた。俺はそれを右腕で弾き上げる。


「痛ってぇ……」


 見ると、俺の腕が切れて血が滲み出していた。さすが伝説の空手家の娘だ。


 洵花の父親である(いの)(また)()()(ろう)氏は、ジャンピング土下座が印象的だが、実際はすごい達人だ。うちの親父は人間では無いため、決して比べてはならないだけなんだ。


「せいやぁ! せいやぁ!」


 洵花の奴はマジで遠慮なしで攻めてきやがる。俺は回し蹴りを避け、早い突きは腕でガードする。あっという間に俺の腕は色が変わってきた。同じ女だとは言え、体格が二回りは違うあの女相手に真正面から受けていたのでは、今の俺の女の体では限界がある。


「仕方ないっ!」


 俺は右手を洵花に向かって突き出した。顔を殴られると思った洵花は、両腕を上げて防御する。しかし、俺の狙いは顔じゃない。洵花の腕の下をすり抜けた俺の指は、彼女の首の一点を押さえる。すぐに目の焦点を失った洵花の後ろに回り込み、膝の後ろを軽く蹴る。かっくんと足を折って地面に膝をついた洵花の首に、俺は自分の細い腕を巻き付けた。


「はい、勝負あり。動けば落とすぞ」


 首を絞められる格好で俺の顔を見上げている洵花の目に焦点が戻った。すぐに視線を動かし、事態を理解したようだった。


「参ったわ」


 降参の意思表示をした洵花を俺はすぐに離してやる。さすが一流どころは自分の負けを正確に悟る。ジタバタとあがくのは素人のする事だ。


「もう挑戦してくるなよ」


 次は勝てるとは限らない。って言うか、同じ技は二度通じないだろうから、次は負ける可能性が高すぎる。俺はクールなセリフを言いながら、「また挑戦する」って答えが返ってきたらどうしようかと考えていた。


「さすがダイダラボッチ神野(じんの)の息子ね……。お父様の言うとおりだわ」


「お父様の言うとおり? あの人が……俺を()れって?」


 まさか俺のファンクラブ会員ナンバー1号がなぜ……?


「ううん。挑戦したのは私の意思。だって、ダイダラボッチ神野がどれほど強いか知らないもの。でも、あのお父様が魔人のように強いと言うのが分かったわ! やっぱりお父様の言う事はいつも正しい! だから、言うとおりに貴方の子供を産む!」


「へー。…………えっ?」


 ん? 俺の聞き違いか? 何か、今へんてこな言葉が聞こえたような……。


 俺は首を傾げながら洵花の顔を見ていると、彼女はもう一度口を開く。


「最強の血統、ダイダラボッチ一族のDNAを頂戴!」


「DNA……って……」


 俺は半笑いをしながら千夏と久美の顔を見た。二人とも口がぽかんと開いている。


「猪俣の子供は娘の私だけ。私が覇王を生んで、猪俣家を未来永劫最強の血筋にしますのっ! ですからっ!」


 洵花は俺の前に手を差し出してきた。


「頂戴!」


「いや、手を出されても……」


 俺達は気絶した正也と松尾を置いてすぐに教室へ帰ると、(じゅん)()は久美による保健体育の授業を厳しく受けた。


 ――空手馬鹿を親に持つ箱入り娘は飛んでもねーな……



 10分後。保健体育の復習を終え、顔を真っ赤にした洵花がいた。


 学校の教育もまだまだだな。もっと攻めて教えないとな。俺は教育の在り方について疑問を持った。


「い……遺伝子はっ! ……こ……心の準備が出来たら貰いに行きますからっ!」


 俺にそんな事を伝えた後、洵花は顔から湯気を出して口を一文字にしている。


「異議ありっ!」


 そこで頬を膨らました千夏が手を上げる。


「はい、千夏君」


 久美がなぜか議長の役をやっていた。


「遺伝子は……あげません!」


「ん~…………正解!」


 いつの間にか国会からクイズ番組に変わっていた。最近の高校生はころころ話が変わるぜ……。


「どうしてですかっ!」


「駄目だからです!」


 睨み合っている洵花と千夏の間で、久美が誰だか分からない口調で言う。


「千夏は和海君の彼女だからであーる。遺伝子は千夏が独り占めなのであーる」


 ……本当に誰だよ。


「かの……じょ?」


 そう呟いた洵花は、力が抜けたように傍にあった椅子に座った。


「せっかく……転校してきたのに……」


 それを聞いた久美が洵花に尋ねる。


「あなた、和海君を滅殺しに来たんじゃなかったの?」


「それなら……街で襲えば良いだけ。戦ったのはさっき言った通り試したのですわ。お父様にこの学校に転校して、和海君の子供を作れって言われてきましたのに……」


 ……何か、何かずれてるよな、猪俣家ってさ……。それに、残念ながら大きな問題がある。今の俺には……千夏や洵花を納得させるような染色体が無い。女になってるからな……。


男に戻るかどうかは未定だし……。



「と…ともかく、猪俣さんって強いのねー。びっくりしちゃった! さすがXファイト総帥の娘ねっ!」


 久美が話題を変えると、洵花が顔を上げた。


「まあ……ね。いっぱい練習しているもの!」


「このクラスには、正也と松尾って言うさっきいた練習台がいるから、じゃんじゃん使ってやってよね!」


 ようやく教室に戻ってきたようだった正也と松尾は、それを聞いて煙のように姿を消した。それに気が付いて笑っていた俺達の前で、洵花は胸の前で拳を両方握って言う。


「まだ男の人以外には負けたこと無いのよっ! もし同じ女の子なんかに負けたら私、絶対死ぬわっ!」


「…………」


 千夏と久美、そして俺の笑顔が凍りついた。


「い……言い過ぎじゃ……ない? 出来れば……そんな決まりは作らない方が……」


 久美が頬をひくひくとさせながらそう言うと、洵花は少し視線を宙にやってから答えた。


「そうですわね」


 その言葉を聞いて胸を撫で下ろした俺達だったが、洵花はさらに続ける。


「年上は仕方ないかもしれません。世界には強い人が山ほどいるだろうし。でもっ! 年下はもちろん、同い年の女の子にもし負けたら、私は切腹してみせますわっ!」


 俺達三人は、胸を撫で下ろした勢いのままうつむいた。その姿勢のまま久美がつぶやく。


「か…和海君、頑張ってね……いろいろと……」


「そう……だな。今後いっそう……努力しないとな……」



 ――俺は、女だとばれてはいけない二つ目の理由を手に入れた。レベルアップ……か?





 目を開くといつもの赤茶色の天井が見えた。皆は気を使ってセンスが良いと言ってくれるが、果たしてそうなのだろうか? 否。これは、俺が子供の頃に受けたトラウマのせいだってのは薄々分かっている。この色を見たときの喪失感、それを俺は忘れないために、身の回りをこの色で固めているのだろう。


 俺は体を起こした。いつもの広いベッド。俺は、決してダブルベッド以外では眠らない。だって、あいつが戻ってきたとき、俺の横に入って来られないだろ?


 今日は目覚ましよりも早く起きてしまったようだった。この歳になると、もう一眠り……などという気持ちは湧かない。二度寝……確かそんな言葉あったよな。使わなくなって久しい。


 俺はいつもの日課、和室へと足を運ぶ。高熱を出した時も欠かさず行い、倒れてしまってマネージャーに怒られたこともある。


 仏壇での祈りを終えた頃、後ろのテレビの電源が入った。


「お早うございます、和海さん。今日のスケジュール、よろしいですか?」


「ああ、もう終わったから、続けてくれ」


 俺の……何代目のマネージャだったか覚えていないが、この人は特に良くやってくれる。まあ、初代マネージャーのあの人はあの人で、中々楽しかったけどな。彼女のボケで何度俺は窮地に立った事だったか……。


「……で、大河ドラマでの役どころなのですが……」


 そこで言葉を一度切って、マネージャーは申し訳なさそうな顔で続ける。


「白髪での……大老役なのですが……、よろしいでしょうか? もちろんイメージでは無いと私は断ったのですけど……」


「うん? それのどこが悪いんだ?」


「えっ? 初めての……年老いた役となりますが……抵抗など……ございませんか?」


「老人役なんて、いつもやっていただろ?」


「は……い……。私の記憶では……初めてだと思いましたので……」


 少し話が食い違ったが、仕事を受ける事への大きな問題では無かったので、その後話を終えて通信を切った。


「……おかしいな。俺は最近老人役ばかりだと思ったが……。若い彼が間違っているとは思えないし……」


 俺は自分の手の甲を見る。相変わらずしわしわだ。多分……俺の記憶がおかしいんだろう。こんな事が多くなれば、俺は仕事を引退してどこかの自然に囲まれた施設にでも……。


―ブンッ―


 テレビが付いた音がした。俺はマネージャーが何か伝え漏らしたのかと思ってすぐに画面を見る。


しかし、テレビには彼の顔は映っていなかった。代わりに、俺が子供の頃に番組放送終了後などに映し出されていたカラーバーが表示されている。確か、これはテレビの色や歪みを調べるって事で意味がある物だったんだよな。子供の頃の俺はそんな事に気が付きもせず、綺麗だって思っただけだった。


 ――しかし、どうしてこんな古い物が?


 それに、なぜか子供の頃に見たものと違う気がする。形か? ……違う。色だ。子供の頃に見た物は、確か原色ばかりだったはずだ。しかし……今俺の前に映し出されているカラーバーの色は、赤、黄、緑、青こそあるが、他に橙、藍色、紫……が入っている。複雑なものに変わったのか? 時代のせいなのか? 


 なんとなく俺は色を数えてみた。……七色あった。


「待てよ……七色? そう言えば……この色は全て虹の七色だ……。虹と言えば……」


 俺は子供の頃に聞いた虹の伝説を思い出して、自分の顔の前に手を広げてみた。


「虹の糸」


 俺がつぶやいたとき、テレビの画面が(オレンジ)色に光った。画面に目を戻すと、そこには一人の女の子が映し出されていた。


「……懐かしい。(じゅん)()だ。彼女の……若い頃の……」


 制服に身を包んだ洵花の高校生の頃の姿が映し出されていた。ホントこいつときたら……人類の損失だとか五月蝿かったよな。冷凍でも良いから、冷凍でも良いからってのが口癖で……。


 そんな洵花だったが、今は彼女の息子が格闘技界では『覇王』と呼ばれている。俺から見ても人間の中ではずば抜けた実力だが、まだ確かに足りないな。鹿児島で隠居をしている、齢100を超えても元気なあの魔人には到底勝てないだろう。


 俺は懐かしさのあまり、洵花が映っているテレビをずっと見ていた。





「和海様! ここではありませんかっ?」


「……はへ?」


 顔を上げると、電車の窓から見慣れた駅のホームが見えた。


「ここだっ! 降りないと!」


 俺は膝の上に置いていた鞄を掴むと、慌てて電車から降りる。その後ろにはでかい女子学生が付いて来ている。


「なんでお前も降りるんだよ?」


「あら、私も……家がこの辺りで……」


 洵花の奴は俺から目を逸らして、わざとらしく電車の時刻表が表示されているパネルを見ている。


「あっそ。じゃあ、お前の家はどっちの方向なんだよ」


「えっ……? えぇっと……確か……あっち……」


 洵花の指差した方角を見ながら、俺はゆっくりと頷く。


「ふーん。俺とは逆方向だな。じゃあ、またな」


 俺が背を向けて階段へ向かうと、後ろから声が聞こえてくる。


「あっ! 実はそっちでしたわ! この、私ってばうっかりさんっ!」 


 改札を抜けると、まるで初めて降りた駅のようにキョロキョロと周りに視線を動かしている洵花に俺は話しかける。


「お前、せっかくスタイル良いのに……、俺みたいな背の低い男と歩いていると恰好悪いぞ」


「何を言っていますのっ! 男は中身です! 遺伝子です! 私は見てくれなんて気にしませんわっ! それに、和海様は見た目も私の好みですし……」


 俺は、いつの間にか『様』を付けて呼ばれている事に気が付いた。……もういいや。面倒くさいからスルーしておこう。


「あ、メールが入りまくってる」


 俺が携帯電話を見ると、受信件数が八件と表示されていた。全て千夏からのメールだ。俺は朝からの仕事で寝不足であり、電車の中で寝ていたので返事を返せなかった。それが余計心配させたようだ。


「電車の中で、ずっとバイブレーションの音がなっていましたわ」


「お前が俺に付いてくるから、千夏が心配したんだろうが」


「まあそんな。嫉妬深い」


「遺伝子頂戴とか言うからだろ……」


 俺の言葉が聞こえたのか、周りの人からの視線が集まる。俺はごまかす様に咳払いをした。



家に帰る道を歩きながら、千夏に返信出来なかった訳についてのメールを送る。その間も、洵花は俺の後ろをずっと歩いている。


「だから、どこまで付いてくる気だよ」


「付いて行っている訳ではありませんけど、ダイダラボッチ神野と言う魔人を一目見たいですわ」


「まあ洵花の父さんは知らない仲じゃないから、来ても良いけど……お前んちと違って庶民だから、なんもねーぞ」



 猪俣虎太郎氏は、空手の神様と言われるだけあって門下生が数えきれないくらいいる。格闘技のイベント等を開催するなど手広くもやっているのでかなりの資産家だ。それに比べて俺の親父ときたら、大工道一筋。あの力を他の事に使ったら、すっげー金持ちになれたかもしれないのにな。……いや、世界征服ですら出来たかもしれない。


「遺伝子なら、小次郎からもらったらいいんじゃないか? この間チャンピオンになったし」


「お父様はそのような事を一言も言いませんの。とにかく、ダイダラボッチだ、ダイダラボッチだって……。どうもレベルが一つ違うようですわ」


 ……一つどころか、猫と虎ほど違う気がする。いや、猫とサーベルタイガー?


「お前もチャンピオン目指しているのか?」


「そうしたかったのですが、やはり女なので限界を感じてしまって……」


「んなこと無いだろ。まだまだ伸びるはずだ」


「ええ……。でも、私の憧れの人のレベルにまではどうしても届かないと思いまして……、それで子供に夢を託そうと……」


「憧れの人? 女子格闘家で?」


「いえ、二十年ほど前に、幻の女性闘士がいたらしいのです。北海道から北関東までを征服したって言われている人で……」


「……二十年前? ……北海道?」


 俺は、その人も猛烈に知っている気がした。


「多分、噂なので少し尾ひれが付いているんでしょうけど、ヒグマを狩るほど強かったらしいです。北関東まで足を伸ばしたのは、強い熊を探していたためだとも。通り名が、『北海道のUMA(未確認生物)』らしいのですが、高校卒業と同時に支配していた全ての高校を解放して消えたと言われていますわ」


「へ……へー。多分支配していた理由は、熊探しを手下にさせていたんだと思うぜ……」


「なるほど! さすが和海様は体力だけでなく、聡明でいらっしゃる!」


 洵花は、目を輝かして俺の手を握ってきた。


「やめろって。俺には千夏が…」



「こぉらぁ! 和海ぃ!」


 俺が洵花の手を振りほどこうとしている時、女の声が聞こえた。その瞬間、俺の全身の毛が逆立った。俺の本能が逃げろと強く訴えている。


「二股は許さんと言っておいただろぉ!」


 顔を上げると、道の先に半透明のスーパーの袋を手にした母さんが立っている。その背中から噴出した黒いオーラが空を覆い隠す程だ。


「ちがっ……」


 両手を振って間違いだと言おうと思ったが、胸の前に上げた俺の手をまだ洵花が掴んでいた。


「馬鹿っ! 離せっ! 殺される!」


「二股って……なんですの? ひょっとしてあの女の人は、千夏さん以外の和海様のもう一人の彼女? でも、和海様はそんな事する方では無いし、年齢差もかなりありそうですし……。もしかして、あの人はストーカーって言うものですか? そんな人許せません!」


 洵花は俺の前に立つと、両の拳を腰に当てて、空手の呼吸法『息吹』を使って戦闘態勢に入った。


「違う! 奴は母さ…」


 俺は目を疑った。洵花も体を震わせた。


 母さんは30メートル以上離れた場所に立っていたはずだ。しかし、一瞬目を逸らしただけで、俺達のすぐ目の前に迫っていた。


「せいやぁ!」


 洵花は母さんの胸に突きを入れた。しかし、その拳は母さんの体を突き抜けたのだ。残像? しかし、その残像は俺の胸ぐらに手を伸ばしてくる。そして、がっちりと掴んできた。実体だっ! どっ…どうなって……


「どおわぁぁぁぁ!」


 俺は自動車に跳ねられたように空中を飛んでいた。周りにある二階建ての住宅の屋根よりも高く跳ね上げられたようだ。


下を見ると、小さくなった母さんが、道路の上で舞踊のようなものを踊っている。恐らく落ちて行った瞬間、すさまじい攻撃を受けるはずだ。この女の体で受けたらマジで死ぬ。いつも俺の身代わりに母さんの技を受ける親父の姿は無ぇーし!


「この技受けて、命あるもの無し! 必殺、羆落しっ!」


「待って! そこにいる子は猪俣虎太郎氏の娘だってっ! 親父に挨拶しにきたのっ!」


 母さんが技に入ろうとしている所を、俺は空中から大声で叫ぶ。聞こえたか? 聞こえてなければ、俺の人生ここで終わ…


「猪俣氏の娘?」


 上下逆さまの姿勢で落ちていたはずの俺の体は、気が付けばほとんど衝撃を受けずに道路の上に足から着地していた。そんな俺から手を放すと、次に母さんはあまりの恐怖に尻餅を付いていた洵花の腕を引っ張り起こした。


(うち)のお父さんと学生時代友達だった猪俣さんのお嬢さん? 和海のファンクラブ第一号になってくれた人の?」


「……和海様のお母様……ですか? すみません……それにしてはお若く見えたもので……」


 ようやく目に焦点が戻った洵花がそう言うと、母さんはいつも通り頬に手を当てて身をよじった。


「あらぁ、そぉ? 近所の奥様方にも良く言われちゃうのぉ!」


 はあ、マジでこのおばさんは面倒くさいぜ。




 洵花は母さんによって家に案内された。まあ、ほとんど目の前だったんだけどな。


 居間に通され、スナック菓子とコーヒーを母さんは俺達の前に出してきた。ちなみにそれは母さんの趣味で、親父は通常、梅こぶ茶と岩のように固い煎餅しか食べない。


「ごめんねー。お父さんは今日の仕事場が遠くて遅いの。急がせればどんな仕事も一時間で終えてくるけど、交通事情だけはどうにもならなくてねー。まあ、時間に余裕があるなら、ゆっくりしていってねー」


 そう言うと、母さんはテレビの電源を入れた。台所にでも行くかと思ったが、テレビの横に置いてある、この間親父が買ってきた信楽焼きとか言う1メートルほどのでかい狸の置物の前に立った。


「もう一度言っておくけど……和海……」


 母さんは人差し指を伸ばすと、狸の眉間に当てた。


「母さん、二股は……許さないからね……」


―ズッ―


 俺と洵花の目の前で、母さんの指は狸の眉間にめり込んだ。割れている気配はない。まるでそこに最初から穴があり、指を普通に差し込んだかのように見えた。


「さて、晩御飯の用意をしなくっちゃ!」


 笑顔になった母さんは、パタパタとスリッパの音を立てて台所に行った。それを目で追っていた洵花は、コーヒーには口を付けずに俺に聞いてくる。


「和海様……今のはどうやったのでしょうか……?」


「母さんは……アイヌに伝わっていたような不思議な技とかも使えるからな……。良く分からん……」



 車で仕事場に行った親父は渋滞につかまってしまったらしく、結局遅くまで戻ってこなかった。洵花はと言うと、晩御飯の時間になると、遠慮をして帰って行った。



 これまでの事を整理すると、俺が女だと言うのは社会にばれてはいけない。そして、洵花にばれたら彼女が自決してしまう。その彼女は俺の遺伝子を欲しがっている。しかし、俺は女だし、万が一遺伝子を提供できたとしても、母さんに命を奪われる。……整理出来た?



 そんなこんなで、時間が経つにつれて複雑になって行く俺の物語は、高校二年生の夏に突入する。

  


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