旅立つ花弁
今日は卒業式。壇上の教頭先生は、卒業式でも相変わらず髪の毛が薄い。仕方ないけど。
運のいいことに、今年は桜が咲くのがはやい。私たちが在校生として学校を訪れる最後の日には、校門近くの大きな桜の木が既に薄紅色を大きく広げていた。
風があまり吹いていないからか、宙を舞う花弁もあまり見かけないが、そっちのほうがいい。
式が終わったあとで、みんなと、この木の前で写真撮影をするから。あとで、卒業式の写真って言って見てみて、やせ細ったような桜が背景だったら、悲しいでしょ。
はあ、いよいよお別れか。
泣くもんかって思っていたけど、やっぱり駄目だ。もう鼻の奥がじんじんしてる。
そんな私の、泣きそうな感じが退くのを待つわけにもいかないだろう。式は着々と進み、今、マイクの前にいるのは校長先生だ。
いつもは、意図的につまらなくしているとしか思えないお話も、これが最後だと思うと、ちょっと嬉しくもあり、寂しくもある。
私は、涙がでないのを祈りつつ真剣に聴いてやった。
「−−諸君は三年前、この大きな幹に集まり、それからというもの、大きく花開くことを夢見て、いまかいまかと待ちかまえていました。そしてそれぞれの枝に、各々膨らませてきたつぼみを、今、大きく広げようとしています。私たち教職員が、養分を送ることができるのは今日が最後−−」
悪化した。視野の下の方がちょっと滲んでる。
今ならまだ大丈夫。涙を溜める程度なら、卒業後の扱い『泣いていないサイド』に引き返せる。
なんとか我慢して卒業式を乗り越えた。校歌で危なかったけど。
あとは、写真撮影を乗り越えれば完璧だ。打ち上げあるとかないとか誰かが言ってたけど、楽しめばそれもいける。
前のクラスが終わって、私たちは桜の木の前にぞろぞろと整列する。珍しく、今日は男子も並ぶのが早かった。涙を堪えるのに必死で、悪ふざけをする余裕がないのだと、勝手に決めつけた私は、一人ほくそ笑んだ。
男子はどこか、泣いたらかっこわるいみたいな思想あるからなあ。死活問題だよね。
もちろん、泣きそうになっているのが私だけではなかったことに少なからず安心もした。
「はい、じゃあ、いきまーす」
そういえば、このカメラの人もずっと同じだ。ちょっと白髪混じってるけど、昔からこの学校の写真撮影担当してるんだろうか。
「はい、じゃ、もう一枚撮りまーす」
考えてるうちに、撮影も進んでいた。今みたいなたわいもない考えごとのおかげで、卒業写真にまぬけな顔が写ったら大変だ。
私は即刻、真面目な顔を作る。
「ラスト一枚でーす」
カメラの人が言うのと同時に、強く風が吹いた。構わずシャッターが切られる。
「はい、終わりました」
言い終わらないうちに、私は後ろを振り向く。
「……きれい」
誰かが言った。私もそう思った。
桜の花弁が、風に吹かれて宙を舞っていた。
もとの大きな木を離れ、青空に向かって舞い上がる花びらは、何に縛られることもなく自由に踊る。
美しいと、そう思う。
けれど、そうやって自由になるということは、花弁一つ一つを繋いでいたものを失うこと。風に乗ってどこへでもいけるということは、みんなが遠く離れてしまうということ。
「おっ、あいつ泣いてるぜ」
男子の声が聞こえる。
まさか、私、と思って頬に触れた指先は、ほのかに濡れていた。
「いきなり風が吹いたからゴミが目に入っただけだし」
言い返す私の言葉はあまりに小さく、桜といっしょに風に飛ばされた。