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第10話 「狭い宿での接近遭遇」

前回からのこの場面、酒を飲ませた方が面白くなると思われている方もいらっしゃると思いますが、私は未成年には喫煙・飲酒はよほどの事が無い限りさせませんのでご期待に答えられずすみません。

 日が沈みかけている事に気が付いた俺達は慌てて片づけを始め、三十分ほどで全てを終えた。網を洗い終える頃には暗くなっており、少し長いこと騒ぎすぎたようだった。時間は午後七時半を回っていた。



 全員がログハウスに入り、さて何をして遊ぼうかと言う前にする事がある。洵花と畑中をのぞく俺達は、上にTシャツなどを着ているとは言え、まだ水着のままだ。くつろぐ前に風呂に入らないといけない。


「えっと、千夏と久美だろ。んで、正也と松尾で……」


 ログハウスは宿泊最大人数が12人。風呂も大きめに出来ており、洗い場も二つある。二人一緒でも楽に入ることが出来、三人でも大丈夫そうだ。


「あ、洵花がそれだと一人ぼっちになるから、千夏と久美と洵花の三人で入るか?」


 俺は心が男で体は女なので、誰とも風呂に入る事が出来ない。千夏が男だった頃は一緒に入ったものだが、今は千夏も女に戻ったので、当然その体は見せてもらえない。アイドルである畑中には、まさか正也と松尾の三人で風呂に入ってくれとは言えないので、一人で風呂を広く使ってもらうのが良いだろう。


 大体そう話がまとまりかけていた時、その畑中がろれつの回ってない口調で俺に話しかけてくる。


「じゃあ、俺は和海と入れば良いんらな?」


 酔っているせいか、なぜか俺の肩を抱いてこようとする畑中を俺はしゃがんでかわす。


「いや……お前は……スーパーアイドルだから、一人で入る方が良いだろ?」


「はぁ? 別に構わないのに……」


 畑中は首を傾げてそう言うと、ペットボトルの水をがぶ飲みした。


 アイドルの裸を間近に見るのは、同じ男であっても遠慮する事に不思議は無い。洵花も特に変だとは思わなかったようで、久美達と風呂の支度を始めた。


風呂に入る順番は、まあ一般常識に照らし合わせると、千夏達女子が一番で、その次にアイドルの畑中、次に一応は女の体の俺、最後に正也達……となるのだが、俺はゆっくり入りたかったので正也達と入れ替わり、最後にしてもらった。



 女達はすぐ用意が出来たようで、三人で洗面所を兼ねる脱衣所に入っていく。扉を閉める前に久美が俺達に向かって言った。


「覗きは死刑にするよっ!」


 苦笑いをする正也と松尾だったが、その後の洵花の声に顔をこわばらせる。


「死刑なんてあんまりですわ。肋骨を三本くらいで許して差し上げましょうよ」


 リアル過ぎて怖かった。



 女達の風呂は長かったが、俺達は酔って饒舌になった畑中の話で退屈だと言う事は無かった。


畑中は二十一歳にして芸歴十年で、芸能界、特にアイドル事情に詳しかった。トップアイドル同士の誰と誰が付き合っているとか、清純派アイドルの裏の顔とか、自分のグループのメンバーの性癖とかを暴露していた。


酒を飲むと性格が変わるってのは聞いた事あったが、実際にアイドルでそれを確認するとは思わなかった。むしろ特殊な職業である芸能人の方が激しかったりするのかな?



「出たわよぉー。次ぃー」


 久美達がそろって風呂から出てきた。入るのはともかく、出るのはバラバラでも良さそうなものだが……? 女ってのは本当に分からん。


「和海ぃ? 畑中さん寝ているけど……お前が起こしてくれよ」


 正也は、ソファーに寝転んでいる畑中の横で肩をすくめて俺を見ている。


 次は畑中の順番なのだが、奴はその時には話し疲れて寝てしまっていた。奴が最後に言いかけていた「大物俳優と不倫しているアイドル」の話の続きが非常に気になったが、まあこいつも朝から仕事で疲れていたので仕方が無い。


「じゃあ……正也達先入れよ。畑中は海に入った訳じゃないし、こうなれば起きた時で良いだろ」


 正也達が風呂に消えるのと入れ替わりに、千夏達はリビングに入ってきた。手に瓶やチューブのような物を持っているので、化粧水とかを取りに部屋に戻っていたようだ。俺もマネージャーの穂乃花さんに肌の保湿のために化粧品を薦められているんだが、自分ではまだやった事が無い。一応今は女の肌なのでやるべきかな……やっぱり……



 千夏達は顔にぺたぺたと何かを塗りながら、化粧品についての話題で盛り上がっている。俺はその輪に入っても退屈なだけなので、テレビをつけてみる事にした。画面にはスーツを着たアナウンサーのような人が映し出される。時計を見ると午後八時少し前なので、ニュースの時間のようだ。


[…で発見された、遭難したと思われる外国人風の日焼けした男は、「ワシハカズミチンニアイニイク」と日本語のような言葉を発し、そのまま太平洋上を猛スピードで泳いで行ったとの事です。漁船から連絡を受けた海上保安庁の巡視船は付近一帯を捜索しましたが、その男は見つからずに本日の捜索を打ち切り…」


[ブツンッ」


 俺はテレビの電源を切った。あのまま海の藻屑となってくれると良いのだが……


 親父の事を思い出すと、どっと疲れが押し寄せてきて俺はうとうととし始めた。しかし、一番気持ちいい時に正也達は風呂から出てきたので、俺は頬を一度ぴしゃりと叩くと風呂に向かった。



 俺は、しゅばばばばっと服と水着を勢いよく脱ぎ捨てて浴室に入る。軽くシャワーで洗い流して湯船につかろうかと思ったが、顔も体も日焼け止めでべとつき、髪も塩水でがさがさと硬くなっている。先に、ボディーソープで完全に体を洗い流すことにした。



「ほうちょういーっぽん、さらしにまーいーてぇ~……」


 俺が上機嫌で鼻歌を歌いながら高く上げた足を洗っていると、突然浴室の扉が勢い良く開いた。


「――――っ!!」


 口をあんぐりと開けた俺に見送られ、中に入ってきたそいつは俺の反対側の壁に付いている蛇口の前に腰を降ろした。


「は……は……畑中……」


 どうやって衆人環視のセキュリティを潜り抜けてきたのか、俺の体が女だとは知らない畑中が入ってきた。油断していた俺は家庭用の風呂と言う事もあって、今回はタオルも持っていない。


「いつの間にか寝てたみたいだな。まあ、一緒に入ろうぜ」


 畑中は背を向けたままそう言うと、まずは頭を洗い出した。


 俺は入り口から遠い方の洗い場に座っており、畑中は入り口すぐそばの洗い場だ。今、風呂場を出るなら奴のすぐ隣を全裸で通り過ぎないといけない。その時にもし顔を向けられでもしたら……。


 しかしこのまま座っていても、髪を洗い終わった畑中が湯船に入ろうとすればその方向に座っている俺は全身を見られる。迷った末、俺はボディスポンジを置いて風呂に飛び込んだ。


「は……畑中、お前……風呂に入るとき誰にも何も言われなかったか?」


「うん? 洵花ちゃんに聞いたら、和海が今風呂に入っているって言われたから来たんだけど、それがどうかしたか?」


 ……千夏と久美は会話に一生懸命で、畑中が起きたのに気が付かなかったんだ。洵花は俺が入っている風呂に畑中が一緒に入ろうとしても、俺の体がまさか女だと思っている訳が無いから止めない。正也と松尾は風呂から出たばかりなので、多分着替えを鞄に仕舞いに部屋に行っているのだろう。


セキュリティの穴を狙われた……って、千夏と久美、しっかりしてくれよなっ!



 俺は風呂の隅で小さく体育座りをして、太ももにぎゅっと胸を押し付ける。体の向きで悩んだが、畑中が入ってくる方を正面に見据えて座ることにした。


 程なく、体も洗い終えた畑中が浴槽の中に入ってきた。かなりの接近戦だ。俺が手を伸ばせば畑中の肩に触れる事ができる。


「はぁ~……気持ちいい……」


 目をつぶってそう言った後、畑中は俺の顔を不思議そうに見た。


「お前、なんでこっち見てんの?」


「いやぁ……俺の場合横を向くほうがまずいって言うか……」


 畑中は軽く首を傾げた後、横を向いた。



 畑中は湯につかりながらしばらく視線を宙にやったまま黙っていた。その間俺も黙っていたが、心の中では「早く出やがれ、早く出やがれ」と強く念じ続けていた。


「お前、友達と仲良いな」


 畑中は唐突にそんな事を言った。


「はぁ? そりゃ友達だからな」


「……お前は面白い奴だからな」


 若干話がずれている気がするが、畑中はいつもこんなもんだ。


「別に俺は社交的ってんでは無いと思うぞ」


「でも、俺よりはましだ」


「お前は面倒くさがりでしゃべらないだけだろ」


「訳がある」


 畑中は俺に一度視線を向けてそう言うと、また横を向いた。


「訳?」


「俺は小学生の時に事務所に入り、中学一年生でアイドルデビューした。すぐにSTORMは人気になり、ずっと『トップ』のアイドルだ」


「まあ、うとい俺でもグループの名前は知ってたしな」


 俺が言うと、畑中はくすりと笑った。


「中学、高校は殆ど出席出来なかったから友達もいない。たまに学校へ顔を出しても、遠慮がちに敬語を話すクラスメート。芸能界でも他のアイドルやタレントから気を使われる毎日。分かるか?」


「なにがぁ?」


「中身の無い会話。外側だけで薄っぺらい。そんなのって、楽しいか?」


 俺は少し考えた後、答える。


「……で、人と話すのが煩わしくなった……って事か? でも、同じSTORMのメンバーがいるだろ? 友達じゃないのか?」


「奴らは違う。仲間であり、ライバルだ。友達なんかじゃない。……ソロである和海には分からないだろうがな」


「言わんとしている事は……なんとなく……って程度だな」


「そんな時、お前と出合った。いきなりドラマの撮影中にトップアイドルの俺を殴り飛ばしてきた男。何かの間違いかと思ったが、格闘技イベントでの番宣でも俺の足を引っ掛けて転ばし、その後に踏みつけてきた男……」


 俺はうつむきながら、


「そんな事もあったな……」


 と、答えた。


「お前、変わってるよな?」


 畑中がまた俺に顔を向けてきたので、俺は少し開いていた膝を慌てて閉じた。


「まあ……少し中身(なかみ)は変わってるかもしれないな。……外見(そとみ)はまったくの普通だけど」


 俺は強調してみたが、余計に変だったかもしれないと思った。すると、畑中は湯船から立ち上がると、俺に背を向けて言った。


「普通じゃねーだろ」


 俺はそう言われて、湯船が波立つほど体を震わせた。すると、畑中は振り返り、俺を見て笑った。


「……背が低すぎる」


 そう言った畑中は、浴槽を出て扉に向かう。そんな畑中に俺は声をかけた。


「ちょっと待ってくれ。俺も聞きたかった事が一つある」


「んっ?」


 畑中は振り返って俺を見た。


「お前は俺を見ても何も感じないのか?」


「感じる? ……って何をだ?」


「いや……ほら……、ドラマの撮影の時、他の男達は何かと俺にちょっかいをかけてきたり、気を引こうとしてきたり、体を触ってこようとしてただろ?」


「ああ……、よくあんなゲイばかり集まったもんだよな。すげー偶然。お前、カマっぽい奴らに人気あるのか? たまにそっち系に好かれやすい男がいるって話だけど」


 畑中は違和感を微塵も出さずに、普通に答えているように見える。こいつは役者もやるが、これほどは演技が上手では無かったはずだ。 


 俺はずっと不思議な事があった。ドラマの撮影中、極悪先生役の尾上を始めとする役者はもちろん、監督やスタッフまでもが俺に明らかな好意を抱いていた。ドラマの撮影を終わるクランクアップの際はラブレターまでもらった程だ。しかし、その中でも俺にまったく興味を持っていない態度を取る奴が二人いた。その一人が……この畑中だ。


「そうなんだよなぁ。俺って男に好かれやすいタイプでよぉ……。畑中、お前はなんとも思わないのか? ほら、俺がちょっと女の子に見えたりとか……?」


 俺がわざとらしいだろう笑顔をしながらそう言うと、畑中は首を縦に振る。


「そりゃあるさ。特に今のお前は女に見える。でも、お前が女に見えたとしても……別にって感じだな」


「んじゃあ、俺が女だったとしても、お前の好みじゃなかったって事か?」


「好み……かどうかは中身次第だな。けど、お前は男だし眼中に入らないだろ。見た目だけで言っても、和海レベルの可愛い子は芸能界に何人かいるしな」


 俺が納得の表情を見せると、畑中は扉を開けて浴室から出て行った。


 ――なるほど。畑中の奴は思春期の頃から芸能界漬けだ。可愛い子に完全に耐性が出来ているのか。


 しかし、畑中については納得できたが、俺の疑問は完全には消えない。それは、俺の外見に対して興味を持たないもう一人の人物。ドラマでは金髪ヤンキー役だった工藤君だ。彼は一体……?


 悩んでいるとのぼせそうになってきたので、俺は脱衣所に畑中の気配が消えたのを確認すると、風呂を出た。




 午後十時になると、畑中は自分の宿に帰って行った。部屋は空いているので泊まる事を俺はすすめたが、アイドルとしては女の子がいる所に宿泊するだけでスクープの元になるらしい。それに、スタッフやマネージャーも畑中が目の届かない所に泊まる事は、何かあったときに責任問題になるから困ると言う事だ。


 畑中が帰った後も、俺達はUNOをしたりトランプを使った大富豪をしたりと、超絶盛り上がった。そんな遊びをあまりした事が無い洵花にも負ける正也には大爆笑だったな。それを二時間程楽しんだが、日が変わった頃にはみんな眠いとほぼ同時に根を上げて、ようやくお開きとなった。


 しかし、そこから寝るための部屋割りが揉めに揉めた。


 男子は一階で、女子は二階なのが大前提なのだが、当然俺は野獣共の巣くう一階では寝る事は出来ない。


 俺は、「一階の風水的力学磁場が偏西風に乗ってやってきたヒッグス粒子の影響を受けて、とにかくとても良くない」と言う訳の分からない理由をつけて二階で寝ることを宣言し、協力者の千夏と久美の賛同を得て洵花を納得させた。


 ここからが問題だったんだ。


 二階には三つ部屋があり、その全てがベッド二つのツインルーム。これに、千夏、久美、洵花、そして俺がどの組み合わせで寝るかの論争が始まった。



 第一案。千夏と久美が同室。俺は一人。洵花も一人。


「絶対駄目っ! 和海クンを一人には出来ない!」


 千夏は俺に抱きついてそう言った。用心すべきは正也達では無く、今睨みつけている洵花らしい。



 第二案。久美と洵花が同室。千夏一人。俺も一人。


「久美ちゃん! 洵花ちゃんが部屋を出て和海クンの部屋に行かないように、寝ずに見張ってて!」


「無茶言わないでよ……」



 第三案。千夏と洵花が同室。久美一人。俺一人。


「これで安心……って、やっぱり久美ちゃんも油断できないっ!」



 第四案。千夏と俺が同室。久美と洵花が同室。空き部屋一つ。


「ふぅ。これで安心」


「ふ…不純ですわっ! 高校生の男女が同じ部屋なんてっ!」


「和海君の遺伝子を欲しいと公言する洵花が何言っているのよ……。もういい加減寝ようよ……」


 久美は、俺と千夏の間には何も起こらないと分かっているので、洵花の訴えを退けた。



 十五分ほど揉めていた間に正也達は寝たらしく、一階は静まっている。久美は騒ぐ洵花を自分達の部屋に押し込んで消え、俺と千夏もすぐに部屋に入ってベッドで横になる。


「和海クン。洵花ちゃんに遺伝子渡しちゃダメだよ」


「分かってるよ。俺の遺伝子はお前のものだ」


 俺と千夏は並んだベッドに寝転びながらお互いの顔を見つめ合っていたが、どうもとても恥ずかしい事を言っていた気がして、二人とも顔を赤くすると目をつぶった。すぐに眠気が襲ってきた。




 …………。




 俺はふと目を覚ました。ログハウス内は静まり返り、外の虫の音が騒がしく感じるほどだった。


 ベッドから体を起こし、千夏を見た。ぐっすりと眠っている。


 俺はすぐに布団から出てベッドの横に立つと、下腹部を撫でる。どうも寝る前に水分を取りすぎたらしい。俺のベッドを見るとシーツはかなり乱れており、尿意は眠気によってかなり押さえ込まれていたようだ。限界近くになった今やっと目が覚めたらしく、膀胱がぱんぱんになっている気がする。


「うう……もれそう……」


 俺は部屋を出ると急ぎ足で階段を降り、トイレに駆け込んだ。



 排尿感に身をもだえさせながらトイレを出ると、またすぐに睡魔が襲ってくる。俺は足早に階段を上り、二階に戻った。俺が自分の部屋の扉を開けるとすぐ……


[カチャ」


 隣の扉が開く音がした。久美か洵花だろうが、もう夜更けなので挨拶をするのはやめて俺は部屋の中に入った。


[トン トン トン トン]


 階段を下りる誰かの足音を聞きながら、俺はベッドに入る。


[トン トン トン …………ダカダカダカダカッ」


 急に階段を駆け上がってくる激しい足音に変わり、それは、俺の部屋の前で止まった。


[ガチャッ!!」


「和海様っ!」


 その声に、閉じかけていた俺のまぶたはパッチリと開く。


「な……なんだよ洵花……。トイレの場所は分かってるだろ……?」


 俺が布団を掴んだまま体を起こすと、ドアを開けている洵花の顔は目が一杯に開かれ、何度も唾を飲み込んでいる。


「和海様っ! 今……和海様の胸が……、胸が……膨らんでいませんでしたか??」


 俺はそう言われて、布団の下で手を動かして自分の体を触る。すぐに手は大きな乳にぶつかって止まった。反対の手で布団の中を探ると、その手にはさらしが触れる。


 ――しまった。寝ている間にさらしがほどけていた。


「な……何を……馬鹿な……。そんな訳が……」


「今確かにっ! この目で……」


 洵花は自分の顔を指差し、俺の部屋に足を踏み入れてきた。


「いや……えっと……その前にお前、トイレ行かなくて良いのか?」


「あっ! そうでした! 寝る前にお水を飲みすぎたせいで……。少々お待ちをっ! すぐに戻ってきます!」


 洵花はUターンをすると、慌てて階段を下りていった。


「千夏っ! 起きてくれっ! 緊急事態だっ!」


 俺が布団を跳ね飛ばしながら千夏を見ると、すでに目を覚まして体を起こしていた。


「和海クン……どうするの……?」


「奴の手を借りる!」


 俺はさらしを体に巻きつけながら部屋を出ると、久美の部屋に飛び込んだ。



「久美っ! 起きろっ!」


「ふわぁぁ……。和海君、夜這いに来てくれたの?」


 寝ぼけ(まなこ)の久美の両肩を掴んで勢い良く揺すり、脳をシェイクさせて目覚めさせる。


「目が覚めたかっ?」


「なによぉぉ」


 俺はその久美の耳に口を近づけ、小声で囁く。すると久美は険しい顔で首を振った。


「嫌よぉ! 絶対嫌っ!」


「そう言うなって! 洵花にばれそうなんだ! 早く!」


「う……っ、くく……く……。もうっ!」


 久美はベッドの横においていた自分の鞄に手を突っ込み、すぐに俺が言った物を取り出してきた。


「これだけ? これじゃあ足りない!」


「だって、予備はそれだけで……」


「予備? ならっ! 今つけている奴も貸してくれっ!」


「バ…バカっ! ……もう、もうもうもうっ! 貸しだからねっ!」


 久美は後ろを向いてなにやらごそごそとすると、背を見せたまま俺に向かって手を伸ばしてきた。俺はその手に握られた物を奪うように貰い受ける。


「感謝するっ!」


「ほやほやだからねっ!」


 なにやら顔が赤かったように見えた久美を置き、俺は自分の部屋に戻った。


「千夏っ! 胸にこれを入れろっ!」


 俺は、左手と右手に握られている物を千夏に突き出す。右手の方の物がちょっと温い。


「ええっ! 入れてどうするの?」


「良いからっ! 早くっ!」


「ブラに入るかなぁ、こんな一杯……」


「入れてる奴がいるから大丈夫っ! とにかく底上げしてくれ!」


 千夏も俺に背中を見せてその装備一式を身に着ける。足音がしたので振り返ると、ドアのところに洵花が戻ってきていた。


「か……和海様……」


「お…おう。洵花。……で、何の話だっけ?」


 俺は、とぼけた顔をしながらわざと胸を良く見えるように体を横向きにして見せた。当然今はさらしで押さえつけてぺったんこだ。


「あれ……? いえ、確かに私は胸の大きな和海様を見た気がして……」


 首を傾げる洵花の前で、俺は大げさに手をぽんと一つ叩いてみた。


「大きな胸って……。ああ、千夏と俺を見間違えたんじゃないかぁ? 電気はついてなかったし、目を覚ましてすぐだったんだろ?」


「でも……、あれほど千夏さんは胸が大きくは…………あらっ!」


 千夏もそ知らぬ顔をしながら、洵花の前でわざとらしく体を少し反らして胸を強調させて見せている。千夏は元から胸は若干大きい方だったが、今は底上げされて胸が弾頭のように突き出ている。


「そんなに……大きな……お胸……でしたっけ?」


 ゆっくりと首を傾げていく洵花に俺は言う。


「ち…千夏は寝ると、ホルモンの影響で大きくなるらしいんだよっ!」


「な……なるほど……。どうやら私の見間違えだったよう……ですね。それは……そうですよね。和海様に女性のような胸があるはずがありませんわ……」


 いまいち納得しきれてないようだったが、洵花は自分の部屋に戻って行った。


「……はぁ。助かった。夜中で良かったぜ。これが昼間だったら、言い訳出来なかった……」


 俺が大きなため息を付いていると、千夏は胸から抜き出した何枚ものパットを俺のところへ持ってきた。


「これっ、久美ちゃんに返しておいてよねっ!」


「えっ? お前が返した方が良くないか?」


「どんな顔して渡せば良いか分からないよっ!」


「……分かった」


 俺はパットを受け取ると、これを返すときにコークスクリューパンチを何発も受けるんだろうなぁって思った。




 翌朝。


「このぉっ! くらえぃぃぃぃ!!」


「ごばぁぁぁ!」



「起きて顔を合わせた瞬間に、何で和海は久美に殴られてんだ?」


「わかんねぇ……」



「あら、千夏さん、本当にしぼんでしまったのですね?」


「ううっ……。良いよねー、洵花ちゃんは大きくてっ!」




 午前中の船の便で帰る俺達を、洵花は桟橋まで見送りに着てくれた。また遊ぼうと約束して船に乗り込むと、洵花はいつまでも俺達に手を振っていた。



 かくして、当初の予定とはまったく違う、派手な旅行は終わりを告げた訳だ。


 しかし、まだ夏休みに入ったばかり。セミのうるさい声が、一ヶ月残った夏休みは密度が濃いものだと俺に教えてくる気がした。


 




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