第16話 「あえてのパリ押し」
「おはよう……ございます……」
俺は、自分で持っているビデオカメラに向かって声をひそめて言う。
時間は朝の四時。夜はまだ明けてない。日本ならば夏場は五時に日が昇るのが常識なので、そろそろ空が明るみ出してもおかしくないと思うかもしれないが、フランスの日の出はなんと朝七時だ。ちなみに昨晩は夜の九時前まで明るかったのには中々びっくりさせられた。
明るいか明るくないかはともかく、なぜこんなに早起きをしたかと言うと、俺が今回仕掛けるのは『寝起きドッキリだ』。発案、演出、カメラマン、リポーターの全てを一人でこなす。要するに、勢いで考えた悪ふざけだ。タレントが二人しかいないのに片方がリポーターなので、当然ターゲットはもう一人のタレント、水沢沙織だ。
昨日、スチルカメラマンである南条さんの荷物の中に、仕事のサポートに使うのであろうビデオカメラを発見した事で俺はこの企画を思いついた。良いのが撮れれば、タレントの暴露VTRとしてそれ相応の番組にて発表してやるつもりだ。ふっふっふ。ざまあみろ水沢沙織め。気を抜いているお前が悪いのだ。
「さわさこと、水沢沙織さんの泊まっている部屋に入ってみたいと思います」
俺は、昨日の晩に穂乃花さんから借りておいたスペアのルームカードで扉のロックを外す。穂乃花さんも一応同行すると言う話だったのだが、どんなに部屋に電話しても起きてこないので放っておいた。
ロックが外れる時に音が鳴ったので、俺はカメラに向かって人差し指を立てて見せる。この辺は定番なのでタレントとしては守らなければならない。
扉の隙間から中の様子を伺っていたが、起きた様子は無いので俺は忍び足で中に入った。
[ゴンッ]
「おふっ……っ……」
俺は向こう脛を何かにぶつけて、声が漏れそうになった口を慌てて手で塞いだ。暗い部屋でじっと目を凝らすと、入ったすぐの所にスーツケースが開けっ放しで置いてある。
(なんて女だ。俺の一番嫌いなタイプだ)
その言葉は後々使われるのに支障があるため、音声には入れてない。
開いていたユニットバスへ続く扉から中を覗くと、バスルームはびっしょびしょのぐっちょぐちょで、シャワーカーテンから足拭きマットまで濡れていた。使い終わったタオルもまるめてトイレの蓋の上に乗せてある。ペンライトで照らして、これらも全てカメラに収めておいた。
さて、更に部屋の中へ進むと、部屋の中央寄りにベッドが二つ並んでいる。その一つから茶色の長い髪が覗いており、水沢は完全に熟睡しているようだ。
「さわさは、丸まって寝るタイプなのですねー」
途中途中に、俺の笑顔とコメントを挟んでおく。
さわさが見つかったからとは言え、ここですぐ起こしてはいけない。もっと部屋を物色するのがこれまた定番って奴だからだ。例えば脱いだ後の服や飲みかけのペットボトルが見つかれば番組は盛り上がるのを見たことがあ…………
俺のカメラに映し出されたのは、ソファーの上にある脱いだ後のパンツだった……
「パンツ……が……」
その後のコメントが浮かばなかった。
パンツを脱ぎっぱなしにして置いておくなんて何て女だ。靴下まではギリ許すけど、パンツはそれ用に用意しておいた袋などにすぐ仕舞うのが普通だろう!
とりあえず、映像には苦笑いをしている俺の顔を挟んでおいた。編集で気の効いたコメントを後で入れておくか、番組でテロップを入れておいてもらおう。
「しかし……」
おかしい。俺と水沢がこのホテルに来たのは昨晩のはずだ。まだ丸一日どころか、一晩しか泊まっていない。
なのに……、テーブルには化粧品が所狭しと転がっており、ソファーは座る一部分以外全て服が散らかって乗っている。空いているもう一つのベッドも同様だ。床には靴が何足も転がっているし、なぜか立っているはずのルームランプも横向きに倒れている。どう見ても一ヶ月間連泊していた様子だ。
「これが噂の片付けられない女……か」
一通り部屋を映した後、俺は尺を気にせずもう水沢を起こす事にした。なぜなら、この衝撃映像は事務所NGになってお蔵入りになると思ったからだ。
「水沢さん……、水沢さん……」
「……………………はむん?」
水沢は俺に顔を向けたが、口ばかり開いて目は一本線のままだ。
「おはよーございます。寝起きどっ…」
「だっ! 誰っ!」
ペンライトで顔を照らされているのに気が付いた水沢は、俺から逃げるようにベッドで横に一回転をした。掛け布団が逆側からベッドの下に落ちた。
「うわっ! 水沢さん!」
「どっ…泥棒!」
水沢さんは上半身を起こして目をこすっている。
「水沢さん! 出てます! ぼろんって出てます! 隠して! 使えない! 放送事故になるっ!」
水沢沙織は……全裸で寝るタイプの人間だった……。
「きゃぁぁぁ!」
水沢は叫び声を上げると、両腕で胸を隠した。俺もカメラを水沢から反らす。
「何してんだあんた! 上はまだ良いんだよ! 下を隠さないと放送できないだろ! 何年この仕事やってんだ!」
「かっ……和海君! 私の部屋で何をしているのよっ!」
「寝起きドッキリだよ! 良いのが撮れたら仕事に使えるかもしれないだろ!」
「それなら最初から教えておいてよ!」
水沢はようやく枕で下半身を隠した。
「伝えておいたら、ドッキリにならないだろ!」
「私は裸で寝るのが好きなのよ! そのビデオテープよこしなさい!」
「返してやるよ! こんな呪いのテープいらねーよ!」
俺はビデオカメラからメモリを抜くと、SDカードを汚そうに指でつまんで見せる。
「私の水着の下を妄想している男は何万人もいるのよ! もっとありがたがりなさい!」
「段がある腹の女に興味はねーよ!」
「ちっ…違うわよ! これは座っているから段ができるんであって……。ほらっ!」
水沢は、腕で胸を隠して枕で股間を隠しながらベッドの上で立ち上がって見せた。
「見せるなよ!」
「私はグラドルよ! この程度の露出なんて気にしないわっ! 何、照れちゃって!」
「照れるかっ!」
別に買い言葉で言ったのでは無い。性別が男では無くなった俺は、当然のように女に対しての耐性があがっているのだ。まあ正直、俺は遺伝子から女なので、早い話が今の俺は『男だったと思い込んでいる女』って方が近いんだ。なぜ認めるかって? どうせまたそのうち男に戻るだろうしな。
ちなみにこの時のテープは処分される事無く、事務所OKでいたずらを芸人に仕掛ける番組で放送される事になった。もちろんモザイク入りで。
ネットでは、
「ガチでやってんだ」
「グラビアアイドルだから台本通りだろ?」
と、論争を巻き起こし、水沢沙織の知名度を上げる事になった。俺としては彼女を貶めようとした訳じゃなく、恥をかかせたかっただけだから大成功ってとこだな。
朝、時間を惜しむ間もなく撮影に入らないといけない。水沢はいつものように写真集のためのスチル撮影と、プロモーションビデオ製作のビデオ撮影らしい。カメラ機材からスタッフまでと殆ど全て現地調達だ。
指揮はおおむね南条さんがとるらしい。水沢の撮影の合間にも、俺の写真を撮る南条さん。この人が今回一番忙しいのかもしれない。
ちなみに俺もこの機会に、ついでに写真集を出してみると言う。
男の写真集はあまり売れないんじゃないかと俺は言ったが、狙うは女性層では無く男性層らしい。セクシーに撮ってみせると言う南条さんだが、俺の体は女なのでそりゃぁプロがそれらしく撮ろうとすればいやらしく撮れるだろう。なんだか俺は自分で見るのが怖く気持ち悪いが、これも仕事だ。そのうち男に戻れれるだろうと思うからこそ、こなせる仕事かもしれない。
ヨーロッパまで来たと言うことで、地中海などをバックにする……などと言う予算は無い。東京から太平洋に出るのとは訳が違い、パリから地中海に出るには600キロ近くあるのだ。
つまり、撮影は全てパリで行う。『あえてのパリ押し』と言うスタイルに見せかけて、実際は予算が無いだけだ……ってのを悟られないようにしなければという事になった。
まさか路地裏で撮影する訳にはいかず、パリらしい街並みや観光場所を使いたい。しかし、当たり前だがそういう場所は観光客も逃さないものだ。日本では撮影に協力してくれと言えばすぐに場所を開けてもらえるのだが、外国人相手にはそのような常識は通用しないようだ。
雇った片言の日本語を喋れる現地スタッフを通訳代わりにし、撮影する様子を近づいて見ようとする人々を遠ざける。滞在する日程が限られており、早く撮影を始めないといけないのに貴重な日の出ている時間が削られていく。
「仕方ない。いでよ巨神兵!」
俺は空に向かって指をぱちんと鳴らす。すると、今まで(なぜか)建物の影に隠れていた白い大きな巨人が現れた。
「奴らを蹴散らせ! 行け! 巨神兵!」
おなじみ、一ヶ月間フランスに里帰りで暇そうにしていたセイム・シューマッハだ。216センチの巨体を揺らして、群集に向かって走っていく。
「和海君、やりすぎでしょ。人に怪我させたら……」
街中で完全に浮いた撮影用の姿、胸元を大きく開きベリーショートパンツを穿いた水沢沙織が心配そうにしている。そんな彼女に俺は片方の口角を上げながら言う。
「大丈夫。セイムは……あんまり日本語分からないから、俺の言った事を理解してないし」
セイムは群集の前を横切り、そのまま突っ走っていった。すると、俺の予想通り彼がフランス格闘技チャンピオンだと気が付いた群集が、その後を追っていく。がらんと開いた凱旋門前で俺達は撮影を始めた。
そんなこんなで毎日セイムを使って人払いをする俺。
最初はセイムをただ走らせるだけだったがそれではすぐに人が戻ってくるため、試しに歌を歌わせてみるとまあまあ効果があった。それよりもパントマイムをさせたほうが更に効果が上がり、最終的にはセイムはかなりジャグリングが上手くなった。
後の話になるのだが、それから試合で入場する時にはセイムは必ずボーリングのピンでジャグリングをしてリングまで歩くようになったと言う……。
何日か経ち、何とか撮影の見通しも付いた頃にセイムに夕食を誘われた。撮影疲れで頬のこけた南条さんと、スタッフや撮影場所の交渉で魂の抜けかかっている穂乃花さんは遠慮する事になった。まあ、ボディーガードのセイムがいればフランケンが襲ってきても大丈夫だろうと言うことで、俺と水沢だけで行くことにした。
「顔ナシみの店。ノーネクタイOK」
そう聞いてセイムに連れてこられたのは、外から見る感じかなり老舗って感じの格式高そうな店だった。しかし、ネクタイが無いのはクリア出来るとしても、俺達の奇抜なジャケットが引っかかるんじゃないかと心配したが、それも「Oh!」と驚かれただけでぎりぎりセーフだった。……一応フランスで買ったんだけどな。
四人掛けのテーブルに俺と水沢は横に並んで座ると、どうも水沢が落ち着き無い感じだ。トイレでも行きたいのかと思ったが、そわそわと言うよりもおどおどしている様子だった。
「ミス沢、気に入らない?」
セイムが首を傾げながら聞くと、水沢は声を張り上げながら両手を横に振る。
「ノー! グッドグッドOKぷりーず!」
「ちょっと水沢さん。こんな店で大声を出すのは駄目だって……」
俺が言うと、慌てて水沢さんは口を手で覆った。そして場が落ち着いたのを見計らって俺に顔を向ける。
「こ……こんなお店に来るのは初めてなのよ。東京生まれの和海君と違って、私の地元にはフランス料理屋なんて無かったわ」
「へー。地元どこ?」
「……秘密。松雪泰子も生まれを公表してないんだから私もしないわ」
「ふーん、まっいいけど」
と、興味ないような返事をしながら、俺のいたずら心がまた首をもたげ始めた。フランス料理屋が初めて、ふっふっふベタな……。
注文はセイムがぺらぺらとフランス語でやってくれた。日本人、年齢、性別を考慮してシェフが腕を振るってくれるらしい。
最初は俺の乳を狙ってきたセイムだが、こいつは中々役に立つ奴なのでこの時には結構気に入っていた。日本で会った時もいろいろこき使ってやろうか。
――役に立つか……。そういえば……
俺は虹の色の話を思い出した。このセイムが俺の七色レンジャーの一人なら、かなり頼もしい味方となり得る。でかい、強い、フランス語堪能、そして、ジャグリングが得意。最後の一つはともかく、この使える長所を持つ男をなんとしても色レンジャーの一人として迎えたいものだ。……まてよ、千夏が赤で正也が緑だとは得体の知れないおっさんに教えてもらったが、後の色の持ち主はどうやって判別するんだ? 洵花の時のように夢のお告げを待つのか? もう何ヶ月もその夢を見ていない気がするが、このペースでやばい日に間に合うのか?
「Merci de vous avoir patienté.」
呪文のような声が聞こえると、俺の前に前菜が置かれた。多分「お待たせいたしました」とかそんな事を言われたのだろう。
俺は、テーブルの上に折られて立たされているナプキンを手に取ろうとした時、それを見ている真横に座っている水沢と目が合った。
俺がそれを手に取ると、同じように水沢もナプキンを手に取った。
「んーと、これをこうして……」
俺は頭を少し下げると、畳まれ方が帽子のように見えなくも無いナプキンを頭に乗せる寸前で水沢に言った。
「何みてんの?」
「べっ……別にっ! 何でも無いわよ!」
水沢は前を向くと、ためらいも無くそのナプキンを頭に乗せた。そして背筋を伸ばし、それが落ちないように真っ直ぐ正面を見据えている。
「ぷっ……くくく……」
俺は笑いを必死に堪えながら、折られたナプキンを広げて膝の上に二つ折りにして置いた。正面に座っているセイムは日本に多少詳しい分、水沢がやっているのは何かの儀式なのかと黙っているようだ。
「えっと……フォークが一杯あるわね。……どうしよう」
「もちろん手の届きやすい内側にある奴からだよ」
俺の言葉で、水沢は一番内側に置かれていた明らかにデザート用のフォークを使い始めた。食べにくそうにしている、良く分からない帽子をかぶった水沢の姿に、俺は腹がよじれ過ぎて涙が出てきた。
前菜、サラダと終えた所で、ついに水沢が愚痴をもらした。
「フランス料理って美味しいんだけど……、この帽子が落ちないようにして姿勢良く食べるのが辛いわね……」
水沢は、時折ずってくる帽子を左手で支えながら、スープを少しずつ飲んでいる。あまりにも面白くて、それを携帯で写真を撮ってみた所、音で気が付かれてこちらを向かれた。
「…………和海君、帽子は?」
「えっ……えへへ……」
水沢は、震える手で頭の上のナプキンを取った。
「さっき、料理を持ってきたウェイターさんの頬が引きつっていたのは……私が綺麗だからって訳じゃ……無かったのね……」
「Oh! ジャパニーズ……般若……」
「ほらっ! セイムも怯えている事だし……、パン食べたらメインだよ! 水沢さん! 楽しく食事しようぜっ!」
出てきたパンを肉食獣のように引き裂いて食べていた水沢に、セイムはもっと怯えた。
こんな風に、俺と水沢はフランスにいる間に小衝突をしまくる。
もちろん、俺ばかりが仕掛けている訳じゃないぞ。ホテルの朝食バイキングではフランスの癖のある野菜をどっさりと盛られたし、昼食では普通のチーズとか良いながら青かびの入ったチーズを食べさせられたし……。
水沢は精神年齢が中学三年くらいなんだよな。多分、乳に栄養がいき過ぎたんだろう。
パリ6日間の旅も最終日になった。
滑り込みアウ…いや、セーフ! くらいの危うさで撮影を終えた俺達は、夜になって現地スタッフと共に打ち上げにBARへ繰り出した。もちろんジャグリングで人を集めて大活躍しセイム・シューマッハもいる。その集めたチップで奢ってくれると言うのだから、なんともまあすごい奴だ。
「和海くぅ~ん、酌してくれよぉ~」
「セクハラで訴えるぞおっさん」
とか俺は言うが、南条さんは死ぬ思いで頑張ってくれたからこの程度のはじけっぷりは許してやろう。しかし、周りの人間との温度差がきつい。未成年の俺以外全員酔っているので、あちらこちらでからまれて非常にうっとおしい。
「和海くぅ~ん。ちょっとで良いから『お兄たま、良く頑張りました』って言ってくれなぁい?」
「和海くぅーん、私の餅乳に興味をひかれないのは君だけよぉ。本当に男なのぉ? まったくぅ」
「巨チチガール、ワタシのナンバーをもっとあげてくだサーイ」
「あぁーもうっ! うるせー酔っ払い共めっ!」
俺は店を出た。
それにしてもセイムが言っていたナンバーの事だが、ファンクラブのナンバーは若い数字になれば偉いって訳じゃないんだけどなぁ。
ホテルすぐ横のBARなので、今俺の目の前にはホテルが見えている。
「……飛行機は明日の昼からだけど……もう寝るかなぁ」
夕暮れになる前から飲み始め、2時間ほど経った今は20時半だ。
日が暮れるのが遅いフランスの空は、まだ半分ほど闇に覆われただけで済んでいる。おまけに今日は月が明るいようだ。
店も殆どがまだ営業しており、一人で観光しても良いが面倒な事が起こって明日の飛行機に間に合わなるのは一番避けなければいけない。やはり今回は観光で来た訳じゃないので、ホテルに戻るのが大人な選択だと思われる。
「満月ね。満月がぼーんって出てるわよねぇ」
何やらどこかで聞いたお菓子と勘違いされそうな事を言ってケタケタと笑っているのは水沢だ。俺がしばし風に当たっている間にこの女も店から出てきたようだ。その横にはホテルまで送るように頼まれたのか、セイムもいる。
「Oh! 今日はUne lune pleine、マンゲツでしタかー。巨チチガールとミス沢はとても良いトキに来たねー」
「あのなセイム。『ミス沢』じゃなくて、『ミズサワ』な。『ミス沢』だとちょっとした有名人と間違われるかもしれないから…」
「パリにはとても有名ナ『占い師』がいるネ。それはマンゲツと……えっと、La nouvelle luneしか……あっ! マンゲツとシンゲツの日にしか営業しないネー。近いから今から行こうネー」
「占い師?」
俺は占い師があまり好きじゃない。なんだか胡散臭いし、テレビで見ていてもカウンセラーの真似事をしているだけに見える。おまけに、最近芸能人を洗脳したって言う輩もいたし……。
だが、月に二回しか営業をしないという偉そうな奴を冷やかしに行くのも良いかもしれない。おまけに俺はちょっと暇しているし。
どうやら水沢は、俺とはまたもや真逆で占いには目が無いらしく、酔っているくせに「ハイ! ハイ! 私もいくぅ!」とでかい声で騒ぐので連れて行く事にした。
そこは、ホテルから歩いて10分程の距離だった。まだ建物と建物の合間からは時折エッフェル塔が眺められる距離だ。酔い覚ましには丁度良い距離と気温らしく、水沢とセイムも若干いつもの感じに戻ってきた。
三階建ての……ビルとマンションの中間のような建物の一階に、木製の扉があった。セイムはここだと言うが、フランス語で書かれた大きくない表札があるだけで、普通に通りがかったなら建物の通用口かと思ってしまうような扉だ。それをセイムが開けようとしたが、鍵がかかっているようだった。
「Oh! 店じまいしたのカモしれません」
「えぇぇぇ!」
残念がって入る水沢だったが、[カチャン]と扉の鍵が外れたような音が聞こえてきた。セイムが試しに扉を押すと、それはゆっくりと開く。
[ギィィィィィ]
間違い無く木戸の音が響く。凝った作りだな。入り口から怪しげなパワーを感じさせる……と、心理的に誘導する罠なのだろう。
暗めの蛍光灯の下に照らされた男が俺達を迎えた。
「Bonjour.……閉めようと思ってたが、チャンピオンか。連れは日本人かい?」
「パドローネ、久しぶりデス」
三つ驚いた。一つ目、セイムと挨拶している男は流暢な日本語を喋った。二つ目、男はマントを羽織った怪しげな姿では無く、普通に洋服を着ている30歳過ぎくらいの赤毛のフランス人だ。三つ目、占い師なら「来るのが分かっていた」と言いそうなのに、セイムが来て少し驚いた様子だ。
だが、なぜ俺達を東洋人の中でも日本人だと言い当てた事については、俺は少しも驚かない。少し調べればセイムが日本の猪俣氏の師事を受けている事は分かるだろうから、一緒にいる東洋人といえば日本人の可能性が高いだろう。ふっふっふ。俺はこの程度でパドローネと呼ばれた男に特殊な力があるなんて事を信じ込まないぜ。
「巨チチガール、ミス沢、ワタシはパドローネに占ってもらイ、チャンピオンになれたネ。二人も占ってもらういいヨ」
そんな事、良いように言ったのがたまたま当たっただけさ……と言おうと思った俺より先に、パドローネが小さく首を振りながら言う。
「君がチャンピオンになれる事なんて、体つきを見れば誰にでも分かるさ」
驚いた。外国風謙遜の言葉を聞いて驚いた訳ではない。占い師と言う職業なら、ここは自分には見えていたとか言うのが大正解であって、それ以外には答えは無いだろう。
弱い超能力を持っている人間はいるかもしれない。しかし、相手の未来を見るような強い力を持っている人間なんているはずがない。もしいたなら、宇宙人の振りしてNASAが誘拐しにくるはず……だってのが俺の持論だ。
俺が様子を伺っている時、まだ酔いが完全に冷めていない水沢はショーケースの向こう側に回った男に向かって、小学生のようにぴんと片手をあげて言う。
「私もチャンピオンになりたいです! 日本のアイドルのチャンピオン! どうしたらなれますかぁ!」
小さなケーキ屋ほどの狭い室内に声が響き渡った。耳を塞ぐジョークをしていたパドローネは、その手を水沢に差し出す。
「10ユーロになるけど……いいかな?」
「日本円で千円以下じゃないっ! 激安! お買い得っ!」
慌てて水沢が差し出したユーロ札を受け取ったパドローネは、照れたように鼻の頭を掻いている。
「本業は一応考古学者でね。月に二回だけ占いとおみやげ物屋をやっているんだよ」
言われて見れば目の前のショーケースに入っているのは古めかしい木彫りの人形や焼き物だ。呪術に使いそうな面もある。……分かった。霊感商法って奴だな。安い占い代は餌で、後から高額な物を俺たちに売りつけようとしているんだ、きっと。
「…………」
パドローネはしばらく無言で水沢を見つめていた。少々ダンディな男に見つめられて、水沢ときたら恥ずかしそうに体をもじもじとさせている。しかし、占いに水晶とかタロットカードを使わなくていいのだろうか?
「チャンピオンは難しいかもしれない。だけど……セイムとの出会いは良かった。彼が通っているジムに君も通うと良いだろう」
「えっ……体を……鍛えるって事ですかぁ? 私がぁ?」
水沢は小声で「胸が縮んじゃうかも……」とつぶやいている。
占い師を冷やかしに来た俺。あげ足をとってやろうかと思っていたが、余りにも地味な占い師でどうしようもない。やはり壷を売りつけてくる瞬間を狙って……
「巨チチガールのはどうデスかぁ?」
セイムは10ユーロをパドローネに差し出して言うが、そのお金を手で押し返された。
「彼は……ダメだ。見えない」
「はっ?」
俺は耳を疑った。占えないと言った事も驚きだが、それよりも……俺を『彼』だと言った。俺は初見の相手には必ず女と思われる容姿だ。それに、セイムは俺の事を『ガール』だと言っているのに、どうして俺が、俺の魂が男だと見破ったんだ? ……単に言い間違えただけか?
「君の未来は……ただの人間である私には見ることが出来ない高次元のものだ。申し訳無い」
「あ……ああ……」
動揺する俺の前でパドローネは続ける。
「しかし……そこにいる彼女を引き上げる事になる、彼女とセイムの出会いは君の力によるものだ。君は……」
「俺の力?」
俺が聞き返したところで、パドローネは目をつぶって軽い頭痛でもあったのかのように頭を振った。
「占えなかったお詫びに良いものを差し上げよう。少し待っていてくれ」
そう言うと、パドローネは奥の扉を開けて中に消えた。しばらくごそごそと探し物でもしているかのような音をさせていたが、誇りまみれで戻ってきた。
「これをどうぞ」
俺は、丁度人差し指ほどの大きさのガラスの小瓶を受け取った。色は水色で、色も形も平凡だ。しかし、中には深緑色の液体が入っている。軽く振ってみると水とは違い、少し粘度があるように感じさせる。
「さあ、触ったのなら買ったも同然! 1000ユーロよこしな!」
……とでも言われるのかと思ったが、何も請求される事無く俺達は店を出された。
ただ、この小瓶を肌身離さず持っていろとだけ言われて……。
「なんか不思議な人だったなぁ。でも、だからって次回行ったら占い料が10倍に跳ね上がるとかなのかなぁ? きっとそうだ」
詐欺とかでもそうだったはずだ。最初は少し良い思いをさせ、二回目に多くのお金を出させてドロンだ。しかしそうは問屋が卸さないぜ。なんせ俺達は明日には日本に帰るんだからな! ざまあみろパドローネめ!
ちなみに日本に帰った後この話を千夏にしたところ、『パドローネ』はフランス語で『店の主人』って意味で、名前では無かったとの事だ。名前が気になったので日本でセイムに会った時に聞いてみると、セイムもパドローネといつも呼んでいるだけで本名は知らないと言う。本当におかしな占い師だ。
ホテルの前でセイムと別れ、俺は水沢を一応部屋の前まで送っていってやる。まだ足取りに少し怪しいところがあるから仕方ないな。
「んじゃーな。明日出国なんだから、ちゃんと部屋片付けるんだぞ」
水沢を部屋の中まで誘導し、ベッドに寝かせてやった。
「あまりここに長くいると、水沢さんが服を脱ぎ出すかもしれないな……」
俺はすぐに部屋を出ようと扉に向かったが、ズボンのポケットの違和感に占い師からもらったガラス瓶を思い出し、それを取り出して眺めた。
しかし、最近俺の周りで不思議な事が良く起こるよな。今回の妙な占い師とか、この間の神社での幽霊とか……。その前は変な夢をよく見たし、よく考えれば更にその前は性別が変わってしまったとか……って、変な事だらけか……。
俺は部屋の明かりをつけたら水沢が眩しいかと思って、ユニットバスの洗面所で小瓶を眺めてみた。中の深緑の液体、これは何かの力があるのか? いやいやいや。どうせあの占い師のハッタリだ。コーラに野菜汁でも混ぜた液体を入れてあるだけだ。
しかし……あの占い師は俺の魂が男だと見抜いた。この液体についての使い方は教わらなかったが、やはり念のため、念のためにこれはしばらく保管して…
「おぇぇぇぇ! 気持ちわるぅ! ちょっとどいてよ和海君!」
[ドンッ]
「えっ……」
俺の手からガラスの小瓶が落ちた。それは洗面所のシンクで一度バウンドすると栓がはずれて転がった。
「ええぇぇぇぇぇ!」
「おえぇぇぇぇぇ!」
深緑の液体は排水溝に吸い込まれていった。開いた口が塞がらない俺の横で、俺を突き飛ばした水沢さんがトイレの便器を大事そうに抱えている。
「こっ……こんな展開ってあるのか? 漫画やドラマでも見たことが無いけど……」
役者と言う仕事柄俺は思った。液体がこぼれてしまったって事は、あの占い師が出てきたシーンは全てカットにしてしまって良いのでは……と。
瓶を拾い上げてみたが、あらかた流れ出てしまってもう数滴しか残っていないようだった。唖然としている俺に気が付いた水沢は俺の横で立ち上がった。
「あらあら。捨てちゃったの? 和海君、最初からあーゆーの信じて無さそうだったもんねー?」
そう言いながら俺から小瓶を取り上げた水沢は、蛇口を捻るとその小瓶を洗い出した。
「まあ私も占いは良い所だけ信じる派なの。でも、こんな小道具は信じない。一回、幸運を呼ぶ石で騙されているからねーだ!」
洗い流すと、洗面所の下にあるゴミ箱に水沢は小瓶を投げ捨てた。そして、一仕事終わりと言うように手をぱんぱんと俺に叩いて見せた。
「さて、服脱いじゃおうかな。和海君、見ていく気?」
「いや……、まあいいかぁ」
俺は軽く考えて水沢の部屋から出て行った。
……しかし、このことが大きな災いとなって俺に降りかかってくる事になろうとは、この時は知る由も無かった。
なーんて、事が無いように祈っておこう。
一週間近くにわたったフランス旅行も最終日で出国の日、空港にはセイムが見送りに来てくれた。来るとは聞いてなかったが、さすがに人の二倍はあるんじゃないかと言うような体なので一発で気が付いた。
「セイム、お前には結構助けられた。また日本に来た時は遊んでやるぞ。その時までジャグリングの腕を磨いておけ。あと、占い師に、小瓶はもらって一時間も経たないうちに捨ててしまったと謝っておいて…」
「巨チチガール、次はワタシもっと頑張る。イイナンバー頂戴ね」
「そうか……そんな話もあったな。よし、セイムはこれから猪俣氏の次で、ナンバー2だ」
「Oh! 小次郎よりもベルトルド・シュバルツより上ネ! ありがト巨チチガール!」
何やら流れで変な事を決めたせいで、以後ファンクラブ内で順位を上げようと猛者共の間で面倒くさい事が起こるのだが、この時の俺は分からなかった。
セイムと別れ、各種手続きを済ませた俺達は搭乗口に向かう。その前にセキュリティゲートをくぐらなければならない。いよいよフランスともお別れになるのだが、仕事ばかりで思い出はカビの生えたチーズくらいだ。いつか千夏ともう一度来てみよう。
南条さんと穂乃花さんは右のゲートに行ったが、水沢は少し空いているように見えた左のゲートに並んだ。俺もその後を付いていく。
[ビー]
「あれぇ? ブラのワイヤーかなぁ? なんせ大きいから……」
金属探知機で音を鳴らした水沢は女性係員に調べられている。照れたのか後ろを振り返ってきた水沢から俺は目を反らす。
「Quel est ceci?(これは何ですか?)」
係員の人は水沢のジーンズ、そのベルトループに引っ掛けられていた金属製の物をつまみ上げた。それには、そのキーホルダーには『努力』と文字が刻まれている。それを見た水沢の顔が般若になった。
「これは……パリのお店で見つけた日本のキーホルダー……。確か和海君、『逆輸入だ』って言って買ってたわよね……」
「あっ! 見つからないと思ったらそんな所にあったのか!」
俺はわざとらしく手を一つぽんと叩いて笑う。
暴れ出すかと思われた水沢だが、さすがに場所が場所なので俺の所まで聞こえる歯軋りをしながらゲートを通りすぎた。お洒落で付けていたと思われた『努力』のキーホルダーも返してもらえたようだ。
勝った……と思っていた俺だったが、なぜかセキュリティゲートをくぐった後に係員に止められた。なんだ? 金属探知機が反応する音はしなかったってのに……?
しかし、止めた係員は俺の体を調べようともせずに隣を見ている。俺もそちらを見れば、なにやらX線装置担当の人達がざわついている。
何事かと思って俺の手荷物を透かして見ているモニターを見れば、そこには俺の鞄から突き抜けようとしているくらいの巨大な金属製と思われる白い影が映っていた。
「なにあれ……?」
装置から出てきた俺のバックパックは問答無用で開けられる。すると中から金属製と思われる巨大な三角形の模型が出てきた。
「あふっ……。これは……パリのみやげ物屋で水沢が買っていた巨大なエッフェル塔じゃねーか……。道理で重いと思った……」
係員の人達は途端に笑い出し、おそらく「パリは楽しかったかい?」と言いながら俺の肩を叩いてくる。その笑顔はまさに失笑にしか見えない。東京タワーの土産に温度計付き東京タワーの模型を買うのがダサいように、パリでもその感覚は同じくあるようだ。
「水沢……こんな罠を仕掛けやがって……。金もねーくせに、いたずらのために1000ユーロも出してネタお土産を買うなんて……。待てぇ! 水沢ぁ!」
俺の様子を勝ち誇った顔で見ていた水沢は、舌を出して搭乗待合室の方へ逃げ出した。
「そっちもやったんだから同罪でしょぉ! まあ私の法が上手だったけどねぇ」
「マジ捕まったらやばいから、俺は加減してやったんだよっ!」
エッフェル塔を小脇に抱えて水沢を追いかけている俺の姿は、更に周りのフランス人に笑われる事となった。
……逃げる水沢の手荷物の中の化粧ポーチ、その中に例のガラス製小瓶があったのに当然俺は気が付かなかった。
さて、週が明けたら九月。学校も始まるな。
念のため。
空港のセキュリティゲート(金属探知機があるところ)で、小説の登場人物達のような事は絶対してはいけません。大人に怒られますよ。