『ワニザメに飲まれた速記者』
渡し場を出た渡し船が突然動かなくなった。正しくは、流されているので、動かないよりも危険な状況である。船頭は、客たちに、これは、たまにあることなのだが、この中の誰かが、ワニザメに見込まれたからで、その人をワニザメに捧げれば、ほかの人は助かる。その人には気の毒だが、ほかの人を助けるためだから、諦めてもらいたい。ついては、一人一つずつ、持ち物を水に投げてもらいたい。ワニザメに見込まれていない人の持ち物は浮いたままになるが、見込まれた人の持ち物はすぐに水の中に引き込まれるから、その人は、身を投げてもらいたい。その人がワニザメに飲まれている間に、我々は船を出すということだ、と説明して、客は、一つずつ持ち物を投げた。皆が同時に投げると、どれが誰の持ち物かわからなくなるので、一人ずつ持ち物を投げていくと、若い速記者の番になったので、さすがにプレスマンは速記者の魂であるから、原文帳を投げたところ、紙束なのに、一瞬で沈んでいった。速記者は、ほかの人たちが助かるなら、と、プレスマンを横一文字にくわえて、ざんぶと飛び込んだ。
船頭とほかの客たちが、速記者がどうなるかを見ようと身を乗り出した瞬間、船の何倍も大きなワニザメが、一瞬の半分くらいの時間で、速記者を飲み込んでしまった。船頭は、よしっ、と小さな声でつぶやいて、急いで船をこいでその場から離れた。すると、船の後ろにワニザメが浮かび上がり、大量の水とともに、速記者を吐き出した。速記者は、宙を飛んで船の中に飛び込んできた。さっきまでいた位置と同じ場所に。
客たちは、ワニザメの消化液がつくと嫌なので、少し距離をとりながら、ワニザメに飲まれるのはどんな気分なのかを尋ねた。速記者は、こればかりは、飲まれたことがない人には伝えられない、とはぐらかした。どうして吐き出されたのかを尋ねると、速記者は、プレスマンをゆらゆらさせながら、こいつさ、と答えた。
教訓:胃袋を刺した、胃袋に胃袋の絵を描いた、胃袋に速記シャープの粉を振りかけた、など、幾つかの答えが思い浮かぶが、多分、刺した。




