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第2話 「離れていく二人。その時……」

千夏と駅前で別れ、俺は学校から電車で三駅離れた自宅に帰ってきた。

 

まあ、人生の初バイト?が決まったと言う事で、とりあえず母さんへ報告しようと思う。


 居間への扉を開けると、間の悪い事に親父がすでに仕事を終えて帰って来ており茶を飲んでいた。母さんはというと、台所に立って晩飯を作る最中のようだ。香ばしい匂いと油が弾ける音がする。野菜炒めかチャーハンかな?


「ただいま。……あのさ、俺……アルバイトしようと思うんだけど」


 俺がそう言うと、親父は湯呑をテーブルに置いて鋭い目を向けてきた。


「……良い。まずは手伝いから社会を学ぶ事は手順を踏んでおる」


「え? 和海、なんか言ったぁ?」


 こわっぱのくせにと言う顔をしている親父の後ろで、母さんが声を張り上げた。フライパンで炒めている音で聞こえなかったようだ。


「あのさぁ、俺バイトするから!」


「へー。何のアルバイトなの?」


「えーと、雑誌モデル? まだ良く分からないんだけど、今日、『CUTE』のカメラマンに誘われてさぁ」


「……雑誌モデル!?」


「……雑誌モデルだと?!」


 振り返った母さんと、立ち上がった親父の目が光った。


……バイトに反対か? それならそれで、南条さんに断ってもらえるから良いんだけど……。


「『CUTE』って、あの若い子に人気雑誌の? あんたモデルって……読者モデルってやつなの?」

 

母さんは興味津々といった顔で、フライパンを持ったままテーブルのそばに立っている俺に向かって近寄ってくる。しかし、親父は仁王のような顔で俺の胸ぐらを掴んで口を開いた。


「そんな軟派な仕事はゆるさ…」


「お父さん、ちょっと黙って!」


―ジュッ―


「ぎょわっちぃ!」


 腕の上にフライパンを乗せられた親父は、飛び上がって天井に頭をぶつけた後、腕をさすりながら床を転がっている。


「それで? どんなモデルなの?」


 母さんは、自分の足の傍でもんどりうっている親父を蹴飛ばしながら俺に聞いた。


「いや……読者モデルってやつとは違うかも……。一応、雑誌イベントでグランプリをとったって流れで……デビューさせるとかなんとか……? マジモデルかな?」


「あんた! 『CUTE』のグランプリって……。二か月前の例のニュースになったのでしょ! 男に戻ったのにどうしてなのっ!」


「いやぁ、男でも良いってさ」


「げ…げ…芸能人になるわけっ! 私の息子がっ!」


「……そんな大そうなもんじゃないと思うけど。まあ、端くれってやつかも?」


「いやったぁ! 親戚中に自慢できるわっ!」


 母さんはテーブルの上にフライパンを置くと、俺に向かって一人で万歳三唱をしている。


 その向こうで、短髪の色黒巨人が再び立ち上がった。身長190センチ、体重100キロ。鹿児島のダイダラボッチと異名をとり、現総理大臣を舎弟にしている男だ。


「和海、許さんぞ……。わしの一族がテレビに映される日は、世界最強の猛獣、シロクマを倒した時のみだ。もし芸能人になりたいと言うのなら、最低でも、わしかヒグマを倒してからにするが良い」


 親父は指をポキポキと鳴らしながら俺を見て笑っている。自分とヒグマを同列に例えるとは……、まさか……奴らは互角なのか?


 その時、俺の横を風が横切ったかと思うと、母さんはテーブルの上を蹴って親父に向かって飛び上がった。そして、親父を飛び越え、背中合わせに落ちながら、腕を親父の首に巻きつけて釣り下がる。


「必殺! ネックブレイカー!!」


[ボキッ]


 母さんの重みで体を反らした親父の首から破壊音が鳴った。崩れて泡を噴いている親父に代わり、母さんが立ち上がる。


「それで? 韓流スターにはいつ会わせてもらえるのっ? あんたは未成年だから、保護者が付いて行っても構わないわよねっ!」


 母さんは両手を胸の前で擦り合わせながら、俺に向かってキラキラビームを放ってきている。


「母さん……今の技は……俺が編み出した技じゃないか……。いつの間に……?」


「あんたの技? 何を言っているの。これは私が北海道の妖精(自称、実際はUMA)って呼ばれていた高校生の頃に、対ヒグマ用に考えた技でしょ。それより、韓流スターか阿部寛に会える時は、絶対に私に教えるのよっ!」


 なぜだか母さんは俺の目の前でエプロンと髪型を整え始める。



 

 こうして、俺のアルバイトは一応承認をされる事となった。


しかし、それよりも俺が悩んだのは、この両親の間に生まれたにしては、俺は『出来が悪い』と言う事だ。親父と母さんのどちらも高校生の頃に熊と戦っていたとは……。軟弱な現代っ子としても、高校卒業までに虎の首でも取ってこなければ恰好が付かないかもしれない……。





翌日、放課後に学校の門から一歩踏み出た瞬間、俺は千夏の前で黒塗りの車にさらわれてしまった。


確かに……南条さんからのメールには『早速今日から仕事』とあったが、その『早速』ってのは、芸能界では中々慌ただしい様子らしい。



 俺は、車で一時間程走った街中のビルの一室に連れ込まれた。中はとにかく真っ白で、屏風みたいなのがあって、でかいスタンドライトがいくつもあって……一言で言うと、これが『スタジオ』と言うものなのだろう。そう考えれば、思っていたよりは物が少なくさっぱりしている印象だ。

 

俺は女の人に手を引かれ、二階の扉の中に入る。


「あっ!」


 ……と言う間に制服が剥ぎ取られ、宇宙服のような物に着替えさせられた。何このテカテカのビニールみたいな生地の服。すっげぇダサいんだけど……。


 部屋は他にも沢山の衣装が用意してあるが、どれもこれも奇抜な色とデザインだ。楽屋では濃すぎるメイクに見える舞台役者が、演じる時は普通に見えるように、少し派手目の方が良いと言う考え方なのだろうか。


 俺の手を引いて部屋に一緒に入った女の人はメイクさんだったようで、俺を椅子に座らせるとペタペタと顔に色々と塗りたくってくる。そう言えば、女になった時には一度も化粧をしなかった俺だが、人生初の化粧が男の時とは……何か運命の妙を感じる。


 そして撮影。これが慣れるまで大変だった。笑顔? いや、それ以前に、まぶしいわ緊張するわで頬の痙攣と瞬きの異常な回数を平常に戻すのに気力を費やす。南条さんと二人っきりならまだしも、知らないおじさんやお姉さんがいるのがたまらん。一応、自己紹介はされたと思うが、突然そんな人数の名前と顔を覚えるなんて無理だ。


 スタジオにいた時間は二時間程だっただろうか。また車に乗せられた俺は違うビルへと運ばれる。慌ただしくエスコートをされる俺の目に『CUTE編集部』だのなんだのって文字が見えたり見えなかったり。すぐにまた移動した先の小ぢんまりした事務所みたいな所では契約がどうこう。



 気疲れした俺がいつの間にか家のベッドに横たわっていたのは午後十時だった。宿題をやって、シャワーを浴びて……と考えていた俺は、気が付いたら朝だった。





 そんな日が何日か続いた。当然のように千夏とは学校以外では会えなく、週末も俺の家に来ることは無かった。よく考えれば、千夏と出会った一年前から、週末のどちらかを一緒に過ごさなかった事は初めてかもしれない。


 学校にいる間の休憩時間は、宿題を千夏に写させてもらう時間だ。たまに仕事のために早退をしてしまっている授業のノートは、コピーを貰う。


 俺は昼休み、パンを二口で食べ終えると、次の授業でやる分の英訳をせっせと千夏のノートから写し取る。


「最近ずっとパンだね?」


「ああ。弁当だと、食べた後の弁当箱が邪魔になるだろ。帰りは遅くなるし」


「晩御飯はどうしているの?」


「大抵、お店の弁当だな。脂っこい物ばかりだ。そこそこ美味しいけど、千夏の料理とは比較にならないかな。雲泥の差だ」


「それは……作り立てかどうかの違いだよ……」


 千夏は俺の体が心配のようで、食べている物や睡眠時間について不安気に聞いてくる。


俺も健康状態を気遣ってくれている千夏の気持ちは分かっているが、朝はぎりぎりまで寝ていたいからパン。昼も休憩時間を目いっぱい使いたいからパン。晩はスタッフの誰かが用意してくれていると思う弁当屋かコンビニの弁当だ。一応、飲み物に牛乳を選んでいるが、ビタミンと食物繊維についてはどうなっているのか俺も疑問だ。


「千夏の……サラダが食べたいな。あの、オリジナルドレッシングのやつ」


 俺がシャープペンシルを持つ手を止め、顔を上げてそう言うと、千夏は目を輝かせて俺に顔を寄せてくる。


「今週末、作りに行こっか?」


「……悪い、週末はどっちも朝から晩まで仕事だ」


 下唇を噛んでうつむく千夏を見て、俺も小さくため息をついてノートに視線を戻す。

 しばらく会話もなくノートを写していた俺だったが、千夏が小さな声で何かをつぶやいた。


「作りに……行こうかな……」


 俺が見ると、千夏は右に左に瞳を落ち着きなく動かした後、斜め上を見ながら続いて口を開ける。


「朝ごはん……、日曜の朝ごはんを作りに行こうかな……」


「朝? ……確かに、朝は家で食べるけど……。結構早くに仕事に行くぞ? 来るの大変じゃないか?」


「うん、大変。だから……」


「だから?」


「泊まりで……いっちゃうかな。土曜の晩泊って、日曜日の朝にご飯を作る……ろうかな? ……かな?」


「……へっ? ……泊まり?」


 視線を宙に向けながら言った千夏の顔は真っ赤になっている。それを見ていた俺のシャーペンの芯は筆圧に耐え切れなくぽっきりと折れて飛んで行った。


 千夏は一年生の時からしょっちゅう俺の家に遊びに来て、俺の部屋にも入り浸っている。しかし、前に言った通り、キスもまだな俺達は……手を握る以上の事なんてしたこともないし、泊まった事も無い。な……なんせ、日本男児たるべき俺は、そんなポルノまがいな事は結婚までする訳がない。


「……いいかな?」


「うん」


 なぜ即答したのか未だに分からない。そしてその後の写真撮影の仕事では、「もっと笑ってよ、和海君」といつも言ってくる南条さんだが、「今日はいいねー」としか言わなかった。それも不思議だな。




 山本千夏。言わずと知れた、俺の彼女。学校中に名前が轟く美女でもある。


今年入学した一年生は、俺と千夏が並んで歩いているのを見て、男も女も羨望の眼差しを送ってくる。男子は「あんな美人な彼女がいていいなぁ」ってところで、女子は「あんな綺麗になりたい」ってところかな。


髪はしっとりとして艶のある黒髪。目は切れ長で大きく、鼻は俺なんかのよりずっと高い。身長は163センチで、体重は教えてくれない。あまり身長が変わらない俺の母さんが52キロなので、それよりもずいぶん細い千夏は確実に40キロ台だろう。


学校の成績も良く、料理も得意。もちろん俺の両親からの受けも良い。


母さん曰く、「あんたこの子を逃したら生まれ変わっても後悔するよ」って事だ。


 時々、俺の部屋にいる千夏を見ていると、頭からぱっくりかじってしまいたい衝動が湧くのだが、あれは一体なんなんだろうか……?





 その週の仕事はそれから全て順調だった。笑顔についてはなぜか一発OK。そして俺は土曜日に無駄な仕事が発生しないように、勤めて完璧に仕事をこなす様にする。



 学校でも顔が緩んでいるらしい俺に正也や久美が何事かと尋ねてくる。もちろん、理由なんて言わない。……しかし、言いたい。


 穴を掘って「王様の耳はロバの耳」って言った人の気持ちが良く分かった。そんな場所が無いかと探してみると、一つあった。俺は風呂に頭までつかって、それを叫んでみたところ、気管にお湯が逆流してきて溺れ死ぬかと思った。今死んでしまえば、それこそ来世まで悔いが残るってものだ。仕事以外の貴重な時間をそんな事に使っていたからか、あっという間に週末になってしまった。


 

進学校であるうちの高校は、土曜日の午前中だけ授業がある。それを終え、すぐにバイトに向かう俺。昼からしか入れられない仕事は、土日に隙間なく詰められる。比較的自由がきくらしい写真撮影などではなく、他の人と一緒にしなければいけない仕事らがそれに当たる。


今日はどこぞの取材で、女性に質問をされ、俺は事前に用意してあった台本通りに答えると言った感じだ。趣味は読書や映画鑑賞、ショッピングだなんて……誰が? 俺が? って感じで鳥肌が立ったけど、仕事なので従わなければいけない。千夏とするザリガニ釣りって言う訳にはいかないだろう。



「和海君。せっかく早く終わったんだから、飯食いにいかないか? おごるぞ」


「急いでるんで、すんませーん。でも、おごってもらう券は次回に使わせてもらうんでよろしくっ!」


「……しっかりしてるな」


 南条さんとの夕方からの写真撮影を早めに終わらせることができた俺は、急いで電車に飛び乗って家に帰る。早く終わりそうだと夕方頃千夏にメールをしたので、もう俺の家で夕食を母さんと一緒に作っている頃かもしれない。もちろん約束通り明日の朝も千夏の朝食をいただいて仕事に行ける。更には……今夜は夜更けまで千夏と久しぶりに……かっ…語り合いが出来るってもんだし……。



 家の扉を開け、玄関にそろえられた千夏の靴を確認すると、俺は居間へとまっしぐらだ。


「千夏っ!」


 テーブルには誰も座っていなかった。すぐに台所に俺は目を向ける。……すると、台所には三人が立っており、一番はしゃいでいるのは……でかい図体をしたおっさんだった。


「何してんだ親父……。男子厨房に立たず……じゃなかったのか?」


「ゴホンっ! ……わしだって、味見くらいはする」


「エプロンして味見かよ?」


 親父はブルーのエプロンを脱ぐと、苦虫を噛み潰したような顔をしてテーブルに座った。


「お帰りっ! 和海君今日は何したの?」


 ピンクのエプロンをした千夏は、俺の傍へ来ると鞄を持ってくれた。……ああ、なんだこの気分。疲れが取れる、最高だ。


 ふと見ると、親父が口を半開きにして俺を眺めていた。そんな親父の前のテーブルに、母さんがシチューを置いた。


[ドンッ!]


「お父さん! 私じゃ物足りないって訳っ?」


 オレンジのエプロンをした母さんが、腕組みをしながら親父を見下ろす。


「ちっ……違うんだ母さん。和海の奴が日本男児としてはまだまだだなと……見定めていただけなんだ……」 


 俺は、冷や汗をかきながら言い訳をしている親父の傍にあるブルーのエプロンを観察する。母さんのオレンジのといい、これは千夏のエプロンとの色違いだ。


 その視線に気が付いた千夏が俺に言う。


「あ、可愛いから色違いで買い置きしていた物を、和海君のお父さんとお母さんにプレゼントしたの」


「ふーん」


 俺は親父の横に立つと、そのブルーのエプロンを掴んだ。


「親父は料理しないから、これはいらないよな?」


「…………」


 何も言わない親父の前で、そのエプロンを持ち上げる。すると、宙に上がったそれを日に焼けた手が掴んだ。


「なんだよ親父?」


「……別になんでもないぞ」


 そうは言いながら、俺が上下左右に動かすエプロンから、親父は手を離さない。


「手を離せよ」


「…………」


「離せって」


「…………」


「破れるぞ」


 すでにエプロンの生地はぴんと張った状態で、俺がもう少し力を込めたら千切れるかもしれない所まで来ていた。


「このエプロンは俺がもらうから…」


「これはわしのだぁ!」


 突然立ち上がって大声で叫んだ親父は、驚いて俺が手を放したエプロンを両腕で抱きしめた。その目は涙が零れ落ちそうなくらい潤んでいる。


「和海君にもまた持ってきてあげるから、とにかく座ってて!」


「お……おう」


 千夏に肩を押さえられて座らされた俺は、大事なおもちゃを取り上げられないように抱えている子供のような親父の正面に座った。その二人の前に、母さんと千夏が食器を並べていく。



家族だんらんの食事。千夏がいても、いや、いる方が和やかに進む。主に千夏が作ったというシチューへの親父の賛辞の激しさは、食事が終わるまでに母さんから百発はパンチを入れられる程だった。



かなり大量に作ってあったシチューだったが、最後の一滴まで親父が食べつくした。洗い物は母さんがやるからと言ってくれ、俺と千夏は部屋に戻って貴重な久しぶりの二人っきりの時間を過ごす。

 

学校では、一応俺のバイトの事はクラスメートには秘密にしている。隠す必要は無いが、何か聞かれた時は答えるのが面倒だから言ってないだけだ。だから、ここぞとばかり千夏は、学校では聞くことが出来ない俺の仕事について質問してきた。一つの仕事内容を聞くたびに、「女の人はいた?」って聞いてくる千夏に可愛らしさを感じる。

 

途中、俺と千夏は交互に風呂に入った。風呂から上がった千夏は、化粧は無くなったが、何やら妙な色っぽさがあり、ばれないように唾を飲み込むのが大変だった。性別が逆転していたとは言え、千夏と一緒に風呂に入った事がある俺。……なんか残念な気分だ。今、また家族風呂に誘ったなら……来てくれるのだろうか……? って! 日本男児らしからぬ事を考えているんじゃないっ!


「どうしたの、和海クン?」


 ぽこぽこと頭を叩いていた俺は千夏を見る。二人の目が合ったとき、なぜか時間が止まった。少し千夏は頬を赤らめたような気がする……。



[ドォーン! ブォォォォ]


 しかし、そんな青春空間を、和太鼓とほら貝のような音がぶち壊す。


「消灯! 就寝!」


 廊下で大きな声がすると、俺の部屋の扉が勝手に開かれた。もちろん、そこに立っているのは親父だ。


「さあ、千夏ちゃん。廊下の奥の部屋に寝床の準備が出来ているから、もう寝なさい」


 俺が時計を見ると、まだ午後十時だった。普段俺が家に帰ってくるのがこのくらいの時間だし、その時親父達は一階でいつもテレビを見ているじゃねーか。


「何か文句でもあるのか? 和海よ」


「くっ……、まだ早くねーか?」


 別にやましい心があった訳じゃないが、なぜか俺は親父の視線から目を逸らしてしまった。


「嫁入り前の娘さんを預かる責任がわしにはある。以後、千夏ちゃんの部屋に入ろうとするモノがいたら、総理大臣であろうと白クマであろうと叩き斬る」


 親父は床の間に飾ってあった日本刀を俺に見せた。あれは模造刀でもなく、ナマクラでも無く、真剣だ。島津藩の時代の刀匠が鍛えた一振りらしく、親父は車に跳ねられそうになった母さんを、車を真っ二つに切り裂いて助けた事が縁になって結婚したと言ういわくがある刀だ。ちなみにその母さんは、車道に飛び出した子供を助けて跳ねられそうになったって結構ややこしい事情が存在している。



 何か言いたげだった千夏は親父に連れられて部屋を出て行った。部屋には静まり返った俺が一人で突っ立っていた。


「夢も……希望も……ねーな」


 別に何かを期待していた訳じゃない。だが、まだ千夏と二時間も喋っていない。今日は日が変わっても千夏としゃべり続け、「眠たくなってきちゃった」「じゃあここで寝ていくか?」と言うやり取りの後、いつかの林間学校の時のように同じ布団で寝る事になる。もちろん、俺はあの時の千夏のように「何もしないから」と恰好よく決めるのだ。


「って、結構期待しているな……俺」


 俺はベッドにごろんと寝ころぶ。風呂は入った。歯も磨いた。後は寝るだけだ。しかし……天井を見上げる俺の心は、何かやり残した感があった。



 このままで良いのか? これで今日は終わりなのか? いや、日本男児として、潔さは肝心だ。……日本男児? にほんだんじ……。昔の人たちは日本男児に大和撫子だった。見習わなければいけない。昔の人か……。例えば、森の石松。例えば織田信長。もっと遡ったら……。例えば……光源氏。


「日本男児憑依モード発動。モデル、光源氏」


 俺はベッドから立ち上がる。ここで諦めたら男じゃねえ。千夏もまだ俺と話し足りないはずだ。ならば、俺は数ある歴史上の日本男児から、光源氏を選んだ。奴のように……女の部屋に忍び込んでみせる。


 全身に力がみなぎった俺は、とりあえず親父の様子を観察しようと、部屋の扉を開けて廊下に出た。すぐに奴と目が合う。親父は、俺と千夏の部屋の丁度中間地点あたりの廊下に立ちふさがっている。もちろん手には鞘に収まった日本刀を握っている。奴は居合も出来るが、一番注意しないといけないのが二の太刀いらずの上段からの一振りだ。昔、俺の目の前で大木を一刀両断して見せた奴なら、確かに車も切ってしまうかもしれない。


「……トイレトイレっと」


 俺はとりあえず、すぐそばの階段を下りた。階段を上ったところにある俺の部屋からその廊下の突き当たりの千夏の部屋に行くには、親父の前を通るしかない。前借りた軍用スタンガンは松尾に返してしまっているいるし、あったところですでに耐性を付けた奴には無効だ。何か作戦を立てねばいけない。俺はとりあえず眠気が襲ってこないように、母さんがいつもこの時間に飲んでいるだろうコーヒーを貰いに行くことにした。


「来たわね」


 居間へ入った俺に母さんは怪しい笑みを見せた。


「何がだよ? コーヒー貰おうと思って……」 


 沸かしてあったポットから、褐色の液体を俺はマグカップに注いだ。もちろん砂糖を三個とミルクを二個を、それの中に入れてかき混ぜる。


「千夏ちゃんの部屋に行きたいんでしょ?」


「なっ……何を……そんな馬鹿な……」


 俺が音を立てながらコーヒーをすすっていると、母さんはテーブルの上に見たことも無い瓶を置いた。中には白い錠剤が入っているが、もういくつも残っていない。


「さっきもお父さんが一晩中起きているからって、コーヒーを飲んでいったって訳。その大量に飲んだコーヒーの中に……これを溶かし込んでおいたから。もうすぐぶっ倒れて眠りだすわよ」


「ま……まさか……睡眠薬……? しかし、あの親父にそんなもん効くはずが……」


「大丈夫。象でも眠る十分な量をインターネットで調べて飲ませたから」


「……人間の致死量についてもちゃんとネットで調べたのか?」


[ドスンッ]


 その時、上の階で何やら大きなものが落ちたような音が聞こえた。まるで、巨人が尻餅をついたような……。


「さあ和海、行ってきなさい。そして、千夏ちゃんを嫁にしてきなさい!」


「なっ……何を訳わかんねー事を……。でも、コーヒー飲んだし、そろそろ部屋に戻るかな……」


 俺はにやにやしている母さんにマグカップを手渡すと、階段へ向かう。すると、上りきった先では、予想通り、親父が廊下に腰を下ろし、壁に寄りかかっていびきをかいていた。


 俺は一応、忍び足で親父へ向かう。さすがの親父も象に効く分量を盛られたら起きてくる事は無いと思うが、あの親父の事だ、念には念をいれた。


[カチン]


「――――っ!」


 親父を中心に、半径二メートルの領域に俺が入った時、親父が抱えている剣が音を立てた。当然俺は足を止める。相変わらず親父からはいびきが聞こえてくるのだが……。その右手に持った刀が指で押し上げられ、鞘から数センチ銀色の刃を覗かせている。


ぐ……偶然か? それとも最初から刃は見えていた?

 

親父の持っている刀にまで注意を払っていなかった俺は、刀が最初から抜かれていたかどうか見ていなかった。しかし、確かに音がした気がしたのだが……。


 俺は一度部屋に戻り、押し入れの奥に仕舞われていたおもちゃ箱を出してくる。そしてその中から、ゴムのタイヤが四つ付いた手のひらサイズの車を取り出した。ミニ四駆、そう呼ばれていたモーター内臓プラモデルだ。単純な構造なのでコントロールは効かないが、電池の力でモーターを回し、結構な速度で一直線に走って行く。俺が子供の頃ブームになった物だ。


 廊下に戻った俺は、ミニ四駆の車体裏のスイッチを入れる。中の電池は生きていたようで、小さいが軽快なモーター音がし、タイヤが勢い良く回った。


 床に置くと、急加速後すぐにトップスピードになって走り出した。そして、それは親父の前を通って千夏の部屋のドアへと向かう。


「チェストォ!」


[ザンッ]


 いつもより少し不明瞭な声と共に振り下ろされた刀により、ミニ四駆は電池ごと真ん中から切断された。


「……むにゃむにゃ」


 親父は床にめり込んだ刀を手にしながら、美味しい物を食べている夢を見ているかのような顔をしている。


 これは……日本男児、宮本武蔵モードだ。奴は眠っていても自動で憑依技が出来るのか……。


 俺はまた部屋に戻り、作戦を練り直す事にした。



 武器を持っている奴は危険だ。親父が未だにシロクマに勝てないのは、素手にこだわっているからだと言う。簡単に言うと、今廊下に座り込んでいるモノは、アザラシをも軽々と海の中から片手で地面にすくい出す世界最強の猛獣、シロクマ以上の生物だと思った方が良い。その眼前を策も無しに通り過ぎるなんて死を意味する。


 さて、何かいい案は無い物か。こちらも日本男児、光源氏モード。忍び込む事を諦めはしない。……もちろん、話をしに行くだけだぜ。


 窓から千夏の部屋に行くには梯子が無い。俺の部屋から屋根伝いに行くには、屋根は途中で途切れている。


「どうしたもんか……」


 宙に視線を向けていた俺は閃いた。そうだ、天井だ。俺の家は伝統ある和風屋敷だ。漫画などのように天井裏が存在するに違いない。そこを通って千夏の部屋まで……。むふふ。


 すぐに行動に移した。俺は押し入れの中に入り、その天井を押し上げる。確か漫画やアニメなんかではこのあたりから……。


 強めに押すと、はめ込み式で接着剤や釘を使っていなかったらしい天井が開いた。頭を入れ、用意していた懐中電灯で照らすと、天井裏は思っていたよりも綺麗だった。


多少埃っぽいが、ネズミが走り回っているような気配はまったくない。大工である親父が自ら作った家だが、意外に奴は細かい仕事までも出来る奴なのかもしれない。


 俺は高いところで一メートルくらいの場所を、腰をかがめながら進む。時折、横たわっているハリをまたぎ、千夏の部屋の天井を目指した。


しかし、その途中で足を止めて耳を澄ます。何の物音も下からは聞こえてこないが、ちょうど親父の真上くらいになるはずだ。 奴から俺の姿は見えないとはいえ、相手は宮本武蔵、用心に越したことは無い。


俺はポケットから五センチほどのおもちゃを取り出す。これは先ほどのミニ四駆よりも昔に俺がお世話になっていたロボット型おもちゃだ。体の横にあるねじ式ゼンマイを巻くことにより、数メートル歩く。


俺はこれのゼンマイを一気に巻き、屋根裏の床の上に置いてみた。ロボットは、右足と左足を交互に動かし、秒速数センチで歩いていく。俺は息をひそめたままそれを眺め、親父の様子を伺う。



[ザンッ]


 突然下から垂直に突き出てきた刃に、俺の思い出のロボットは真っ二つにされた。しかし、俺はその犠牲を無駄にはしない。


 ハリを蹴り、俺はネコ科の動物のように音をさせないように無音で跳躍した。もちろん親父が正気ならそれも気取って着地地点を狙って刀で攻撃してくるだろうが、今回は見事ばれずに危険地帯を飛び越えたようだった。


「しかし、あんな小さなロボットの位置を、眠ったまま板越しに正確に攻撃を仕掛けるとは……化け物か」


 俺は、無敵合体ガレンガレンにこの歳まで世話になった事を感謝し、千夏の部屋の辺りまでついに来た。押し入れの上に張られているような、俺の部屋のそれと似た感じの板を探す。


見た目の様子から一枚の板に見当をつけて上に引き上げると、少しの抵抗の後に開いた。下を覗くと懐中電灯に照らされた布団が見える。おそらく間違いは無いだろう。



 俺は天井裏から布団の上に尻をつく。そっとふすまを開けると……ベッドに千夏の体が見えた。座ったまま体を横にして寝ころんだ状態になった千夏の顔は……目をつぶって……、すでに眠ってしまっていた。


「…………風邪ひくぞ」


 俺は千夏の傍へ行って足を伸ばさせると、布団をかけた。


 残念無念。夜這いとは、誰にも気が付かれずに合意した相手の部屋に忍び込む行為。相手が起きてないと夜這いは成立しない。俺の光源氏モードは解けてしまった。


 

 俺はベッドに座り、千夏の頭を撫でた。


 最近千夏と遊べていないし、学校でもノートを写しながらなので会話もままならない。朝の登校でも、俺は待ち合わせ時間に遅れて一緒に行けないことも多い。


 おかしい。どこで狂ったんだ? 


 俺と千夏は、小学校入学前は近所に住んでいたこともあって良く遊んでいた。しかし、千夏の引っ越しにより、十年以上も音信不通になり、俺の記憶からも千夏の姿は薄れていった。だが、よほど子供の頃の俺達が健気でかわいかったのか、神様に気に入られたようで再会するためのきっかけとなる魔法をかけてもらう。その力と、千夏の勇気により、俺達は再びめぐり逢って恋人となった。


 それなのに……俺の方から千夏と会う時間を減らしている。


(ばち)が当たりそうだな。やっぱり、適当なところでバイトは辞めるわ」


 俺は千夏の頬を人差し指でつんと突きながら言うと、立ち上がった。すると、聞こえるはずのない声が廊下から聞こえてくる。


「ああぁ……。眠ったかな。いかんいかん。気合を入れるか」


 俺は千夏の部屋の時計を見た。まだ午後十一時で、さっきから一時間しか経っていない。奴は象でも眠るほどの睡眠薬を盛られたってのに……こんな短時間で目を覚ましやがった!


 しまった……部屋に帰る方法が無い。全く考えていなかった……。そのうち奴が、俺の部屋を覗いて俺がいない事に気が付くと、絶対にこの部屋を見に来る。押し入れに隠れようと、天井裏に逃げ込もうと、宮本武蔵な奴は俺の気配に気が付き、確実に刃を突き立ててくるだろう……。


 俺は窓を開け、庭の木に向かって飛び降りた。結構距離があったが、何とか下の方の枝を俺の手は掴んだ。


―ボキッ―


[ドサッ]


「いてて……」


 尻をさすりながら縁側から居間へ入ると、母さんのがっかりした顔が見えた。だから、そういうんじゃないって……。




 虹色の伝説とは、俺達が結婚しても、いや、したところでずっと続く神の加護。それは、俺と千夏をつなごうとする力。その反面、俺と千夏が離れたり、離れそうになった時に働く呪いだとも言い変えることが出来る。



 再び、ナデシコダンジの伝説が始まる。





今週は体調が悪くて物語に元気がなくてすみません。次回より、本流に入ります。

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