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 第4章 選んだあとの距離 第2話 現地実技 7/7

 


 夕方


 教官が合図を出した。


 薄く赤みを帯びた光が

 仮設区画の天幕を透かし、

 長く伸びた影が地面を分けている。


 砂と埃を含んだ風が、

 使い終えた器具の金属音を

 かすかに揺らしていた。


 

 


「本日の訓練は、ここまで」


 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

 帰路の馬車が整えられ、候補生たちは順に呼び集められた。

 荷台の軋む音と、馬の吐息が静かに混じる。


 候補生たちは言葉を失っていた。

 誰も満足していない。

 誰も納得していない。

 誰もが疲れ切っている。

 声も、視線も、重かった。

 袖や裾には土埃がつき、顔には拭いきれない迷いが残っている。


 そのとき。


 区画の外れから、一人の女性が歩み寄ってきた。

 白衣はくすみ、袖口には幾度も縫い直された補修の跡がある。

 だが、その立ち姿だけで分かる。

 背筋は伸び、歩みは迷いなく、周囲の喧騒に呑まれない静けさをまとっていた。


 現役聖女だった。


 彼女はマルコの前で足を止め、静かに頭を下げる。


「お久しぶりです、講師長」


 その声に、マルコがわずかに目を細めた。

 懐かしさとも、安堵ともつかない色が、ほんの一瞬だけ宿る。


「……無事で何よりだ」


 それ以上は言わなかった。

 だが、そのやり取りだけで十分だった。

 互いに、ここで何を見てきたのかを知っている。


 候補生の何人かが、その様子に気づく。

 あの人も、ここを通ったのだと。


 女性は視線を横に流し、候補生たちを一人ずつ見ていく。

 数を数えるように。

 顔を刻むように。

 未来の輪郭を、確かめるかのように。


「今年は、多いのですね」


 それは感想だった。

 だが、どこか痛みを含んでいる。


「……減った結果です」


 イザベラが淡々と答えた。

 余計な説明はない。

 ただ事実だけが置かれる。

 女性は一瞬だけ目を伏せた。


「そうですか」


 それ以上、何も言わない。

 責めない。抗議もしない。


 ただ、候補生の列の端にいる少女と、ほんの一瞬、目が合った。

 しかし、すぐに視線が逸れる。

 それでも、何かが残った。


 ──あの人も同じ場所に立っていた。

 ──あの人も同じ馬車に同じ顔で乗った。


 女性は一歩下がり、再び頭を下げる。


「現場は、こちらで引き受けます。

 ……無理は、させません」


 その言葉が、誰に向けられたものなのか。

 候補生たちには分からなかった。


 だが。


 馬車に乗り込む直前、誰かが小さく呟いた。


「……あの人、聖女、だよね」


 誰も答えなかったが、全員が知ってしまった。

 自分たちの“先”に、あの姿があることを。

 疲労と迷いを抱えたまま、それでも立ち続ける姿があることを。


 馬車の中で、誰かがぽつりと呟く。


「……結局、何が正解だったんだろう」


 揺れる車内に、その言葉は沈んだ。

 そこにも答えは返らない。


 馬車の扉が閉まる。

 車輪が、静かに回り始めた。

 軋む音が遠ざかり、区画のざわめきと入れ替わる。


 後日、候補生たちの提出した評価の多くが曖昧だった。

 だが、ひとつだけ明確なことがある。

 疫病都市では、奇跡は、万能ではなかった。


 そして候補生たちは、奇跡を使わなかった自分を、誇れずにいた。

 それでも。

 その選択が、次の訓練へと、確実につながっている。


 疫病都市の実技は、「一つの正解」すら残さなかった。

 残ったのは、判断の痕跡だけだ。


 同じ区画に立ち、同じ空気を吸い、同じ声を聞き──。

 しかし候補生たちは、同じ場所を見てはいなかった。


 誰を先に見るか。

 どこに立つか。

 何をしないか。


 それらはすべて、奇跡を使う前に決まっている。

 その違いが、はっきりと表れ始めたのは、ごく一部の候補生たちだった。


 



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