子息の後悔
「おい、勉強……、し、してるのか……? もうこんな時間だぞ」
「あ、私にはお気になさらず。もう少し勉強してから就寝しますね」
商家の息子として育った俺、パパス・パットンは自分では優秀だと思っている。
勉強に長けて、運動もほどほどにでき、顔もそこそこに良い。
……決して一番になれるわけじゃない。両親はそこを不満に思っているが、娘のリリスよりはマシだろうと思っている。
事実、俺は両親から甘やかされている。リリスは放置されている。俺にとって、その差が優越感となり、自尊心をくすぐる。
屋敷の大広間で勉強しているリリス。そういえば、ここ数ヶ月、リリスの姿を見ることはなかった。朝早くからいなくなり、夜遅くに帰ってくる。
両親はリリスに関心がない。
目の前にいるリリスが以前とは違うリリスのように見えた。俺を見ても怯えない。
俺はリリスの将来のために、勉強をさせているんだ。
この家にいたら、リリスはとんでもない貴族と婚約させられる。
俺が、いつかリリスを養えばいいんだ。
全部リリスのためなんだ。
家族の誰よりも、リリスのことを思っている、良い兄なんだ、俺は。
「なんだ、お前生意気だな。俺はお前のために思って!!」
頭を軽く殴るふりをする。リリスは何も反応せず、ただ、空虚な瞳で俺を見ていた。
なぜ、鉛筆を強く握りしめている?
俺は知っている。以前、弱者だと思って、学園でからかった奴がいた。そいつは、限界に達した時、ナイフで俺を刺そうとした。その場は教師がいて事なきを得たが、俺にとって良い教訓となった出来事だ。
……目が同じだ。これ以上、俺が手を出すと……。
「あの……。痛いのは慣れていますが、嫌なものは嫌です」
「……あ、ああ、そ、そうだな」
なぜか、俺はリリスを見ていたら罪悪感というものが生まれた。なぜなんだ?
ふと、リリスの手元のノートを見た。
……え? 高等部でならったばかりの問題??
俺には理解出来なかった。俺はその事実に目を背けるように、その場を逃げるように立ち去るのであった。
***
キース。
「がははっ、流石リリスだな! 魔法も剣技も中級冒険者に迫っている。そろそろ上級ライセンス試験を受けるか?」
「マ、マスター、やめてください……。その、恥ずかしいです」
郊外にあるダンジョンにて実習があった。俺、キースとフィリスはこのクラスで最強だ。なにせ、子供の頃から魔法と剣を塾で習っているんだ。
そんな俺とフィリスはボロボロの状態で、冒険者治癒師から治療を受けている。身体の震えが止まらない。初級ダンジョンなのに、中級魔物が潜んでいた。
簡単な実習で終わるはずだったのに、俺達は死の危険に侵された。
だが、リリスが突然、前に出て中級魔物を一瞬で屠った。その後も、魔物の群れが俺達に襲いかかってきたけど、リリスがとんでもない強さで全部を倒した。
その後、ダンジョンを脱出して、冒険者に保護された俺達はギルドで治療を受けていた。
リリスがギルド長と親しそうに話している。
「なあ、フィリス、お前ギルド長と知り合いって言ってただろ? リリスのこと聞いてみろよ」
「む、無理だよ。あの人は、本来、剣聖と呼ばれる人で、僕たちが気軽に話しかけられる人じゃないんだ」
「はっ、知り合いじゃなかったんか? リリスがそんな人から認められてんのかよ!」
「……あのさ、僕たち、ずっとリリスを見下していたけど……、ねえ、他のクラスの噂聞いてる?」
「……ああ、俺も違うクラスのダチから、リリスのこと聞かれるからな」
リリスはギルド長と楽しそうに会話をしていた。まるで親子のような信頼関係があるみたいだ。なんだろう、胸がキリキリと痛い。
俺達のクラスはリリスをいないものとして扱っていた。それはもう一年以上前からだ。
きっかけが何だったのかよく覚えていない。ただ、クラスの空気がリリスと話しかけるな、という感じだった。
リリスは地味な女だった。
なのに、他のクラスの奴らが――
『なあキース、リリスちゃんのこと紹介してくれよ』
『リリスちゃんって婚約者いるんか?』
『俺さ、街でリリスちゃんを見たんだけど、すげえ綺麗で――』
『リリスちゃんって王都中央でモデルしてるのか?』
――リリスちゃん、リリスちゃん、リリスちゃん、うるせえんだよ。
確かにリリスは痩せた。それでも、地味な顔は……。
「マスター、あの件ですが……、正式に受けようと思います」
「おお、そうか! 王子……、いや、アルベルトもリリスとパーティーを組めると喜ぶぞ! おう、噂をすればアルベルト!」
ギルドの奥から出てきた見目麗しい優男がリリスに近づいた。なぜか、俺の心臓がずきりと傷んだ。なんだ、これ?
フィリスが俺の脇を叩く。
「……なあ、僕ってたまに中央に行くんだけど……、あの人……第二王子そっくりなんだよね。アルフォンス様って名前何だけど……ペットの猫がアルベルトっていうんだ。いや、まさか、こんな田舎にいるはずないと思うけど……」
「はっ、どうだっていいぜ。なんかあの男ムカつくな。マジでリリスと近すぎじゃねえ?」
アルベルトと呼ばれた男は、寡黙で静かだった。ダンジョンで殺されそうだったのに、うちのクラスの女子が騒いでいるほどの色男だ。
俺が二人を見ていると、アルベルトが一瞬だけ俺を見た。
――底冷えするような鋭さだった。体温が一気に下る。身体の震えが止まらなかった。
なぜ俺を責めるような目で見た?
俺は俯いて、ただ時間が過ぎるのをまった。
気が付くと、俺はギルドの脇にある食堂で横になっていた。寝てしまった……。
他のクラスメイトは誰もいない。
起き上がって辺りを見渡すと、リリスが手紙を読みながら微笑んでいた――
その笑顔があまりにも美しくて、俺の心臓が撃ち抜かれた。
変な汗が背中から流れる。呼吸が浅くなり、自分の胸が苦しくて、手で押さえているのに痛みが止まらない。
声をかけようとしても、声が出なかった。
リリスが手紙を大事そうに、ポケットにしまった。そして、立ち上がり、食堂から立ち去ろうとしていた。
俺は思った。もしかして、リリスは俺の事を心配して残っていてくれたのか?
「リ、リリス」
リリスが俺の方を振り向く。笑顔が消えて無表情に変わっていた。首を少しかしげ、考えていた。
「……あの、特に用がなければ、行っていいですか? 知人と約束があるので」
あまりの声の冷たさに、俺の心も凍えてしまった。
「い、いや、ていうか、お前すごいじゃん! いつの間にかライセンス取ってたんだよ! もしかしてフィリスに影響されたのか? あ、今度俺もダンジョン連れてってくれよ。俺達――友達だろ?」
リリスの顔が一瞬歪んだような気がした。俺は気がついたけど、気がついていないふりをした。何かまずいことを言った。でも、それが何かわからない。
「……あの、全然話したことのないクラスメイトを、友達っていいますか?」
「あ、い、いや、その……」
リリスが再び立ち去ろうとした。俺は――
「こ、これから友達に」
どんっ、という音が聞こえた。リリスの拳が壁を叩いていた。押し殺すような声が聞こえた。
「……人のことを馬鹿にして、罪を被せて、川に落ちても逃げて、あげく無視をする。それがどうやって友達になるんですか? すごい厚かましいですね。びっくりしました」
リリスは俺の顔を見ずに去っていく。俺はその背中をみることしかできなかった。
胸のうちに黒い雫が落ちた。
それが広がって、嫌な気持ちがどんどん湧き上がる。
罪悪感という気持ちに代わり、自分自身の馬鹿さ加減に自分を殺したくなる。
罪悪感を加速させる何かが芽生えた。
俺はこの感情を知っている。
隣のクラスの、なんとかちゃんの時は仄かな思いだった。
これは違う。これが……初恋?
リリスの顔が俺の頭を埋め尽くす。あいつのことを考えるたびに、甘い気持ちと、後悔の気持ちが入り混じる。
止められない。これが恋。
俺はそんな感情を知らなかった。
「……なんだよ、俺が……馬鹿だったんだよ……」
消えない過去を思い返すと、俺は涙が自然と溢れ出していた。
自業自得、その言葉が頭から消えてなくならなかった。




