第3話 「女化!」
翌週発売された『CUTE』により俺は誌面デビューした。まずは四ページの俺だけの特集を組み、来月創刊される男子向けファッション雑誌『CUTE MEN』で本格デビューとなる。その後、反響次第だが、おおむねCMとドラマが決まっているらしい。
それに向けて、俺の仕事はますますと忙しくなった。仕事以外でも行儀作法からダンスの特訓。一番力を入れているのが、言葉遣いを学習するレッスンだ。あのババア……じゃなくて、先生の厳しいこと厳しいこと。扇子で俺の頭をビシビシと叩く。ほんと、あの……ババアめ……。
俺は目が回る忙しさの中、学校へもちゃんと通う。
マジ……目が回る忙しさだった。それも、昨日から特に……
「昨日、和海クン学校休んで何してたの?」
「え? 写真撮影のために砂浜を一日中走ってたんだよ。釣り人の少ない平日じゃなきゃダメだとか言ってよ。ビーチフラッグの練習と寸分たがわないんじゃないかって思ったぜ」
俺は二日ぶりに学校へ登校した。学校を休む事は、デビューしてからたびたびある。昼間の撮影が、土日じゃ収まりきれなくなってきたって事だろう。んで、所属事務所からのお願いを俺の母親は二つ返事で了承する。ガンガン連れまわしてくれってさ。厳格な方の親、つまり親父は、母さんによって言論の弾圧を受けている。
俺は寝不足と筋肉痛により、ふらふらながらも朝からきちっと登校を果たしていた。若さのせいか、筋肉痛は即時に襲ってきており、俺は昨日の晩から非常に体が痛い。節々も悲鳴をあげており、ロボットのような歩き方だ。
「和海クン……体調悪そうだね?」
「そりゃぁ、昨日30メートルダッシュを50本近くやったからな……。マジ、南条さんって写真には厳しいんだよ」
「顔色とか……悪いよ」
「顔だけじゃねーよ。体もガタガタ……」
四時間目の授業も終わり、先生が背中を見せると同時に俺も鞄を持って立ち上がった。すぐに千夏が俺に駆け寄ってきた。
「和海クン、帰っちゃうの?」
「悪い。これから仕事でさ……。俺の成績どうなっちまうんだろうな。とりあえず、ノートはまたコピーしておいてくれ」
千夏は下唇を噛みながら、寂しげに手のひらを俺の頬に添えてきた。
「ごめんな」
俺は、その手を包んで下ろさせると、教室のドアへと向かう。閉める瞬間千夏をもう一度見ると、自分の手のひらを眺めていた。生命線の長さが気になっているのかな? ……なんてなっ! 俺に触れて残った体温を嬉しがっているんだろうなっ! うい奴じゃ!
「和海クンっ! 待って!」
教室のドアが閉まった音に重なって誰かの声が聞こえてきたような気がしたが、電車の時間が迫っているので俺は廊下を全力で走った。昨日の影響か、なぜかすぐに息が切れて肺が苦しくなってきたが、気合を入れて構わず走る。
昇降口を出ると俺は正門に向かわず、駅と靴箱を最短距離で結んだ場所へと走る。目の前には当然緑のフェンスが見えてくるが、あれを超えて丘を飛び越え、雑木林を突っ切るのが最速タイムを弾き出せる近道なんだ。
俺は走り高跳びの時のような跳躍をみせ、地面から一気にフェンスの上に飛び乗った。
「……っ?」
目の前の竹がぐにゃりと歪んだ。遠近感覚が途端に失われる。同時に平衡感覚も無くなったようで、五センチほどの幅のフェンスの上に乗せている足がふらつく。
[ドサッ]
音が鼓膜を揺らしたと思ったとたん、背中に痛みがした。体が地面でバウンドしたと感じたら、空中でうつ伏せになった俺の目の前に小さな崖が現れた。いつも滑り降りている、高さが四メートルほどの地形のはずだ。だが、落ちるのは十分やばい。俺は何か掴む物を探しに手を伸ばした。
泥だらけで血を流していた俺は、ポケットの中で鳴り続ける携帯の呼び出し音に気が付くことは無かった。
「僕……僕……」
俺は、誰かに呼ばれた気がして体を起こした。一人暮らしの俺だ、周りには当然誰もいない。赤茶色で統一された寝室の壁には、一番のお気に入りの絵が飾ってある。無名の画家の作品だが、黒髪で美しい少女が描かれていて一目惚れした物だ。
俺は大きなベッドを出て、家で唯一の和室へ向かう。起きてすぐそこに行くのが俺の日課だ。
畳が敷かれた部屋には漆黒の仏壇があり、俺はその前に正座をすると線香を立てる。正面には女優と見間違う程の美女が映った写真が飾られている。
[ルルルルルル……]
俺がそれに向かって手を合わせていると、電話の呼び出し音が鳴り、部屋に置かれていたテレビの電源が入った。
「おはようございます。今日のスケジュールですが、ドラマ撮影とその合間に映画の舞台挨拶があります。他に、来クールのドラマの顔合わせも入っておりまして、和海さんの孫役を演じる高校生役者と…」
「後にしてくれないか? 今日は少し寝坊したみたいで、起きたばかりなんだ……」
マネージャーの男はスケジュール端末から顔をあげ、俺を見ると頭を下げた。
「失礼しました。和海さんの最も大切なお時間を……」
そのままテレビは消えた。俺はその真っ黒い画面を見ながら小さく笑った。
「孫どころか、娘もいない俺なのに……、本当に最近よく爺さんの役が回ってくる。年齢かな……」
俺は、仏壇に向き直ると、写真の中の笑顔の少女を見つめる。
「千夏……お前は若いままだけど……俺はこんなにしわしわになった。結局親父はシロクマを素手で倒したってのに……俺はもう無理かもしれない。いや、俺の後悔はそれじゃない。……どうして、どうしてお前をあの時……守れなかったのか……」
俺は制服姿の千夏の写真の前でうなだれ、拳を膝の上で強く握った。
「千夏……愛して…」
「愛してるっ!」
手を伸ばした俺の目の前には、顔を赤らめる間抜け顔の男がいた。
「和海……みんながいる前で照れるだろ……」
両頬を手で押さえ、目をつぶって尖らした唇を近づけてくる馬鹿に、俺は伸ばしていた手で水平チョップを見舞った。
「和海クン!」
「和海君!」
「和海!」
「痛いよ……和海……」
どうやらベッドに寝転んで天井を見上げていた俺の視界に、千夏、久美、松尾、少し遅れて首を押さえている正也の顔が見えた。
「また……これか。目が覚めたら病室だった回数、日本記録保持者に俺はなったんじゃねーのか?」
俺がベッドで体を起こすと、皆はなぜか大げさに避けて距離をとった。
「なんだお前ら……。あと、正也と松尾。お前ら妙に顔が赤いぞ?」
男の癖に俺を好きだと公言する正也はともかく、なぜか松尾まで顔が赤みを帯びてきていた。
「か……和海君……。肉まんがこぼれるって……」
「はぁ?」
久美は自分の胸の前で、両手を何度もクロスさせて俺に言っている。そんな久美に向かって俺は大きく首を傾げてみせた。久美の横に立っている千夏もしきりに自分の胸元を指差して見せてくる。
「何やってんだ? ……俺の胸になんかついているのか?」
俺は自分の体を見てみた。薄いブルーの病院着だ。浴衣のように前開きを、腰の辺りの紐で締めている。胸元のV字部分は、緩んできたようで少しだらしなくはだけているようだ。このくらい……気にする事か?
「っておいっ!」
俺は自分に突っ込みを入れ、両手で病院着を掴むと、胸の中を覗きながらベッドから降りた。
胸に、最近は無かったはずの、少し前には見慣れていた二つの大きな白い山がそびえ立っている。
「まっ……まさか……」
俺が部屋の隅にある洗面台に向かおうとすると、これまた千夏と久美は大きく分かれて道を開けた。
鏡の前に立って俺が見た奴は……男では無かった。
耳を隠す程度の短めの髪だが、明らかに女。そいつは、顔の半分を占めるんじゃないかと思ってしまう程の大きな目、そして、極めて小さな鼻と口。
こっ……こいつは……、今年の『CUTE GIRL』グランプリの女。
つまり……女化した俺だ。
「嘘だぁぁぁぁぁ! 戻ってるぅぅぅぅぅ!」
足元をふらつかせ、頭を抱えてよろめいた俺を千夏と久美が抱き留めてくれた。千夏はせっせと俺の病院着の胸元を中心に整えてくれている。俺はそんな千夏の手を掴んだ。腕をたどり、顔を見ると、いつも通り千夏だ。女の方の千夏。つまり……なぜか……俺だけがまた性別逆転現象だ……。
「どっ……どうなってんだよっ! そう言えば、俺はどうして病院にいるんだ? 何があった?」
残念そうに魂の抜けたような顔でまだ俺の胸元を見ている男どもは放っておいて、俺は千夏と久美の袖を掴んで強く問う。顔を見合わせていた二人だったが、先に久美が口を開いた。
「感謝しなよぉ。千夏は第六感で和海君を見つけたんだから。学校横の雑木林の中で怪我をして倒れてたのをさ」
「千夏が?! 雑木林? ……そうだ、俺は駅に向かう途中でフェンスを乗り越える時に足を滑らして……。いや……そう言えば前日から体調が変だった。眩暈に筋肉痛。そうだ……それは前回と同じ症状……か」
俺は深いため息をついた後、二人を見上げる。前の時と同じく、俺の身長は158センチ程度になっているようだ。千夏は163センチ、久美は165センチ。俺は平均的女子よりやや小さい部類だろう。
「しかし千夏、良く俺があそこで倒れたって分かったな。あの道は千夏と一緒に通った事は無かったし、教える機会も無かったってのに……」
うつむいて照れた表情を見せている千夏の頭を撫でながら、久美は俺に言った。
「私、諦めた!」
「何がだよ?」
「和海君の事だよ。やっぱり千夏には勝てないよ。和海君が教室を出ていったあの後、千夏はすごかったんだよ。おとなしい千夏があんなダッシュをみせたり、大声を出したりするところなんて見たことが…ふがふが」
「ダメっ! 恥ずかしいから……」
顔を真っ赤にした千夏に口をふさがれた久美は、笑って肩をすくめた。
「ありがとうな、千夏。やっぱりお前は最高の彼女だ」
「和海クン……」
俺は千夏の手を取りそう言ったが……、やっぱり女同士じゃしまらねぇっ!
「でも久美は前回の事があるからともかく、どうして正也と松尾も呼んだんだよ」
「だって、和海クンが今回倒れていた時も一緒に探してもらったから……」
「そうだぜっ! 感謝してくれよっ! その証として、また一緒に風呂に入ってくれよ!」
俺に向かって胸を張って見せる正也の鼻息がうるさい。そんな正也と俺の顔を交互に見ていた松尾も、俺に向かって言ってくる。
「えっ! 和海って正也と一緒に風呂入った事あるのかよっ! じゃあ俺とも一緒に頼むよ!」
「……男に戻った時な」
すると、正也と松尾は声をそろえて「戻ったら一緒に入る意味ねーよ!」と言い、千夏と久美の二人から冷たい視線を浴びた。
「あのなぁ、俺は男だぞ。お前らは男デブの膨らんだ乳見て興奮しているのと変わらな…」
[コンコン カチャ]
そんな時、ノックと共に病室の扉が開いた。
「お、友達の皆さん来ていたのか。さて、王子様はまだ目を覚まさ……な……」
入ってきた南条さんと俺の目が合った。
「失礼、病室間違えました」
[カチャン カチャ]
ドアが閉まった後、すぐにまた開かれる。
「って! 和海君だよねっ!? なんか違うんだけどっ!」
すぐに近寄ってきて、まじまじと俺の顔をしばらく見てから言う。
「この子は……空港にいた子だ。俺は一度撮った顔は忘れない」
そして南条さんは千夏達の顔を見回した後、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「どうなってんだ……和海君が女っぽくなってる。これは良い事なのか? 悪い事なのか?」
そして南条さんは顔をあげると、俺との顔の間にある突き出た胸を、震える手で指差した。
「これ……何? 太ったの?」
「いや……。あの……天然……物です」
「前に上半身裸の撮影もあったよね? あの時無かった気がしたけど?」
「ちょ……ちょっと、体調に変化があったもんで……」
「体調が変化したら、胸が膨らむの?」
「まあ、正確に言うと、遺伝子が『また』変化しちゃったみたいで。一言でいうなら、女になっちゃったって事で。南条さんと初めて会った時のように……」
「女になった? 女の子っぽく顔が変化した……んじゃなくて、女になったの? 性別が?」
「あはは……。実はそう言う持病が俺にはありまして……」
「ふ……ふーん。ところで、これからの仕事はどうなるの?」
「さ……あ……? 女になったから、全部キャンセル?」
それを聞くと、南条さんは一直線に窓際へ歩いていく。そして窓を開けると、その枠に足をかけた。
「ちょっ! ちょっと待って、南条さんっ!」
俺はすぐに後ろから彼の腰に両手を回して引き止める。
「後生だっ! 見逃してくれ! 介錯を頼む!」
「かっ……介錯って何をすればいいかわかんねーよっ!」
「ぎゃぁー! 背中にやわらかい物が二つ当たってるっ! 本物だ! 和海君、本当に女になってるっ!」
暴れる南条さんを、正也と松尾と一緒に部屋に引き戻した。あれ? なんかこの一連のドタバタって、どこかであったような……。まあいいや。
「…………ちょっと南条さん、突然どうしたんですか?」
俺は窓際に松尾を立たせ、ベッドに座らせた南条さんの前に腕組みをして立った。
「もう駄目だよ……。和海君の企画がボツになったら、俺本当に仕事干されちゃうよ」
「まっ……まあまあ、そう白目を剥かずに……。いつもの顔をしてくださいよ」
なだめると、何とか少しだけ生気を取り戻して俺を見てくれた。
「これまでの撮影とかにいくらかかってると思う? 俺は仕事が無くなるだけだけど、和海君の所属事務所は潰れちゃうよ……」
南条さんは、自分の額をぴしゃりと軽く叩いたかと思うと、体が穴の開いた浮き輪のようにしぼんでいく。
「じゃ……じゃあ、『CUTE GIRL』でグランプリを取った女が見つかったって方向は?」
女を演じるなんて嫌だが、俺の中では限界を超えるほど譲歩して言ったつもりだったが、南条さんの顔は明るくならない。
「駄目だって……。君はもう男としてデビューしちゃったんだよ……。そっちはどうなるんだって話。多方面に広告とか出しちゃったし……」
「そっすね……」
「なら、男って事にしたらいいんじゃないの?」
その久美の言葉に、部屋中が静まり返った。
「男として?」
そう口に出した南条さんの後に俺が続ける。
「演じる?」
更にその後に千夏が言う。
「また?」
――また始まるのか。あの生活が。
「それだっ!」
南条さんがパチンと指を鳴らした。
「もともと和海君はかわいい系で売り出そうとしていた子だ! 更にかわいい系になっただけっ! 幸い、まだ写真以外のメディアには出ていない。修正とか化粧していたとかで何とかごまかせるっ! いやっ! ごまかさないといけないっ!」
南条さんはベッドから立ち上がると、いつもの自信にみなぎった顔になった。
「箝口令! 君達は絶対和海君が女になったとは漏らさない事っ! いいねっ!」
そう言いながら、千夏、久美、正也、松尾を、順に指差した。しかし、普通ならここで従う展開になるはずなのに、俺の周りは尋常じゃないくらい面の皮が厚い高校生が集まっていた。
「南条さんって、『CUTE』のカメラマンもやってるんですよね? ……私もモデルやってみたいなぁ」
もちろん最初にそんな事を言い出したのは久美だ。そう言えば奴はアイドルに憧れていた。
久美は前かがみになって中腰で膝の上に手を置くと、多分セクシーだと思っているその姿勢で南条さんを見上げる。……そっち系の写真はファッション雑誌では撮らねーって。おまけに今、二の腕で挟んで強調している胸は、全力で寄せて上げてるくせに……。
「あっ! 写真を載せてくれるのかよっ! なら俺もお願いっ!」
何をトチ狂ったか、正也も同じ事を言い出した。おまけに久美となぜか同じポーズをとって見せている。
「じゃあ、じゃあ俺もっ! スポーツ少年枠でっ!」
松尾も袖をまくり、たくましい腕を南条さんに見せて言った。
そんな三人の前で頬をひくひくと動かしていた南条さんだったが、「約束は出来ないけど善処してみる」と力なく言葉を放った。
「じゃあ、今日はとりあえず南条さんのおごりで焼き肉ねっ!」
続いて久美は、俺の口がふさがらない程厚かましいことを言い出した。
「ちょっと待ってくれよ! 二つも約束事を聞くのかい?」
当然南条さんは不満を言うが、久美は微笑を浮かべたまま落ち着きのある声で言う。
「だって、雑誌の方は不確かなんでしょ? ならそれまでは、焼き肉で私たちの口をふさがないといけないと思うんですけどぉ?」
そう言われた南条さんは、目を潤ませながら首を縦に振った。
……久美って、ひょっとしてこれをきっかけに、すごい演技派女優になるんじゃねーか? そんな事を俺は思ってしまった。
俺は焼肉屋に入るまでは遠慮をしていたが、テーブルに座った途端みんなと一緒に肉を食べまくった。二時間後、まだまだいけると思っていた俺達だったが、南条さんが水を飲みながらいつの間にか作っていた手作りの白旗を見て、腹七分でお開きとした。
さて、仕事については一週間も穴を開けてしまった事があって、しばらくは三倍速の激務となった。病気の原因は過労と考えている南条さんは、また性別がひっくり返らないかと言う思惑があったのかもしれないが……、残念ながら俺は女の体で元気一杯に過ごしていた。なんせ、この体の扱いは慣れている。
俺が女になった事を所属事務所の社長に告げると、いきなり天井から釣り下がっている蛍光灯にネクタイを引っかけたのには驚いた。南条さんと一緒に説得し、俺達三人は運命共同体となる。
まあ、別に俺はバレて芸能界を引退したところで、未練などこれっぽっちも無いのだが、この涙目の大人二人を放って置くことも出来ない。出来る限り、ギリまで協力してあげようかと思う。持病の事を話していなかった俺のせいってのもあるしな。
社長室から出ると、いやに胸が開いた服を着ている女の人と事務所内で会った。二十歳くらいだろうか、茶髪で目よりも口の大きさが目立つ彼女は、俺の後ろの南条さんだけに会釈をするそぶりを見せた。それを眺めながら通り過ぎようとすると、南条さんが俺の頭を後ろから手で押して、彼女へ向かって頭を下げさせた。
彼女の姿が見えなくなると、俺は南条さんに小声で聞く。
「誰? あの人」
「水沢沙織だよ。『さわさ』の愛称で呼ばれてるだろ?」
「……知らない」
「事務所の先輩の顔はしっかりと覚えておけよ。Gカップグラビアアイドルだ」
「Gって言っても……結構ぽっちゃりとした体してるよね」
「名前を売るには、デブじゃないギリギリの位置で、出来るだけでかい方が良いって事もあるんだよ。まあそれでも……いまいちぱっとしないし、もう二十二歳で焦っているらしいけどね」
南条さんは横目で俺を見ると、少し口を緩まして白い歯を見せた。どうやら彼もあの女の人に良いイメージを持っていないようだ。
「南条さんも言うねぇ」
「ふっ。俺が撮ればもうちょっと売れさせてあげるのにさ」
「自信満々だねっ!」
「俺は結構この業界でミスも少なく有名なんだよ。イレギュラーさえなければ……」
少し力の抜けた顔になったかと思うと、南条さんは俺の肩を強く抱いてきた。
「頑張ってよねっ! 和海君!」
「……南条さん、それ、セクハラ」
「うおっっと……そうだった!」
慌てて手を放した南条さんだったが、「しかし華奢だね。撮ってみたいな」と言いながら俺の体をジロジロ見てくる。それもセクハラの気がするが、俺は男なのでその程度は気にしない。千夏達に言われている通り、体を触られる事と胸を見せない事には注意しないと。もちろん、高校一年生の時と同じく、胸はさらしを三重に巻いてある。
今日は本格的に俺にマネージャーが付くと言う事で、顔合わせの挨拶がある。少し遅れているようで、俺と南条さんは事務所の隅で待っていると、社長室の方から慌ただしく駆けてくる女がいた。さっきの水沢沙織とか言う人だ。
「ちょっとあなたっ! 今聞いたけど、男なのっ?」
俺の前まで来ると、胸を中心に俺の体を何度も視線を上から下に往復させている。今日は思いっきり男子学生服を着ていると言うのに、衣装とでも思ったのか女に見えたようだ。ちなみに、前回女になった時は、私服を着ている俺を男だと思ってくれた人は皆無だったけどな……。
「そうっすけど」
「背も低いし……、男のくせに華奢な子供っぽい体型してるし……ぷっ!」
目を細めて俺を見ている水沢さんに俺はむっとした。あんただって、そのヒールの高い靴を脱げば、多分俺と同じくらいの身長だろうに。そう思っていると、彼女の手が不意に俺の胸に当てられた。
「あ、ほんとだ。胸もない」
「だから男だって言ってんでしょ!」
俺はその手を払いのける。上部の鎖骨に近い部分で良かった。下の方を触られていたら、さらしで押さえつけているとはいえ、かなりの弾力があるのだ。
「もしかして、君は社長の趣味? 体を張ってデビューしたとか? キャハハっ!」
舌打ちしそうになる俺の前で、水沢さんは前かがみになって胸の谷間を見せてくる。
「君はこんなのに興味無いんじゃない? お姉系? ウフフ……」
超むかつく笑顔で、彼女は事務所のドアを開けて出て行った。
「ちょっと、俺あの人に本当の凹凸ってもんを見せてきますよ」
俺は水沢さんの後を、制服のボタンをはずしながら追う。当然、南条さんが俺の肩を掴んで止める。
「冗談だろ?」
「冗談っすよ」
俺は南条さんを振り返ると、一度床に顔を向けて目をつぶり、力をためた後に天井に向かって大声で叫んだ。
「何だあの女っ! 超下品っ! マジむかつくっ!」
すると、事務所の中で仕事をしていた何人かが失笑した。
「ま……まあまあ和海君。一応あれでも先輩なんだから……。色々ストレスとかあるんだって……。あまり人前では……」
「俺、弱い者いじめとか、年下だからって根拠もなく見下してくる奴って大嫌いなんですよっ!」
俺が、南条さんを見上げながら足を踏み鳴らして怒って見せると、南条さんが突然赤くした顔をそらした。
あ……やべぇ……。
「か……和海君。君……なかなか可愛いね……」
「ちょっとっ! 俺、男っすよ! 『元』だけど。最近まで見てたでしょっ!」
俺が南条さんだけに聞こえる声で言うと、南条さんは両手で自分の頬を叩いたあと、「そうだったそうだった……残念だけど、そうだった……」と言いながら真面目な顔になる。
前回女になった時と同じだ。俺からはフェロモンのような物でも出ているのか、近くにいる男たちは狂いだす。マネージャーとかも女性じゃないと、俺は何かと困ってしまう事が出てきそうなのだが……南条さんや社長にそのことを伝えるのを忘れていた。
「あの……南条さん、マネージャーって男なんですか?」
「ん、えっとね……」
南条さんは俺の後ろに視線を遣って、なぜだか答えを引き延ばした。
「はじめましてぇ。君が和海君? 思ったより老けて見えるねー?」
いつドアを開けて入ってきたのか気が付かなかったが、俺の後ろに女性が立っていて挨拶をしてきた。彼女は俺の横を通り過ぎて、……南条さんに向かって頭を下げている。
「違いますよ……。和海君はこっち」
南条さんが俺を指差すと、その人は俺に顔を向けた。
「あれ? こちらが和海君? はじめましてぇ」
俺よりも少し背が小さくて丸顔の女の人は、また深々と頭を下げた。
「は……はじめまして。……って、デビューする新人が、こんなおっさんな訳ないじゃないっすか……」
俺はお返しとばかりに南条さんの顔を指差して見せると、その女性は俺と南条さんの顔を交互に見比べている。
「んー。確かに事前に和海君の写真は見せてもらってたんですけどぉ。君は女の子に見えたから、それじゃあこっちかなぁって……」
だからって、そう思うかね……と、俺が呆れていると、南条さんがその女の人に尋ねる。
「社長から何も聞いてませんか?」
「えっ? そう言えばさっき携帯が鳴っていましたけれど、歩行中でしたので受け取れなかった電話でしょうかぁ?」
いや、俺達に聞かれても……。それに、歩いている最中は電話を取れないってなんだよ……。やばい、この人は、ど天然な気がしてくる……。
彼女は手に持っていたカバンから携帯を取り出して操作をする。
「社長からでしたぁ。メールも頂いておりますね。えっと、内容は……、和海君は女の子になっちゃったから…」
「わぁー」
「わぁー」
俺と南条さんは同時に声を出し、彼女の背中を押して事務所から出た。
近くのカフェに入り、テーブルに座って注文を終えると、俺と南条さんの正面に座っている女性が改めて挨拶をしてきた。
「これから和海君のマネージャーを務めさせていただきます、西田穂乃花とぉ申します」
「お世話になります、神野和海です」
「今保護者のような事をやっている南条俊夫です。『CUTE』を代表しています」
南条さんは取りあえず穂乃花さんに最重要事項の『性別転換』について聞かせる。そして俺の方は、それを人には言わないで下さいと、普通注意しなくても良いことを念のために言っておく。どうもこの人は百について、一から百まできちんと教えないといけないと、俺の本能が告げてくるからだ。
「男の子が女の子に? すっごーい。ツイッターでつぶやこぉーっと」
「だからっ! 言っちゃぁ駄目ですって!」
「……言ってないよ? 書き込むだけだから」
「書き込みも駄目っ! メールも駄目っ!」
前言撤回。百を一から百二十まで言っておかないと駄目みたいだ。
穂乃花さんは女子高出身の女子大卒だと言う。そのせいか、少し日本男児の俺と隔たりがあるのかもしれない。上手くやってくれるか心配だが、新人の俺がマネージャーを変えてくれなんていう訳にはいかない。これなら南条さんがいてくれた方が安心だが、彼はカメラマンなので、俺以外の仕事も山のようにある。
「って事で、時間だから帰るね。またメールするよ、和海君」
アイスコーヒーを一気飲みすると、言っているそばから南条さんは帰って行った。
四人掛けのテーブルは、俺と、五つ目のケーキを頬張る穂乃花さんだけになった。
「ほれへ、はいふふからホラマははるほへふ」
「はい?」
俺が聞き返すと、穂乃花さんは水で口の中のケーキを一気に胃へと流し込んだ。ケーキバイキングだからってこの食べっぷり……。千夏とどっちがすごいかな? 俺は、甘い物だけのバイキングでは元が取れる気がしないので、アイスティーしか頼んでいない。
「んーとですね、……ちょっと待ってねぇ」
彼女は立ち上がると、またケーキを取りに行った。すぐに皿に六種類のケーキを乗せて戻ってくる。
「ほらぁ! すごく美味しそうでしょっ! 私はフルーツが入っているのが一番好きなのっ!」
「あの……話の続きは?」
穂乃花さんは頬張っていた分をごくんと飲み込んだ。
「んとね、来週からドラマの撮影があるのですよぉ」
「ドラマ? 来週? 演技のレッスンもしてないのに、セリフとか言う自信ないですよ……」
「大丈夫です。セリフは返事くらいで長い物はありません。それに、高校生役ですから普通に席に座っていたら良いみたいですよぉ」
「へぇ。まあ、エキストラみたいなのって事ですか?」
「うーんと、エキストラとはちょっと違くて、『極悪先生』って知ってます? それの生徒役です」
「えっ? 略して『ごくせん』ってやつ? それは一応聞いた事があるけど……。そのドラマの続編かな? じゃあ、結構はっきり顔とか映っちゃうんですね……」
「ダメ? これからどんどんそんな仕事入れていこうと思ってるんですけどぉ」
「うーん……まあ……仕方ないですよね」
避けては通れない道。分かっていたけど、自分の顔がいきなり全国ネットで流れると言うのは戸惑った。
前回は、クラスや学校中の生徒を騙していた俺だが、今回はテレビを見ている全ての人を騙さなければいけない。いや、見ている人達だけでなく、他の演者やスタッフ達もだ。言い変えれば、周り全員が敵。おまけに、味方になってくれるのは頼りなさそうなこの穂乃花さんだけだ……。前回は千夏が、文字通り体を張って頑張ってくれたってのに……、超不安だ……。
学校では、マネージャーが女だったと言う事で、千夏から執拗に穂乃花さんの事について聞かれた。写メールまで撮ってこさせられて顔画像を提出する。でも、男のマネージャーだったら物理的に俺の身に危険が及ぶかもしれないと言うと、素直に納得してくれた。
そして、次の週からドラマの撮影が始まった。




